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87話:港町の血煙、双剣の海賊

フィンにとって初めての港町――そこには海の香りと共に、暴力と絶望が満ちていた。

 王都の目も届かない交易都市セレヴィエ。その港を牛耳るのは、武力と恐怖で民を支配する“海賊頭”。

 だが、群衆の前で剣を振るったのは、ただの旅人ではなかった。


 「試合に名を借りた処刑」――そんな狂気の舞台に、フィンは仮面を脱ぎ、真の剣を掲げて立つ。

 傍らには、かつて囚われていたエルフの少女・セリア。そのまっすぐな瞳が、誰よりも彼の戦いを信じていた。


 本章は、フィンの剣が“伝説”へと昇華する、分岐点の物語です。

潮風が、ぬるく頬をなでた。


 港町セレヴィエ。

 王国南西部に位置するこの町は、かつて交易と漁業で栄えた歴史を持つ。だが今、その美しさの裏には、ある陰が落ちていた。


 「ここが……港町か」


 フィン・グリムリーフは、丘の上の見晴らし台から眼下の町を見下ろしていた。

 彼の瞳に映ったのは、白壁と赤屋根が立ち並ぶ温暖な港町。だが、どこか活気がない。市場は半ば沈黙し、海辺の倉庫には兵士の姿すら見えない。


 「初めて見るよ、こんなに大きな海」


 思わずそう漏らすと、隣でローブを翻した少女が微笑んだ。


 「本当に、山育ちなんだね、フィンは」


 セリアは風にさらされた銀髪を押さえながら、フィンの横に立った。透き通るような青緑の瞳が、海の色と重なる。


 「そうだよ。小さな川のせせらぎはあっても、こんなに広い海なんて……見たことない」


 潮の香り。遠くで響くカモメの声。木造の桟橋を打つ波の音。

 それは、彼にとってまったく新しい世界だった。


 だが、その美しさの中に、違和感もある。


 船の数が少ない。

 港町にしては漁船や商船の出入りがほとんど見られない。桟橋には警備兵らしき者もおらず、波止場の倉庫は封鎖されたままだ。


 「……本当に、海賊が出るんだね」


 「うん。この町の南にある海域は“血煙の海”って呼ばれてる。何度も被害にあって、王都からの支援も滞ってるみたい」


 セリアが持っていた地図を広げ、いくつかの地点を指さした。

 そこには、赤い印と“消失”の文字がいくつも記されている。


 「王国の軍船が動かないのは……?」


 「表向きは“予算不足”。だけど、本当は……この町が政治的に切り捨てられたって話もある」


 セリアの声は沈んでいた。

 港の守りを任されていた貴族が、最近失脚し、後任が決まっていない。その間隙を突くように、海賊たちが活動を活発化させたのだ。


 「……だから、冒険者に依頼が来たんだね」


 「うん。しかも、今回は“決闘”という形で」


 海賊――その中でも特に悪名高い、“双剣のガルヴァ”と呼ばれる男が、堂々と町に現れ、自らに挑む者を“試合”として受け入れるという形を取っていた。

 その試合は、形こそ見世物じみていたが、実際は見せしめと支配の演出。

 挑んだ者は例外なく斬られ、観衆の前に晒される。


 「フィン、本当にやるの……?」


 セリアが不安げに声を落とした。

 いつもは理性的で冷静なフィンが、今回はすぐに“戦う”と答えたからだ。


 フィンは彼女の方を見て、にこりと微笑む。


 「セリア。この町の人たち、目を逸らしてた。怖がってるんだ。でも、剣を抜かなきゃ何も変わらないなら――俺が抜くよ」


