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スーパー上司  作者: マリブン


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10/19

工場アルミ問題を斬る!

朝倉修平がその工場に足を踏み入れたのは、冬の終わりを告げるような冷たい風が吹きつける、曇り空の昼下がりだった。


鉄骨の梁が剥き出しになった天井。

床の油汚れ。

耳をつんざくようなプレス音と、金属の焼けたような匂い。

それは、いつもの「営業第二課」では味わえない、まったく異なる戦場だった。


朝倉課長は、スーツの上から社名入りの作業着を羽織り、安全帽を被っていた。

同行していたのは、本社の部門横断的な視察チーム。

総勢10名。

人事部の坂井、品質管理の丹羽、法務課の中里、安全衛生担当の山村、経理の小池、さらに取締役補佐の井波など、それぞれがタブレットやファイルを抱えて歩いていた。


「こちらが鉄パーツの一次プレス工程です」


工場長の川添が、振り返りながら説明する。

50代後半。

工場一筋30年の職人型管理者だ。


「ありがとうございます。工程表、共有いただいた通りに拝見させてもらいます」


「うちの工場は鉄とアルミ、2ライン体制です。鉄は完全自動ライン、アルミは…まあ、皆さんご覧になれば、いろいろと思うところはあるでしょうな」


朝倉はうなずきながら、足元の床とラインの動きを見やった。

オートプレス機が重厚な金属音を立てながら、鉄板を正確に圧縮していく。

使用後の鉄クズは、地下に設置されたコンベアによって自動的に回収され、仕分け・再利用される仕組み。


「鉄パーツの方は、相変わらず優秀な生産効率ですね」


「はい。ただし、問題は隣です」


川添が意味深に顎を向けた先

そこには、別棟で仕切られたプレスラインがあった。


視察チームがその棟へ入った瞬間、空気が変わった。

湿った油の匂い。

冷えた空気。

耳の奥に響く「バシィン!」「ゴガァン!」という金属の打音。

鉄の自動ラインとは異なり、ここはすべて人の手で行われている作業現場だった。


「ここがアルミのプレス…?」


「そう。アルミは素材が柔らかくて変形しやすいので、鉄のような完全自動化が難しいんですよ」


安全衛生の山村が、前の方でタブレットを操作しながら呟く。

「四人一組で、一つの型に対して同時にボタンを押して圧縮する工程です。合計四工程。つまり、常時十六人が連動して作業してることになります」


「それって、かなり非効率じゃないですか?」


品質管理の丹羽が眉をひそめた。


「おっしゃる通りです。ただ、安全面の制約が大きくてね。」


川添が説明を続ける。


「この工程では、万が一誰かが手や足を挟まれてしまうと命に関わります。なので、プレス機が作動中に周囲のセンサーが何かを感知すれば、即時停止するよう設計されてます。ほんの少しでもセンサーに触れると止まる。だから近づきすぎないよう作業員達はピリピリしてるんです」


「それは…効率より安全優先ということですね」


朝倉が呟いた。


「はい。現場の負担も大きいが、事故はもっと大きな損失を生みますのでね。あと、余談ですが…」


と、川添は声を潜めた。


「一つだけ、絶対に使ってはならない自動押下スイッチが存在するんです」


「自動…?」


「ええ。四人が同時に押さなくても、ボタン一つで自動的に型を上下させる機能です。ただ、これは安全センサーが無効化されるため、極めて危険。本来、緊急時やメンテナンス以外で使ってはならないルールです」


