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78話:燃える火と石の記録

「記録」という言葉には、どこか冷たい響きがあります。でも、それが“人の声”で紡がれたものなら、きっと心を動かすものになる。

今回の話では、カイやアレシア、リナたちが「市民の声」を未来へつなぐために動き始める様子を描きました。

塔が閉ざすなら、自分たちで開かれた記録を残す。それは反抗でも暴動でもなく、“言葉”という炎による静かな革命です。

王都の朝は、どこか静かなざわめきを抱えて始まった。


 石畳の街路を行き交う人々の足取りは軽やかでありながら、どこか慎重だった。まるで、空気そのものが何かの変化を予感しているかのように、通りを吹き抜ける風はひんやりと緊張を帯びていた。


 市場では新鮮な果実や野菜が並び、陽気な商人たちの声が飛び交う。しかし、通りすがりの老婆がふと立ち止まり、囁いた。


 「……塔が、また動き出すって話だよ」


 その言葉に、近くの若者たちが肩を寄せ合う。


 「フィン王の改革が始まって以来、塔は黙ってたけど……」


 「黙ってただけさ。嵐の前の静けさってやつかもな」


 そんな市民たちの会話の一方で、語り場の中央には、朝からすでに多くの人々が集まっていた。


 円形の白い天幕の中。仮設の木製ベンチに座ったのは、商人、職人、老夫婦、学者の卵、そして子供たち――。


 「……おはようございます、皆さん」


 フィンの声が響くと、ざわつきが落ち着く。


 「今日は、街の“予算”について話したい」


 そう口を開いたフィンの隣には、政務官アレシアが立ち、手元の資料を広げた。


 「本年度、王都に配分された予算のうち、約三割が“塔”の研究および文書保全に充てられてきました。一方、教育、医療、食糧支援に割かれた予算は……」


 アレシアの説明を受けて、市民たちの表情が曇る。


 「つまり、俺たちの税金で、あの石の塔を維持してるってことか?」


 怒りに満ちた男の声に、フィンは静かに頷いた。


 「塔の知識は重要だ。だが、それが民を飢えさせていい理由にはならない」


 この発言に、会場には拍手がわき起こった。だがその中に、不安げに手を上げる青年がいた。


 「でも……塔の人たちの中にも、善意で働いてた人はいるんですよね?」


 フィンはその問いを受け、微笑んだ。


 「もちろん。問題は“制度”だ。その中で働いていた人たちを責めることはしない。変えるべきは仕組み、閉ざされた権力の構造なんだ」


 市民たちは頷き合い、少しずつ議論は深まっていく。


 語り場が終わる頃、年配の男が立ち上がった。


 「……わしら、これまでただ我慢してきた。でも、あんたの言葉を聞いて、変わらなきゃいかんと思った。わしらが動かんと、未来も変わらんのじゃな」


 それは、長年“支配される側”でいた人々が、自らを“選ぶ側”へと変えていく瞬間だった。


 語り場の終わりに、フィンは最後の言葉を送った。


 「俺は、皆さんを導く王であるより、共に悩み、考え、進む仲間でありたい。だから、これからも語ってほしい。怒りも、痛みも、希望も、全部」


 その瞳には、炎のような誓いが宿っていた。


 そして語り場を後にしたフィンは、政務官アレシアと共に、新たな報告を受けるため、王宮へと戻るのだった。

仮設テントの一角で、フィン・グリムリーフは御者の表情を気にしつつ、手元のメモを見やった。


 アレシアから渡された《塙に関わる文書》、そしてリナやカイが集めた《市民の声》。それらを組み合わせ、見やすいパネル資料として整理している最中だった。


 「資料はまとまった。……まず最初の読み手は、誰がいいと思う?」


 カイが彼のそばに近づき、その声で、フィンの思考に流れを与えた。


 「読み手は、この情熱を“伝えられる”やつ、か。でも事務的な投稿も必要だ」


 「その両方を兼ね備えてるのは……アレシアか、リナか」


 「いや、読むのはまた別の者にして、事前のパネル説明は他の者にやらせよう。“この声”に勝るものはないよ」


 カイはそう言いながら、目線を小さなテントに向けた。


 そこでは、年かさの女性が声を震わせながら、道端の草の上に置かれた紙の表に、「家族としての声」を記していた。


 「……あの日、私たちは“黒い窓”の向こうに、光があると信じていました」


 「子どもに食べさせるものがない日……八リーフのパンを諦めて、薬草の煎じ薬を買った日……そのとき赤ん坊の小さな手が私の指を握った、その温もりを、私は一生忘れません」


