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92話:流民の村、焦がれた日常

かつての戦火に家を焼かれ、国を追われた人々が、それでも“生きる”ために選んだ土地。

 今回の舞台は、辺境に生まれたばかりの流民の村――まだ地図にも載らない小さな集落です。


 地を這う魔獣が出没し、生活の基盤を脅かす中で、フィンは剣を抜きます。

 それは“倒すための剣”ではなく、“守るための剣”。


 そして、村の子どもが口にした一言は、彼の歩む道に新たな光を灯してくれるでしょう。

 静かに、でも確かな感情が芽吹く回。どうぞご覧ください。

谷を越えた風が、乾いた地を駆け抜けた。


 陽射しは強く、空には雲ひとつない。目の前に広がるのは、草木もまばらな丘陵地帯。その先に、小さな村の影がぽつりと見えていた。


 「……あれが、噂の“開拓村”か」


 フィンは手をかざして遠くを見やり、そう呟いた。


 「元は難民だった人たちが、自分たちだけで村を作ってるって話だったよね?」


 セリアが隣で歩調を合わせながら問いかける。いつもと違って彼女の表情は少し曇っていた。風祈りの里で過ごした穏やかな時間の余韻とは対照的に、ここには焦土の気配が残っていたからだ。


 「そうだ。戦争で国を追われ、家を焼かれた人たちが……希望だけを頼りに、土地を耕してる。でも……」


 「でも?」


 「この辺り、“地を這う魔獣”が出るらしい。普通の魔物より執拗で、地形も選ばず這いずり回る。農作業をしていると、地面から突然現れるらしい」


 セリアの小さな肩が、ぴくりと震えた。


 「……それって、普通に考えて無理じゃない?」


 「そう。でも、彼らは逃げなかった。俺たちが行く理由は、そこにある」


 セリアは黙って頷いた。そして、その手を胸元にそっと添えた。


 「私、あの子たちに会いたいな。……きっと、すごく強い子たちだと思う」


     ◆


 村に到着したのは、昼を少し過ぎた頃だった。


 柵もまばらな境界線。瓦礫で囲っただけの簡素な家々。空気は乾き、地面には踏みしめられた足跡が無数に刻まれていた。


 「おい、誰か来たぞ!」


 警戒するような声が上がり、数人の大人が姿を現した。その中に、ひときわ大きな鍬を担いだ男性がいた。顔には疲労が刻まれているが、目だけは鋭く光っていた。


 「旅の者か?」


 「ああ。俺はフィン。この地の噂を聞いて、少しでも力になれればと思って来た」


 男はじっとフィンを見つめ、それからセリアに目を移した。


 「……子どもまで連れてるのか」


 「私はセリア。子どもですけど……戦えますよ?」


 セリアが胸を張ると、男の顔にわずかな笑みが浮かんだ。


 「……面白い子だな。セリア、だったな?」


 「はいっ!」


 「覚えておこう。……俺はバレン。ここの村をまとめてる」


 バレンと名乗った男は、少しの間逡巡したのち、二人を村の中心へと案内した。


 「見せてやる。俺たちの“日常”をな」


     ◆


 村の広場では、子どもたちが作業を手伝っていた。


 まだ幼い少年少女が、土をならし、杭を打ち、水桶を運んでいた。だが、あまりに無防備だ。何かが地面から這い出てきたら、ひとたまりもない。


 「子どもまで……危なくないの?」


 セリアが声をひそめると、バレンは首を振った。


 「大人だけじゃ、村を支えられない。子どもたちも分かってるさ。ここで暮らす以上、自分たちも“守る側”なんだって」


 その言葉に、フィンは拳を握った。


 この村の子どもたちは、生きることと戦うことを天秤にかけて、前者を選んでいる。だが、それが正しいとは思えなかった。


 「……今夜、俺が見回る。地を這う魔獣が出るというなら、俺の剣で迎え撃つ」


 「いいのか?」


 「ああ。そのために来たんだからな」


 セリアも隣で頷いた。


 「フィンは……誰かを守るための剣を持ってるから」


     ◆


 その夜、村には再び“地鳴り”が走る。


 地面が震え、遠くで家畜が鳴く声が聞こえた。


 フィンは静かに立ち上がり、腰の剣に手をかけた。


 “守るための剣”が、いま抜かれようとしていた。

風が止むことのない夜だった。村の空には星が瞬いていたが、地面からは絶えず微かな震動が伝わってくる。まるで、大地そのものが何かを警戒しているかのように。


 フィンは村の外れ、小高い丘の上に立っていた。手にはいつもの剣。そして、視線は地平線の向こうを捉えている。闇の中に潜むものの気配を、彼の身体は確かに感じていた。


 「……来る」


 その一言と共に、大地が唸るように揺れた。


 土が割れ、そこからぬらりと現れたのは、這いずるように進む巨大な魔獣。黒い甲殻に覆われた身体は、まるで岩のように硬質で、節々に生えた棘が月光を反射して鈍く光った。


 「やっぱり……こいつか」


 フィンは静かに剣を構えた。村を襲っていたのは、かつて彼が討伐に加わった“地潰し”の変異種に酷似していた。地を這い、地形を選ばず、獲物を見つけると地面から突然飛び出す、執拗で危険な存在。


