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76話:囁く知と、選ばれし声

王都での演説を終え、フィンたちは静かに次なる一歩を踏み出しました。

 賛否入り乱れるなかで、塔と王家の対立はすでに後戻りできない段階に入りつつあります。


 第76話では、塔の思惑がさらに深まりつつある状況と、それに備えて動き出す仲間たちの姿を描きました。

 この混迷の中、果たしてフィンの掲げる「民意を軸にした改革」は本当に実を結ぶのか――。

霧雨のような風が王都を包んでいた。春と呼ぶにはまだ肌寒いその朝、王宮のバルコニーから見下ろす街並みは、かすかな霞に覆われながらも、確かに動き出していた。


 フィン・グリムリーフは、白銀の装束に身を包み、静かにその光景を眺めていた。目に映るのは、再建中の広場、張り替えられた街路の石畳、そして市民たちの慌ただしくも活気に満ちた日常の断片だった。


 王都は、変わろうとしている。

 いや――変わらなければならないという意志が、街の隅々にまで広がりつつあった。


 「……まさか、塔を公に批判する日が来るとはな」


 背後から、くぐもった声が届いた。振り向けば、赤いマントを羽織ったカイが立っていた。肩には夜の名残を思わせる黒猫が乗り、その尾がゆらりと揺れている。


 「意外だったか?」


 「正直言ってな。お前はもっと、穏やかに物事を運ぶタイプかと思っていた。だが……見違えたよ、フィン・グリムリーフ」


 彼の名を正式に呼んだその口調には、かつての皮肉がなかった。


 「責任ってやつだよ。王として、避けて通れない戦いもある」


 フィンは苦笑混じりにそう返すと、再び街へと視線を戻す。


 「……あの広場での発言が、王都にとってどれだけの波紋を呼んだか、わかっているのか?」


 「もちろん。塔は黙っていないだろう」


 「それだけじゃない。お前の姿勢を見て、市民は動き出す。期待も、失望も、そのすべてを背負う覚悟があるのか?」


 その問いに、フィンはほんのわずかだけ黙した後、静かに頷いた。


 「あるよ。……背負うしかないからな。俺が、“ここ”に立ってしまった以上」


 “ここ”――それは王の座であり、同時に裁かれるべき場所でもあった。


 不意に、誰かが石段を駆け上がってきた音がした。振り向くと、リナが息を切らせて現れた。


 「見つけた……! こっちにいるって思ってた」


 「おはよう、リナ。朝からご苦労さま」


 「おはようじゃない! 今、評議会の議場が揺れてるって知ってる?」


 「揺れてる?」


 「塔が、自分たちに都合のいい文書を発表しようとしてるの。“王の提言は一時的な激情によるものであり、修正が必要である”って」


 カイが眉をひそめた。


 「情報操作か……早いな」


 「……でも、それだけ焦ってるってことでもある」


 フィンは唇を噛んだ。彼がようやく切り込んだ塔の支配構造は、見えざる網のように社会に張り巡らされていた。切り裂いたはずの糸が、すぐに別の形で絡みついてくる。


 「反撃ののろしってことか」


 「ええ。でも……だからこそ、次の一手を早く打たないと、流れを失うかもしれない」


 リナの声には焦りと、それでも諦めない熱があった。フィンはその目を見返し、ゆっくりと頷いた。


 「わかってる。次は――“塔”の中に踏み込むしかない」


 その言葉に、リナもカイも一瞬、息を呑んだ。


 「まさか、あそこに乗り込む気か?」


 「正面から話すしかないだろう。“記録の守護者”としての誇りがまだ彼らに残っているなら、対話の余地はある」


 「だが、逆もあるぞ。閉じられた知識は、時に牙を剥く。あそこは“城”だ。外部の言葉を許さない、鉄壁の構造だ」


 「それでも、行く」


 フィンの声は揺るがなかった。


 その決意に、リナが一歩近づいた。


 「だったら、私も行くよ」


 「俺も同行する。情報の扱いは、俺の得意分野だ」