 その声は泣きながらも、確かな強さを含み、言葉になった記録は630文字に満たぬ短文ながら、市民の生きた記録として深く力を宿していた。


 カイはその記録を静かに読み上げ、パネルのどの位置に収めるかを指差しで指示した。


 「これが、この街の“歴史”だ。書物に残らなかった、だが確かにあった人々の声……」


 カイは、自らの指先で紙片を撫でながら、語るように囁いた。


 「これを読めば、誰もが“耳を傾けよう”と思うはずだ。まずは“聴くこと”──それから“何ができるか”を考えることだよ」


 そう語る彼の声は、どこか静かな炎のように、フィンの胸にも灯を宿していく。


 やがてその夜、パネルの公開が始まった。


 会場は、王都南部の広場。かつての戦争記念碑が見える場所に、カイの魔術で創り出された千人規模の大テントが張られていた。


 柱には魔法の紋が描かれ、光の波が天幕をゆるやかに照らしていた。夜の闇の中、それはまるで希望の焔だった。


 市民たちは、言葉を交わすことなく次々と集まってくる。胸に何かを抱いたまま、だがその顔にはどこか温もりがあった。


 そして、開幕の言葉として、カイの声が場内に響いた。


 「光も、食べられない夜がありました。ひとつのパンを、三人で分けた夜もありました」


 「その日々の記録は、誰かに忘れられるものではありません。ここに、あります」


 彼の声に、小さな子どもも、マントを羽織った青年も、老人も、皆が耳を傾けた。


 そして、開かれた“記録の壁”。そこに貼られたのは、戦いではない日常の勇気。叫びではなく、囁きのような希望。怒りではなく、つながる手の温もりだった。


 編まれたパネル、束ねられた言葉、交わった記憶。それらはすべて、一人ひとりの「人」としての物語だった。

王都の空は、澄んだ青を湛えていた。


 しかし、その空の下で広がる通りには、微かな緊張の気配が漂っていた。パネル公開から一夜明け、王都の各区では早朝から人の流れが増えていた。市民たちは語り場に足を運び、壁に掲げられたパネルに目を通し、そこに綴られた言葉に立ち止まっていた。


 フィン・グリムリーフは、東区の広場でその様子を見守っていた。陽光が差し込む中、年配の男性が一枚の紙を読み上げていた。


 「──『母の手は、いつも皿を洗っていた。夜中になっても。私は、その背中が沈んでいく音を覚えている』……」


 彼の声はかすかに震えていたが、確かに人々の心に届いていた。その隣では、リナがパネルの保護用の布を巻き上げ、読みやすいように整えていた。


 「リナ、状況は?」


 フィンの問いかけに、リナは汗を拭いながら答えた。


 「順調よ。市民の中には涙を浮かべてる人もいたわ。だけど、それだけじゃない」


 「……何があった?」


 「南区で、パネルが破られたって」


 フィンはその言葉に眉をひそめた。


 「塔の関係者か、それとも……」


 「わからない。でも、嫌な空気が流れてるのは確か。私たちのやろうとしてることを、快く思わない連中はまだ多い」


 フィンは頷き、周囲を見渡した。


 「……この空気を変えるには、もっと踏み込むしかない」


 その時、アレシアが急ぎ足でやってきた。


 「フィン、ちょうど探していました。塔側の動きがありました。北の文官団が集団で動いています。恐らく、パネルに対抗して『訂正文書』を発行するつもりです」


 「予想通り、動いてきたか……」


 フィンは口元を引き締めた。


 「彼らの訂正は、“正しさ”ではなく、“正しそうに見せる”ための情報操作だ。ならば、俺たちは“感じたこと”そのものを、伝え続けるしかない」


 「でも、それだけでは……」


 アレシアの声に、フィンはゆっくり首を振った。


 「塔の偽りに勝つのは、真実の重みじゃない。“誰が語ったか”なんだ。名もなき母親が語った一言が、王族の声明よりも胸に刺さることだってある」


 その言葉に、リナもアレシアも黙って頷いた。


 その後、三人は簡易会議を開き、王都全域での語り場拡充計画を立てた。フェンリックが調達した資材、カイが増築した小テント、アレシアの連絡網──すべてが一つにつながりつつあった。