 背後から足音が聞こえた。


 「フィン! セリアも来てるよ!」


 少年の声だった。昼間、畑で杭を打っていた少年――ライクが、興奮気味に駆け寄ってきた。セリアも後ろにいて、風に髪をなびかせながら言った。


 「私も戦える。あの時、あの歌で風が鎮まったように……きっと、できる」


 フィンはわずかに首を振った。


 「今回は剣でいく。……子どもを前に出すような真似はしない」


 「でも……」


 「見ててくれ、セリア。俺は“守る”ってことを、この剣で証明したい」


 魔獣は這い寄る。その動きはまるで影が伸びるように、不気味で、しかし無駄のない鋭さを帯びていた。


 フィンは一歩、また一歩と前へ出た。


 月光に照らされる中、剣が抜かれる音が響く。


 風が、一瞬止まった。


     ◆


 次の瞬間、地面を蹴ってフィンが飛び出す。魔獣の顎が開き、鋭い牙が月明かりを掠めた。


 だが、剣は恐れずにその隙間へと突き進む。


 甲殻と金属がぶつかる、甲高い音。火花が散り、フィンの剣は深く魔獣の肩に突き刺さった。


 呻くような声を上げて魔獣が後退する。しかし、フィンはすかさず追い打ちをかけた。


 跳び、回り込み、斬り上げる。その剣筋は迷いがなかった。


 「退け!」


 叫びと共に放たれた一閃が、魔獣の片脚を切り裂いた。大地にのたうつように倒れこみ、体液が地面を焦がす。


 村の子どもたちが息を飲む中、フィンの姿は月下に浮かび上がっていた。


 「これが……“守るだけの剣”か……」


 ライクが小さく呟く。隣のセリアが、その横顔を見つめた。


 「ねえ、フィン」


 「……ん?」


 「剣って、人を斬るためだけにあるわけじゃないんだね」


 「それを、やっと少しだけ理解できた気がする」


 夜の静寂が戻る。だが、そこにあったのは不安ではなかった。


 命を守るための戦い。そこには確かな意味があった。


 セリアはそっと呟いた。


 「……あなたの剣、好きだよ」


 フィンは照れくさそうに笑って、剣を鞘に収めた。


     ◆


 翌朝、村の空気はどこか柔らかかった。魔獣の気配が去ったことを、誰もが肌で感じていた。


 子どもたちは早くから畑に出て、再び鍬を振るっていた。昨日の緊張が嘘のように、日常がそこに戻っていた。


 フィンが村を発とうとしたその時、ライクが駆け寄ってきた。


 「フィン!」


 「ん? どうした?」


 ライクは目を輝かせて言った。


 「俺、お前みたいに強くなりたい!」


 その言葉に、フィンは目を見開き、ゆっくりと笑った。


 「なら、まずは毎日鍛錬だな。それと、誰かを守りたいって気持ちを忘れないこと」


 「うん、わかった!」


 その光景を見つめながら、セリアは小さく呟いた。


 「希望が、根を張り始めてる……」


 そう、焦土だったこの土地に――小さな日常の芽が、確かに芽吹いていた。

夜は静かに訪れた。だが、その静寂は決して安らぎではなく、張り詰めた空気に包まれていた。


 流民の村は、昼間の陽気な喧騒が嘘のように、灯火を最小限に抑え、まるで息を潜めるようにして夜を迎えていた。


 フィンは村の外れ、広場から少し離れた小高い丘の上に立っていた。そこは村全体を見下ろせる位置であり、同時に“地を這う魔獣”が最もよく現れるとされる土地でもある。


 風はなく、星だけが瞬いていた。


 地面には、不規則に走るひび割れ――地中を這い回った何かの通った痕跡が残っている。


 「……来る」


 微かな気配が、地の底から上がってきた。


 足裏に伝わる震動。それは、地鳴りというには小さすぎるが、確かに“何か”が近づいていることを告げていた。


 フィンは剣の柄に手を添えた。刀身に刻まれた風紋が、うっすらと光を帯びる。


 「風よ……護れ」


 小さく呟き、剣を抜く。その瞬間、足元の地面が弾け飛んだ。


 灰色の皮膚。無数の目。土を割って現れたのは、蛇にも虫にも似た異形の魔獣だった。腹ばいのまま這いずるその姿は、地を舐めるように滑り出てくる。


