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王子を盗んだ少女が風の女神と呼ばれるまで

作者: 句読灯

 

「あぁ? なんだこれ?」


 扉を開けた途端、セリィは眉を(ひそ)めた

 何十という見張りを掻い潜り、死ぬような思いで辿り着いた城の塔。

 最上階にあったこの重たく厳重な扉の向こうに眠っているとばかり思っていたお宝は――なかった。


「ふざけんなよ……どういうことだ?」


 中に広がっていたのは埃まみれの物置。

 幾つもの木箱が積まれ、くたびれた絨毯と布切れがそこかしこに散らばっている。

 赤黒い染みがこびりついた鎧に鼻をつく腐臭。

 とてもではないが、この中から宝物が見つかる気なんてしなかった。


「十四年生きていて一番のガッカリだね、こりゃ……」


 セリィは城下町を縄張りとしているコソ泥の少女だった。

 一週間前に新王ドランの兵が厳重に何かを運び入れるのを見て、絶対にお宝があると踏んでいたのに……。

 セリィは苛立つ気持ちに任せて木箱を蹴飛ばす。


「ったく……厳重に封をしやがって。中身はなんだい? これで空なら目も当てらんないよ?」

「なにをしているのですか?」

「なっ!?」


 不意に返された相槌にセリィは飛び上がり、反射的にダガーナイフを抜いて声のした方を睨みつける。


「誰だい!? 隠れていないで出てきな!」

「隠れてなんかいません。今出て行きます」


 壁の影から少年が姿を現した。

 窓から差す月明りに照らされたその姿はセリィより頭一つほど高く、男にしてはあまりに繊細な顔立ちをしていた。

 華奢な体――おまけに肩まで伸びた赤い髪の毛のせいで一見すると女性にさえ見える。


「なんだい。ただのガキか」

「十六歳。あなたより二つ年上です」

「はっ。言い負かしたつもりかい?」


 屈強な男ではない。

 安堵したセリィの目は自然と少年の召し物に吸い寄せられていた。

 ――良い織りだ。間違いなく値が張る。

 いや、もっと言ってしまえば『値が張り過ぎる』ほどだ。

 庶民が一生働いても買うどころか指一つ触れることさえ許されない布地。

 盗んだところで売れやしないし、下手に持とうものなら災いにもなりかねない。

 何でもそうだ。

 価値があり過ぎると言うのは罪なんだ。


「その姿……同業者ってわけじゃなさそうだね」

「はい。僕はコソ泥じゃありません」


 少年が一歩踏み出したのを見てセリィは思わずダガーを握る指に力を込める。

 大人しそうな外見に惑わされるつもりはない。

 穏やかな笑みを浮かべる者や弱々しく振る舞う者が突如として隠していた醜悪な本性を現し、他者を喰らう様をセティは何度も見ていた。

 悪人は自ら悪人だと名乗るはずもない。

 いや、むしろ悪人であるほど善人や無害な人間を装うのが上手いもんだ。


「コソ泥じゃねえ。セリィ様だ」


 顔に笑みを貼り付けながら武器を握り、さらには一歩引いて距離を取る。

 常に逃げ道の位置や移動ルートを脳裏に浮かべておかなければコソ泥なんていくら命があっても足りやしない。


「セリィ? 風の女神様と同じ名前ですね」

「カッコいいだろ? 自分でつけたんだ」

「自分で名付けたのですか?」

「生憎、名前を貰えなかったもんでね」

「……そう、だったのですね。失礼いたしました」


 少年の腰元をセリィはちらりと窺う。

 帯に剣はなし。

 いや、棒切れ一つさえもない。

 仮に襲われてもダガーを持っている分、セリィの方がずっと有利だ。


「――で、あんたは何者(なにもん)だい? こんなところで何をしてる?」

「……カイルと申します。死神を待っていました」

「はぁ? 死神?」


 小馬鹿にしてやったつもりなのにカイルは叱られた子供のように弱々しく頷いた。

 ――何言ってんだ、こいつ。

 その態度だと本当に死神でも待っているみたいじゃないか。

 こちとら命がけでここに来ているってのに笑えない冗談を言いやがって……。


 そんなセリィの内心を読んだかのようにカイルは言った。


「すみません。変なことを言って。ですが、悪いことは言いません。ここを早く去った方がいい」

「ふざけんな。まだこっちは何一ついただいちゃいないんだよ」

「――死にたいのですか」


 その声にびくりとセリィは震える。

 十四年生きてきて初めて聞くような透き通る声。

 ――なんだってんだ?


「分かりませんか。死神は今は僕しか狙っていない。ですが、近くに居ればあなたの命だって奪う」


 氷のような手が自分の身体をすり抜けて心臓を鷲掴みにされたような感覚。


 この感覚をセリィはよく知っていた。

 ――従わなければ命を失うという本能的な恐怖。

 五歳の頃から一緒に行動していたニイナも――。

 コソ泥の技術を教えてくれたセルゲイ兄貴も――。

 稼ぎを暴力で奪っていく大嫌いだった親父もそうだった――皆、この感覚に気づくのが遅れたために殺された。

 そしてセリィはこの感覚に鋭いがために今もこうして生き延びている。


「セリィ様になんて口の聞き方だい」

「……早くお逃げください。僕ではあなたを守れません」

「ふざけんな。誰が守ってなんて言ったよ。それにまだお宝の一つも――」

「ここには牢屋です。宝なんて一つもありません」


 ふざけんなと言う言葉が喉から出かかった。

 しかし、同時にコソ泥の勘が言っている。

 この場所には本当に何もないのだと。

 ――くそっ、とんだ誤算だ。

 苦労したのに何にも手に入らないなんて――いや、待て。


「あんた、カイルだったか?」

「はい」

「なら、私と一緒にとっとと逃げるよ」

「――えっ?」


 混乱するカイルにセリィは告げる。


「考えてみな。こんな大それた警備を抜けて何にも持って帰れませんでしたなんて恥ずかしくてありゃしないだろ? だから、せめてお前を盗んでやるのさ」


 カイルはぽかんと口を開けたまま立ち尽くしている。

 ――もう! なんてどんくさいんだい!


 セリィは自分よりずっと背の高い少年の腕を引っ張る。


「分かんないのかい!? 子分にしてやるって言っているんだよ!」

「こっ、子分?」

「――っ! いいから! とっとと来な! 金で買える兵士の心なんて当てにならないんだ!」


 そう言ってセリィはカイルの腕を引き走り出す。

 これが後々まで続く二人の奇妙な縁の始まりだった。



 ***


「ほれ、何してんだい。さっさかその服を脱ぎな」


 城下町におけるセリィの隠れ家でカイルは言われるがままに纏っていた豪奢な服を脱いだ。

 城から抜け出してから時折、息や呟きを漏らす以外はほとんど会話もしないし抵抗もない。

 ――なんだい、その無抵抗さは。


「あんたさぁ、少しは自分で考えたりしないのかい? 服を脱いだら殺されるんじゃないかとか」

「元々殺される予定でしたから……」

「あっそ。それで同情を引けるとでも思っているの?」

「いいえ。そんなつもりはありません。ただ事実を――痛っ!」


 無気力で達観したような顔に一発くれてやる。

 まるで絶望を抱えることが偉いみたいな顔してさ。そういうの、ムカつくんだよ。


「何で殴られたか分かる? カイル」

「いっ、いいえ……」

「なら、覚えておきな。このセリィ様の子分になったからには舐めた態度は取らないことだ。いいかい?  子分の行動一つで親分ってのは恥をかくんだ。今後は自分がこのセリィ様の子分であることを自覚して恥ずかしくない行動を取るようにしな」