「なるほど…」


「それというのも、あまりにも工程が単調で、面倒で、しかも重労働ですから。楽をしたいという誘惑に、若い作業員が負けてしまうことがあるんです」


この瞬間、朝倉の表情がわずかに強張った。

ふと、ラインの奥にある作業者の背中が目に入る。

名札には「ASAKURA DAICHI」の文字。


息子だ。

間違いない。


その場では声をかけなかった。

彼は、チームの一人として黙々と作業に向き合っている。

「親が来たぞ」などと軽々しく言える空気ではない。

朝倉は、胸の奥に浮かんだ嬉しさと不安を押し殺した。


その直後だった。


「おい、止まったぞ!」

「何やってんだよ! またかよ!」

「型がズレてる! やり直しだ!」


作業員たちの怒声が響いた。

誰かがうっかりセンサーに手を触れてしまい、プレスが途中で停止したのだ。


止まったプレス機の型を、4人がかりで元の位置に戻し、未完了の部品を廃棄用ボックスに投げ入れる。

それは無駄な工程だったが、命を守るための停止として、皆が仕方ないと理解していた。


視察チームは無言になった。


「これが、アルミラインの実情です」


川添の言葉に、誰も返せなかった。


朝倉は、息子の後ろ姿をじっと見つめていた。

無言で黙々と作業に向かう息子 大地は、父親が視察団の中にいることに気づいていないようだった。


こいつ、ちゃんとやってるじゃないか。


父としてではない。

朝倉課長として、この現場に配置されたアルバイトの一員が「真面目に任務を果たしている」ことに、内心で小さな安堵と誇りが湧いた。


その直後だった。


「おい! そっち、押し込みすぎ!」


「センサー触ったの誰だよ!」


再び停止音。

慌ただしくインカムが飛び交い、作業員が集まり型の調整にかかる。

同じことが、今日だけでもう4度目だという。

視察チームの一部からはため息が漏れ始めていた。


そのたびに、誰かが小さなヒンシュクを買う。

「またかよ」といった視線が、現場の空気をじわじわと腐らせていく。


それでも作業は止められない。


休憩時間。

視察チームは別棟の休憩室に案内され、紙コップのコーヒーが配られた。


「いやぁ、思った以上にハードですね…アルミラインって」


人事課の坂井が苦笑した。


「作業者の負担、ちょっと過剰じゃないか?」


品質管理の丹羽も声を落とす。


「工程を見直す余地はあるでしょうね。ただ…事故のリスクを最優先してるのは理解できます。」


安全管理の山村はそう言いつつも、資料に目を通しながら眉をひそめていた。


「それよりも気になるのは…」


と、朝倉が静かに切り出す。


「あの自動スイッチは、なぜ撤去しないんですか?」


一瞬、休憩室が静まり返った。


「川添工場長。私の聞き間違いかもしれませんが、あれは絶対に使ってはいけないと説明されましたよね?」


「はい…そうです」


「それなら、存在自体がリスクです。人のミスは防げない。押せる位置にある時点で、いつか事故が起きます」


「確かに、そうですね。前にも1度起きてるんです。だいじには至らなかったので大事にはなりませんでしたがね。」


「押させないルールではなく、押せない構造に変えなければなりませんね」


視察チームの何人かが頷いた。

そこに一人の女性社員が、ホワイトボードに貼ってある作業スケジュール表を見て言った。


「このシフト表…今日の午前中、アルミラインのE班にバイト名で朝倉大地って入ってますけど…もしかして?」


「それ、うちの…息子です(笑)」


朝倉が小さく答えた。


「ええっ!? そうなんですか!?」


「ええ。本人には黙ってましたけど…まあ、仕事ぶりはきちんとしてましたね。上司としては嬉しいかぎりです」


その瞬間、チーム内に小さな笑いが起きた。


「いや〜、朝倉課長にも息子さんいたんですね! 学生さんですか?」


「大学1年で春休み中です。」


「なるほど…親の顔がチラついてたら、逆に緊張しそうですね。」


坂井が笑った。


朝倉も口元だけは緩めた。

だが、心のどこかでは先ほど聞いた言葉が静かに引っかかっていた。


「あまりにも単調で、重労働で、面倒だから…若手が楽をしたくなることもある。」


現場には潜む空気がある。

口にしなくても、何となく流される許されてる雰囲気。

それが、いつか命を奪う引き金になる。

そんな予感が、朝倉の中に芽生えていた。


午後の視察が再開された。


今度は製品の出荷ラインと、倉庫スペース、検品所を回るルートだ。

