思い切って相談
今日の夕食はローゼライトが苦手、フレアの好物クリームシチューが出された。特にニンジンが大の苦手なローゼライトだが、隣でホクホク顔でクリームシチューを堪能しているフレアを見ていると苦い顔も出来ず、顔を引き攣らせながらも食べた。味は良い。シーラデン家の料理長が作る料理はどれも絶品だ。が、人間どうしても好き嫌いがある。クリームシチューが苦手なのはニンジンが入っているからで。無ければローゼライトだって普通に食べる。好き嫌いは許さないという父の方針でローゼライトの皿には問答無用でニンジンが入れられる。ただ、料理長の配慮で他二人と違いニンジンを三個だけにしてもらっている。三個くらい食べろという父からの圧力だろうか。
何とか苦手なニンジンを食べ終えた。後は苦手な食材はない。普通に食べられる。
ホッとして食事の手を進めていると父から観劇のチケットを三枚知人から譲られたと話された。
「元々、知人家族で行く予定だったらしいが奥方とご子息が揃って風邪を引いてしまったようでな。ローゼライト、フレア、行ってみないか?」
チケットの日付は明日。折角だから行こうとなった。
時間は昼過ぎの回。席も前の方らしく、演者がよく見える良い席らしい。
「観劇と言えば、姉上は先日ベルティーニ様と行ったばかりですよね。どんな内容でした?」
「観てからのお楽しみにしましょうよフレア。ただ、もう一度観たいと思っていたからラッキーだわ」
一度ならず、二度までも観たいのはそれほど面白いということで。
期待値が高まるフレアに微笑み、ローゼライトはクリームシチューを食べていく。
父やフレアにはまだラルスと婚約解消をしたいとは言っていない。
ただ、父に話すと賛成される気がする。
元々、父はローゼライトとラルスの婚約に反対だった。ローゼライトの額の傷の原因を作ったのがラルスではあるが、ローゼライトも父も治療代と多額の慰謝料をベルティーニ家から支払われ、婚約まではしなくてもいいと断っていた。だがベルティーニ公爵がラルスの頭を無理矢理下げさせ、令嬢の額に傷を作った責任として絶対に婚約させると譲らなかった。
――ラルスはおじ様に逆らえなかったのよね……
にこやかで常に穏やかなベルティーニ公爵だが、あの時は見た事もないくらい怒っていた。領地が隣同士で親交のある家の令嬢の額に傷を作ったのが息子ともなると、どれだけ温厚な人間でも怒るか、と納得する。
あの日から、やんちゃだったラルスはすっかりと大人しくなり、また、美しく成長した。
クリームシチューを食べながら思い出すのは、とある夜会の時に聞いてしまったラルスの本音。ファーストダンスも踊り、各々自由行動をしようとなってローゼライトは友人の令嬢達と会話に花を咲かせた。途中で彼女達の婚約者や身内が迎えに来たのでローゼライトもラルスを探そうと会場内を歩いた。ふと、テラスに目をやるとラルスが友人の令息達といたのを発見。声を掛けようと近付いて行くと。
『僕はヴィクトリアが出会った時から好きなんだ』
ラルス、と呼び掛けた口を慌てて両手で閉ざした。
『僕より一つ歳が上でとても綺麗な女の子だと思って、ヴィクトリアと一緒にいるのがとても楽しかったんだ』
『ヴィクトリア嬢は王国でも五本の指に入る程の美人だもんな』
周りの令息達が次々にヴィクトリアを誉めていく。ローゼライトは凍り付いたように動けなかったが、ラルスの口から再度ヴィクトリアの名前が出た瞬間解凍され動けるように。気付かれないようにその場を離れたローゼライトは、主催者が用意している客室に入って扉を閉め、ズルズルと座り込んだ。
『はあ~……きっつ……』
熱烈な恋情をラルスに持っていた訳じゃないがそれなりに異性として意識していたし、額の傷が原因とは言え、ラルスも少しはローゼライトを好意的に見てくれていると思っていた。自分はなんて思い違いをしていたのか。ラルスの好きな人がヴィクトリアだと知っていたじゃないか。
あの場で声を掛けなくて良かった、気付かれなくて良かった。ラルスと目が合っていたら何を言えば良いか分からないから。
『でも……腹を括りましょう』
ずっと胸にあった不安が消えた。心のどこかでラルスを解放してヴィクトリアの側に行かせるべきだと悩む自分がいた。
幸いにもヴィクトリアには未だ婚約者がいない。きっとヴィクトリアもラルスを好いているのだろう。二人が出会うといつも周りにピンク色の小花が咲く。お似合いの二人だ。
『よし、ダヴィデに相談しましょう』
幼い頃、領地で腹を空かせて寝転がっていたダヴィデにその時持っていたパンを与えてから始まった二人の奇妙な関係。ローゼライトはよくダヴィデの許に上質な薬草を届けている。魔法薬や触媒を作るのに、シーラデン家が管理している薬草は役立つのだとか。
――本当、可哀想なラルス。
好きでもない令嬢の額に傷を作ってしまったが為に、好きな人との婚約が出来なくなった馬鹿な人。
夕食が終わり、各々部屋に戻るのが通常。足を踏み出したかけたローゼライトは執事を伴って執務室へ戻ろうとする父を呼び止めた。自分と同じ薔薇色の瞳が珍しいと丸くなった。
「どうした」
「お父様、もしもラルスとの婚約が無かった事になったら、お父様はどう思われますか?」
「……何かあったのか?」