 そしてその夕刻。


 再びフィンが東区の広場に立った時、そこには新たな光景が広がっていた。


 一人の少年が、紙を握りしめ、読み上げていた。


 「ぼくは、パパがいないけど、ママが毎日、ぼくのぶんまで働いてくれます。だから、ぼくは大きくなったら、ママに楽をさせたいです」


 その声に、多くの人々が立ち止まった。誰もが無言で、しかし深く耳を傾けていた。


 フィンはその様子を見ながら、小さく呟いた。


 「……これが、“始まり”だ」


 静かに、王都の風が変わっていくのを、彼は感じていた。

夜のとばりが静かに王都を包み込む頃、南区の広場に設けられた大テントでは、数百のろうそくが揺らめく灯りを放っていた。

 その光に照らされ、集まった市民たちの顔が浮かび上がる。老いた者、若き者、そして子どもたち――皆が今宵の「語り場」に耳を傾けようとしていた。


 「今日は、特別な記録の朗読があります!」


 昼間から走り回って告知を行っていたフェンリックが、満面の笑みで壇上から声を張り上げた。彼の宣伝の効果は絶大で、これまでで最も多くの人々がこの場に集まっていた。


 壇上の中央には、黒衣の魔術師カイが立っている。彼の前には大きな巻物と冊子、パネルにまとめられた記録の展示。全てはここ数日で集められた市民の声の結晶だった。


 「この声は、かつて塔に仕えていたある母親の記録です」


 カイの穏やかな声が、ろうそくの炎と共に夜空に滲んでいく。


 『あの日、私は塔の書庫で帳簿を整理していました。息子が高熱を出しても、職を失うわけにはいかなかった。けれど、あの子の寝顔を思い出しながら数字を追うたびに、私は――何を守っているのか分からなくなっていったのです』


 テントの内外には、自然と沈黙が広がった。焚き火のそばでは、年老いた男が静かに涙を拭っている。孫がその膝の上で安心しきったように眠っていた。


 「この声に資格があるかと問われれば、私はこう答えます。――苦しみの中でも、なお生きようとした事実こそが、その証です」


 カイの言葉に、広場の空気がわずかに震えた。


 「そして今夜、私たちはもう一つの試みを始めます」


 カイの背後から、アレシアが進み出る。青銀のローブに身を包み、その表情はいつにも増して凛としていた。


 「塔が記録を閉ざすなら、私たちは開かれた記録を作るまで。――市民一人ひとりの声を記録し、保管し、次代へと渡す場を設けます」


 彼女がそう宣言すると、小さな拍手があちこちから湧いた。


 やがて、その拍手は広がり、波となってテント全体を包み込む。


 「これは、学問ではありません」


 壇上にリナも加わり、堂々と前に出た。紅いスカーフを結んだ彼女の姿は、街の職人や護衛の代表でもあった。


 「塔の知識が古びた石碑だとしたら、これは今、燃える火だと思う。凍える人の傍に置くなら、どっちがあたたかいか……考えれば分かるよね?」


 軽妙な口調に、思わず会場から笑いがこぼれた。


 その笑いは、一瞬の和らぎを与え、また静かに消えた。


 語り場の後方、ろうそくの灯に照らされながら、フィン・グリムリーフが静かに立っていた。彼は壇上に上がることなく、ただ人々の声に耳を澄ませていた。


 その様子を見つけたひとりの少年が、そっと手を振る。フィンは気づくと、笑みを浮かべて小さく手を振り返した。


 ――彼は今、王ではなく、ただの「聞き手」だった。


 だが、その姿に市民の誰もが気づいていた。言葉にされぬ信頼と敬意が、そこにあった。


 一方、王都の最奥。かつて権威と秩序の象徴とされた塔の最上階。


 老学士ゲルマンドは、ろうそくの火が揺れる書斎で一冊の記録を閉じた。


 「……民の声がここまで響くとはな」


 彼は目を細め、静かに立ち上がる。古びたローブの裾が床を擦る音が、塔の中にこだました。


 「補佐官。対話の時は終わった。……そのように伝えよ」


 背後に控えていた若き補佐は、沈黙のまま深く頭を下げ、階を下りていく。


 塔の窓の外では、王都の広場に灯る千の光が、夜の空にきらめいていた。


 語られた声は記録となり、記録は人々の胸に種を蒔く。


 それは、やがて訪れる新たな夜明けの――前触れだった。

夜の語り場で、市民たちが耳を傾けるその光景は、きっとこの世界にとっての“希望”の形。

フィンが語らずともそこに立っていたことに、彼の覚悟が滲んでいたと思います。

そして、最後の塔の動き――穏やかな語りの裏で、静かに忍び寄る嵐の気配も。

「語り」の灯火が、どこまで闇を照らせるのか。

次回、79話でもまた、大きな転機を迎えることになります。

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