82話:鉱山都市と消えた鉱夫たち
かつて栄えた鉱山都市――しかし今では人影もまばらとなり、「地下に怪異が棲む」と噂されるゴーストタウン。
今回のフィンの旅は、そんな“かつての希望”の残滓に踏み込むところから始まります。
この第82話では、王としての顔を隠した“旅の剣士”フィンが、地下の迷宮を探索し、鉱山都市を蝕む異形の正体に迫ります。
剣を通して少年に何を伝えるのか――そして、どんな未来を託せるのか。
迷宮探索、バトル、そして人の心との対話。
このエピソードから、新しい「剣と旅の章」が本格始動します!
山肌に沿って建てられた都市、ローク。
かつては王国屈指の鉱山都市として賑わい、朝晩を問わず鉱夫たちの歌声と金属の打音が響いていた。
だが今、その街には――音がなかった。
フィン・グリムリーフは、岩肌を縫うように続く山道を登りながら、静まり返った街の入り口を見上げていた。
「……本当に、誰もいないのか」
門には衛兵の姿すらなく、錆びた鉄扉は半ば開け放たれたまま、冷たい風に軋んでいる。
枯れ草が地面を這い、かつて人の足で踏み固められていた石畳にも、もはや歩いた痕跡すらなかった。
かすかに、鉱石の匂いだけが残っている。
「活気の残り香、か……」
呟いたフィンは、ゆっくりと門をくぐった。
中に広がるのは、高低差を利用した段階状の街区。左右に連なる石造りの家々の窓は、すべて板で封じられていた。
どこかの屋根から、風に飛ばされた洗濯物の切れ端がはためく。
静かだった。あまりにも、静かすぎた。
フィンは、手綱を軽く引いて馬を止め、歩いて坂を下りる。
石畳のひび割れた隙間から、小さな草が伸びていた。だがそれは、ただの自然の侵食ではない。
この街は――捨てられたのだ。
「……ただの過疎じゃない。人が“逃げた”気配がある」
街の中心部にある広場。かつては鉱石市場が開かれていたという噴水の周囲には、倒れた木箱や壊れた秤、半ば埋もれた鉄製の看板が散らばっていた。
フィンは広場の中央で立ち止まり、周囲を見渡す。
静けさに紛れているが、耳を澄ませば、何かが……**“動いている気配”**があった。
だが、それは地上ではない。
――地下。
この都市は、地下鉱脈の上に築かれている。家々の地下には採掘用の縦穴があり、都市全体を巨大な鉱山迷宮が支えている。
その採掘網が、今では魔物の巣と化しているというのが、今回の調査依頼だった。
フィンは腰の剣を軽く確認し、ゆっくりと背中の荷を降ろす。
地元の鉱夫組合が提供してくれた簡易地図を広げ、現在位置を把握する。
「……地図によれば、第一坑道の入り口はこの広場の裏手……」
そこまで呟いた時――
「あのっ!」
不意に、声が飛んできた。
振り返ると、道の陰から飛び出してきたのは、十代半ばほどの少年だった。
短く刈られた髪に煤けた顔、鉱夫服を改造したような格好で、背中には小さなツルハシが吊るされている。
「……君は、この街の人間か?」
フィンが問いかけると、少年はうなずいた。
「はい……名前はロゼル。今は近くの村に避難してます。でも、街を……この鉱山を見捨てたくなくて……」
「どうして?」
ロゼルは、小さく息をついてから答えた。
「父さんも、兄さんも、あの地下で働いてました。……でもある日、“戻ってこなかった”んです」
フィンは目を細める。
「死体は見つからなかった?」
「はい……だから、きっとまだ……どこかで……!」
少年の声が震える。
フィンは、しばらく彼の顔を見つめていたが、やがて口を開いた。
「一緒に来る気か?」
「……ダメですか?」
「ダメではないが、危険だ。二度と戻れなくなるかもしれない」
ロゼルは少しだけ顔を伏せたが、それでも一歩踏み出して言った。