アルミラインを通る動線が一部含まれており、再びあの現場を通過する。


そのときだった。

突如、鋭い金属の悲鳴のような音が響き渡った。


「うわああああっ!!」


「止めろっ!! 緊急ストップ!」


「誰か呼べ! 救急車だ! 早く!!」


作業員たちの悲鳴と怒号が、視察チームの耳を突き刺す。

奥のアルミラインで、何かが起きた。


事故だ。


しかも、ただ事ではない。


「一旦視察中止です! 全員、待機を!」


川添の声が飛び、作業監督員が血相を変えて駆け寄ってきた。


「やばいです! 頭が完全に…プレスが止まらなかった!」


朝倉の視線が、瞬間的に名札の確認に飛ぶ。


「ASAKURA」ではなかった。


息子では、なかった。


しかしその場にいた。

呆然とプレス機の前で立ちすくむ、大地の背中が小刻みに震えていた。


その視線の先に、血まみれの床があった。

視察チームの中で、誰もが言葉を失った。


血の色は、アルミの上ではどこか薄く見えた。

金属の冷たさがそうさせるのか。

それとも、誰もが「これは現実じゃない」と、どこかで拒絶していたからなのか。


「救急車は!? まだかっ!」


「い、意識が…意識がないぞ!」


現場の叫びは、混乱というよりも絶望に近かった。

倒れていたのは、工場に配属されたばかりの若いアルバイト。

年齢はおそらく20代中盤。


彼は、「例のスイッチ」を使っていた。

あの、絶対に使ってはいけないとされる自動運転ボタンを。


アルミ用のプレス機は、一度自動で動き出すと、緊急停止か電源遮断以外に止める手段がない。

しかも、その自動工程ではセンサーが無効になる。

人が近づいても、異常を感知して止まることはない。


つまり、今回の事故はルールを破った作業の中で、想定されていた最悪の結果が起きた、ということだった。


朝倉は、その光景を現実として受け止めるのに時間がかかった。

むしろ視察チームの誰もが同じだった。

目の前で「命」が失われようとしている。

しかも、企業側が認識していた危険因子が原因で。


事故が起きた瞬間、工場内のすべてのラインが止まった。

川添工場長は責任者として現場へ駆けつけ、全員に「構内待機」を命じた。


朝倉はその場で、大地の姿を探した。

ラインの奥、鉄骨の影に座り込んだ青年の肩が、小刻みに揺れている。


「大地...」


声をかけるべきか迷った。

視察者としての立場。

課長としての冷静さ。

だが、父としての本能が先に動いた。


「大丈夫か?」


「……」


「怪我はないか」


大地は、ゆっくりと顔を上げた。

その瞳は、震えたままピントが合っていない。


「俺、止めようと思ったんだ...」


「何を?」


「スイッチ…あいつ、押そうとしてたの気づいてた。だから声出したのに...。でも、間に合わなかった...」


その言葉を聞いた瞬間、朝倉はすべてを理解した。


彼は、現場で事故の予兆に気づいていた。

だが、自分がバイトという立場であること、

指示を出していた先輩が指示者であったこと

その板挟みに、身動きが取れなかった。


「お前のせいじゃない。違う。絶対に違う!」


朝倉は、大地の肩に手を置いた。

その手の下で、息子の体温が震えていた。


「これは…お前の問題じゃない。組織の責任だ。俺たち会社側のな...。」


事故発生から3時間後。

青年は搬送先の病院で死亡が確認された。


原因は、頭部と頸部の圧壊による即死。

現場にいた社員やバイトたちは、全員事情聴取を受けることになった。


中でも問題視されたのが、誰が自動スイッチの使用を許したのかという点だった。


工場長・川添は当然「使用を禁じていた」と答えた。

が、実際にスイッチが押された以上、現場にそれを促す空気か、人物が、いたはずだった。


事故翌日。

本社に設置された臨時事故対策会議。


「全社員・関係者の聞き取りで、いくつかの証言が上がってきています。」


総務部の三谷が、報告資料を読み上げる。


「中でも複数証言が集中していたのが、藤森翔太という中堅社員です。事故のあったアルミプレスのラインリーダーです」


「藤森…アイツ、またか...。」


安全衛生の山村が小さく舌打ちする。


「またとは?」


「ええ、彼、数年前に別件で内部指導が入りましてね。新人に対して非公式な効率化指示を出していたんですよ。書面には残ってませんが…押してもバレないし大丈夫だよとか、そういう言葉が今回も出てきていまして...」


