85話:継がれし剣、語られぬ誓い
かつて数千の命が交錯した古戦場にて、フィンは“過去の英雄”と対峙します。
死者の魂――それは、未練か、誇りか。それとも、まだ果たせぬ使命か。
今回は「剣の継承」がテーマ。
静かに、そして確かに、フィンの中に“英雄の意志”が宿る回となりました。
セリアとの心の距離にも少し変化があるので、ぜひ注目してみてください。
風が、丘を越えて吹いていた。乾いた草の匂いに、どこか鉄のような匂いが混じっている。ここは、王国と旧帝国が最後に激突したとされる、“セラン平原の古戦場”。大地には、今もなお剣が突き立ったままの場所があり、誰も近づかぬ墓標のように並んでいた。
「……重たい、ね」静かにそう呟いたのは、セリアだった。細い指が風になびく髪を抑え、フィンの背を見上げている。
「感じるか?」フィンが問いかけると、セリアは小さく頷いた。「……たくさんの声が……うめき、怒り、さびしさ……いっぱい、いる」
セリアのような“森の民”――エルフは、自然の気配だけでなく、魂の残滓にも敏感だった。だからこそ、この地に踏み込む前から、彼女は時折不安げに目を伏せていた。
「やっぱり、行くの?」セリアの声はかすかだったが、止める意思も、拒む響きもない。彼女はただ、フィンの決意を感じたからこそ、そう聞いたのだ。
「……行く。この場所で、何があったのか。何が、今なお“起きてる”のか。確かめたい」フィンの目は、風に揺れる草の奥、丘の影にある“剣の碑”へと向けられていた。
それは、かつて王国騎士団を率いたとされる伝説の騎士、ヴァルト・ガーロンドの眠る場所。ただし、“眠っている”とは言い難い。近年、ここを通る旅人や商人たちが、夜な夜な鎧に身を包んだ亡霊に襲われるという噂が広がっていた。
「亡霊は……怒ってるの?」セリアの問いに、フィンは首を横に振る。「怒りじゃない。……たぶん、後悔だ。何かを残して、逝けなかった騎士の……未練」
セリアは少し黙ってから、ぽつりと言った。「じゃあ、ちゃんと聞いてあげて。剣じゃなくて、言葉で」
その一言に、フィンはわずかに微笑み、「……うん、できるだけ」と応じた。背に背負った剣を軽く整えながら、彼はゆっくりと丘を登っていった。
セリアは、その背を黙って見送った後、小さな花を拾い、手の中でそっと祈るように握りしめる――それは、亡き者たちへの、森の民なりの敬意だった。
陽が落ちかけた頃。丘の上、剣の碑の前に立ったフィンは、静かにその風を感じていた。と、足元の影が震え、空気がひび割れるような音がした。
そして。「何者だ……この剣の眠りを、乱す者は……!」声と共に、地の底から煙のような影が立ち上がる。重厚な甲冑を纏った亡霊――否、未練を残し、なおも“戦場”を生きる騎士が現れた。
「私は、王国騎士団長――ヴァルト・ガーロンド。ここを通すわけにはいかん……!」剣が唸りを上げる。その姿はまさに、昔語りに出てくる“戦場の英雄”そのものだった。
フィンはゆっくりと剣を引き抜く。だが、戦うことだけが目的ではない。「あなたに……話がある。剣を交えるだけじゃなく、あなたが、なぜここに残ったのかを――知りたい」
それは、セリアが背中でくれた言葉。そして、今のフィンが持つべき“強さ”のひとつだった。
亡霊は、ほんの一瞬だけ動きを止め――次の瞬間、咆哮と共に襲いかかる。「ならば、その覚悟、剣で示せ!」
風が爆ぜる。剣が火花を散らし、戦場が蘇る。フィンと、“眠れぬ英雄”の死闘が、いま始まった――。
剣と剣がぶつかり合うたび、空気が震え、大地が唸った。
フィンは、一撃ごとに重みを増すヴァルトの剣圧に抗いながら、剣筋を読み、間合いを計った。
亡霊となってもなお、その剣は王国最強と呼ばれた騎士団長の威を保ち続けていた。
「見事……だな……」
ヴァルトは唸るように言葉を漏らした。
「その太刀筋、ただの力ではない……何かを背負っているな」
フィンは答えず、ただ前を見据えた。
その目には怯えも迷いもなかった。ただ、彼の背後にいる仲間を――セリアを、守るために。
一歩、踏み込んだ。
一瞬、亡霊の剣が揺らいだように見えた。
そこを突いて、フィンの刃がヴァルトの胸甲を貫く――かに見えた。