「いえ……もうすぐ結婚が近くなるでしょう? そんな時に何か起きたらと……」
本当は魔法使いダヴィデの協力を得て円満な婚約解消を目指しているとは、まだ知られてはいけない。
父の探るような目に後ろめたさを感じるがやがて普通に戻り「その場合になっても問題はない」と言い切った。
「シーラデン家はフレアがいる。万が一に、お前とラルス様の婚約が無くなっても我が家は大して困らん」
元々、二人の婚約はローゼライトの額にラルスが傷を作ったのが原因だ。ローゼライトの側に近付いた父の手が額に掛かる髪を上げた。薄くなってはいるが完全には消えない一本の縦線に走った傷。
「あの時、王都にいれば……」
「王都にいても、聖女様が巡礼に出てしまった後では、結局傷は消えませんでした」
「私に治癒の心得があれば良かったのにな」
「お父様は領地の薬草で魔法薬を作ってくれたではありませんか」
聖女以外に治癒能力は扱えない故に、他の回復手段としては薬草で作った魔法薬が必要となる。シーラデン領は豊富な薬草を栽培しており、その品質はダヴィデも絶賛する程。彼に依頼された薬草を届けるのはローゼライト。国一番の魔法使いとあり報酬も毎回多く、お得意様と化している。
当時、額から大量の血を流すローゼライトを抱え、手早く魔法薬を作った父のお陰で大事にはならずに済んだ。
「ローゼライト。ラルス様との婚約が嫌か?」
「そんな事はありませんわ」
ただ、申し訳ないだけ。
「……ここだけの話。本当はラルス様は、ヴィクトリア様と婚約する予定だったそうだ」
「……」
父から聞かされた話を聞いても驚きはなかった。ラルスの好きな人がヴィクトリアだと解った瞬間から、想いは既に諦めの方へ向かっていたから。
ローゼライトが驚かず、静かに受け入れているのを見た父は「知っていたのか?」と微かに驚きを滲ませた。
「以前あった夜会で……彼がヴィクトリア様が好きだと、友人の令息達に話しているのを聞いてしまいました」
「なんということだ」
憤慨する父に「いいんです」と首を振った。
「どちらかに理由がない限り、婚約破棄も解消も難しいのはお父様もご存知ですよね? 私の額の傷のせいで想い合う二人が結ばれないのは、正直言って肩身が狭いです。ダヴィデに婚約解消の手伝いをしてほしいと頼みました」
更にダヴィデから了承を得ていると話すと側にいる執事も息を呑んだ。本気なんだな? と問われ、強く頷いた。
「分かった。心配するな、婚約解消となってもお前が私の娘であることは変わらん」
「お父様……」
「婚約解消が成功したらどうするんだ?」
「どう解消するかによって変わるのでまだ考えていません」
問題なのは、どう円満に解消するかだ。
不貞を犯したとなると解消ではなく破棄となり、相手方に慰謝料を払わないとならない。ラルスに不貞を働いてもらうのも却下。それだとヴィクトリアと婚約が出来なくなる。
父と別れ、部屋に戻ったローゼライトは誰にも話すつもりはなかったのに父相手に隠し事は出来ないとつい話してしまった。だが結果は良い方へ転がった。
「お父様を信頼しているもの」
頼って良かったとホッと息を吐いたローゼライトは机に座り、引出しから便箋を取り出した。
ペンを持ち、文字をスラスラ書き記していく。
便箋を三つ折りにして封筒に入れ、最後ローゼライトの魔力を込めて外へ飛ばした。
行き先はダヴィデ。明後日、婚約解消計画について話したいと手紙に書いた。
「観劇の後でも考える時間はありそうね」
明日の観劇は悪女に翻弄されながらも愛を貫く男女の恋を描いたもの。劇中に婚約解消の一手となるヒントがあれば助かる。
一度目とは違った意味で真剣に観ようと決めたローゼライトだった。
——その日の夜。ラルスは明朝にローゼライトの許へ届く手紙を書いていた。
「急だから断られるかもしれないな……」
ラルスの手元には二枚のチケットがあった。明日、母と友人の夫人が観に行く予定だったのだが夫人の夫が事故に遭ったとの事で行けなくなってしまった。母が折角だからローゼライトを誘って行きなさいとラルスに渡した。
良い席だとは言われても予定は明日。急すぎると抗議したが先日のデートの件を考えると、やっぱりローゼライトから急にいなくなった理由をちゃんと知りたくなり、ラルスは明朝に届く手紙を書いていた。
「渡せるといいな……」
先日のデートの時に渡そうと思っていた薔薇のブローチ。今度の夜会で身に着けてほしいと渡すつもりだったのに渡せなかった。もしローゼライトが承諾してくれるならその時に渡したい。
「ヴィクトリアもついに婚約者が決まるのか……」
子供の時は好きだったが、今にして思うと周りの子より大人びていたヴィクトリアが眩しくて、憧れていただけなのだ。
今は——ヴィクトリアが好きだった以上の好意をローゼライトに持っている。
「でも……好きだと言うのがすごく恥ずかしい……」
ローゼライトは傷が原因で婚約が結ばれただけだから、ラルスをどう思っているか分からない。嫌われてはなくても、好かれている……とも言い難い。
「はあ」
言葉にして婚約者になったから……と返されると多分ショックを受けてしまう。そうなるくらいなら、聞かない方がいいのかもしれない。
読んでいただきありがとうございます。