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97話:廃れた剣塚と、誰もいない道場

かつて多くの剣士たちが修行し、そして朽ちていった場所――剣塚。

 このエピソードでは、忘れ去られた技と想いを巡って、フィンが“受け継ぐ者”としての覚悟と意味を見つけ出します。

 戦うための剣ではなく、繋ぐための剣。その芯を静かに問い直す回です。

 セリアとのあたたかなやり取りにも注目していただけたら嬉しいです。

枯れ葉が舞う山道を、フィンとセリアはゆっくりと歩いていた。


 道の両脇には、朽ちかけた木の札が無数に立っていた。どれも人の手で彫られたものだが、時の流れに晒されて字はほとんど読めない。札には細い紐が括られ、そこに吊るされた小さな鈴が、風に吹かれて微かに鳴っていた。


 「……ここが、剣塚?」


 セリアが囁くように尋ねると、フィンは黙って頷いた。


 「“名もなき剣士たちの魂が眠る場所”……そう伝えられているらしい」


 どこか厳粛な空気が、二人の足を止めた。


 人の気配はない。だが、誰もいないはずの空間に、確かに“何か”がいるような気配があった。風は冷たく、どこからともなく土と錆の匂いが漂ってくる。


 「剣士の墓標……みんな、戦で亡くなったのかな」


 「それもあるだろう。でも、俺は思う。剣というものは、人の手を離れても、消えずに残る」


 フィンの言葉に、セリアは小さく首をかしげた。


 「でも……使われなければ、剣はただの鉄でしょ?」


 「いや。剣に込められた想い、技、それを受け継ごうとする者がいれば……剣は“生き続ける”」


 ふいに、どこか遠くで風が唸った。


 剣塚の奥へと続く石段が、視界の先に現れる。そこには、廃れた道場がひっそりと佇んでいた。屋根は崩れかけ、壁もところどころ割れている。だが、正面の扉だけは奇妙なほど整っていて、まるで“誰か”が今も出入りしているかのようだった。


 フィンが一歩足を踏み出す。


 ――カッ。


 石段を踏んだ瞬間、空気が変わった。霧が立ち込め、視界が歪む。背後のセリアの姿が、ぼんやりと霞みはじめた。


 「……フィン?」


 セリアの声が震える。


 だが、フィンはそのまま進んだ。


 道場の前に立つと、風がぴたりと止んだ。


 扉を押すと、軋む音を立てて開いた。中は埃にまみれながらも、どこか整っていた。木製の床には、無数の足跡――いや、“踏み締めた型”の痕跡が残っている。


 「……ここで、剣の稽古が……?」


 フィンは、足を踏み入れた。


     ◇


 その瞬間、空気が凍った。


 道場の奥から、白い影が現れた。


 それは人の形をしていたが、顔は見えない。布を巻いたような姿で、まるで“剣士の霊”そのものだった。


 剣を構える姿は、まさに型の教科書のように美しい。だがそこに宿る気配は、哀しみと未練――伝えることなく、消えていった者たちの想い。


 「……戦いたいのか?」


 フィンが低く呟くと、霊剣士は一礼した。


 次の瞬間――


 “カン”と、空気が割れたような音とともに、影の剣が襲いかかってきた。


 フィンは即座に抜刀し、霊剣士の斬撃を受け止める。


 「速い……!」


 風が走るような斬撃だった。構えに無駄がなく、まさに“技”だけが動いているかのような洗練された剣筋。


 フィンはそれを受けながら、ひとつひとつの技を“覚えて”いく。


 (この剣は、守りの型……いや、引き込みの剣か?)