が、次の瞬間。
フィンの身体は宙に舞い、転がるようにして地を這った。
腹部をかすめた衝撃が、岩をも断つ勢いで横薙ぎに走ったのだ。
「まだだ……まだその程度か」
ヴァルトの目は、何かを試すような、そして見極めようとする者のそれだった。
土埃が舞う。
セリアが遠くから小さく叫んだ。
「フィン……っ!」
倒れたフィンは苦笑を浮かべながら、立ち上がる。
息は荒いが、剣を手放してはいない。
「大丈夫……まだ、いける」
その瞳に宿るのは恐れではなく、確かな覚悟。
彼の剣は“強くなるため”の剣ではない。
守るため、受け継ぐため、繋げるための剣だった。
「俺は……ただの旅人だ。だけど、あんたのような英雄が遺した想いを、無駄にしたくない」
「それが、王として歩く……俺の責任だ」
ヴァルトの剣が止まる。
「王……だと?」
「王といっても、玉座に座って命令を下すだけじゃない」
フィンは一歩、また一歩と歩み寄る。
「俺は、この国を歩くことでしか……民の声を知らなかった」
風が吹いた。
そのとき、セリアが静かにその場にひざまずき、祈るように両手を組んでいた。
彼女にとって、フィンはただの剣士ではない。
――命を賭して守ってくれた人。その背に、森の民の祈りを預けるほどに、信じた人だった。
「俺の剣は、あんたの時代のような“強さの証”じゃない」
「けど……もし、それでも届くなら、見てほしい」
そう言い終えるより先に、フィンの剣が蒼く煌めいた。
それは剣技ではない――“記憶の共鳴”。
かつて彼が竜と交わし、礎とした感応の力。
ヴァルトの瞳に、戦場が映る。
自らの過去。
仲間と共に戦った日々。
守れなかった民。
王に捧げた忠誠。
そして、死してなお遺せなかった無念。
「……それを、視せるとは……!」
ヴァルトの霊気が波のように広がり、周囲の地に落ちた剣が蒼く光った。
まるで、眠っていた兵たちもまた、その記憶に呼応するかのように。
そして、静かに、ヴァルトは剣を下ろした。
「フィン・グリムリーフ……貴様を、“継承者”と認めよう」
空に、光の羽が舞った。
亡霊の甲冑が崩れ、風と共に消えていく。
最後に残されたのは――一本の、蒼く輝く剣技の残響だった。
セリアがそっと彼に歩み寄り、目を見上げて囁いた。
「……今の、すごかった。あなたの剣、悲しくて、優しくて……強かった」
フィンは、頷いた。
「ありがとう、セリア。君の祈りが届いたんだと思う」
丘の上に、静かな風が吹いた。
古戦場にようやく訪れた安らぎと、新たな旅の兆しを告げる風だった。
丘の風が静かに鳴った。
古戦場の戦いが終わり、亡霊の騎士ヴァルトが消え去った後も、そこには重く沈んだ余韻が残っていた。
地に倒れた剣の数々、苔むした石碑、風に揺れる草花――それらが、この地に刻まれた“過去”の重さを語っていた。
「……フィン」
静かに、セリアが声をかける。彼女の小さな足音が、土の上を踏みしめて近づいてきた。
「少し、顔色が悪い」
「そうか?」
フィンは自嘲気味に笑いながら、額の汗を拭った。傷は浅かったが、心の疲労は深かった。
「……剣を交わすだけなら、ただの戦いだ。でも、あれは……重かった」
彼は空を見上げた。雲が流れ、太陽がその隙間から顔を覗かせていた。
「想いを、受け継ぐって……怖いことだな」
セリアは黙って彼の隣に立ち、じっと同じ空を見上げた。
「でも、あなたが受け継いだから……あの人、安らかになった。私は、そう思う」
その言葉に、フィンは微かに目を細めた。
「……そうか。ありがとう、セリア」
ふと、セリアの表情が翳った。どこか遠くを見つめるような、そんな目をして。
「……ここには、似ている場所がある。昔、私たちの森の近くにも……争いの跡があった」
「……エルフの里にも、戦が?」
セリアは頷いた。
「人と、獣と、精霊と……全部が混ざって、何が正しいのか、誰にもわからなくなった。争って、傷ついて……森が泣いた」
風が草を揺らした。
「だから……私は、あなたについていくと決めたの」
「なぜ?」
フィンが尋ねると、セリアはゆっくりと答えた。
「あなたの剣には、“怒り”じゃなくて、“願い”があるから」
言葉に詰まるフィンの手を、セリアがそっと取った。