 そう言って、腰の剣に手を添えた。

 その手は小さくとも、覚悟の光を帯びている。


 「……わかった。でも、絶対に無茶はしないで。私は、あなたの“盾”にはなれないから」


 「うん。大丈夫。今回は“試合”だからね」


 セリアの視線を受けながら、フィンは港町の坂を下りていった。

 その背中に、海風が吹く。


 港町セレヴィエ――。

 彼が初めて訪れた海の町で、伝説の剣士“剣王”としての物語が、静かに幕を開けようとしていた。

セレヴィエの中心部――かつて賑わいを見せていた広場には、異様な静けさが漂っていた。


 中央に設えられた円形の競技台。そこに、鉄板のような無骨な足音を響かせながら、ひとりの男が現れる。


 「本日もまた、挑戦者が来るとはなあ……」


 甲高く、そして不快に響く声だった。

 双剣の海賊、ガルヴァ。

 肩に引っかかった赤い外套、二本の刃を逆手に携えたその姿は、すでにこの町の子どもたちの“悪夢”として語り継がれ始めている。


 「前に出てきた若造は、腕も度胸もあったが……泣いて死んだな」

 「今日のやつは、どうだ?」


 観客席にいるのは、怯えと諦めの混じった町民たち。

 本来、祭りや催しが開かれるはずだったこの場所は、今や“公開処刑”の舞台となっていた。


 だが――そこに現れた影が、空気を変えた。


 「……名を訊かれたら、名乗るものか」


 フィン・グリムリーフは、静かに競技台に足を踏み入れた。

 身なりはごく普通の旅装、腰には一本の細剣。

 身長は海賊の肩にも届かず、まだ少年とも呼べる容貌。


 しかし、その足取りは迷いなく、その目は曇りなかった。


 「おう……ガキじゃねえか。おいおい、本気かよ」

 「おい、誰か止めろよ、こんな子供!」


 観客からも驚きと動揺の声が漏れ出す。

 だが、その声に対し、フィンは微笑んだだけだった。


 「子供かどうかは……剣を交えて、確かめてみればいい」


 静かに、だが確かな声音だった。


 ガルヴァの唇が吊り上がる。


 「いいだろう。派手に泣き叫べよ、小僧!」


 その瞬間、二本の剣が閃き、斜めからフィンの肩口へと襲いかかる。


 ――速い。


 だが、それは“予測通り”の動きだった。


 フィンの身体は、風のようにひとつ身を沈めると、右足を軸に反時計回りに跳ね、相手の背に回り込む。


 「ッ……!?」


 ガルヴァの動きが一瞬、止まる。


 その隙を逃さず、フィンの剣が一閃。


 金属の甲冑に火花を散らし、海賊の外套の一部を裂く。


 「……やりやがったな!」


 ガルヴァの顔に、今度は嘲りではなく、苛立ちと警戒の色が宿る。


 「てめぇ……どこで剣を習った……!」


 「野原と、山道と……仲間との旅路で」


 フィンは答えながら、構えを崩さない。

 ガルヴァの双剣は、速くて重い。接近すれば瞬時に切り裂かれるが、同時に大きな隙も生まれる。


 「こいつ、ただのガキじゃねえ……!」


 観客席の町民たちも、固唾を呑んで見守っていた。

 あの“悪夢の海賊”が、初めて本気の構えを見せている――そう感じ取れるほどに、場の空気が変わっていた。


 ――フィン、気をつけて。


 そのとき、観客の陰から、セリアの視線が届いた気がした。


 町の裏通りに回った彼女は、離れた場所からフィンを見守っている。


 (……君を、見捨てるようなことは絶対にしない)