 霊剣士は言葉を発さない。


 だが、その剣筋が語っていた。


 「伝えたいんだな……」


 フィンは一歩、前に出た。


 「その技を、誰かに。未来に」


 影の剣が一閃。フィンは受け止め、滑るように足を引いて間合いをずらす。


 ――カシャン。


 木床を蹴る音。フィンの剣が、風を纏った。


 「受け継ぐよ。君の剣を。名前もないその技を、俺の剣に――“風”として刻む」


 フィンが振るった斬撃は、空を切り、影を貫いた。


 影の剣士が、微かに頷いたように見えた。


     ◇


 霊は消え、道場に再び静寂が戻った。


 フィンは膝をつき、しばし呼吸を整える。


 そのとき、扉の外からセリアの声がした。


 「……大丈夫? 怖かったよ……」


 フィンは立ち上がり、振り返った。


 「怖くはなかった。……むしろ、嬉しかった」


 「嬉しかった?」


 「ああ。剣は、誰かが継ごうとすれば……生き続けるんだって、わかったから」


 フィンの背に、新たな風が吹いていた。


 それは、名もなき剣士たちの想いと共に生まれた、静かな風だった。

道場を後にしたフィンとセリアは、剣塚の奥に続く裏道を歩いていた。


 あたりには相変わらず、風に揺れる鈴の音と、風化した木札が並んでいる。そのすべてが、無名の剣士たちの“存在の証”だった。


 「さっき……何かと戦ってたの?」


 セリアが、後ろからぽつりと問いかける。


 フィンは足を止め、振り返って微笑んだ。


 「霊だった。……いや、あれは“想い”そのものだったのかもしれない」


 「怖くなかったの?」


 「うん。むしろ……どこか懐かしくて、切なかった」


 セリアの大きな瞳が、じっとフィンを見つめていた。


 「……その剣、風の中に“声”があるみたいだった」


 「聞こえた?」


 「うん。小さな声で、『ありがとう』って……」


 風が木々を揺らし、枝葉のざわめきが返事のように響いた。


     ◇


 二人が向かったのは、剣塚の最奥。そこには小さな祠と、いくつかの石碑が並んでいた。


 「“継承の碑”って呼ばれてるらしい。ここに剣士の名前や流派を刻む風習があったって」


 「でも、全部名前が消えかけてる……」


 セリアが近くの石碑をなぞるように指で触れる。


 フィンは、そっと腰から鞘を外し、自分の剣を碑の前に立てた。


 「剣を捧げる儀式……かな?」


 「違うよ。これは、“誓い”だ」


 フィンの声が、凛として響いた。


 「俺が受け継いだ剣――その技も、想いも、必ず誰かに伝える。どんなに名が残らなくても、“剣”が生きていた証を、未来へ」


 祠の奥から、一陣の風が吹き抜けた。


 風の流れは、まるで何者かの祝福のように柔らかかった。


     ◇


 石碑に背を向けたとき、セリアが小さく笑った。


 「……フィンって、なんだか変わってきたね」


 「そうかな?」


 「うん。最初は、もっと自分のことで手一杯って感じだったのに……今は誰かのことを想って剣を振ってる。……大人っぽくなった気がする」


 「それ、褒めてる?」


 「もちろん。私は、今のフィンのほうが好きだよ」


 ふいに、セリアが恥ずかしそうに視線を逸らした。


 フィンは一瞬、言葉に詰まりかけたが、照れ隠しのように笑って、


 「ありがとう。……でもまだ、俺は半人前さ。剣も、想いも、まだまだ途中だ」


 そう言って、そっとセリアの頭を撫でた。


 「でも、君がいてくれるなら――もう少し強くなれる気がする」


 セリアは、くすぐったそうに目を細めた。


     ◇


 陽が傾きはじめ、剣塚全体が赤く染まっていく。


 その色はまるで、かつてここで命を散らした者たちの“灯火”のようだった。


 「ねえ、フィン」


 「ん?」


 「さっきの技……名前、つけないの?」


 「名前?」


 「うん。受け継いだ技に、フィンが込めた想いを込めて、あたらしい“名前”を」


 フィンは少し黙って考え、やがて静かに口を開いた。


 「――《風継の構え(ふうけいのかまえ)》」


 「ふうけい?」


 「風に継ぐ。風が運んだ技と想いを、自分の剣に刻むって意味で……」


 「うん、素敵だね」


 セリアが微笑むと、どこかでまた、風鈴のような鈴の音が鳴った。


     ◇


 帰り道、二人は言葉少なに歩いていた。


 だが、その沈黙は重くなかった。言葉ではなく、互いの“気配”が確かに通じ合っている――そんな空気があった。


 フィンはふと、剣の柄に指を添えた。


 その中に、確かに感じるものがあった。


 風のように優しく、鋼のように強い“意志”。


 「ありがとう」


 フィンは心の中で、あの剣士たちにそう告げた。


 そしてまた、新たな一歩を踏み出す。


 名もなき者たちの道を、自らの歩幅で。

翌朝、霧の中に佇む剣塚には、誰の気配もなかった。


 朝露を含んだ空気は、ひんやりと肌を撫で、時折風が古びた木々を揺らすたび、葉と枝がかすかな音を立てる。そんな静謐な中、フィンとセリアは再び“無人の道場”を訪れていた。