 「ッ……!」


 フィンは剣を振るった。風を帯びた一閃が、魔獣の腕に当たる――が、硬い表皮に弾かれた。


 「……くっ、固い……!」


 次の瞬間、魔獣の尾がしなる。フィンはその動きを見切って飛び退いた。尾が地面に打ちつけられ、土煙が舞い上がる。


 「フィン!!」


 声がした。振り返ると、セリアが駆けてきた。手には小ぶりな魔導杖を握っている。


 「来るな、危ない!」


 「でも……!」


 その時、魔獣の第二波が現れた。今度は二体。同じように地面を割って、村の柵を突き破る。


 「……数も来るのか……!」


 フィンは歯を食いしばりながら、足元の風を強めた。足にまとった風の魔力が、一気に加速を生む。


 「行くぞ――!」


 剣が、風のうねりを纏って唸る。一体の魔獣に接近し、その顎に向かって斬撃を浴びせた。今度は貫通した。風が裂け目を穿ち、魔獣の体液が飛び散る。


 セリアもまた、詠唱を終えていた。


 「――精霊の息吹よ、敵を払え!《風穿の弓》!」


 杖から放たれた矢が、二体目の魔獣の背中を貫いた。そのまま追撃の魔力が内部で炸裂し、悲鳴のような声が上がる。


 「……セリア、助かった!」


 「そっちこそ、まだ来るわよ!」


 村の方から、大人たちが松明を手に駆けつけてくる。


 「フィン、そっちは任せろ!」「こっちの柵は守る!」


 バレンが先頭で叫び、斧を振りかざして魔獣に向かっていく。


 ――彼らは、逃げない。


 この村の人々は、剣や魔法を持たなくとも、“ここで生きる”という意志を持っていた。


 それに応えるように、フィンの剣が再び風を纏う。


 「……この剣は“守る”ためにある。だったら――ここを、守る!」


 最後の一体に、フィンが駆ける。


 夜の風が吹いた。谷を越え、村を通り抜けて――剣に宿る。


 そしてその一閃は、確かに魔獣の首を断ち切った。


     ◆


 夜が明けた。


 村は静かだった。昨夜の戦いの痕跡が、まだあちこちに残っていたが、人々の顔には笑みが戻っていた。


 子どもたちは、小さな声で話していた。


 「昨日、剣が光ってた!」「風が斬ったの、見た?」


 その中に、一人の少年がいた。


 痩せた身体。日焼けした肌。だがその瞳だけは、まっすぐフィンを見つめていた。


 「なあ、お兄ちゃん……」


 フィンが振り返ると、少年は胸を張って言った。


 「おれ……お前みたいに、強くなりたい!」


 その言葉に、フィンは少し驚いたように目を見開いた。


 だが次の瞬間、ふっと笑って少年の頭を撫でた。


 「なら、まずは今日も畑を耕せ。それがこの村の戦いだ」


 少年はこくりと頷いた。


 その姿に、セリアがそっと寄り添い、囁くように言った。


 「……誰かに憧れて、誰かを守りたいって思える気持ちって、きっと……すごく、大事なものなんだよ」


 フィンは黙って頷いた。


 守るための剣。


 戦うためじゃなく、“日常”を築くための剣。


 その意味が、ようやく――胸に落ちた気がした。

風が変わったのは、昼過ぎのことだった。


 昨日まで重たく湿っていた空気が、どこか軽く、優しいものへと変わっていく。村の空を渡る風に、かすかな香りと清涼な気配が混じっていた。


 「……魔獣の臭いが、消えてる」


 畑の片隅で、そう呟いたのはバレンだった。鍬を持ったまま、何度も地面を踏みしめている。


 「下からの震動もない。……完全に、退いたらしいな」


 村人たちの表情にも、少しずつ笑みが戻っていた。


 土を耕す手に、力がこもる。子どもたちも水汲みや草取りに精を出し、誰もが“今日の一日”を積み上げようとしていた。


    ◇


 村の小さな広場では、臨時の炊き出しが行われていた。


 セリアは、髪を後ろで束ね、袖をまくって鍋をかき混ぜていた。意外にも手際が良く、子どもたちからも「セリア姉ちゃん」と親しまれていた。