「それでも、知りたいんです。何が起きたのか……! ……それに、俺……あんたに剣を教えてもらいたい」
「……俺に?」
「だって、あんた――フィン・グリムリーフだろ? “旅する王”って、避難先の村で噂になってた」
風が吹いた。
フィンのマントが揺れる中、彼はふと、静かに笑った。
「そう名乗った覚えはないんだがな……」
「でも、あんたしかいないって、村の皆が言ってました。もし、誰かがこの街を救うなら――“王様”じゃなくて、“剣を抜く人”しかいないって」
その言葉に、フィンはわずかに表情を和らげる。
「いいだろう。ついてきな。ただし、命令には絶対に従え。剣を教わる前に、生き残る術を学べ」
「……はいっ!」
ロゼルが勢いよくうなずいた瞬間、どこか遠くで、金属の軋むような音が響いた。
まるで地下深くから、何かが目を覚ましたかのように。
「行くぞ。答えは、あの下にある」
フィンは地図を巻き、剣の柄を軽く叩いた。
こうして、王と少年の“地下への冒険”が始まる――
第一坑道の入り口は、広場裏の岩壁に開いた大口の裂け目だった。
鉄格子の門は錆びつき、施錠は外れている。以前は見張りや制限があったのだろうが、今は放棄され、風に軋む音だけが寂しく響いていた。
フィンが灯をかざすと、口内から冷たい空気が吐き出される。
「ここが、鉱山都市の“心臓部”……か」
ロゼルはわずかに震えながら、フィンの背後に立っていた。
だがその目には、恐怖よりも意志が宿っている。
「……準備はいいか?」
「はい」
短い返答を確認したフィンは、足を踏み入れた。
坑道の内部は広く、複数の通路が蜘蛛の巣のように枝分かれしていた。
岩肌は湿っており、天井にはところどころ鍾乳石のような尖った突起が垂れている。
道の脇には、放置された鉱夫の装備が散乱していた。
壊れたランタン、折れたツルハシ、片方だけの作業靴――それらは静かに語っていた。「ここで何かがあった」と。
フィンは慎重に歩を進めながら、壁に手を当てる。
「この辺りは……崩れてるな。無理に掘り進めた痕跡がある」
「父さんが言ってました。……『王都の命令で、下の層を無理に掘らされた』って」
「……強制採掘か」
フィンは眉をひそめる。
そのとき、ロゼルが立ち止まった。
「見て……あれ」
少年の指差す先、壁際の鉱車の横に――人影のようなものがあった。
骸か、あるいは石像か。
慎重に近づいてみると、それは岩に包まれた人間のようなものだった。
ただし、皮膚が石化しており、片腕は完全に鉱石に侵食されていた。
「……まさか、これが……」
ロゼルが小さく息を呑む。
「魔獣化した鉱夫かもしれん」
フィンがそう呟いた瞬間――
グギギ……ググ……ッ……
死体だと思っていたそれが、音を立てて動き出した。
腕が、足が、ぎくしゃくと動く。関節は完全に岩と融合し、動くたびに粉塵が舞い、皮膚が剥がれ落ちる。
そして顔を上げた――かつての人間だった者が。
その目には、瞳がなかった。ただ、黒く沈んだ虚無だけが、フィンたちを見つめていた。
「下がれ!」
フィンがロゼルを背後に押しやると同時に、その魔物が鉱車を跳び越えて襲いかかってきた。
ガァアアアッ!!
咆哮。だがそれは獣のものではなく、喉をすり潰されたような濁った呻きだった。
フィンは一歩踏み込み、抜刀――
シュバッ!
一閃。斜めに走った刃が、敵の胴を斬り裂く。
鉱石が砕け、火花が飛び、魔物は後ろにのけ反る。
だが倒れない。
再び姿勢を立て直し、腕を大きく振るってきた。
その腕には鉱脈から出た金属片が張り付いており、まるで“鉱山の拳”のように重く鈍い。
「――ふっ!」
フィンはその拳を紙一重で避け、逆に地面を蹴って背後を取る。
剣が風を裂き、魔物の膝を断ち切った。
ガグッ……ガア……!