「子分って……僕はそんなことを願ってなん――痛っ! ちょっ! やめてくださいよ!」


 三発殴って黙らせる。

 こういうのは始めが肝心なんだ。

 ムカつく態度をとることも、悲観に浸る馬鹿みたいな考えも、どっちも出来なくなるくらい扱き使ってやる。


「――ふん。あんな場所に居たくせに下着まで上等じゃないかい。なんだい、この手触りは。一体何で出来ているんだ?」

「あの。あまり触らないで欲しいのですが」

「あぁ? 触らなきゃ分かんないじゃないか」

「えっと、その女性なんですから、あなた――親分は」

「――っ!」


 もう一度殴り、もう一回殴っておく。


「馬鹿かい! あんたは! 商品の価値を調べるには触らなきゃいけないんだよ!」

「親分。商品じゃなくて盗品ですよ。それに本当にそうならそんなに狼狽えなきゃいいじゃないですか」

「違う! 私はあんたから貰ってんだよ! 子分が親分に物を送るのは当然だろうが!」


 さらに殴ったが、カイルはどこか嬉しそうに笑っている。

 なんだよ、ちゃんとそういう顔も出来るんじゃん。


「ったく。とんでもねえ子分だね、あんたは。まぁ、いいや。ほれ、そっちに男物の下着と服があるんだ。それに着替えちまいな」

「ありがとうございます、親分。でもなんでこんなものまで?」

「別に大した理由じゃないよ」

「下着泥棒もしているんですか? 親分は」

「違うよ! この大馬鹿が! そいつは私の兄貴分の服だ!」

「それじゃ、その方に悪いじゃないですか」

「安心しな。半年前に先王様に捕まってとっくに縛り首になったよ」

「……っ。ヴァルグレインにですか」


 不自然にはしゃいでいた顔がまた落ち込む。

 一々忙しい奴だな、本当に。

 一度はしゃいだならずっとはしゃいでりゃ良いのに。


「あぁ。必死に無罪を主張したがあっさりとな」

「……そう、だったのですね」

「まぁ、罪状は全部本当だったんだけどね」


 カイルの微妙な顔にセリィは笑った。


「安心しな。私も含めてこんな事している奴なんて悪人なんだ。無罪で死ぬ奴なんて一人も居ねえよ」

「そんなものですか?」

「そんなもんさ」

「親分も?」

「このセリィ様もな。そして子分のあんたも同じだ」

「――うっ、僕もですか?」

「当たり前だろ。何せ、天下の大泥棒セリィ様の子分なんだからな」

「かしこまりました。ところで、いつまで見ているんですか。後ろ向いてくれませんか? 見たいんですか?」

「うるせえ」


 よく笑うじゃん。

 さっきまでの絶望的な表情はなんだったんだ?

 セリィはそんなことを考えながら木箱の上に座る。

 元々は倉庫だったらしいこの場所は二年程前からセリィと兄貴分のセルゲイの隠れ家だった。

 まぁ、セルゲイ兄貴の末路はカイルに語った通りだが。


 ――だが、考えれば考えるほどおかしい。

 確かにセリィやセルゲイ兄貴はいつ縛り首になってもおかしくない程度には罪を犯している。

 しかし、罪状はあくまでもケチなコソ泥のものだ……数が多すぎて処刑もやむなしだが。

 ――だが、兄貴が死んだ時はヴァルグレイン先王は積極的にコソ泥を捕えていやがった。

 まるで何かを必死に探すように――本来ならわざわざ捕まえる価値もないはずの人間――少なくともセルゲイ兄貴は目をつけられないようにしていた。

 そして、ドラン王に変わってからその『異常さ』は消えた。

 ――やっぱり、きな臭いね。

 ヴァルグレインはもしかして密偵でも探していたのか?


「親分」

「あん? 着替え終わったか?」

「いえ。まだです」

「遅すぎんだろ!」

「すみません、いつもは侍女に手伝ってもらっていましたから……」

「――私より年上なのに情けない奴だね。振り返るよ」

「今、下が裸なんですが構いませんか」

「……下を履いてから言え」


 侍女、か。

 やはりカイルはただの人間じゃなさそうだ。

 それを思えばここに居るのも潮時っぽいね。


「親分。一つ聞いて良いですか?」

「聞いてばっかりじゃねえか。まぁ、いい。言ってみな」

「何故自らをセリィと名乗るのですか? 風の女神様ですよ」

「決まってんだろ。誰にも捕まらないようにするためだよ」

「誰にも?」

「風は誰にも捕まんないだろ?」


 そう言いながらセリィは振り返る。

 って、あっぶな――もう少しで見えるとこだった。


「あーもうじれったい! 手伝うよ!」

「すみません」

「子分の着替えを手伝う親分なんて聞いたこともないよ!」


 まったく!

 出来ないわけじゃないのは良いけど遅すぎる!

 いや、遅いってなんだよ! 褒めるとこじゃねえだろ。子供じゃねえんだから――!


「いいかいカイル! これ終わったらあんたの服を切り刻むよ! それ単品じゃとてもじゃないが売り捌けないけど、小さくすりゃ売れるかもしれないかんね!」

「何でそのままだと売れないんですか?」

「た・か・す・ぎ・ん・だ・よ! こんなもん庶民じゃ手を出せねえし、裏商人でも持っているだけでも狙われるんだ。良いかい覚えておきな! 高けりゃ良いってわけじゃねえんだ!」