 その場に、静かな連帯感が生まれる。かつてはただの旅の仲間だった三人が、今や王都の未来を左右する行動を共に決意している。


 バルコニーの端に立ち、フィンは再び王都を見下ろした。


 塔がそびえるのは、中央区の奥深く。かつては誰もが誇りに思っていた“叡智の殿堂”。だが今や、民から遠ざかる象徴でもある。


 そこへと、王自らが足を運ぶ――それはまさに、時代の転換点を意味していた。


 「よし。準備を整えよう」


 そう言ったフィンの声は、静かでありながら確かな響きを持っていた。

王都中央区にある「知識の塔」は、灰色の石造りの外観が特徴的な六角形の建物だった。

 その外壁には一切の装飾がなく、ただ高く、まるで天を突くようにそびえている。上部に行くほど窓の数が減り、塔の最上部はまるで閉じられた結界のような構造をしていた。


 「……やっぱり威圧感があるな」


 フィン・グリムリーフは、塔の前に立ち尽くしていた。肩には外套を羽織っているが、春先の風が鋭く、その布をわずかに揺らす。

 彼の隣では、リナとカイも無言のまま塔を見上げていた。


 「中に入れるのかしら。外部の者は立ち入り禁止って聞いてたけど」

 「それでも王の名を持つ者が門前に立てば、無視はできないだろう」

 カイの言葉にうなずき、フィンは重厚な門の前へと進む。


 塔の扉は無音で開いた。中から現れたのは、灰色のローブを纏った老人だった。

 その顔は深い皺に覆われているが、目だけは鋭く、まるで内面を見透かしてくるようだった。


 「王自らお出ましとは。……塔に、何の御用ですかな?」


 「話がある。民の未来に関わる、大切な話だ」


 しばしの沈黙の後、老人は身を引いて言った。

 「ならばお入りください。ただし、同伴者は塔の規則により……」


 「ならば、我が命において許可する」

 フィンが静かに告げると、老人は一瞬驚いたような表情を浮かべたが、やがて頷いた。


 「……かしこまりました。では、こちらへ」


 塔の中は、外観とは異なり、意外なほど整然としていた。

 中央に広がる円形の空間は静まり返り、床には幾何学模様が描かれている。

 壁際には無数の書棚が並び、魔法によって浮遊する本がゆっくりと行き交っていた。


 「……これが、知識の塔の中心……」


 リナがぽつりとつぶやく。だが、誰も答えなかった。三人の視線の先にあるのは、その奥、白大理石で組まれた演壇だった。


 そこに、十数人のローブ姿の賢者たちがすでに集っていた。

 彼らはまるで裁判官のような雰囲気をまとい、フィンたちを見下ろしていた。


 「王よ、なぜ我らの聖域に踏み込んだ?」


 「話し合いのためだ。塔と、民と、王都の未来のために」


 「記録の保存こそが、我らの使命。情に流され、秩序を失うなど――」


 「秩序を保つために民が犠牲になるのは、本末転倒だ!」


 フィンの声が、円形の広間に響き渡る。


 「記録を守ることは否定しない。だが、それが市民の命を後回しにする理由にはならない。塔が民の信頼を失い始めている。それでもなお、過去の記録を抱えたまま進むというのか?」


 沈黙。だが、その中で一人の若い賢者がゆっくりと立ち上がった。


 「……王の言葉に、理がないとは言えません。ですが、我らは誓いを交わしている。記録の中立性を守るため、政治に関与しないと」


 「ならば、その誓いの形を見直す時が来たのかもしれない。塔は王都の一部であって、王都の外ではない。民と断絶して成り立つ中立など、幻想だ」


 再び静寂。


 その中で、フィンはまっすぐに告げた。

 「俺は、この街を民の手に戻す。塔も、知の力も、そのためにあるべきだ」


 静かに、誰かの椅子がきしむ音がした。

 そして――変化は、そこから始まるのだった。

王都西部、陽が傾きかけた大通りを、フィンたち一行は慎重に進んでいた。


 舗装の不揃いな石畳が馬車の車輪を小さく揺らし、鈍い音が車体の下から響く。左右に連なる店の看板は色褪せ、ところどころ板張りの窓が打ち付けられている。往来を行き交う人々の姿も疎らで、誰もがどこか警戒した様子で足早に通り過ぎていく。