 彼女の心の声が、フィンの背を押す。


 ガルヴァが叫ぶ。


 「終わらせてやるよ、小僧!」


 刃が唸り、回転するように突っ込んでくる双剣。


 ――だが、その動きはすでに、見切った。


 フィンは右へ、左へと二歩で位置をずらし、空間に“罠”を張るように足を運ぶ。


 そして、迎え撃つように一歩踏み出した。


 「――“風斬り”」


 細剣が描いたのは、風の弧。


 その一撃は、双剣の間をすり抜け、ガルヴァの右腕の装甲を砕いた。


 「がっ……!」


 剣が弾かれ、ガルヴァの片手が空を切る。


 フィンはすかさず身を低くし、体勢を崩した相手の背後に滑り込む。


 そして――


 「これで、終わりだ」


 背後からの一閃。

 ガルヴァの肩口に剣が突きつけられ、観客がどよめく。


 その場に響いたのは、剣の落ちる音と、誰かのすすり泣きだった。


 「勝者……挑戦者、フィン!」


 誰かが叫んだ瞬間、町中に歓声が巻き起こった。

夕陽が傾き始めたセレヴィエの港に、再び人々のざわめきが戻りつつあった。


 フィンがガルヴァを倒した――その報せは、瞬く間に町じゅうに広がり、しばらくぶりに広場が“歓喜”という感情で満たされていた。


 町の子どもたちは興奮気味に飛び跳ね、大人たちも信じられないという顔で、何度も口にする。


 「……あの子が、本当に……!」


 「信じられるか? ガルヴァを倒したんだぞ……!」


 その様子を、広場の隅で見ていたセリアは、ほっと胸をなでおろしていた。


 フィンは剣を収め、人々の前に出ることもせず、静かにその場をあとにしようとしていた。


 だが、その後ろ姿を、ひとりの少年が呼び止めた。


 「お兄ちゃん……!」


 小さな手が、フィンの手を掴んだ。


 目を潤ませた少年は、あの海賊たちに家族を脅されていた、魚屋の息子だった。


 「お兄ちゃん、ありがとう……!」


 フィンは一瞬、言葉を失いかけたが、すぐに優しく微笑み、少年の頭をそっと撫でた。


 「怖かったね。でも、もう大丈夫だよ」


 その言葉に、少年は涙をこぼしながら、フィンの腰に抱きついた。


 しばらくの沈黙――その後、周囲から拍手が自然と沸き起こった。


 まるで、誰かが号令をかけたかのように。


 「……ありがとう……!」


 「おお、勇者さま……!」


 「俺たちは、あんたを忘れない!」


 広場にいた誰もが、祝福と感謝の拍手を送っていた。


 フィンは少しだけ照れたように頭を掻いた。


 そんなフィンのもとに、ようやくセリアが駆け寄る。


 「……よく無事だったね」


 そう言って、そっと彼の手を取り、確かめるように指先を触れさせた。


 「うん……少し、肘を掠められたけど。大したことないよ」


 「少しって……ほんと、無茶するんだから」


 セリアは眉をひそめながらも、心底ほっとした様子で微笑んだ。


 二人の前を、風が通り抜けてゆく。


 港町の潮風は、昼間の熱を含みながらも、どこか優しい匂いがした。


 「……なんだか、あっという間だったね」


 「うん。でも、こういう“あっという間”って、ずっと残るんだと思う」


 セリアの言葉に、フィンは少しだけ目を細める。


 そして――


 「セリア」


 「あ、なに?」


 「ありがとう。……ずっと見てくれてたの、知ってた」


 「…………!」


 セリアは一瞬、言葉を詰まらせた。


 だが、それでもすぐに、いつものように口をとがらせる。


 「べ、別に! 見張ってただけだし、あんたが変な動きしないか気になってただけだし!」


 「そうなんだ?」


 「そ、そうよ!」


 「ふふっ……でも、うれしかったよ」


 その笑顔に、セリアは頬を赤らめ、目を逸らす。


 ふたりのそんなやり取りを、遠巻きに見ていた町の娘たちが、そっとささやいた。


 「あの子が、“剣王”様……?」


 「なんか、もっと怖い人かと思ってたけど……可愛い顔してるね」


 「でも、あの目……まっすぐだった」


 そんな声が、徐々に町のあちこちに広がり始める。


 “剣王”という異名が、この港町から静かに、けれど確かに根を張り始めていた。


 フィンは、町の漁師たちから勧められるまま、広場近くの屋台で焼き魚とパンをもらい、遅めの昼食を口にしていた。


 セリアも隣で、湯気の立つ魚のスープをすすっている。


 「……この町、好きかも」


 ふと漏らしたフィンの一言に、セリアは一瞬だけ目を丸くする。


 「……そっか」


