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80話:旅する王と、名前なき村

王座を離れたフィンが、「旅人」として世界に踏み出してから数日――

 誰にも知られず、記録にも残らない、けれど確かに生きていた人々の声と出会う回となりました。


 塔の影が落ちた土地で、フィンが拾ったのは、声なき者たちの願いと痛み。


 そして、“王”という名に頼らず、一人の人間としてその声を記録していく姿を描いています。


 “誰かの物語”を記すことが、世界と向き合うことになる。

 その想いを、あなたにも届けられたら嬉しいです。

夜明け前の王都――薄明の空が、石畳に淡く反射する時間帯だった。

 フィン・グリムリーフは、王宮の中庭に立っていた。重厚な扉の奥からは、まだ誰の足音も聞こえない。まるで世界が静寂の中で息をひそめているようだった。


 彼の隣には、アレシアがいた。

 風が吹き抜け、彼女の金の髪が揺れる。だがその表情は、いつになく硬かった。


 「……本当に、行くんですね」


 その言葉に、フィンはゆっくりと頷いた。

 「このまま玉座に座り続けるだけじゃ、見えない景色がある。塔が何を求めているのか、どうして“外”に対して沈黙を守るのか、それを確かめるには……王としてではなく、一人の旅人として歩く必要がある」


 アレシアは沈黙したまま、視線を地面に落とした。だがすぐに顔を上げ、彼をまっすぐに見据える。

 「ならせめて、護衛を――リナか、ノーラを同行させましょう。貴方一人では危険すぎます」


 フィンは首を横に振った。

 「ノーラには王都の情報網を預けたい。リナには、語り場と市民の安全を任せる。俺は……誰の目も、手も借りずに行く」


 その言葉には、強い覚悟と静かな決意が宿っていた。


 「もし俺に何かあったときは、次の王を……」


 「それは、禁句です」


 アレシアが鋭く言葉を遮った。彼女の目には、強い光が宿っていた。

 「この国に必要なのは、“王の代わり”じゃない。あなたが見せた“未来を信じる王の姿”なんです」


 フィンは、少しだけ苦笑を浮かべた。

 「なら、その姿をもう少しだけ信じてくれ。俺が帰ってくるまで」


 「……ええ。必ず、帰ってきてください」


 やがて、フィンは馬に乗り、中庭から静かに姿を消していく。見送るアレシアの横顔に、月光が残る露を照らしていた。


 同じ頃、王都南区の語り場。

 リナは、子どもたちと焚き火を囲みながら、読み聞かせをしていた。だが、その瞳は時折、王宮の方角を見つめていた。


 「お姉ちゃん、今日の話は?」


 「……今日は、“旅に出た王様”のお話にしようか」


 その物語は、まだ誰も知らない。けれど、リナの声は温かく、未来を語るものだった。


 そして、王都の最北端――

 塔の外縁部にて、フードを深くかぶったフィンが一人、夜明け前の街道を歩いていた。


 空には、希望の光とも不安の影ともとれる、淡い茜色が広がっていた。


 彼が旅立ったことを、まだ誰も知らない。

 だが、その一歩は、世界の形を変える序章となる――

風が変わった――。


 フィン・グリムリーフは、王都を見下ろす高台に立ち、遠く広がる街の灯を静かに見つめていた。


 季節は巡り、王都の空には涼しげな星が瞬いている。だが、その静寂の中に、フィンは確かに感じ取っていた。人々の声、街の息遣い、そして自らに向けられるまなざしの重さを。


 背後には、アレシア、カイ、ノーラ、そしてフェンリックの姿があった。


 「フィン、あんた……本気で行くつもりなの?」


 リナの姿はそこになかった。彼女は“語り場”を離れた王都の北方で、次の展開の準備をしていた。だからこそ、今ここに立っているのは、最も長く彼と歩いてきた者たちばかりだった。