「つまり…また、やったってことですね。」


「ええ。彼が直接スイッチを押したかは証言では不明ですが、あのラインで指示を出していたのは間違いなく藤森という複数証言があります。」


朝倉は、報告書に目を落としながら、静かに言った。


「この件…私に調査させてください。」


藤森翔太。

その名は、朝倉にとっても聞き覚えのある名前だった。

「自分のやり方が正しい」と思い込み、人の忠告を否定と捉えるタイプ。

効率という言葉を盾に、規則を歪ませる。

そしてなにより「責任の矛先」を絶妙に避ける。


朝倉の頭の中に、彼の特徴的な目つきが蘇る。

人を値踏みするような視線。

先輩・上司・後輩…すべてを自分に従わせる道具としか見ていない男の顔だった。


朝倉は調査の一環として、翌日、再び工場へ足を運んだ。

今回は視察ではなく、「事故調査委員会の構成員」としての訪問だった。


「あ、朝倉課長。お疲れさまです!」


事故後、空気の抜けたような現場には、数人の社員が散らばって作業整理をしていた。

その中にいた一人が、藤森翔太だった。


「ちょうどよかった。君に聞きたいことがあるんだよ。」


「はい…もちろんです!あの、私も本当にショックで…。あいつ、いい子だったんですよ...。」


朝倉は、藤森のその芝居がかった言い回しに、微かに眉をひそめた。

その他人事のような語り方は、罪悪感とは程遠い。


「調査の内容の確認をさせて欲しい。君は現場で彼に自動スイッチを使うよう促したのかい?」


「まさか…! そんなこと、するわけがないじゃないですか!」


「そうか。では、なぜあの工程で自動が可能であることを彼が知っていたのか、説明できるのか?」


「誰かが雑談で彼に言ったんじゃないですか? 私じゃなくても、知ってる人は沢山います。そんな決めつけは心外です!」


「なるほど。では…彼がスイッチに手をかける前、誰かが指示を出したという証言があるのはどう思う?君はそれが誰なのか知ってるかな?」


藤森の表情が一瞬固まった。


「指示?」


「ああ、はやく押せと誰かが言ったという証言が2件。そして、いつかやると思ってたという声も…その声が藤森さんに似ていたとまで言った人もいるんだよ。」


「だ、誰が…?いったい誰がそんなことを?」


「言った人間は守秘義務があるので答えられない。しかし、これだけははっきり言っておくよ。」


朝倉は、一歩藤森に近づいた。


「君は、現場の皆からスイッチ押すよう仕向けたと見られている。」


「言いがかりはやめてください!証拠、あるんですか?」


「必要なのは、証拠だけじゃない。行動のパターン、過去の傾向、証言の整合性、企業倫理に照らした判断。それらすべてを組み合わせた合理的結論だ」


藤森が明らかに動揺する。


「君の効率信仰は、この会社にとって危険なんだよ。事故を機に会社が再発防止の方針を取るなら、まず危険因子の除去から始まる。」


「俺が、危険因子…?」


「そうだ。君はこれまでも、規則を曲げ、誰が悪いかのゲームに持ち込んできた。今回は命が失われた。もう、誤魔化しは効かないぞ。」


朝倉は、それだけを言い残して現場を離れた。


数日後。

藤森翔太は、本社事故対策会議で正式に処分が下された。


アルミプレス課ラインリーダーから外され、研修センターへの異動

再発防止教育の専任責任者としての配置転換

社員向け社報にて指導責任の一端を担った人物として実名掲載


昇格見送り処分(1年間)