魔物が呻きながら崩れ落ち、粉々に砕けていく。
その崩壊の中に、わずかに見えたのは――人間の胸元に付けられた鉱夫組合の認証札。
「……やはり、元は人か」
「うそ……そんな……兄さんたちが……こうなってるのか……?」
ロゼルの顔が青ざめる。
フィンは剣を収め、彼の肩に手を置いた。
「違う。すべての鉱夫がこうなったわけじゃない。だが、“なにかが”彼らをこうさせた」
「“なにか”って……」
「下層にあるはずだ。まだ潜るぞ。耐えられるか?」
ロゼルはぎゅっと拳を握った。震えてはいたが、決意の光が戻っていた。
「行きます。……俺も知りたいから。剣のことも、自分のことも」
その言葉に、フィンは小さく頷いた。
坑道の更なる奥――第五層へ向かう急傾斜の階段が口を開けている。
その入口の上には、赤く塗りつぶされた注意書きがあった。
> 「第五層は封鎖中 立入禁止 侵入者は処分対象」
だが、フィンは迷わず進んだ。
「誰かが封じようとしたものほど、真実に近い」
階段を下るたび、空気が冷たくなる。
岩壁に埋まる未知の鉱石が仄かに青白く光り、壁を照らしていた。
「……この光……魔力を吸ってる?」
フィンは壁に手をかざし、ほんのわずかに力が抜ける感覚を覚えた。
「これは……“生きてる鉱脈”だな。しかも、魔力に干渉する性質がある」
「それって、どういう……」
「もしかすると――人を喰う“鉱山”そのもの、かもしれない」
その言葉を最後に、二人は第六層へと姿を消した。
そして地上では、誰も知らないうちに、街の中心部の噴水の水が――静かに黒く濁り始めていた。
第五層を抜け、フィンとロゼルは第六層――鉱山都市ロークの“最深部”へと足を踏み入れた。
階段を下りきった先には、自然の洞窟とは思えぬ、異様な広がりがあった。
まるで神殿のように整った岩の柱。崩れていない階段。壁に沿って等間隔に設置された鉄製の補強杭――それらはかつての採掘者たちがどれほどこの場所を重要視していたかを物語っていた。
しかし、そこには明らかな違和感があった。
「……妙に整ってるな。ここだけ、人工的すぎる」
「下層にこんな空間があるなんて……聞いたこともない……」
ロゼルが目を見開きながら周囲を見渡す。
壁に埋め込まれた鉱石――それは青白く脈動しており、まるで呼吸するかのように淡く光っていた。
風はない。代わりに、鼓動のような低い“うなり”が、洞の奥から響いてくる。
「この空間……生きてるみたいだ」
ロゼルの言葉に、フィンは小さく頷いた。
「間違いなく、ただの鉱脈じゃない。“何か”が、ここを根城にしている」
二人は剣とツルハシを構え、ゆっくりと奥へ進んだ。
足音が、岩壁に反響する。そのたびに、壁の鉱石がわずかに色を変える――まるで、誰かがこちらを見ているかのように。
やがて通路は広間へとつながっていた。
そこはかつて作業場だったのだろう。中央に巨大な昇降機の遺構があり、その周囲には壊れた荷台や散らばった鉱石の山があった。
「見て、あれ……!」
ロゼルが指差したのは、崩れた昇降機の裏にある――人影だった。
鉱夫服。片腕には組合の腕章。だが、姿勢は異常だった。四肢が岩に融合し、背中には結晶のような塊が形成されている。
彼もまた、“鉱山に呑まれた者”だった。
「……! あれ……兄さん……!」
ロゼルが駆け出しかける。
「待て、下がれ!」
フィンの声が届くよりも早く、人影がこちらに顔を向けた。
眼窩に瞳はなく、口は不自然に裂けている。皮膚は乾き、所々が石になりかけていた。
「……た、すけ……て……」
掠れた声が漏れる。
それは“人間の声”だった。
「兄さん……!? 兄さん、なの……!?」
ロゼルが叫ぶ。駆け寄ろうとするその足を、フィンが強く引き留めた。
「見るな!」
叫ぶと同時に、魔物の体から結晶が一斉に弾け飛ぶ。
バギン!
岩片が飛び散り、空気が震える。
結晶が砕けた先――その奥から現れたのは、異形の“魔獣”だった。
鉱夫の姿を取り込み、鉱石の鎧を纏った巨体。腕は鉄杭のように変質し、背中からは鋭く尖った鉱柱が突き出ている。
「完全に……変異してる……!」
フィンが剣を抜いたその瞬間、魔獣が雄叫びを上げて跳躍した。
ゴォッ!!