 二人が城下町を去ったのは翌日の昼前のことだった。

 服はあまり高い値段で売れなかったが、それでも懐はある程度潤おった。


「よっしゃ! それじゃ、とっととこんなとこ出るよ!」

「はい、親分」



 ***


「どうか、お恵みを……」

「はいよ。長生きしなよ、爺さん」

「ありがとうございます」

「まっ、長生きしても地獄か」

「あなたが居なければ地獄でも生きていけません」

「それもそっか。ま、頑張れよ」


 けらけら笑いながらセリィは物乞いへと銅貨を二枚渡す。

 切りつめても五日持つか持たないかの金額だ。

 ――ま、死にぞこないには丁度良い希望か。


「親分」

「なんだい、子分」

「前から疑問だったのですが何故、お金を? 僕らにだって余裕があるわけじゃないでしょう?」

「分かってないね、あんたは。縁ってのは回るんだよ」

「縁は回る?」

「あぁ。こうして良い顔してりゃ、あいつらが私らを助けてくれることもあるかもしんないだろ?」


 カイルはよく分かっていない顔をする。

 まぁ、そうだよな。

 あんたみたいなのからしたら、乞食が誰かを助けるなんて想像もつかないか。


「――それに、あの金額じゃ半日も持ちませんよ」

「何言ってんだい! 五日は持つだろうが!」

「安いパンを買えばおしまいです」

「それは最終手段だ! ネズミを捕まえて食ったりよ」

「えっ、ネズミを食べるんですか?」

「そうだよ」

「親分も?」

「――ばっ! 食う訳ねえだろ! お前、私があんたに一度でもネズミを捕らせたことあったか?」

「野鳥くらいなら……」

「鳥は鳥肉だろ! と言うか、本題はそこじゃねえ、私はネズミを食いたくないからコソ泥になったんだよ!」

「酷い帰結ですね……」


 腹の立つ奴。

 この数ヵ月ですっかり生意気になっちまって――今度、本当にネズミ食わせてやろうか。


「ですが親分。何故もう少しお金を渡さないんですか?」

「あんた、さっき私らの懐事情をしっかり分かっていたじゃないか」

「ええ。ですが、もう少し渡せるはずです」

「私らが餓死しちまうよ?」

「盗めばいいじゃないですか」

「へえ、良く分かってんじゃねえか」


 セリィはそう言いながらカイルの背中をバシッと叩く。

 なんだい、こいつ――すっかりコソ泥のなっちまって。セリィ様の子分に相応しいじゃん。


「だけどな、カイル。別の理由もあるんだ」

「別の理由?」

「あぁ。こんな話がある。ある貴人が乞食に助けられ金貨を一枚渡した。しかし、その乞食は死んじまった。何でか分かるか?」

「親分、流石に情報少なすぎです。乞食がどこに住んでいたとか分からないと……」

「生意気だね、あんた。だけど、ほとんど答えを当ててるよ。要するに乞食は意気揚々と自分の住処に戻った所、金貨を持っていることに気づかれて殺されたのさ」

「……なるほど」

「多すぎる金は災いを呼ぶんだ。さっきの爺さんにもっと金を渡してごらん? 乞食どころか町の荒くれにも殺されるよ」

「難しい問題ですね」

「難しくはねえよ。そもそもこんな国にしているお偉いさんが悪いんだからな」


 カイルは黙り込む。


「先王の時代も過ごしにくいっちゃ過ごしにくかったがよ。ドラン王に変わってからは本当に異常だぜ? 圧政のせいでどいつもこいつも目が血走っちまっている。余裕がないんだよ、皆」

「親分――皆、変化を望んでいるんでしょうか」

「当たり前だろ。だけどな、その望まれている変化ってのは自分に都合の良い変化だけだ」

「都合の良い変化?」

「あぁ。大金持ちになりたいだとか、女を囲ってやりたいとか、酒を死ぬほど飲みたいとか、他には――わりぃ思いつかねえわ」

「なんで、そんな男みたいな内容しか浮かばないんですか……」

「うるせえ。まぁ、要するに皆、自分のことしか考えねえんだよ。王様みたいなお偉いさんは全ての人が幸せになんて宣っているけどな。そんな事は無理無理」


 再びカイルは黙り込む。

 馬鹿な奴。

 あんたがなにもんだったか知らないけど、少なくとも今のあんたはこんな高尚なこと考えられる立場じゃないし――仮にそんな立場になったって考えるだけ無駄だよ。

 何せ、強者が居る以上は絶対に弱者が居るんだから。


「あっ」

「あん? どうした?」

「親分。さっきの人が――」


 そちらを見れば先ほどの老人が素晴らしいフォームで全速力で駆けてくる。

 ――なんだよ、あれ。働こうと思えば全然働けんじゃねえか。

 一杯食わされたな。


「おい!」

「なんだよ、爺さん」

「さっき、幾人かの兵士がお前さんたちを探していたと仲間から聞いた。町人が兵士に話していたらしい」

「――っ、なんで私らだと分かるんだ?」

「姿形――特にノッポの赤毛とくりゃ、そっちの兄さんしか居ねえだろ」


 そりゃ、確かに違いねえ。


「ありがとな、爺さん。ほれ、カイル。とっとと逃げるよ」

「へい、親分」


 カイルは頷くとフードをしっかりと被る。

 これなら赤毛は見えないし、駆け抜けるルートもしっかり気をつければ捕まりはしないね。

 そしてこの町の構造はもう頭の中に収めてるんだ――セリィ様を舐めんなよ。


「そんじゃな! 長生きしろよ!」

「まてよ。情報料寄越せ。出なきゃ、てめえらを売るぞ」

「――けっ。がめついな爺さん。ほれよ」

「銅貨一枚かい。ケチだな」

「うっせえな、こっちだって余裕あるわけじゃねえんだ」

「はいよ――逃げ切れるのを祈ってる」

「ありがとな、爺さん。あんたも長生きしろよ」


 そう言ってセリィはカイルと共に駆けだす。


「親分。あのお爺さん、あんなに走れたんですね」

「あぁ。強かに生きていやがるだろ?」

「ええ。全員があんな感じなんですか?」

「んなわけあるか。ほとんどはほんまもんだ」

「――仲間から聞いたと言っていましたが」

「あぁ。乞食共にも独自の情報源があるんだ。舐めちゃいけないよ、奴らの情報を」

「そうなんですか?」

「あぁ――現に私らは逃げられているだろ?」

「確かに」


 セリィは振り返ってカイルに言った。


「そして、縁ってのはしっかり回って来ただろ?」

「! ――確かに!」


 屈託ない笑顔を見せるようになったな、こいつも。


「ほれ! とっとと逃げるよ! セリィ様の子分があっさり捕まるなんて無様な真似すんなよ!」

「はい! 親分!」


 各地を転々とし危なくなったら逃げるという生活。

 自分にとっては当たり前だが、カイルも少しずつ慣れてきているじゃねえか。

 このまま行けば子分どころか、相棒にしてやってもいいかもな。


 そんなことを考えながらセリィは走り続けた。



 ***



 隠れ家で硬いパンを食べていたセリィの前にあった扉が開く。


「親分」

「カイル。どうだった? 町の中は」

「最悪としか言えないですね。兵士達が町をうろついています」

「私達を探しているのか?」

「いえ、ドラン王への反抗者という名目のようです」

「じゃあ、私らは大丈夫ってことかい?」

「――いいえ。実態は罪状さえあれば誰でも良いみたいです。なんなら罪状さえなくても良いのかも」


 セリィは舌打ちをする。

 ここ一年の異常な空気はなんだってんだ?

 二年前――つまり、カイルが会った頃に先王ヴァルグレインはくたばって王がドランへと変わった。

 王が変われば政治が変わるのも当然だが……ドランは幾人もの領主や騎士を処刑していると聞く。

 それが真実かなんて確かめる術はないが――少なくとも、国民の生活は明確に悪くなったには違いねえ。

 圧政に次ぐ圧政でどの町に行ってもどいつもこいつもシケた顔をしているし身体だって細い。

 乞食も随分と増えたし――まぁ、おかげで情報には困らないんだが。


「親分」

「なんだ?」

「先日、市場で処刑された男は確かに乱暴者だったらしいですが、罪状らしい罪状はなかったらしいです」

「あぁ? それなら無実の罪なのか?」

「強いて言えば暴言や暴力があったらしいですが、少なくとも周りの連中は『そこまでの事はしちゃいない』なんて言っていたらしいです」

「……なるほど」


 ――殺されるほどの事はしていない、か。

 なら、これはつまり殺すことに意味があるってことかい?

 例えば誰かをなだめるため……とかか?


「さらに言えば、前の町で殺された女を覚えていますか?」

「あぁ、息子が餓死したって奴か?」

「はい。あの女はどうやら『こんなに税を取られちゃ生きていけない。王様に言ってくれ』なんて話していたらしいです。それが王権批判と捉えられたとか」

「滅茶苦茶だな、おい」

「ええ、これでは命が幾つあっても――っ!」

「あっ?」


 不意に踵を返しカイルは剣を構える。

 ――まさか、兵士か!?

 セリィはすぐにパンを投げ捨てダガーナイフを構える。


「――何人だい?」

「足音は二つです――ですが、おかしい。鎧の擦れる音が一つしかいない」


 つまり鎧を着ている者は一人ってことかい?