 フィンは、少しだけ視線を落とし、笑った。


 「ここに残る選択もあった。だけど……俺は、“旅”をしてきた人間だからな」


 「王としての務めは?」


 アレシアの言葉は冷静だったが、その声の奥には、かすかな震えがあった。


 「務めは果たしたつもりだ。制度を整え、人を信じて任せることができる段階まで来た。あとは、この国が“王”なしでも歩めるか、試す番だ」


 「でも……」


 フェンリックが何かを言いかけて、すぐに黙った。その尻尾が静かに揺れている。


 「それに、俺がいなくなっても、この国には“声”が残る。語り場も、市民の記録も、塔と対話し続ける人々も……」


 フィンの目が、夜空を切り裂くように真っ直ぐだった。


 「……俺はもう、“語り手”ではいられない。次は、もっと遠くの声を探すよ」


 「それって、“英雄”になるってこと?」


 ノーラが問いかける。黒衣のフードの奥から覗くその瞳は、どこか幼さと、鋭い観察眼を同時に宿していた。


 「違う。“証人”になるんだ。まだ知られていない、世界の端に生きる者たちの物語を聞いて、伝えて……それが、俺の戦いだ」


 誰も、言葉を継げなかった。


 夜風が吹き抜け、焚き火の炎が少しだけ揺らいだ。


 やがて、カイが静かに前に出る。


 「じゃあ……見送る準備、しようか。形式張った儀式なんて要らない。けど、“灯火”だけは用意させてくれ。旅立ちのしるしに」


 その提案に、皆が頷いた。


 ――そして夜明け前、王都の中心に、無数の小さな灯火が浮かび上がる。


 街のあちこちで、“灯の祭”と呼ばれるささやかな行事が始まっていた。


 子どもたちが紙で作った小さな舟にろうそくを立て、噴水や水路に流す。


 老婆が手ずから縫ったハンカチに「ありがとう、王様」と書かれて店先に飾る。


 塔の近くに住む少年が、石壁にチョークで「またな、フィン!」と殴り書きする。


 それは、誰もが“王”を送るために自然と始めた行動だった。


 フィンは、その全てを歩いて見てまわる。


 立ち止まり、笑い、時に手を振り、そして――何も言わずにただ頷いた。


 「言葉じゃない。灯火のひとつひとつが、何よりの答えだ」


 カイがぽつりと呟き、ノーラが頷く。


 「きっと、全部フィンに届いてるよ。こう見えて、あの人、意外と涙もろいから」


 「聞こえてるぞ」


 不意に返ってきたフィンの声に、皆が笑った。


 そして――夜が明けた。


 フィン・グリムリーフは、馬に跨り、王都の東門へと向かっていた。


 見送る人々は多くはない。だが、その全てが、彼の旅立ちを「祝福」として受け止めていた。


 門の傍らには、アレシアが立っていた。


 「道中、気をつけて」


 「君がいるなら、ここは大丈夫だろう。塔が何を仕掛けてきても、“声”はもう消えない」


 「……責任、押しつけすぎ」


 「信じてるだけさ。君たちを」


 最後に、彼は空を見上げた。


 東の空に、淡い朝焼けが広がっていた。


 「さて――次の声を探しに行くか」


 馬の足音が、まだ静かな街路に響いた。


 その背中は、確かに“王”を背負っていたが、それ以上に、“物語を紡ぐ者”としての歩みだった。

王都を出て数日、道は細くなり、風の匂いが変わった。


 岩混じりの小径を馬で進みながら、フィン・グリムリーフは静かに風景を見渡していた。遠くに、昔訪れた薬草の谷が見える。けれどその姿は、かつてとは違っていた。岩肌が崩れ、緑がまばらになっている。


 「……環境も、戦いの傷を負っている」


 小さく呟いた声が、馬の足音にかき消される。道中の土は乾いて割れており、戦火によって通行が絶えていたことを物語っていた。ところどころには、折れた木の幹や黒く焦げた草が無残に横たわっている。