そしてなにより、現場の信頼を完全に失った。


報告を受けた朝倉は、会社の屋上で缶コーヒーを開けた。

そこに、大地からメッセージが届いていた。


《俺さ、バイト辞めようと思ってたけど、もうちょっとだけ続けることにした。父さんがあの時にいてくれて心強かった!》


朝礼のチャイムが鳴っても、工場の誰もが静まり返っていた。

いつもなら、掛け声のような「安全!指差呼称!」が響く朝の現場。

だがこの日ばかりは、誰一人として声を出さなかった。


アルミプレス課の一角に、臨時の献花台が設けられた。

白百合の香りが油と鉄のにおいに混ざり、妙に場違いな清潔さを漂わせていた。


「それでは、黙祷!」


川添工場長の声は掠れていた。

まるで、現場全体が息を呑みながら、誰かに許しを請うているようだった。


若者の死は、「過失」で括れるものではなかった。

見て見ぬふりという集団の惰性、誰かが言ったから、前からそうだったからという惰性が、1人の未来を奪ったのだ。


その頃、朝倉は本社でひとり、ある報告書を見つめていた。

タイトルは、《アルミ工程の全見直し提案書》。

作成者:朝倉修平

内容は、

アルミラインの4人同時押下による非効率的作業構造の見直し

自動運転スイッチの完全撤去と物理的封印

「なぜこの工程は必要なのか?」という現場レベルの疑問を引き出す仕組み作り

安全装置に加え、教育装置としてのなぜやってはいけないかの可視化

「真面目な者が報われる環境整備」へのシフト


朝倉は、ただ制度の再設計を求めたわけではない。

空気そのものを変えなければ、また誰かが死ぬ。

そう確信していた。


その日、朝倉は工場へ向かった。


献花台には、すでに100を超える花が並んでいた。

誰がどこに置いたのか、もはやわからない。

だが、1つだけ無造作に折られたアルミ片の上に、一輪だけ花がさしてあるものがあった。


「誰が?」


川添に尋ねると、


「あれは社員達がアルミの破片をリサイクルで加工したんだ。そして花をさして、そなえたらしいな。ずっと忘れないという意味を込めてる。」


朝倉はその言葉に、しばらく目を閉じた。


そのアルミ片は、彼の遺体を押し潰したプレス機の破片だ。

その上に咲いた花は確かに彼がいたことを語っていた。


その後、朝倉は工場内ミーティングを開いた。

全ラインの責任者、教育担当、安全衛生、若手社員も含めて20名以上が集められた。


「今日、皆さんに集まっていただいたのは、他でもありません。謝罪と、お願いを伝えるためです」


朝倉はそう切り出した。


「まず、今回の事故について、現場の責任以上に本社側の仕組みとしての怠慢があったこと。制度上、事故が起こりうる構造を放置していたこと。それを、まず深くお詫びします。申し訳ありませんでした。」


全員が静かに聞いていた。


「そして、お願いです。この現場の当たり前を、疑ってほしい。昔からそうだった、ではなく、なぜそうするのかを、もう一度ゼロから考えてください。効率よりも安全が大事? それは正しい考えです。しかし、その言葉に胡坐をかいていないか。安全を盾にして、誰も責任を取らない空気を作っていないか...」


作業員の1人が、俯いた。


「私は、現場の皆さんの努力を否定する気はありません。尊敬しています。ですが、1人の若者の命が消えた今、私達はそれを変えなければならない。それが私達、生き残った者達の責任です。」


誰かが、鼻をすすった。


「この現場には朝倉課長の息子さんがいたそうですね。」


教育担当の女性が呟いた。


「ええ。偶然、あの日そこにいました。彼は何もできなかったと自分を責めていました。私は彼にこう伝えました。お前のせいじゃない。お前のような従業員達を守れなかった会社の責任だと。」