 なんだい、そりゃ。

 それじゃあ、一人は兵士じゃないってことにならないか?

 そんなことを考えながらカイルを見ると――無言で頷いた。


「まいったね。逃げるにはこの扉を通るしかないよ」

「ええ。殺すしかないですね――残念ながら」

「……なんとか殺さずに済む方法はないかい?」


 ――情けない。声が震えちまってる。

 いや、指も、足も。

 このセリィ様が子分の前で何て様だい。


「それだと僕か親分あるいは両方死にますよ」

「――へっ、そうかい」


 まったく、生意気な子分だ。

 二年前にゃ、まだまだ可愛げがあったのに――今じゃ、私よりよっぽどしっかりしている。


「――あと五歩です」

「覚悟決めるよ。命は盗んだことないんだがね」


 歯を噛みしめて震えを抑えた直後――不意にそれはドアの向こうから聞こえた。


「カイル王子。そこにいらっしゃるのでしょう?」

「――は?」


 凛と響く女性の声――何より、その言葉に困惑してセリィはカイルの方を見た。

 ……なんだい、その苦々し気な顔は――まるで、本当のことみたいじゃねえか。


「私達は味方です。ドアを開けていただけますか」


 カイルが振り返った。


「親分」

「――開けてやんな。とりあえず、敵じゃねえんだから」

「……はい」


 開けた扉の先には騎士を従えた女性が立っていた。

 髪の毛はカイルほどではないが赤い――いや、顔立ちもどこか似ている。

 年齢はカイルよりやや上か? ――なんにせよ、なにもんだこの女。


「……カティア」

「久しぶりね。カイル王子」


 二人は部屋に入ると騎士は無言で扉を閉めて、まるで塞ぐようにしてその前に立つ。

 ――なにしてんだ。退路を閉じられちまった。

 ……いや、違うか。

 本気で逃げたかったんなら、子分の手を引いてとっとと逃げるべきだったんだ。

 つまり、知りたいんだ。

 この女達のことを――いや、カイルのことを。


「ずっと探していたのだけど――まさか、コソ泥をしているなんてね」

「違う。今は親分……セリィ様の子分だ」


 カティアと呼ばれた女は一瞬言葉に詰まって大きなため息をつく。

 ――失礼な奴だな。


「そういうわけだ。カイルがなにもんかなんて知らねえけど、今はこの大泥棒セリィ様の子分だ」

「えっ、セリィ?」

「おっ、知ってんのかい? 私も有名になったも――」

「それは風の女神の名前でしょ? 大方、自分で名付けってところ? どっちにしろ、セリィ――つまり、あなたの事なんて私は知らない。ケチな泥棒でしょう?」

「――っ」


 なんだい、こいつ。

 ムカつくな。


「まぁ、いいわ。だって二年前にカイル王子を助けてくれたのは大方あなたでしょ? 感謝するわ」

「助けたんじゃねえよ。子分にしてやっ――」

「小娘」


 話していると控えていた騎士が静かに声を出した。

 なっ、なんだってんだよ……そんなおっかない声を出して。


「カティア様にはお前と話している時間はないんだ。少しは静かにしていろ」


 そう言うが早く何かを投げつけてきた。

 あっぶねぇ……なんだ? これ……。


「えっ、宝石?」

「喜べ。本来ならお前が一生かかっても触れることも出来ないものだ」

「――お生憎様。こんなもん何度も触っているよ」

「馬鹿が。それは盗んだからだろう。お前は今、正当な権利として手に入れ……」


 セリィはイラッとした。

 なんだいこいつ、ほんっとうに上から目線じゃないか――ムカつくな、こうしてやる。

 そう思うが早くセリィは宝石を足元に投げ捨てる。


「いらねえよ、こんなもん」

「なっ!?」

「あんた馬鹿か? こんなもんどこで売り捌けって言うんだよ」

「売るな、小娘! これ貴重なんだぞ!?」

「知るか、馬鹿。売れなきゃ何にもならないんだよ」


 セリィを睨みつけながら騎士は宝石を拾い上げる。

 あー清々するよ、まったく。

 つーか、そんなに慌てちゃって馬鹿みたい。

 ……そんなに高いのかな。


「――参考までに聞きたいんだけど、それ高いの?」

「アホほど高いぞ。売るのは無理だろうが、仮に売れたなら豪邸の二つは買える」

「なっ!? 豪邸!? ちょっ! 返せ馬鹿!」

「お前いらねえって言っただろうが!」


 必死に騎士から宝石を奪おうとするも騎士の方も意地になっているのか離そうとしない。

 ――腹立つう!

 だけど、意外とノリがいいな、こいつ。

 セルゲイの兄貴をちょっと思い出すじゃん。


「……あなたの行方が心配だったけど、それなりに楽しい二年を過ごしていたようね」

「あぁ。そうだな」


 カティアの呆れ言葉にカイルが答えている。


「おい! カイル! そんなんどうでもいいから手伝え! こいつ、マジで離してくれねえんだ!」

「はい、親分」

「げっ、カイル王子!?」

「よっしゃ! ナイス!」


 カイルの参戦であっさりと宝石は手に戻った――が、ここからが本題か。


「――で、色々と聞きたいんだけど。あんたら何者なんだよ」

「そうね。カイル王子……いえ、カイルを助けてくれたのだから教えてあげる。私はカティア。カイルの従姉で彼の婚約者」

「は? 婚約者!? いや、見たとこ結構年齢離れてない?」

「そうね、七つは離れていたと思う」

「えぇ……」

「小娘。貴族じゃよくある話だ。時には十歳どころか二十歳も離れることはある」

「えっ、親よりも年齢上じゃん」

「そんなもんだ。貴族は自身で結婚相手は選べないもんだ――好きな人とだって結ばれることは少ない」


 騎士の言葉にカティアは咳ばらいを一つする。

 あの騎士、時間無いって言う割には一番無駄話してねえか?


「いずれにしても私とカイルは婚約者。でも、それはどうでもいいの。重要なのはそんなことじゃない」

「――僕を反逆の旗印にでもするつもりか?」


 黙っていたカイルが不意に口を開く。

 ――ゾクッとする。

 普段の様子と違い過ぎる。

 こいつ、こんな風に喋れたの?


 ――いや、それより、この氷で心臓を掴まれたような感覚は……。

 とりあえず、今、とんでもない状況に置かれたのは間違いないね。


「話が早いわね。そう。私達と共にドランと――」

「帰ってくれ。僕は今、親分と一緒にいるのが楽しいんだ」

「――ふざけないで」


 言うが早くカティアは一歩踏み出しカイルの頬を強く叩いた。


「ちょっ!? 何してんの!?」


 思わずカティアとカイルを引き離しながらセリィは叫んだ。


「私、ぜんっぜん! 話が見えないんだけど!?」

「小むす――いや、セリィ。お前は一旦こちらへ来い」


 間に挟まった傍から騎士に抱えられて引き離される――まるで猫か犬みたいに。


「あなたはヴァルグレイン陛下の息子として逆賊を討ち国を正す義務がある」

「義務? 馬鹿じゃないか? 本来なら僕はドランに捕まった時点で死んでいたんだ」

「ええ。その通り。あなたが『死んでいたら』皆――私も含めて諦めていたわ。だけど、あなたは『生きている』じゃない」


 カイルが言葉に詰まっている。

 ――大分、険しい顔をしているね、まったく。

 だけど、これじゃ本当に何が起こっているのか分かりゃしない。

 セリィは自分を抑えている騎士にこっそりと尋ねる。


「ねえ。ちょっと話が読めないんだけど」

「何となくは分かるだろう? 要するにカイル様は先王ヴァルグレイン様の息子で、そしてヴァルグレイン様は現王のドランに謀殺されたんだ」

「――なるほど。それで……」

「はい。親分。カティア達はドランに対抗するための旗印――つまり、シンボルが欲しいんです。ドランの政治が腐敗しているのはご存知の通りでしょう? だけど、単体ではとてもじゃないですがドランには勝てない。だけど、先王の息子である僕がシンボルになれば……」