 そのとき、木立の陰から何かが動いた。


 フィンが馬を止めると、藪の中から現れたのは、小さな少年だった。ぼろぼろの服に身を包み、手には、歪な形のパンを握っている。


 「お、おまえ……旅人?」


 少年の目は、好奇心と警戒の混じった曇りの色をしていた。


 フィンは、ゆっくりと馬から降りた。鎧ではなく、あえて布地の旅装を纏っていた彼の姿に、少年は少しだけ警戒を解いた。


 「そうだ。……この先の村に向かっている」


 「そっちは……もう、ないよ」


 少年の言葉に、フィンの眉が動いた。


 「……焼かれた?」


 少年は頷く。


 「塔の兵隊が来て、“非協力的な集落”って言って……全部燃やしてった」


 短く、けれど重たいその言葉が、フィンの胸を刺した。


 彼はそっとしゃがみ、少年の目線に合わせて言った。


 「君は、ひとりで?」


 「姉ちゃんと逃げてきた。でも、熱が出て動けなくなって……薬、なくて……」


 そこまで言うと、少年は目を伏せた。


 フィンは、鞄から干し肉と水筒、そして携帯していた応急薬の包みを取り出し、少年に手渡した。


 「案内してくれるか?」


 少年は驚いた顔をしたが、黙って頷いた。


 やがて木立を抜けた先、崖に作られた小さな洞穴にたどり着いた。その中には、やせ細った少女が横たわっていた。顔は真っ赤に火照り、唇は乾いている。


 フィンは、少女の手を取った。脈を確認し、額に布を当て、即座に行動に移った。


 「大丈夫、助ける」


 彼の声は、かつて剣を振るった時とはまるで違う。けれど、同じ重みを持っていた。


 魔術は使えない。ただの人として、王である前に旅人として、目の前の命を救いたい。それだけが彼を突き動かしていた。


 腰には剣がある。けれどこの時ばかりは、抜くことはなかった。


 夜が深まり、ようやく少女の熱が引き始めた頃、少年はフィンの隣で小さな声を漏らした。


 「……ありがとう。おじさん、なんでこんなことしてくれるの?」


 「おじさん……か」


 フィンは苦笑しながら、空を見上げた。


 「昔、俺も誰かに助けられたんだ。あのとき、命を繋いでくれた人がいたから、今ここにいる。だから今度は、俺の番だと思ってる」


 少年はしばらく黙っていたが、やがてぽつりと呟いた。


 「おじさん、王様ってほんと?」


 フィンの瞳が、夜の中で微かに光る。


 「うん。でも今は、ただの旅人さ」


 「じゃあ、王様って……いつも、こんなことしてんの?」


 「……こんなことばかりじゃない。でも、こういうことが、いちばん大事だって思ってる」


 火の明かりが揺れ、洞穴の壁にフィンと少年の影が重なって揺れた。


 翌朝、少女は自力で起き上がることができた。フィンは彼女の顔を見て、深く息をついた。


 そして、再び旅支度を整えると、少年に言った。


 「ここから北に進めば、再建された診療所がある。カイに話は通してある。君たちは、そこに行くといい」


 「……カイって、魔法の人?」


 「そうだ。少し変わり者だけど、頼りになる」


 少年は少女の手を引きながら、何度も振り返って手を振った。


 フィンはそれに応えながら、小さく呟いた。


 「この旅に、正解なんてない。でも――」


 「また誰かが笑ってくれるなら、それでいい」


 風が吹き抜ける。


 王の冠はなくとも、腰の剣はなおも彼の信念を映す。


 だがその背にあるのは、確かな意志と、歩んできた証。


 それこそが、フィン・グリムリーフが背負う“王の本質”だった。

旅に出てから十日――

 フィン・グリムリーフは、廃れた谷の集落跡を歩いていた。地図には載っていない。記録にも残らない。けれど、たしかに人々が生きていた場所だった。


 歪んだ柵、干からびた畑、崩れかけた小屋。すべてが朽ちかけていたが、それでも地面には足跡が残っていた。焼け跡の上に、小さく重なる足跡――子どものものだ。


 「……つい最近まで、誰かがいた」


 フィンは息を飲んだ。木製の窯の中には、半焼けのパンが一つ、崩れた薪の上に残されていた。誰かが朝を迎えようとして、叶わなかったのだ。


 その手前に、小さく彫られた言葉があった。


 > 「にいちゃん また きっとくる」

 > 「がんばる まけない」


 不格好で、読みづらい。けれど、それだけ強く、力いっぱい刻まれていた。


 「……これが、声だ」


 そのとき――


 「動くな!」