そして朝倉は、静かに言葉を締めた。


「だからこそ、今ここにいる皆さんと一緒に、この現場を変えていきたい。それが、今1番しなければならならない私の本気で取り組むべき仕事です」


その時、事件当日の朝倉邸のことが脳裏に浮かんだ。


事件の夜のリビングには、重たい静けさが漂っていた。


テレビもスマホも沈黙したまま、

食卓の上では、冷めたカレーの匂いだけが、どこか所在なげに漂っている。


朝倉は、自分の湯呑みに手を伸ばし、隣にそっと腰を下ろした。

大地は、テーブルに座ったままピクリとも動かない。


「無理して食べなくていいんだぞ。」


そう声をかけると、大地がゆっくりと顔を上げた。

目の下には深いクマ。潤んだ瞳で、しばらく父親を見つめていた。


「止めれなかった...あの時」


「うん」


「こわくて声が出なかった。動けなかった。間に合わなかった」


「うん」


「俺、最低だよな」


その一言に、朝倉はすぐに首を振った。


「それは違う」


「見てたのに。押すの、分かってたのに。やめろって言えば、助かったかもしれないのに最低だ…!」


「違う。お前は最低なんかじゃない!」


朝倉は、大地の目をしっかりと見て言った。


「お前は、危ないって気づいた。止めようとした。怖かったはずなのに、動こうとした。

それだけで、十分だよ」


「でも、止められなかった」


「それは、お前が悪いんじゃない。お前が声を出せなくなるような、空気がそこにあったんだ。本当なら、先輩が止めてなきゃいけなかった。ああいうスイッチが、誰でも押せる位置にあるのが間違ってた。そして何より、そういう現場を放っておいた会社の責任だ」


大地は、言葉を失ったように黙りこんだ。

しばらくの沈黙のあと、ぽつりとつぶやいた。


「父さん…悔しくないの?」


「悔しいよ」


朝倉は湯呑みを置き、まっすぐに息子を見た。


「悔しいし、情けない。俺は現場を見に行っただけで、事故を防げなかった。だからこそ、やるべきことがある」


「やること?」


「何が起きたのか、ちゃんと知る。何が原因だったのか見逃さない。誰かを守れなかった過去を、次に生かす。それが、会社の責任だと思ってる」


大地は、しばらく考え込むように静かに顔を上げた。


「俺、迷ってたけど明日また働いてくるよ」


「工場か?」


「うん…ちゃんと行って、ちゃんと働きたい。嫌なことから逃げたくない!」


朝倉は、うなずいた。


「行ってこい。無理はするなよ。辛くなったら逃げていい。今の向き合いたいって気持ちを大事にしたらいい。」


「うん」


「泣きたくなったら、どこででも泣け。バイトだって、社員だって、泣く時は泣いていい。」


大地の目が少し潤んだまま、小さく笑った。


「ありがとう…父さん。」


「おう。」


翌朝、大地は玄関に立ち、もう一度自分を奮い立たせた。


「行ってきます!」


その背中に、朝倉は静かに声をかける。


「行ってこい。胸を張ってな!」


―――



数日後、朝倉修平は、いつもより早く本社に出勤していた。

まだ誰もいない会議室。

蛍光灯の明かりが無機質に書類の山を照らしている。


コーヒーの湯気が、わずかに立ち上る。


机の中央には、一冊の厚いファイルが置かれていた。

タイトルは


『アルミ加工ライン死亡事故に関する原因調査および再発防止対策報告書』


作成責任者:営業部 課長 朝倉修平

共同作成:安全衛生課・法務部・製造技術部


この報告書は、誰かを悪者にするためのものではない。

しかし「何が間違っていたか」を、逃さず記録するためのものだった。


数時間後、社内緊急会議が始まった。

出席者は、役員クラスを含む20名以上。

安全衛生担当役員、常務、製造本部長、そして社長までもが同席していた。


プロジェクターに表示された報告書の1ページ目。

そこに書かれていた一文を、朝倉は読み上げた。


「安全第一という言葉は、時に責任の回避として使われます。今回の事故は、安全を掲げながら、現場を本当に理解していなかった全員の責任であります。」


会議室が静まり返った。

朝倉は続けた。


「今回の事故では、使用禁止とされていた自動スイッチが使用され、青年が死亡しました。しかしそのスイッチは、現場に存在し、誰でも、いつでも、押せる状態でした。誰もがルール違反と分かっていましたが、それでも黙認する空気があった事は事実です。」