「旗の下で皆が一致団結ってわけかい」


 騎士の拘束が緩んだ隙にセリィは彼から離れる。

 なるほどね――ようやく話が読めた。

 じゃあ、もう道は一つしかないじゃないか。


「なら、話は早い。ほれ、カイル。とっととドラン王の首を刎ねてきな」

「――なっ!? 親分!?」

「それがアンタの運命だろ! いってきな! 親分として許す!」

「えっ、ちょ……」


 困惑するカイルに対しカティアと騎士はあくまでも穏やかだ。

 当たり前か――血も死体も見ずに終わるのだから。


「子分は親分の言うことを聞くもんさ」

「――いや、しかし親分……」

「馬鹿か、あんたは。ここであんたが出て行かなきゃ私が殺されるんだよ――そうだろ?」


 セリィの問いかけにカティアは頷いた。


「学は無さそうだけど頭は回るみたいね。そう。この()の言うように私達はあなたを無理矢理にでも連れていくつもり――そのための障害は全て砕く。はっきり言ってしまえばこの際、あなたは物を言えない人形で良い」


 ひっでえこと言うな、この女――仮にも婚約者なんだろ?

 つーか、こんな性格の悪い女と結婚しなきゃいけないとか最悪じゃん。


「それにカイル王子。あなたもご存知のはずです。ドランの政治が腐敗している故に多くの民が疲弊し苦しんでいる――この娘もそうでしょう?」

「いや、親分は生まれつ――」


 余計な言いそうなカイルの背中をバシンと叩く――空気読めってんだ。


「いいかい! カイル! あんたは王になってこの国を良くするんだ!」

「いやっ、そのっ――親分!」

「いいから!」


 何度も背中を叩きつけながらカティアへ言う。


「それじゃ! 後はよろしくお願いしまっす!」


 言うが早く扉へ向かって駆けだす――一瞬、カイルの方へ視線をやりながら。

 ――分かってんだろ? カイル。

 逃げるのはこのタイミングが最初で最後だ――これで付いてこないなら……。


「――へっ、良い目をするようになったじゃん。カイル」


 隠れ家が――カイルがどんどんと遠くなる。


「まっ、親分としてはあんたが勝つのを祈っているよ――」



 ***



「ほらよ、爺さん」

「ありがとうございます」

「そう言うのいいから。とっとと戦況を教えな」


 セリィはそう言いながら老人の頭を小突く。


「――残念だがあまり良くないようだ」

「だよなぁ……」


 カイルと別れてから気づけば半年になるけど――カイル達は劣勢か。

 これじゃ、あいつの首がいつ晒しものになるか分かったもんじゃない。

 くっそ――こんな事なら無理矢理にでもカイルを連れて逃げりゃ良かった。


「原因はなんなんだい?」

「武器に兵士に領土に士気に――」

「全部かよ……おまけに乞食に見抜かれるほどにダメダメなのかい?」

「いや、違う。今言ったのは負けている要因だ――根本的な原因は違う」

「原因?」

「あぁ。要するに情報が足りなさすぎるんだ――いいか?」


 老人は、息を吐きながら頭を掻いた。


「戦ってのは力と力のぶつかり合いだ。数がいて、食いもんがあって、剣が新しけりゃ、だいたい勝つ。カイル様の陣営は――悪くねぇ。将も兵もそれなりに鍛えてある」

「……けど勝てない」

「そう。向こうが持ってる物が多すぎるんだ――兵も、金も、土地も、武器も、命もな。向こうには『余裕』がある。こっちは一つ一つを工夫して使わねぇと、すぐに詰む」


 セリィは鼻で笑った。


「なんだよそれ。真っ当にやってたら負け確定じゃん」

「だからこそ――情報なんだよ」


 老人は路地の奥を指差す。

 そこはセリィの逃走ルートの一つでもあるが、一見すると行き止まりにしか見えない。


「どこに罠があるか。どこを通れば敵に気づかれねぇか。どこの村に味方が潜んでるか、どこで不満が爆発しそうか――そういう『流れ』を読む奴がいなきゃ終わりさ。あんな感じで把握できていない道が一本でもあれば、そこから戦が負け得る」


 セリィの心臓が大きく鳴った。

 突如浮かんだ考えは冷たい手が心臓を鷲掴みにするいつもの感覚――いや、いつもよりずっと酷いか。

 もしこの考えを実行するなら――一生心臓はこの状態で居なきゃならねえ、だが……。


「こんな劣勢だからこそ各地に燻る反乱の火は燃え上がらないわけだ」

「よくわかった――ありがとな、爺さん。長生きしろよ」


 セリィはそう言って踵を返す。


「――おい、あんた」

「あん?」


 振り返ると乞食が何か言いたげにこっちを見ている。


「……名前はなんて言うんだ?」

「――何で聞くんだ?」

「二度と会えなくなった時のためだ」


 ――へっ、なんだよ。

 全てお見通しってわけかい。

 なんで、こんな爺さんが乞食なんてしてるんだ?

 これもそれも全部ドラン王が王になったからか? ――んなわけないか。


「セリィって言うんだ。カッコいいだろ?」

「セリィ」

「あぁ。風の女神様から名前を貰ったんだよ」

「貰ったんじゃなくて、盗んだんだろ?」

「へっ、言っとけ爺さん。じゃ、長生きしろよ」

「――あんたもな」



 ***



 崩れた石造りの壁、色褪せた聖人像、割れたステンドグラスから月光が差し込んでいた。

 神に仕える場が今では神を捨てた者たちの隠れ家だってわけか――見るも無残な夜の廃教会。

 ここがカイル達の潜伏先?

 ――まったく、これじゃ二人でコソ泥していた時の方がよっぽど良い生活していたんじゃねえか?

 少なくとも命までは狙われていなかったしな。


 まったく、必要以上に目立って命を狙われるなんて泥棒としちゃ、三流もいいところさ。

 必要な分のお宝や金を取ったらとっとと逃げる。これが鉄則だ。


 ――そう、だから今回も金のためだ、うん、金のため。

 他よりずっと稼ぎの良い仕事ってだけだ――それ以外の理由なんかあるもんか。


 セリィはそんな事を考えながら目的の人物を探す――見つけた。おまけに都合の良いことにカイルは居ない。

 ――それになんて面だい。

 この世の終わりみたいな顔をしちまってさ。

 セリィは小石を軽く投げる――その音に反応した騎士は即座に剣を抜いた。


「誰だ!?」

「騒ぐな、セリィ様だよ」

「セリィ?」


 セリィはそう言って二人の前へ出る。


「お前、どうしてここが……?」

「生憎、情報網はあんたらよりずっとしっかりしていてね――今も楽しい情報が入ったばかりだ」

「なっ――!?」

「その情報がどの程度役に立つのか疑問ね」


 焦る騎士に対しカティアはあくまでも冷静だった。

 ――いいね、王の風格としちゃカイルよりもずっとしっかりしている、まぁ、カイルは私の子分だし王の風格なんてなくて当然か。


「それで何の用?」

「情報を売りに来たのさ」

「へぇ。商人の真似事かしら? コソ泥は廃業?」


 一々腹の立つ奴だな。

 商売だって言っとけばカイルの顔も思い出さなくて済む――そういう建前ってやつだ。


「何を言っている。兼業だよ。こっちの方が儲かりそうだしな」

「――なっ、お前!」


 焦る騎士に対しカティアはあくまで冷静だ――あいつに護衛なんかいらないんじゃねえか?