空気がうねる。巨体が岩を砕きながら突進してくる。
フィンは一瞬で間合いを読み、後方へ跳躍。振り下ろされた腕が床を粉砕し、岩盤に深く食い込む。
「ロゼル、下がれ! 絶対に近づくな!」
「っ……!」
ロゼルは涙をこらえるように歯を食いしばり、後退した。
フィンは剣を回し、体を低く構える。
「……本当に、家族だったのか」
魔獣は答えない。人間の痕跡は、すでに残っていなかった。
だが、それでも――ロゼルの叫びに、わずかに反応したその“微かな声”だけが、本物だった。
フィンは足元を踏みしめ、岩壁を蹴って一気に間合いを詰めた。
魔獣の腕がうねるように振るわれる。
剣がそれを受け止める――否、いなした。
ギンッ!!
火花が散る。岩の皮膚が削れ、鉄杭の腕が軌道を逸らす。
フィンの体が反転。低く滑り込み、魔獣の腹部へと渾身の一閃を叩き込む。
「裂剣――蒼環!」
刃が弧を描き、魔獣の胴体を切り裂いた。
鉱石の鎧が崩れ、そこから血と黒い液体が噴き出す。
魔獣が吠える。苦悶とも怒りともつかぬ声。
しかしフィンは止まらない。
もう一撃――その腕が振り下ろされる直前、フィンは剣を逆手に持ち替え、肩から脇腹へと真っすぐに切り上げた。
刃が深く通る。
魔獣の体が揺れ、呻き、そして――崩れた。
その巨体が岩に沈み、周囲の鉱石が音を立てて脈動を止める。
フィンは、ゆっくりと息を吐いた。
剣を納めると、背後で震えていたロゼルが、崩れた魔獣の元へと歩み寄る。
その体の中から、小さな金属製の札が転がり落ちた。
それは、ロゼルの兄の鉱夫登録証だった。
「……兄さん……」
ロゼルはそれを胸に抱きしめ、しばらく動かなかった。
フィンは何も言わず、そっと彼の肩に手を置いた。
その夜。二人は洞の中で火を起こし、静かに眠りについた。
そして翌朝――ロゼルは一言、ぽつりと言った。
「俺……もっと強くなりたい。兄さんみたいに、父さんみたいに……でも今は、俺自身のために。剣、教えてくれませんか」
フィンは微笑み、頷いた。
「もちろんだ。だがまずは――振るう意味を見つけろ」
焚き火の火が、彼らの瞳に映る。
剣の意味とは何か。
力の使い道とは何か。
その答えを求める旅が、またひとつ始まった。
朝の光は届かない。だが、焚き火の赤が次第に淡くなり、洞の奥に差す鉱石の輝きがわずかに弱まる。
地上の太陽とは無縁の世界にも、「朝」は存在していた。
ロゼルは目を覚ましたあともしばらく黙っていた。火の残り火を見つめたまま、ぼんやりと指を組み合わせている。
その手には、昨夜拾った兄の鉱夫登録証が握られていた。
フィンはすでに起き、岩壁に寄りかかって剣を研いでいた。
彼はロゼルに気づいていたが、声はかけなかった。ただ、刃が石を削る「シュッ、シュッ」という規則正しい音だけが響いていた。
やがてロゼルが口を開く。
「……兄さんね。昔は、剣士になりたかったんです」
フィンは手を止めない。
「でも、うちには余裕がなかった。家を継ぐって決めたときも、誰にも文句言わせなかった。すごい兄貴だった」
ロゼルの声は震えていた。でも涙はもう流れていない。
「俺は……逃げてただけだったんですよね。剣の稽古も、勉強も。兄貴に甘えてた」
そして、小さく息を吐いた。
「だから……もう甘えません。俺、ちゃんと前に進みます。兄貴の分も」
フィンはやっと手を止め、目を細めて言った。
「お前が決めたのなら、俺も教えよう。だが“剣”はただ振るえばいいもんじゃない。振ったぶん、返ってくる。それが正義でも、復讐でもだ」
ロゼルはうなずいた。もう、決意は揺れていなかった。
その日、地上へ戻る道すがら、フィンは少年に木の枝で素振りの構えを教えた。
岩の壁に向かって一太刀を振るわせ、姿勢の矯正、力の抜き方、重心の置き方を繰り返し指導する。