 「……ここで、もう一度稽古をしてみたい」


 フィンが呟いた。


 前日、“剣士の霊”と刃を交えた場所。床板の隙間から差す朝の光が、まるで舞台のスポットライトのように中心を照らしていた。


 「一人で?」


 「いや、セリア。君にも手伝ってほしい」


 セリアは少し驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。


 「うん、わたしで良ければ!」


 二人は正面に向かい合い、それぞれの得物を握り締めた。


     ◇


 木剣と短杖が、空気を切る音とともにぶつかり合う。


 足さばき、視線、呼吸、距離感。どれもが、昨日までとは違っていた。


 フィンの剣からは、確かに“変化”が感じ取れた。


 動きに無駄がない。力強さの中に、かすかな“しなやかさ”がある。それは、昨日までの彼にはなかった感覚だ。


 「……当たらない」


 セリアが悔しそうに唇を噛んだ。


 「いい動きだよ、セリア。でも、君の癖はまだ残ってる」


 「えっ、どこ?」


 「左足を引くとき、重心が少しだけ浮いてる。そこを狙ってる」


 「うわ……そんな細かいところ……」


 「君との稽古だから気づけた。ありがとう」


 フィンは、柔らかい笑みを浮かべながら木剣を下ろした。


 セリアも、肩で息をしながら笑った。


 「うん、なんか……強くなったね、フィン」


 「技だけじゃない。昨日のあの霊剣士たちが、何かを“残して”くれたんだ」


 フィンの言葉に、セリアの表情が静かに変わった。


     ◇


 二人が道場の縁側に腰を下ろすと、曇っていた空がようやく晴れ始めていた。


 「……でもさ、あの人たちはどうしてフィンに技を見せたんだろう」


 セリアがぽつりと呟いた。


 「残したかったんだと思う。“誰にも受け継がれなかった剣”を、誰かに託したかった。名は消えても、技は残るって信じてたから」


 「悲しくないの?」


 「悲しいよ。でも、それが彼らの誇りだった」


 フィンはそう言って、空を仰いだ。


 風がまた、静かに吹き抜けていく。今度の風は温かく、どこか懐かしい香りを運んできた。


 「剣って不思議だよね。ただの刃なのに、人の想いを込められる」


 セリアの言葉に、フィンは頷いた。


 「剣は人を傷つける道具だけど――想いを込めれば、誰かを“救う”こともできる」


     ◇


 その時だった。


 道場の奥から、また微かな風の音が聞こえた。


 フィンは立ち上がり、そっと奥へと歩を進める。セリアも後を追う。


 すると、誰もいないはずの空間に、一瞬だけ“人の姿”が映った。


 それは、ひとりの老剣士の幻だった。


 髪は白く、背筋は伸び、片膝をついたまま剣を構えている。


 フィンは驚いたが、恐れなかった。


 老剣士の口が、声にはならない言葉を紡ぐ。


 ――“その剣は、誰かのために振れ”。


 次の瞬間、姿はすっと消え、風のように道場から抜けていった。


 セリアは目を丸くしていた。


 「今の……見えた?」


 「うん、見えた。……ありがとうって言ってた気がする」


 フィンは剣を腰に収め、深く頭を下げた。


     ◇


 道場を出た二人は、最後にもう一度、剣塚の前で足を止めた。


 草むらに埋もれていた小さな札が、風で表に返る。


 そこには、かすれかけた文字が残っていた。


 ――“剣を捨てるな。想いを託せ”。


 それを読んだ瞬間、フィンは小さく笑った。


 「……捨てないよ。もう、絶対に」


 「うん。フィンの剣は、ちゃんと“生きてる”から」


 セリアがそっと彼の手を握る。


 そのぬくもりが、何よりも力強かった。

その夜、フィンは道場の片隅に薪を集め、簡素な焚き火を焚いた。風の抜ける板張りの建物は夜露でしっとりと湿っており、軋む音があちこちから聞こえてくる。


 道場の中心には、誰もいない。だが確かに、そこに剣士たちの“気配”があった。


 セリアは眠りにつき、隅の藁布団の上で静かに胸を上下させていた。フィンは火を見つめながら、ひとり剣を膝に置き、深く息を吐く。


 「……剣を継ぐ、か」


 誰ともなく呟いた言葉に、風が答えることはない。


 しかしフィンには、あの老剣士の幻影がまだ瞼の裏に残っていた。戦った相手、語りかけてきた存在――そして、技を託してくれた“名もなき剣士たち”。


 (継ぐ、とはどういうことだろう)


 剣の形を真似ることではない。型を覚えることでもない。


 では――想いを受け継ぐ、ということか?