「買うのは良いけれど、その情報は信用出来るの?」

「あぁ。試供品としてまずあんた達の兵士の数や潜伏場所まで教えてやるよ」


 セリィはそう言って自分の能力を示すために集めてきた情報を話した。

 ――まったく、予想よりよっぽど酷い状態だよ、本当。

 相棒がこんな惨めな目に遭ってるのを見て、何とも思わないって? ……笑わせんな。


「――私達の兵力。本当にそれで全て? 補足はないの?」

「……へぇ、よく分かってんじゃん。それじゃ、補足してやるよ。一網打尽にされないためにあんたが各地に分散して配置した兵士達は見切りをつけて逃げ出したりしている奴もいる」

「――信用は出来るみたいね」


 ――へえ、話が早い。


「この娘、品性は少しもないし頭も悪そうだけど。嘘はついていない。声の抑揚、目の動き、情報の内容――全部が一致してる」

「えっ、なんで今、私侮辱されたの?」

「えぇ。それにこの娘なら大丈夫。だって、親分は子分を見捨てたりしないでしょ?」

「なっ……」


 ――なんだい、この女、一目見た時の印象とは全く違うな。

 だが、ありがたいってもんだ。

 その方がよっぽどやる気が出るってもんだ。


「だけど、先に宣言しておくわ。私達はあなたが裏切るのは許さない――もし捕まったなら、速やかに死んで」

「言われなくてもそのつもりさ――まっ、私は捕まらないけどな」

「はいはい。そしてあなたに何があっても私達は助けない。良い?」


 護衛の騎士があたふたしている――馬鹿かいこいつは。

 捕まった密偵を助けようとすりゃ、自分達が危なくなるんだから見捨てるに決まっているだろ。

 と言うか、ここまで心配してくれるとか、やっぱりこいつ人の良さが隠し切れていないな……。


「あぁ。二つともいいぜ。だけど、こっちも一つくらい条件をつけさせろ」

「お金の話?」


 ……今はこっちの気分が優先だ。金勘定は気が済んでからでいい。


「いいや、違う。金は後でもらうさ。私の条件はこれだ。私のしている事は勿論、私の存在を決してカイルに――私の子分に話さないこと」

「……言われなくてもそのつもりよ。カイルはあなたが居なくて寂しそうだからね」

「へっ、そうかい」


 ――ちょっとだけ嬉しいじゃんか。


「良いわ。叶えてあげる。それじゃ、見せてもらおうかしら。今日持ってきた情報を――」



 ***


 城の最上階、かつて旗を掲げた石造りのバルコニーからカイルは中庭に集った民と兵士を見下ろしていた。

 朝焼けが差し始める空の下でカイルは――セリィの子分だった少年王は静かにだが力強く宣言する。


「我らが勝利した!」


 わずかな沈黙のあと、城と街を揺るがす歓声が沸き起こる。


「――へっ」


 そんな人間達に混ざりながらセリィは笑っていた。

 悪い気はしないね、この光景。

 ――あいつ、私の子分なんだぜって宣言したいくらいだよ。


 ったく、慣れない言葉まで使っちまって――いや、本来のあいつはこの姿なのか?

 まぁ、いいか――って、今度はカティアまで出てきたやがった。

 ……なにが皆の勝利だ。何が戦い続けていたからの勝利だ。

 ――本当に大変なのはこれからだろう?


 演説が終わりカイル達が城に入っていくのを見届けるとセリィは隠し通路から城内に侵入する。

 つい先日までドラン王が支配していた城だが、奴の敗北も本質的にはこの隠し通路の『情報』を知らなかったからだ。

 ――情報ってのは恐ろしいね、本当に。


 王座の間の背後に隠れながらセリィは耳を澄ませる。

 カティアとあの護衛に――カイルも居るのか。


「カティア。僕は少し休むよ」

「ええ。戦争はまだ終わらないけど、一つの区切りを迎えたと言ってもいいわ――本当に良く頑張ったわね」

「あぁ……カティア。親分は見つからないのか?」


 ――あの馬鹿、何を言ってんだ?

 もう私らは一切の関係はねえだろうが。


「ええ。手を尽くしているのだけど見つからない」

「――そうか」

「カイル。残念だけどもう会えないと思った方が良いわ。住む世界が違うもの」

「……あぁ。それじゃあな、カティア」


 ――行ったか。

 カーテンの影に隠れながらセリィは背を向けたままのカティアに声をかける。


「よ。婚約者様」

「カイルは行ったわ。姿を見せても構わない」

「いや、万が一に備えたい。このままでいい」

「その臆病さがあなたの命を繋いでいるのね」

「だろうな」

「それで何の用?」

「とぼけんな。次の仕事についてだ」

「――次の仕事ね」


 そう言ってカティアは護衛の騎士に何かを告げた。

 ――あん? 何かいつもと雰囲気が違うな。

 ちょっ、こっちくんな!

 あんたはカティアと違って動きが雑だからカイルが戻ってきたらバレちまうかもしれないだろ!


「セリィ。これが報酬だ。今までの分も全て入っている」

「ばっか! カーテンに向かって金貨袋を見せるアホがどこにいるってんだい!」

「ならとっとと取れ」

「――ったく。だけどよ、婚約者様。何のつもりだい? まだ戦いは終わってねえだろ? ドラン王はまだ生きている」

「ええ。その通り。だけど、あとはもう時間の問題でしょう? 今やこちらは圧倒的な優勢なのだか――」

「は?」


 ――こいつ、本気で言っているのか?

 追い詰めた時が一番厄介なんだ。

 相手は死に物狂いで逃げたり――戦ってきたりする。

 現にあんたらが勝ったのは情報もあるが、結局のところは『死に物狂い』だったからだ。


「分からないの? セリィ。もうあなたは不要だと言っているの」

「――おいおい。正気か?」

「ええ」

「ふざけんなよ!? 状況が分からねえ、あんたじゃねえだろ!」

「黙れ! セリィ!」


 不意に騎士が怒鳴る――なんだよ!? いきなり!