 「……まるで、何かを避けるようだな」


 リナが警戒を込めた低い声でつぶやく。


 「この辺り、以前はもっと賑わってたはずだ。魔具屋や食堂が軒を連ねてたし、夕刻なら子供の声も聞こえた……はずなんだが」


 フィンは視線を巡らせながら、わずかに眉をひそめた。


 「王都騎士団の管轄を離れて、民兵団の影響が強い地区に入った。だからかもしれない」


 カイが背後から静かに補足する。その声音には、何かを探るような冷静さがあった。


 フィンは足を止め、古びた掲示板に目を向けた。

 そこには、紙片が何重にも重ね貼りされており、一部は剥がれかけている。その中に、はっきりと目を引く文字があった。


 《正義は塔にあり。偽りの王に従うな》


 その文言に、リナがあからさまに顔をしかめた。


 「……堂々と、あんなことを書きやがって」


 「市民の動揺を煽るのが目的だろう」


 フィンは静かに応じ、紙片を指先でそっと破り取った。

 だが、その下からまた同じ文言が現れる。まるで、何度破っても終わらぬ誹謗の連鎖だ。


 「塔の連中、根回しが早いな。騎士団が動きづらい地域を狙って情報をばら撒いてる」


 フェンリックが呟くと、背後の影から犬耳の少年が顔を覗かせた。


 「……あの、こっちに来てください」


 突然の呼びかけに、一行が振り向く。

 声の主は、まだ十歳前後と思しき少年。だがその瞳は年齢以上に鋭く、フィンを真正面から見据えていた。


 「君は……?」


 「こっちです、早く」


 少年は返事を待たずに路地裏へ駆けていく。


 フィンたちは互いに目配せを交わし、無言のまま後を追った。


 狭い路地の奥には、背の低い民家が寄り添うように並んでいた。洗濯物が風に揺れ、どこか懐かしい生活の匂いが漂う。少年はその中の一軒へ駆け込み、そっと扉を開けた。


 「入って」


 警戒しつつも、フィンたちはその家に足を踏み入れた。


 中は粗末だが清潔で、家具も簡素ながら丁寧に使われていることが伝わってくる。


 「母さん、連れてきたよ」


 少年の声に応じて、奥の部屋から中年の女性が現れた。目尻に皺を刻んだその顔には、疲れと同時にどこか安心したような表情が浮かんでいた。


 「……あなたが、王様?」


 「フィン・グリムリーフです。突然の訪問をお詫びします」


 フィンが軽く頭を下げると、女性は微かに笑った。


 「いいえ、王様が来てくださるなんて、夢のようです」


 彼女は小さな布袋を取り出し、テーブルの上に置いた。

 その中には、色とりどりの布片や、紙に書かれた詩、そして街の現状を記した手紙が入っていた。


 「これ……近所のみんなが託してきたの。どうか、王様に届けてって」


 フィンはその一つ一つに目を通した。

 貧しさの中にあっても、誰かを思う気持ちが込められた贈り物。それは金や権威よりも、遥かに重みを持つものだった。


 「……ありがとう。俺は、必ずこの街を変える。そのために、あなたたちの声が必要なんだ」


 彼の言葉に、女性の目に涙が浮かんだ。


 その光景を見ていたリナが、小声で呟く。


 「……やっぱり、こういうのが一番効くんだろうな」


 「うん。剣じゃなく、言葉で、想いで」


 フィンは立ち上がり、再び路地裏の空を見上げた。

 その瞳には、決意の光が宿っていた。


 この街は、まだ終わっていない。

 希望は、確かにここに生きている。


 そして、彼はそれを証明しなければならないと思った。

激しい雨が止んだ直後の森は、まるで深く眠っていた獣が目覚めたかのような重苦しさを帯びていた。


  水気を含んだ大地はぬかるみ、葉の隙間から差し込むわずかな光が、濃い霧と混じり合って幻想的な光景を作り出している。枝葉のしずくが時折、重みで落ち、地面に小さな水音を響かせた。