 火がパチ、と音を立てて弾けた。オレンジの光がフィンの頬を照らし、静かな闘志のように燃える。


 彼は立ち上がり、木剣を握って道場の中央へ向かった。


     ◇


 「……見ていてくれ」


 そう小さく呟き、構える。


 それは昨日までの技とは異なる、“風”と“記憶”が織り混ざった動き。


 踏み出す。


 払う。


 回す。


 そして――斬る。


 一振りごとに、剣士たちの幻影が背後で寄り添うように重なる。


 若き剣士が肩越しに笑う。


 壮年の武人が無言で頷く。


 老いた達人が目を閉じ、構えをなぞるように併せる。


 全員が、生きていたころと同じように、そこに“いた”。


 (伝える、というのはこういうことなのかもしれない)


 汗が額を伝い、背を流れる。


 だがその額には疲労の色はなく、むしろ清涼な風に晒されたような凛とした表情が浮かんでいた。


 「剣は……死なない」


 ふと、声が漏れた。


 「人がいて、想いがあって……それを継ぐ者がいれば、どれだけ古くても……生き続ける」


 振り下ろした最後の一太刀が、夜風を裂いた瞬間。


 刹那、道場の天井が音もなく震え、梁の上から古い札が舞い落ちてきた。


 それは“奉納札”と呼ばれるもので、剣士たちが名前と決意を記し、道場に掲げるためのものだった。


 札は火の前に落ち、文字の一部が読めた。


 ――『名は要らぬ。剣に生き、剣に死す。それでよい』


 フィンはそれを拾い上げ、しばらく無言で見つめたあと、静かに再び縁側に戻った。


     ◇


 月明かりの下、夜は深まっていた。


 セリアが目を覚ましたのは、その少しあとだった。


 「……フィン?」


 眠たげな声で彼の名を呼ぶ。


 フィンは振り返り、焚き火を見つめていた顔に微笑を浮かべた。


 「起こしちゃったか」


 「……ううん。なんか、夢を見たの」


 「どんな?」


 「剣士の人たちが……何人も、あたたかい目でわたしを見てた。怖くなかった。……むしろ、包まれてる感じだった」


 セリアはそう言って、彼の隣に腰を下ろす。


 「きっと、それは本物だよ。君も……受け取ったんだ」


 「受け取った?」


 フィンは頷いた。


 「君の中にも、彼らの想いが残ったんだ。きっと、君が笑っていたから。迷いなく、まっすぐだったから」


 セリアは少し照れたように鼻をすすった。


 「……じゃあ、わたしも“剣を継いだ”って言えるのかな」


 「そう思うよ。形じゃなくて、想いが通じれば、それはもう立派な“継承”だ」


 月が雲間から顔を出し、二人の影を淡く地面に落とす。


 セリアはそっと、フィンの肩に頭を預けた。


 「ねえ、フィン。わたし、あなたの剣が好き」


 「えっ……」


 「誰かを守るための剣。想いを受け継ぐ剣。……わたし、そういうの、好き」


 フィンは言葉を返せなかった。だがその沈黙は、優しいものだった。


 「ありがとう、セリア」


 やがて焚き火が小さくなり、二人は並んで空を仰いだ。


 ――この剣は、誰のために。


 今はまだ、答えきれないかもしれない。


 けれど確かに、“誰かの剣”になるための一歩を、彼は今日、踏み出したのだった。

ご覧いただきありがとうございました。

 第97話では、廃れた道場と剣士たちの想いに向き合うフィンの姿を通じて、「継承とは何か」「技は死ぬのか」を描きました。

 名もなき剣士の技が“風の剣”に宿る瞬間、静かな感動を感じていただけていたら幸いです。


 ぜひ、感想・レビュー・ブックマーク・評価などで応援いただけると励みになります!

 最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。

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