「今は、私がついていく。でも、いつか私も……隣で、戦えるようになる」
その小さな手の温もりに、フィンはただ静かに頷いた。
丘の上には、古の風が吹いていた。
けれどその風は、もう“過去”を縛るものではなかった。
それは新しい時代を告げる風。希望を孕んだ、旅の風だった。
フィンとセリアは、その風の中を並んで歩き始めた。
次なる目的地は、北の果て――風の神殿と呼ばれる場所だった。
夜が近づいていた。
陽は西の地平に傾き、古戦場の丘を朱に染めていく。影が長く伸び、風が静かに草をなびかせる。
そこに、フィンの姿があった。
剣を地に突き立て、瞳を閉じている。風が彼の髪を揺らし、仄かに古の気配がその場を包んだ。
――お前に、託す。
あの亡霊の騎士、ヴァルトが残した最後の言葉が、胸の奥に刻まれていた。
「……本当に、俺で良かったのか?」
呟く声は、風に紛れて誰にも届かない。
剣技を受け継ぐということは、ただ力を手にすることではない。そこには想いと、重さと、過去の全てが伴う。
――ヴァルトの剣は、もはや記憶の中にしかない。
だがその刃の軌跡は、今、確かに自分の中で息づいている。
フィンはゆっくりと剣を引き抜いた。鞘に収める音が、丘の静寂に溶けていく。
「フィン」
背後から、セリアの声が届いた。
振り返ると、彼女は少し遠慮がちに立っていた。髪には小さな花を挿し、柔らかな表情でこちらを見ている。
「……終わった?」
「いや。まだ始まったばかりかもしれないな」
そう言って微笑むフィンに、セリアは小さく頷いた。
彼女は小さな手で包みを開き、中から木の実を取り出すと、無言で一つ差し出してきた。
「……食べると、少し楽になる。森の中で、よくそう教えられたから」
「ありがとう」
フィンはそれを受け取ると、丁寧に口へ運んだ。甘さの中に、かすかに酸味があった。
「森の教え、か……」
「森の教えは、あまり“勝つこと”を教えない。でも、“生き抜くこと”はよく教える」
そう言って、セリアはフィンの隣に腰を下ろす。ふたりの背後には、古戦場の静けさが広がっていた。
「ねえ、フィン」
「ん?」
「戦ってるときのあなた、すごく遠くに感じる」
その言葉に、フィンはわずかに眉を上げた。
「怖かったか?」
「違う。……寂しかったの」
セリアは視線を落とし、小さく草を摘んだ。
「戦っているときのあなたは、“剣”になってしまう。だから……私が、そばにいたい」
風が通り抜ける。
その一言に、フィンは何も返せなかった。
だが、しばらくしてぽつりと呟いた。
「ありがとう。お前の言葉は、今の俺にとって、何よりも意味がある」
そうして、彼はそっと自分のマントを彼女の肩にかけた。
セリアは驚いた顔をし、次にそっと微笑んだ。
「次の場所、どこに行く?」
「北だ。……風の神殿と呼ばれる場所がある。古の剣術が、そこに根を持っているらしい」
「また、戦うの?」
「……多分な。でも、今度は――お前がいてくれる」
フィンが立ち上がると、セリアも続いて立った。
夕日が二人の影を長く伸ばしていく。
「歩こう。夜のうちに森を越えておこう」
「うん。フィン、待って」
セリアは振り返り、小さな手でその場に落ちていた枯れ枝を拾った。
地面に、彼女はゆっくりと円を描く。そしてその中心に、小さな“葉”の印を記した。
「これは?」
「お別れのしるし。……ありがとうを、風に伝える儀式」
「エルフのやり方か」
「うん」
その円を見下ろしながら、フィンは微笑んだ。
そして、二人は再び歩き出す。
過去に区切りをつけ、新たな風を求めて。
夜の帷が、ゆっくりと二人を包んでいった。
剣を交えることでしか通じ合えない者たちがいます。
今回登場したヴァルトもまた、その一人でした。
そしてセリアは、戦いの“外側”にいる存在として、フィンにとって大きな意味を持ち始めています。
彼女の「寂しかった」という言葉には、勇者である以前に“誰かである”フィンの姿が滲んでいる気がします。
次回は、さらに過酷な地――灼熱の渓谷へ。
精霊と剣、そして“炎”の意味とは?
どうぞお楽しみに。
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