「原因は、日常から来る平和ボケと教育不足ですか?」


安全衛生の役員が尋ねた。


「それも一因です。ですが、根本は現場の当たり前を疑わなかったことです。つまり、疑問を言い出しにくい組織構造そのものに問題があったと私は考えています」


「具体的な対策案は?」


「以下の三点です」


朝倉は、モニターを切り替えながら語った。


1. 自動スイッチの物理撤去・封印

メーカーと協議の上、全スイッチを取り外す。

非常時に限定した動作は別回路で管理。

押したくなる“選択肢”を残さない設計へ変更。


2. 4人1組工程の廃止、および作業プロセス再設計

手動工程を段階的に機械化。

一人作業でも事故が起きない設計に変更。

すでにモデルラインでの試験運用を開始済み。


3. ルールを言える職場を作る仕組み


全現場に匿名意見箱と月1の声出し会議を設置。

バイト・パートも対象。

違反者ではなく、見て見ぬふりした構造を洗い出す文化を形成。


会議の空気が、少しずつ変わっていくのを朝倉は感じていた。


「工場側から反応は?」


「当然あると思いました。効率が落ちる、過剰対応など。ですが、今回の件の事故でより工場の社員達の心がひとつになったようです。彼らから私に問いかけがありました。効率よりも命の方が安いと、本当に思いますか?と。」


重役の1人が、深くうなずいた。


「その通りだな」


「そして、これはお願いです」


朝倉は最後に一言、視線を役員たちに向けて投げた。


「現場を知らない管理職という言葉が、社員たちの口から出ないように。上に立つ我々が、現場の痛みに目をそらさないように。それが、亡くなった社員への最大の弔いになると私は信じています。」


会議室には、沈黙のあと、小さな拍手が起きた。


その夜、朝倉はふたたび工場を訪れていた。

アルミラインの一角に、工場長・川添が立っていた。

二人は、作業音の消えた中で並んで歩いた。


「朝倉課長、聞きましたよ。本当にご迷惑をおかけしました。」


「現場を変えるのは大変ですが、やりましょう。私達の仕事は、もう誰も死なせない仕組みを作ることですからね」


「立派です。しかし、後悔は拭えないですね。」


「まったくです。」


「もっと早くあのスイッチを取り外しておけば…。誰も死ななくて済んだかもしれないと思うとやるせない気持ちになります。」


朝倉は、立ち止まった。


「じゃあ、今からでも使えないような仕組みを作りましょうか?。取り返しはつかない。でも、もう二度と繰り返さないことを決めるのは、今この瞬間です!」


川添は、静かにうなずいた。


「ええ。やりましょう!」


その後。

金属の鈍い匂いは、ようやく工場の中から消えつつあった。

事故以来、止まっていたアルミプレス課のラインは、今や機械ごと取り払われ、跡地の床だけが静かに冷えている。


その現場に、朝倉修平は一人立っていた。

現場監督でもない、製造の責任者でもない。

ただ、一人の「会社員」として。

いや、一人の大人として。


朝倉は鞄に手を入れた。

中には、一通の封筒。

それは亡くなった青年の母親から届いた手紙だった。


「あの子は、自分の仕事に誇りを持っていました。命を失ったことをどうか無駄にしないでください。どうかこの事故のことを忘れないでください。息子の姿勢が誰かの心に残ってくれたらと本当に願います。工場で働く皆様に、どうか伝えてください。安全重視と指差呼称を絶対にわすれないでと。どうか命を大事にしてくださいと。」