「今のドランは今までより遥かに危険なんだ! 情報の一つだって逃したくない! そんな中で情報の塊であるお前が捕まったら――!」

「ふざけんなよ! 私があんたらを売るって言うのかい!?」

「違う! 危険すぎると――!!」

「二人共静かにして。カイルが戻って来ちゃうわ」


 そう言われてセリィと騎士は黙りこくり、カティアは踵を返してセリィの隠れているカーテンを真っ直ぐに見つめながら言った。


「セリィ――『風の女神セリィ』がどう言う経緯で風の女神になったか知っている?」

「あん? 世界を守り、包む風になることを願ったからだろ?」

「――違う。それは子供向けの物語に過ぎない」

「なら、実際はどうだってんだよ?」

「……風の女神セリィは元々は人間だった。あなたと同じでね。そして、セリィはあなたと同じように人々を守り救っていた――あなたの知っている『世界を守り、包む風になる』というのはここから来ている」

「へえ――で、何が違うってんだい?」


 問いにカティアは僅かに間を置く――なんだってんだい。歯切れの悪い。


「セリィはある日、悪に捕まった」

「は?」

「そして首を刎ねられた。それだけでなく見せしめとして細切れにされたの。風で吹かれれば飛ぶほどまでに」

「――なっ」


 あの日、カイル達に協力すると覚悟を決めた時から、ずっと心臓を鷲掴みにしていた冷たい手が今までにないほどに強く――握りつぶそうとしているくらいに強く心臓を圧する。


「人々はそんな哀れなセリィを見て言ったの。セリィは『風になった』、いえ『風の女神となり私達を見守っている』なんてね」


 ――冗談じゃないよ。


「私がそうなるとでも?」

「今のドラン王に捕まればなり得る」

「――へっ、馬鹿かい? それは物語だ」

「ええ。今の話はただの物語――いえ、伝説と言っても良いかもしれない。何せ、セリィは今では本当に『風の女神』として扱われているほどに時が経っているのだから――だけど」


 あまりにも冷酷な視線がセリィを見つめる。


「『セリィ』は現代にも居る。そしてあなたは『そうなるかもしれない』の」

「そんなヘマをするとでも?」

「――私達に友達を殺させる気?」


 ……友達だって?

 馬鹿じゃねえの?

 子分に友達に、ついでに国民――ますますやらない理由がなくなったじゃねえか。


「安心しろよ。捕まったら速やかに死んでやるよ」

「……本気?」

「今まで一度も捕まっていなかったんだ。だから任せろよ」


 言うが早くセリィは踵を返して駆けだした。

 ――安心しな。カイル。

 いつもみたいに情報を盗んで――これを最後の戦いにしてやるよ。


 それに『セリィ』は無様に捕まったけど――このセリィ様は絶対に捕まらねえよ!



 ***


 ――なんて、思っていたんだけどね。


 セリィは物陰に隠れ潜みながら息を殺していた。

 唯一の逃げ道は数名の兵士に塞がれて、挙句の果てに残りの五人の男達が部屋にある物を荒々しく蹴り飛ばしながら確実にセリィの隠れ場所へと近づいて来る――おまけに逃げ道を塞ぐ一人はドラン王だ。


 ドラン王の居場所を掴んだは良いが深入りをしすぎた。

 既に情報の全ては昨日に鳥の足に括りつけて飛ばしたが――焼きが回ったか。


 くそっ――ナイフを持つ手が震えちまう。

 せめて、ドラン王の命でも盗みたいところだが――無理かね、こんなに震えちゃあ。


「いたぞ!」

「何!?」

「ひっ――!!」


 はははは――笑っちまうよ。

 ドラン王の命を取るどころか、身動き一つ出来ねえでやんの――。

 手も指も動かねえのに涙ばかり落ちてさぁ――情けねえ。


 ほれ、あっという間に羽交い絞めだよ――ちくしょう。

 あーあ……どいつもこいつも集まって来ちまって……。


「なんだよ。小娘じゃねえか」


 言い返したいのに何も言えねえ――いや、下手に口を開けば命乞いさえしちまいそうだ。

 何とかここを切り抜け――痛っ!?


「ドラン様。殺すなら剣を――」

「馬鹿か。むしゃくしゃしてるんだ。簡単には殺さねえさ」


 ――息が出来ない。

 みぞおちを殴ってきやがっ――っ!?


「おい。こいつ、血を吐き出しやがった。見て見ろ、服が汚れちまっただ――ろ!」


 痛い痛い痛い!

 お願い! ――やめっ!


「あっ? おい。骨が折れたっぽいぞ」

「やりすぎですよ、ドラン様。女の骨なんてすぐに折れるに決まっているでしょう?」


 まずいまずいまずい!

 本当に死ぬ――絶対に死ぬ!!

 どうにか――どうにか!

 逃げる方法を――!


「なら一度肌を斬ってやるか」

「ええ。丁度良くこいつナイフを持ってますよ」

「なまくらっぽいな――これじゃ、肌を裂くのに難儀しそうだな」


 ――ひっ。


「ほれ見ろ。途中で刃が止まっちまった。顔の皮を剥ぐつもりだったのに頬が少し取れただけだ」


 痛い……。

 もう、ダメか――ちくしょう。

 情けねえ。

 涙も震えも止まりゃしねえ――いや、止められねえ。


 ――あぁ、くそ。

 なんで、こんな時に浮かぶのがあんたの顔なんだよ、ちくしょう。

 こんな姿見られたくないのに、こんな情けない姿……。


「あ? どうした? 死んだか?」


 ――馬鹿か、私は。

 死ぬ間際くらい……素直になれってんだ。


 セリィは大きく息を吸う。


 ――分かっていたよ。

 こうなるかもしれないってことはさ。

 ……自分でも分かっていたよ。

 あんたの事が好きだったから、こんな馬鹿みたいなことをしたってさ。


 全て覚悟の上だ――少なくともそのつもりだったさ。

 だけど、今じゃ何をしても生き残りたいって思いの方がよっぽど強い――だけど。

 ――いや、だからこそ!


「――馬鹿じゃねえか?」

「あっ?」

「仮にも。王座に。いたもんがよぉ――こんな小娘を甚振(いたぶ)っ――痛っ!」

「口の聞き方に気をつけろよ。ゴミが」

「――黙れよ。てめえの姿。こうして震えて、泣いて――今にも命乞いしたくて仕方ねえ私より! よっぽど無様なんだよ!」


 ――悲鳴もあげられねえ。

 殴り過ぎだろ。

 青筋を立てて――馬鹿みたいだな。

 そんなに殴っちゃぁ、痛みを感じる余裕さえねえよ。

 馬鹿。


 助かるよ――このバカ野郎が。

 てめえのおかげでさ――命乞いさえ出来ずに死ねるよ。

 てめえのおかげでさ――相棒の……いや、カイルの親分としてカッコよく死ねるよ。


 直後。

 ――風を切る音が聞こえた。


「なっ!?」


 兵士の一人が悲鳴をあげる。

 何かが音をあげて倒れ、同時に痛みが止んだ。


「――運の尽きだな。ドラン」


 この声――まさか。

 辛うじて視線をあげる。


「へへっ……なんだよ。おせえ、馬鹿」


 カイルの視線がこちらに向く――こんな見られたくない姿をガッツリと見やがって。


「ドラン。お前は馬鹿だな――その女は俺の女だ。楽に死ねると思うなよ」


 ――俺の女だぁ?

 生意気なことを言うようになりやがって……。


「矢を構えてください。あの男を殺せば戦は終わりです」

「やっ! やめろ! この娘が死んでもいいのか!?」


 ――くそっ。ここまで来て私が足を……お?


 連続で――容赦なく続いた風を切る音。


「ぐあっ!?」

「なっ!?」


 バタバタと倒れていく兵士と――ドラン。


「馬鹿じゃないの? 密偵はいつでも切り捨てられるから役に立つんじゃない」


 カティアの冷たい声が響いた。

 ――言ってくれるな、婚約者様。

 いや、私が死んだらどうするんだよ……?