ロゼルは不器用だった。力が入りすぎて腕を痛めたし、足も何度か滑らせた。
だが、彼は諦めなかった。
地上に戻ったとき、太陽がようやく鉱山都市に光を差していた。
放棄された町に、ほんの少し――人の気配が戻りつつあった。
「ロゼル、帰ったか!」
駆け寄ってきたのは町の若者たちだ。
彼らもまた、街の異変に怯え、逃げようとしていた者たちだった。
だが、フィンとロゼルが鉱山の奥底から戻ったことで、彼らは立ち止まった。
「お前……剣を持ってるのか?」
「まさか、中まで行ったのか!?」
ロゼルは少し照れくさそうに、それでも誇らしげにうなずいた。
「まだまだだけど、これから学ぶんだ。俺……剣士になる」
その宣言に、町の若者たちがざわつく。
「教えてくれよ、その剣……! 俺も逃げたままでいたくねぇ!」
「オレたちも、街を守りたいんだ!」
まるで消えかけた火に、風が吹いたようだった。
ロゼルは振り返り、フィンに視線を向ける。
フィンは頷いた。
「いいだろう。ただし、覚悟がある者だけだ。剣を持てば、守る責任が生まれる」
その日、鉱山都市ロークには剣の“稽古”が生まれた。
町の空き地に、木剣が並び、少年たちが笑い、ぶつかり合う声が響く。
フィンは道具の手入れをしながら、それを少し離れた場所から見ていた。
ふと、ひとりの少女が声をかけてきた。
「……あなた、もしかして……王様、なの?」
フィンは驚いたように少女を見た。ロゼルの妹だろうか、まだ幼く、布で作られた人形を抱いている。
「どうしてそう思う?」
フィンが問い返すと、少女は答えた。
「お母さんが言ってた。“王様ってのはね、人の剣を奪うんじゃなくて、人に剣を渡せる人なんだ”って」
その言葉に、フィンは小さく笑う。
「なるほど。いい言葉だ」
「じゃあ、やっぱり王様なんでしょ?」
フィンは少しだけ迷って、それから――
「……旅の剣士さ。王様みたいに偉くはない」
「ふーん。でも、かっこいい王様だと思うよ。お兄ちゃんたち、すごく楽しそうだから」
そう言って、少女は手を振って去っていった。
布人形を抱えたまま、兄のいる稽古場へ。
フィンは静かに立ち上がる。
そろそろ、次の町へ向かう時間だ。
ロゼルが駆け寄ってくる。
「フィンさん、ありがとうございました! 剣のことも、兄のことも……全部、忘れません!」
「忘れるな。ただ、背負いすぎるな」
「……はい!」
しっかりと背筋を伸ばして答えるロゼルの姿に、フィンは目を細めた。
そして、背中を向ける。
この国にはまだ、“剣”を必要とする場所がある。
――剣では届かない場所もある。
だが、剣だからこそ、守れるものがある。
その矛盾と共に歩む覚悟を、フィンは胸に刻んでいた。
夕暮れの風が吹く。
鉱山都市ロークの空に、今日もまた一日が終わりの色を描きはじめていた。
フィンは、風にマントを揺らしながら、旅路へと足を踏み出した。
ご覧いただきありがとうございました。
第82話では、かつて栄えた鉱山都市が舞台となりました。
迷宮のように入り組んだ坑道、魔獣と化したかつての人間、そして“剣を学びたい”と願う少年ロゼルとの出会い。
戦いの中で、ただ斬るだけではなく、「剣を継がせる」という王としてのもうひとつの使命が垣間見えた回だったのではないでしょうか。
そして最後に出てきた少女の問い――「あなた、王様なの?」
フィンが王であることを隠して旅をする中でも、“人に剣を渡せる者”としての姿は、確かに誰かの心に届いているのだと感じられます。
次回は、商都での潜入劇『商都の影、黒鉄団の反乱』へと続きます。
よりアクション濃度が増し、仮面の剣士としての一面が描かれますので、どうぞお楽しみに!