朝倉はその手紙を読み返し、深く目を閉じた。


静かだった。

すべてが終わったわけではない。

ただ、何かを終わらせたあとの静けさだった。


そのとき、背後から足音がした。


「父さん、いたんだ!」


息子・大地の声だった。


「来ると思ってたよ。あの時みたいに、黙って...(笑)」


「仕事終わったのか?」


「うん…俺、やっと今日で最後のバイト終わり。」


「そうか。よく最後までやり遂げたな!お疲れ様!!」


「父さんが言ったからね。途中で逃げてもいい。向き合いたい気持ちを大事にしろって。」


「ちゃんと聞いてくれてたんだな。」


「そりゃ、聞いてたよ。あんなにちゃんと話してくれたの、たぶん初めてだったし。」


二人の間に、少しだけ静かな笑いがこぼれた。

その笑いは、悲しみを消すものではない。

ただ、それでもそれぞれの人生を歩んで行くための声だった。


「俺、あの事故のあと、夜がずっと怖かった。何度も夢で見た。潰された頭。血の音。自分の声が届かなかった感覚…」


「ああ...」


「でも、怖がってたのって、彼の死よりも何もできなかった自分の方だったのかもしれない。」


「大地...。」


朝倉は、ポケットから手を出し、静かに息子の肩に置いた。

そんな息子が少し背が大きくなった気がした。


「できなかったんじゃない。あの場にいたお前だからこそ、こうして次に繋げられてる。お前は、誰よりも死を引き受けたんだよ。だから、堂々と胸を張れ」


「俺、彼に何もしてあげられなかったのに、胸なんてはれないよ。」


「そうか? お前が語り継いだこと、父さんに話してくれたこと、全てが今回の解決に繋がったんだ。本当によくやったよ。」


大地は、ゆっくりとうなずいた。


「ありがとう、父さん」


「礼なんていらない。お前が何かを真剣に考えようとしてることが、一番うれしいし誇らしいよ。」


その時、大きな風が吹いた。

もうすぐ春になる。

だがその風は、まだ少し冬の冷たさを残していた。


「行こうか。寒いしな!」


「うん」


父と息子は並んで歩き出す。

その背中にはまだ、哀しみの影が残っている。

しかし、そこには確かに何かを超えた人間の輪郭があった。


数日後、朝倉は久しぶりに社内報の原稿依頼を受けた。

巻頭コラム。

テーマは「これからの働き方について」。


依頼を読みながら、ふと手が止まる。

何を書くべきか迷ったが、すぐに決まった。

今、自分が誰に語るべきかが、はっきりしていたからだ。

彼はペンを走らせ、静かにこう書いた。


《静かな責任者たちへ》


「正しさ」は、時に人を傷つける。

「安全第一」という言葉も、使い方を間違えば、責任逃れになる。

今回、残念なことにひとつの命が奪われました。

若者が、職場の当たり前に飲み込まれたのです。

見て見ぬふりの連鎖のなかで、「仕方なかった」で片付けられそうになった現実を私達は、ようやく言葉にできたのです。

皆様に伝えたいのは、「声を上げる勇気」についてです。

違和感を口にすることは、時に孤独です。

しかし、その一声が誰かの命を守ることに繋がるのです。

この先の職場に、「あれ? これっておかしいんじゃないか?」と思ったとき、その違和感を必ず大切にしてください。

その疑問が、どこかで、誰かを救う光になります。

ヒヤリハットの協力を是非お願いいたします。


営業部 課長

朝倉修平


社内報が配られた日、エントランスで読んでいた若手社員が、そっとつぶやいた。


「この人、やっぱすげーな。」


「もはやスーパー上司じゃね?」


誰かが笑った。


「これから課長のこと、そう呼ぼうぜ!」


その頃、朝倉は静かな喫茶室にいた。

年季の入ったテーブル。

薄く響くジャズピアノ。

いつものブラックをのみながら、タブレットに目を通していた。


向かいの椅子には、誰もいない。

しかし、その空席は余白のように心地よかった。


一息ついて、ふと視線を窓の外へ。

ビルの合間から、薄い春の光が射していた。


―――


営業部の執務室には、いつも通りのざわめきがあった。

そこに、ある一角だけ静かな席がある。


朝倉修平のデスク。


日報の上には、部下が置いていった書類が丁寧に束ねられていた。

その上に、小さく書かれたメモ。


《課長!あの言葉に救われました!》


文字は幼い。

新人のものだろう。


朝倉は、それを見て何も言わず、ただ小さく頷いた。

一人でも届いてくれたなら、それでいい

そして、また次の日が始まる。


誰かが悩み、誰かが傷つき、

誰かが声を上げようとして、迷っている。


朝倉修平は、それを制度でも正論でもなく、

「静かに、寄り添って変えていく力」で応えていく。


それが彼にできる。


そして

どこかの職場で...

あなたのそばにも

あなたを守るスーパー上司が現れるかもしれない。




『スーパー上司』 完

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N1502KW
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