「ひっ、ひぃいい!!」


 羽交い絞めにしていた兵士が手を離す――痛ってぇ。地面に激突だよ。

 そして、風を切る最後の音。


「セリィ!」


 足音と共にカイルの声が聞こえた。

 ――おいおい、慌てんなよ。

 ってか、何どさくさに紛れて名前で呼んで――。


「セリィ! 大丈夫か!?」


 ばっか……このセリィ様が死ぬわけないだろう?

 それに――ビビっているわけ――……。


「カイル……」


 ダメだ。

 もう強がれねえ。


「遅いんだよ、お前――」


 涙が止まらないし――感情を抑えられない。

 婚約者様の前とかもう知らない――思い切り、抱き着いてやる。


「ごめん! 遅くなって――!」


 ――ははっ。

 こいつ、抱きしめ返してきてやんの。


「もう! 離さないから――!」


 ――ケチなコソ泥相手に馬鹿な奴。


「……馬鹿か。そりゃ、コソ泥にとっちゃ……死刑宣告だよ」


 いや、私もか。馬鹿なのは。

 そんなことを思いながら、カイルの胸の中で目を閉じた。


 ***



(いた)たたっ……」

「傷はまだ痛む?」

「最悪だよ――馬鹿な子分が遅いせいでさ」

「ははは――悪かったな、セリィ」

「笑い事じゃねえよ――ってか、お前、前から言おうと思ったんだけど何で敬語止めちまってんだよ」

「僕はもう王様だ――ケチな盗賊に敬語なんて使う訳ないだろ?」

「――へっ、ひよっこが」

「捕まるような奴には言われたくないな」


 もうあれから一ヵ月も経つのに未だに傷は疼くし、このセリィ様の美しい顔も傷ついちまった。


「――ったく。それでよく分かんねえけど、統治ってのは上手くいってんのかい?」

「まぁ、ぼちぼちだ。正直カティアが居なければとてもじゃないけど無理だな」

「情けねえなぁ――お前、最初から最後まで女に頼りっぱなしじゃねえか」

「最初?」

「あぁ? セリィ様に助けられたこと忘れやがったのかい?」

「君は子分が欲しかっただけだろ」

「――っ! あーあ! 昔の可愛さはどこにいったんだい」

「こっちが本物の僕さ」


 少しだけ胸が痛む――それじゃ、二人で過ごした時のあんたは……。


「だけど、君と過ごした僕も間違いなく本物だったさ――そして、等身大の僕だった。それくらい分かっていますよね? 親分」


 ――何、恥ずかしいこと言ってくれてんだい。

 顔を見るのが恥ずかしくなっちまうだろうが。


「イチャイチャしているところ悪いんだけど――」


 突如、扉が開いてカティアが入って来る。


「「うわっ!?」」


 こちらを見て呆れ顔でカティアは呟いた。


「――なに、二人して驚いてるの。息ピッタリすぎよ、あんた達」

「カティア!? 急に入って来るなよ!」

「そうだよ! ノックくらいしろよ! 婚約者様!」

「はいはい――で、話の続きなんだけど。私達の結婚について話がしたくて」


 結婚――そうか。

 そりゃ、そっか――カティアはカイルの婚約者様だもんな。

 よく分からねえけど貴族社会ってのはそういうもんなんだろ?


 ――分かっちゃいたけど、なんか嫌だな。

 って、カイル。

 あんたも微妙な顔してんな――なんだか、その顔だけで十分な気持ちだよ。

 ……なんでなんだろうな。


「――ってことで……ねえ、聞いてる?」

「えっ?」

「あっ? あぁ……」

「……じゃあ、言ってみてよ」


 やっべ、全然聞いてなかった。

 ――カイルは……あんたもかい。


「――まったく。じゃあ、もう一度言うからちゃんと聞きなさい? ドランが死んでカイルが王になったわけだけど、幸いなことに戦場のシンボルとして戦い続けたから今すぐに地盤を整える必要はないの」

「そうなの? ――いや、正直何いってんのかよく分かんないんだけど」

「別に良いわ。あんたにとって重要なのはそこじゃないし」

「なんだよ、お前。何様だよ」

「――で、続きなんだけど」

「おい無視かよ」


 ちらっとカイルの方を見れば何やら熱っぽくカティアを見ている。

 ――良かった、あんたが分かるなら、後で分かりやすく教えてもらおう。


「おまけに戦争のせいで財産も当てにならない――つまり、私とカイルの政略結婚の価値は最重要視されるものじゃなくなった。だから、結婚は延期――いえ、破棄するわ」

「へ? いやいや、お前。貴族社会じゃ婚約は当たり前って――」

「確かに『当たり前』だけど、私にだって好きな人くらい居るわよ。どうせ結婚出来るなら愛している人と結婚するわ」


 そう言ってカティアは背後に控えていた騎士をちらりと見て笑う。

 ――そう言う事かい。


「ま、情勢次第だけどね」


 騎士が露骨に落ち込む――だけど、あれ多分カティアに遊ばれているだけだな。

 大方、才女に振り回される苦労人ってところか。


「カティア。それじゃあ、僕の結婚相手は――?」

「そんなもん、自分で探しなさい。価値のある相手なら誰でもいいけど、自分の立場を良く考えることね」

「……そうだよな」

「ええ。だけど――」


 カティアは笑う。


「あまりベターじゃないけど、庶民ウケを狙って平民から妻を探すのも良いかもね」

「――へ?」

「それじゃ、私はもう行くから――カイル。自分にとって何が『最も大切な価値』であるかよく考えなさい。金や領土や兵士や……そんなものより重要なものってあるかも知れないしね。まぁ、私には思いつかないけど」


 そしてカティアはこれ見よがしに騎士の腕に抱き着きながら出て行った。

 ――なんだい、あれ。

 ――なんのつもりだい。

 ……なんなんだよ、アイツ。


「セリィ」

「……何よ」

「君、好きな人いるの?」


 ――ほら! 変な空気になっちまうだろうが!


「――言うわけねえだろ。それにそろそろ泥棒に戻ろうかと……ってうわっ!?」


 一瞬の隙をついてお姫様だっこをされる――。

 ちょっ、やめろ――恥ずかしい!

 つーか、この状態って何やっても逃げられなくね!?


「僕は君の事、結構好きなんだけど」

「いや! 知らねえよ!?」

「今、知っただろう?」

「いやいやいやいや! 知ったけども――!!」

「僕は君の気持ち知りたい」


 ――なっ! ちょっ!

 恥ずかしくて言えるはずねえだろ!?

 と言うか……顔が見れない!


 セリィは思わず両手で顔を隠した。


「観念しな、泥棒」

「……するかよ。観念したら縛り首だ」

「するわけないだろ? そんなこと」

「――うん。分かってるよ」


 顔を隠したまま大きくため息をつく。

 ――あー、もうなんでこんなことに。


「で、どうする? カティアの言っていた価値。僕にとって君が最も大きな価値なんだけど」

「……言わなきゃダメ?」

「ダメ」


 ――はぁ。

 このセリィ様が……こんな末路を辿るなんてね。

 まぁ……『セリィ』みたいにバラバラにされて女神になるより、こっちの方がよっぽどお似合いか。


「はよ言え」

「うるっさいな!」


 そう言いながらセリィはようやく両手を開き、カイルを見つめながら答えた。


「――私もあんたのことが……」



 ――後世に『再臨した風の女神』と語られる少女の言葉。

 それは今日も気ままに吹いている風にあっさりとすくわれて、世界の中へと溶け込んでいった。

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