 「うん。潮の香りも、魚も、なにより――人がいい」


 「……うん、そうだね」


 セリアは静かに同意し、スープをもう一口すする。


 その肩越しに、夕陽が港を赤く染めていた。


 こうして港町セレヴィエに、またひとつ――“物語”が刻まれたのだった。

夜が、港町セレヴィエを包み込んでいた。


 昼間の熱と混じり合った潮の香りが、夜風に乗って市場通りの隅々まで流れていく。灯台の灯が海面に揺らぎ、小舟の影が静かに沖へと滑っていくのが見えた。


 フィンとセリアは、宿の裏手にある小さなテラスにいた。


 木の机の上では、ランタンがひとつだけ、淡くオレンジ色の光を灯している。


 「セリア、スープちゃんと食べた?」


 フィンが優しく問いかけると、セリアは小さくこくんとうなずいた。


 「うん……お魚、ちょっとだけ骨が刺さったけど、大丈夫。おいしかったよ」


 「それなら良かった。さっきむせてたの、気づいてたよ」


 「えへへ……フィンも、むせてたでしょ」


 フィンは肩をすくめて笑い、セリアもくすくすと笑った。


 「……今日は、つかれた?」


 「そうだね。ちょっと、ね。でも、大丈夫」


 「ほんと?」


 セリアはフィンの腕に寄り添うように座り、ぽつりとつぶやいた。


 「……こわかった。でも、フィンがぜんぶ守ってくれたから、泣かなかった」


 フィンはその頭を、そっと撫でる。


 「えらかったね。セリアのおかげで、僕も頑張れたよ」


 「……ほんと?」


 「ほんと。だから、ありがとう」


 セリアは少し照れくさそうに頬を染めながら、にこっと笑った。


 「……わたし、ここに来れてよかった」


 「セレヴィエに?」


 「うん。……港、はじめて見たの。お船がいっぱいで、海がひろくて……すごかった」


 「セリアの目に、そう映ったんだね」


 「うん。海の向こうにも、だれかがいて、またフィンと出会うのかなって思ったの」


 フィンはそれを聞いて、少しだけ目を細めた。


 「そうだね。たぶん、まだまだ旅は続く。セリアと一緒に、ね」


 セリアは、ちょこんとフィンの腕に手を置いた。


 「……フィンがいるなら、どこでも行けるよ。こわくないよ」


 「ありがとう。セリアはほんとに強い子だね」


 「えへへ……フィンが強いから、だよ」


 夜空には、無数の星が輝いていた。港の水面がその光を映し出し、空と海の境が消えてしまいそうだった。


 「明日は、船の修理を手伝ってから、次の町へ向かおうかな」


 「どこへ?」


 「南の森。風の民が住んでるって聞いたんだ」


 「……あたらしい人に、あえるの?」


 「うん。きっと、また困ってる誰かがいるかもしれないから」


 セリアは少し首をかしげて、ぽつんと尋ねた。


 「フィンって、どうして、そんなにがんばるの?」


 「ん……うーん、なんでだろう」


 「わたしは……フィンがいれば、それでいいよ?」


 そう言ったセリアの目は、まっすぐで曇りがなかった。


 フィンは少しだけ驚いたように彼女を見つめ、それから静かに答えた。


 「ありがとう、セリア。でも僕は、きっと、誰かを助けることで、自分のことも助けてるんだと思う」


 「……むずかしいけど、ちょっとわかるかも」


 セリアは眠たげに目を細めて、フィンの肩にもたれかかった。


 「……そろそろ、ねる?」


 「そうだね。明日も、早いから」


 「フィン、ぎゅってして」


 「うん」


 フィンは優しくセリアを抱きしめた。小さな体はあたたかく、柔らかな心臓の鼓動が、静かにフィンの胸に伝わってくる。


 「……おやすみなさい、フィン」


 「おやすみ、セリア」


 夜風が静かに吹き抜けた。港の灯が、ふたりを淡く照らし続けていた。

ご覧いただき、ありがとうございました。

 第87話では、“剣王”という異名がフィンに与えられるきっかけとなる戦いを描きました。


 セレヴィエの海賊頭との一騎討ちは、これまでにない公開の場での戦闘となり、観衆の視線と“言葉”が、彼の存在を一気に拡散させていきます。

 また、セリアとの心のやりとりも今回は特に丁寧に描きました。8歳のエルフでありながら、傷を抱えながらも、誰よりも優しい少女。

 彼女にとってフィンがどれほど大切な存在か――その気持ちが、読者にも届いていれば幸いです。


 次回、第88話は「風の民の里」に焦点を当てた静かな導入回になる予定です。どうぞ、お楽しみに。

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