  フィン・グリムリーフは剣の柄に手をかけ、周囲の気配に意識を研ぎ澄ませていた。その背後には、リナやカイ、そしてフェンリックの姿が続いている。


  「……空気が妙だ。気配が複数ある」


  カイが霧の向こうを睨むようにしてつぶやいた。


  「霧の魔法……いや、自然の霧にしては濃すぎる。まるで、視界を奪うために張られた結界みたいだ」


  リナが弓に手をかけ、フェンリックは獣の耳を震わせながら嗅覚を研ぎ澄ませる。


  「獣の臭いじゃねぇな。これ、魔物……でも、普通じゃねえ」


  彼の言葉にフィンは小さく頷いた。


  「来るぞ──構えろ」


  その言葉と同時に、霧の向こうから影が飛び出した。


  黒い皮膜のようなものに包まれた異形の生き物。胴体は狼に似ているが、頭部は蛇のように伸び、無数の牙が内側から突き出していた。


  「……融合体か」


  フィンが剣を引き抜き、魔力を流し込む。刀身に宿る淡い青の光が、森の霧を一瞬だけ切り裂いた。


  「リナ、カイ、左右から包囲して! フェン、後方警戒を頼む!」


  「了解!」


  リナは素早く右へ、カイは左へと駆け出す。


  フィンは敵の正面に立ち、踏み込んだ。一閃。鋭い切っ先が異形の前脚を斬り裂いたが、獣は悲鳴ひとつ上げずに反撃してくる。


  蛇のようにしなる首が、唸り声とともにフィンを襲う。だが、その一撃を紙一重でかわした彼は、地面に滑り込みながら敵の腹部をえぐるように剣を突き刺した。


  だが、それでも敵は倒れない。


  「……不死か!? いや、再生してる!」


  カイの叫びと共に、斬り落とされたはずの前脚が、霧の中でうごめきながら再生していた。


  「魔核を狙え! どこかにコアがあるはずだ!」


  フィンが叫ぶ。リナは矢を番え、敵の動きに合わせて放った。矢は異形の胸部に突き刺さるが、弾かれたように地面に落ちた。


  「硬すぎる……」


  「いや、魔力障壁だ。フィン、俺が隙を作る!」


  カイが詠唱を始め、足元に魔法陣が浮かび上がる。熱を帯びた空気が一気に濃くなり、彼の掌から放たれた紅蓮の火球が霧を焼き払いながら敵に直撃する。


  その一瞬、魔力障壁が揺らいだ。


  「今だ!」


  フィンは渾身の力で踏み込み、敵の胸部に剣を突き立てた。その刃先が何か硬い核に触れ、青白い閃光が爆ぜた。


  異形の体が痙攣し、そして、ゆっくりと崩れ落ちる。


  静寂。


  霧が、音もなく晴れていく。


  「……終わったのか?」


  フェンが呟き、フィンは頷いた。


  「でも、これはただの斥候だろう。あんなものが一匹だけのはずがない」


  「つまり、本隊が近いってことか……」


  リナが険しい表情を見せる。


  その時、頭上を何かが通り過ぎた。フィンたちが顔を上げると、灰色の羽を持つ魔鳥が旋回し、警告するかのような鳴き声をあげていた。


  「偵察だ……塔の使い魔かもしれない」


  フィンは、剣を鞘に収めながら呟く。


  「敵はすでにこの森を掌握しているのかもな。早く情報を持ち帰らないと」


  一行は、足元に転がる異形の死骸を一瞥し、それぞれの武器を確認した。


  「行こう。次に出てくるやつは、あれより強い可能性がある」


  空を裂くような雷鳴が、遠くで響いた。


  森の静寂が、再び不気味な沈黙へと変わる中、フィンたちは霧の抜け道を探しながら、次なる戦いへと足を進めていった。

戦わずして勝つことの難しさを、改めて痛感する回となりました。

 塔の策謀は露骨さを増しつつも、正面からは攻めてこない。

 だからこそ、言葉と行動の一つ一つに、慎重さと覚悟が問われるのだと思います。


 次回、第77話では、塔側の動きが具体化していきます。

 そして、フィンと仲間たちは“真の試練”と向き合うことになるでしょう。


 ご感想や応援、とても励みになります。引き続きどうぞよろしくお願いします。

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