 叫びとともに棒を振りかざしてきた少年がいた。

 ボロボロの服。煤けた頬。だけど、その目だけは鋭く、強い光を放っていた。


 「ここは……誰もいないはずだ。どうして……」


 「盗りに来たんだろ!どうせまた“処理”するんだ!」


 フィンは一歩も動かず、ただ少年を見つめた。


 「違う。俺は――」


 「嘘つくなっ!」


 叫びは怒りではなく、恐れだった。

 フィンは、ようやく口を開いた。


 「……俺は、王だ。けど、民を縛るためにここへ来たんじゃない。旅をして、知らない声を拾っている。君の話を聞かせてほしい。命令じゃない。願いだ」


 少年の手が、僅かに揺れた。


 「王?……そんなの、信じない。おれの父さんが言ってた。“王なんて信用するな。声の届かないところで、勝手に決めるだけだ”って」


 「……そのとおりだ」


 フィンは、すっと膝をついた。少年と同じ目線になる。


 「俺も、かつては王という立場のまま、すべてを決めようとしていた。けれど――それじゃ何も届かない。だから、旅に出たんだ。名もない声に出会うために」


 少年は黙ったまま、棒を手放した。


 「……おれ、ロイ。母さんと……逃げてきた。でも、途中で母さん、連れてかれて……。残ってた妹も……もう、わからない」


 「ロイ」


 フィンは、鞄から手帳と鉛筆を取り出した。


 「俺は旅の間に、出会った声をすべて記録してる。君の話も、ここに残していいか?」


 ロイは驚いたように目を見開いた。


 「……おれ、うまく話せない。難しい言葉とか、知らないし」


 「大丈夫。思ったままで、ありのままでいい」


 フィンは手帳を広げ、静かに鉛筆を構えた。


 「……火が見えた。母さんが、おれを背負って逃げた。音がいっぱいで、でも絶対泣くなって言われた。塔の兵士に見つかったら、殺されるかもしれないから……」


 かすれた声を、フィンは丁寧に書き取った。


 「……ありがとう。君の言葉は、ここにある。誰にも消せない。俺が“証人”として持っていく」


 ロイはしばらく黙っていたが、やがてぽつりと言った。


 「ほんとに……王なの?」


 「そうだよ。でも今は、ただの旅人だ。王としてできることが限られているなら、それ以外の方法で、守れることを探してる」


 「……わかんないけど、あんたはちょっと……ほかの大人とは違う」


 「それで十分だよ」


 焚き火の火が揺れる。空には星がひとつ、濃く光っていた。


 ロイはやがて、そっとフィンのそばに座り込んだ。


 「……おれもさ。いつか、声を届ける側になりたい」


 「きっとなれる。君の中にはもう、誰かの痛みを知って、伝えたいって思う心がある。それが始まりなんだ」


 夜は静かに更けていく。


 フィンはページの余白に、ロイの名と日付を書き記し、手帳を閉じた。


 そして心の中で誓った――

 この声を、消させはしない。どれだけ遠くても、誰が敵でも。

 これが、王としてではなく、“旅する王”としての戦いだ。


 焚き火の赤が、彼の瞳を照らした。


 星々の下で、静かに、確かに。

 フィン・グリムリーフの旅は、新たな“物語”を胸に進んでいく。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。

 第4巻は、王都からの旅立ち、仲間たちとの別れ、そしてフィンが「旅する王」として歩き出す姿を中心に描いてきました。


 今回のdパートでは、「文字も持たず、声も届かず、ただ踏みつけられてきた人々」の存在を描くことで、フィンの旅が単なる冒険ではなく、“証言と記録”の旅であることを明確にしました。


 物語の本質は、どこかで誰かが抱えている「小さな祈り」にあります。

 ティナならきっと言うでしょう。


 >「魔法より、大事なこともあるんだよ」


 次巻では、いよいよフィンが“塔”に近づいていきます。

 そのとき彼が拾うのは、世界の秘密か、それともさらなる悲しみか。


 どうか、引き続きこの物語を見守っていただければ幸いです。


 それでは――また、新しい“声”の元で。


物語を「面白い」「続きを読んでみたい」と感じていただけましたら、

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読者の皆さまの声が、作者の筆を進める大きな原動力になります。

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