遺書
遺書
手元にランプ、カーテンより漏れ出る夕陽の煌めきを頼りに、これは書かれている。もとより書くことなど無く、まして死に直面している状況下にあって、誰が冷静に、内情を淡々と紡げるだろうか。しかし書いている。私は、これを書くことだけは最初で最後、必須と考えていたからだ。お見苦しい文章となっていないことを願っている。
死ぬことに理由などない。ただ、今になって過去と未来とがそれぞれ壁となり、差し迫ってきたからこそ、苦しく憤死することのないよう、死ぬばかりである。私は絶望などしていない。希望の中に数多の生老病が姿をチラつかせ、目下に降り立つよう、きらきらと星を魅せるのである。私はその煌めきに魅入られてしまった。そして今、激しく光っている。輝きを無くすことのないよう、死ぬのだ。
死ぬことに際して、私は最も苦悩から離れ、簡単な希望性を表すために、どのように最期を迎えるべきか考えた。首吊り、飛び降り、切腹、練炭……どれもこの世と同じである。生きることは全て、緩やかな自殺に繋がっている。ではどのように……と考えた際ふと、私はウェルテルを思い出した。そう、拳銃である。
日本国において拳銃を入手することは容易ではない。しかしツテはあった。私は仕事柄、ロシアに一度滞在したことがある。あとはルートを敷くばかりであった。
脳幹。鉛を撃鉄にて発射し、貫く。それはそれは、真実の瞬間ためらうことを忘れてしまえば簡単なものである。刹那の熱と音のみが、私の意識を永久に葬ってくれるはずだ。
……しかし、結局なにがしたかったのだろう。書いてみれば呆気ないものである。ドラマや物語ではもっと情緒に溢れ、その死に際を彩ろうと躍起になっているではないか。やはり私は欠陥だ、塵芥なのだ。否、そも書く相手がいないこと、なのかも知れない。ただ、なにも遺さずにはいられなかったのだ。なにも残せなかった人生ゆえ、なのかも知れない。
もうすぐ文章は終わりだ。他に何も言い遺すことはない。悲しいかな、悲しいかな。しかし本当になにもない。無二の親友、愛してやまない者、そうしたものが何も無いのだ。この世は美しくも私に大事を教えてはくれなかった。恨みはしない。きっと死にゆく星の下に生まれたのだ。
なればこそ、私の見た星の輝きに魅入られる者は無くしてしまわねばならぬ。愛、友情、憎しみ、喪失、嫉妬、発露する感情の果てにこの星は、あってはならぬのだ。ならば私が連れて行こう、この星を。天に刺すその光を持ってゆこう。私が代わりに星となるのだ。
浅井 則文
* * *
「……これがなんだってんです?」そう尋ねた元木の口調は馬鹿らしい、と言わんばかりの抑揚である。その声を確かに佐久間は聞いていた。彼は己がアイデアとメッセージを必死に伝えるべく、普段は使わぬコミュニケーションのための思考をごうごうと働かせた。
しかし浮かび上がる文字の魚群に意味はなく、せせら笑うように脳裏の奥底へと沈んでしまう。次第に彼の頭からはすっかり忘れられてしまい、何を思い何を伝えたかったのか……瞬きする間、はらりと消えてしまっていた。