 「はい、できたよ。ちょっと塩きつめだけど、これで午後も頑張れるね」


 「ありがとー!」


 駆けていく小さな背中を見送って、セリアはほっと息をついた。


 「……ここ、好きかもしれないな」


 彼女の横に立っていたのはフィンだった。


 鍋のふちに指を添え、かすかに鼻を動かして匂いを確かめている。


 「焦げてない?」


 「うん。美味そうだよ」


 二人の視線が自然と合う。


 そして、短く笑い合った。


 「……守るって、こういうことなんだね」


 セリアの言葉に、フィンは静かに頷いた。


 「そうだな。ただ敵を斬るんじゃない。こうして、日常をつなぐために……剣を使う」


    ◇


 昼下がり、村の一角で小さな集会が開かれていた。


 大人たちが輪になり、その中心でバレンが立っていた。


 「昨日のこと、忘れない。フィンとセリアのおかげで、俺たちは村を捨てずに済んだ」


 彼は深く頭を下げた。


 続いて他の村人たちも、一斉に頭を垂れる。


 「助かったよ……本当に……」


 「ありがとう、ありがとう……!」


 その様子に、フィンは思わず背筋を伸ばした。


 彼らの感謝は、礼儀でも義務でもない。心からのものだった。


 「……でも、これは俺一人の力じゃない。戦ったのはみんなだ。バレンさん、あなたも、村の子どもたちも」


 そう言って、村の少年に目を向ける。


 昨日の朝、「おれも強くなりたい」と言ったあの少年が、照れくさそうにうつむいていた。


 「君が言ってくれた言葉、うれしかったよ」


 「……うん。でも、まだまだなんだ」


 少年が顔を上げる。


 「フィン兄ちゃんみたいに、俺も剣を振るいたい。でも、俺には力も、魔法もない」


 「そうか。でも、それでも“なりたい”って思えるのが、始まりだ」


 フィンは一歩近づき、膝をついた。


 そして、真っすぐに少年の目を見た。


 「強くなってくれ。誰かのために立ちたいって思える、その気持ちだけは、絶対に忘れるな」


 「……うん!」


 少年は力強く頷いた。


    ◇


 その夜、村では小さな祝いが開かれた。


 とはいえ、酒も肉もない。


 焚き火を囲み、わずかな野菜を煮込んだスープと干し果物。それでも、村人たちの笑い声は、どこまでも優しく響いていた。


 「……いい村だな」


 フィンが呟いた。


 その隣では、セリアが膝を抱えて星を見上げていた。


 「ねえ、フィン」


 「ん?」


 「私たち、いつか……こういう場所に“戻ってくる”こと、できるのかな?」


 「どういう意味だ?」


 「ほら……旅が終わって、戦いが終わって。そうしたら、こういう場所で――ただの人として、暮らせるのかなって」


 フィンは少し考えて、それから目を細めた。


 「……きっと、できるよ。そう信じよう」


 「うん。じゃあ、そのときは私、村の小学校の先生になる!」


 「先生?」


 「そう、子ども好きだもん。……あと、料理もちょっとだけ上手くなったし」


 フィンは小さく笑った。


 その笑みに、セリアもつられてくすりと笑い返す。


 夜空には、無数の星が瞬いていた。


 この村に、生まれたばかりの“日常”があった。


 そしてその日常は――剣ではなく、人の手と、心とで、静かに守られていくのだ。

今回の物語では、フィンにとって“力”の意味が少しだけ変化しました。

 争いの只中ではなく、誰かの“日常”を守るという選択。剣士としてではなく、人としての在り方が問われる回だったかと思います。


 セリアとのやりとりも、以前よりずっと穏やかで優しいものになっています。

 旅の途中で出会ったこの村が、二人にとって「帰りたい」と思える場所になったらいいな――そんな願いも込めました。


 次回は、新たな脅威と、“予兆”の始まり。

 またお付き合い頂けたら嬉しいです。

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