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74話:民の声、塔に届く時

王都の中心で、ついにフィンが真正面から塔に異を唱える場面です。

これまで積み重ねてきた信頼と経験を背に、彼が民衆と向き合う「覚悟」を見せる回となりました。

広場に集う人々のざわめき、評議会の緊張感、そして王として立つフィンの言葉――そのすべてが、今後の物語の転機となるはずです。

今話ではリナとの静かなやり取りや、群衆の変化にもご注目ください。

早朝の王都。空はまだ鈍い灰色に染まり、夜の名残を引きずるように霧が街路を覆っていた。

 石畳の隙間からは微かな湯気が立ち上り、昨日の雨が残した水滴が街灯に反射して鈍く光っている。


 「……静かすぎるな」


 エルシアは王城の見張り台から街を見下ろし、眉をひそめた。いつもなら市場の準備を始める声が遠くから聞こえてくる時刻だ。しかし今朝は、まるで街全体が何かを警戒するように息を潜めていた。


 一方、王城内の作戦室では、フィン・グリムリーフが机に広げた地図をじっと見つめていた。

 地図には各地区の警備状況、避難経路、市民評議会からの陳情がびっしりと書き込まれている。中でも塔の区域――街の記録と研究を一手に担うあの施設に関する記録には、何本も赤い線が引かれていた。


 「……塔の動き、ここ数日でさらに活発になってるな。昨日も目撃情報があった」


 塔は長らく中立の知識機関として尊重されてきた。しかし近年は、政治や予算、人材にまで干渉を始めていた。

 彼らの言葉は、かつてのような知恵ではなく、時に脅迫にも近い“命令”として街に響いていた。


 「民に寄り添うべき知識が、民を脅かすようになるなんてな……」


 独りごちるように言ったフィンに、後ろからリナの声が重なる。


 「だからこそ、塔に集中していた予算を街の医療や福祉に回すって決めたんだよね。でも、それが気に食わないって顔してたな、あの長老たち」


 リナは窓辺に立ち、曇った空を見上げた。

 「市民たちはちゃんと見てるよ。王様が民の声を大事にしてるって、伝わってる。あたし、昨日、市場の人たちから聞いたんだ」


 「ありがとう、リナ」


 フィンはわずかに微笑むと、視線を再び地図に戻した。


 その時、扉が音もなく開き、ノーラが姿を現す。


 「……塔の代表者が非公式に接触を求めています。“対話の席に応じる用意がある”と」


 「対話……建前だろう。何か裏があるに違いない」


 フィンの目が鋭くなる。ノーラも無言で頷く。


 「彼らが柔らかい言葉を使うときは、何かを隠しているときだ」


 「ノーラ、塔の動向を引き続き監視してくれ。近衛団にも警戒を強化するよう伝えて」


 「了解しました」


 ノーラは音もなく部屋を後にした。


 再び静寂が戻ると、リナが小さく呟く。


 「ねえ、王様……塔の人たちって、そんなに恐ろしいの?」


 「知識と力を持つ者が、正しさに溺れる時ほど、恐ろしいものはない」


 そう言って、フィンは王の印章にそっと手を置いた。

 それは彼が“王としての意志”を示すための象徴だった。


 「……俺はこの街を守る。塔の意思に従う王ではなく、市民の未来に仕える王として」


 彼の瞳に、迷いはなかった。


 霧の街。その灰色の空の下、静かなる決意だけが、確かに王都に満ちていった。

王都の中心に広がる円形広場は、いつになく張り詰めた空気に包まれていた。夜明けの冷たい風が石畳を撫で、朝陽がまだ低い位置から建物の影を長く伸ばしていた。広場の中央には古来より政治と対話の象徴とされる石造りの議事堂が鎮座し、その白灰の壁面が淡い金色に染まりつつある。


 その議事堂前にはすでに、夥しい数の市民が押しかけていた。商人、鍛冶職人、魔導技師、街の教師、さらには農夫や家事手伝いの若者たちまで――。皆、今日の評議会がただならぬ事態であると察していた。なかには弁当や椅子を持ち込み、長期戦を覚悟する者もいたほどだ。


 「……緊張してる?」


 リナの問いかけに、フィンは階段に腰かけたまま、口元に微かな笑みを浮かべた。


 「少しはね。でも、俺がここに立つのは避けられなかったことだ」


 その瞳には、迷いのない強い光が宿っていた。


 議事堂の重い扉がゆっくりと開くと、石段の先にある演壇へと、市民評議会の代表たちが次々と姿を現す。彼らの中には、伝統的な装束に身を包んだ保守派の長老もいれば、実務派らしい軽装の若手もいた。その列の最後に現れたのは、灰色の長衣を纏った“塔”の代表者だった。


 「市民の皆さん、本日はこのような場に足を運んでいただき、感謝します」


 代表の一人が言葉を発すると、群衆のざわめきが次第に収まり、静寂が場を支配した。


 そして、フィンがゆっくりと立ち上がり、演壇へと向かった。

 その歩みは静かでありながらも、王としての威厳を帯びていた。


 「……俺は、王としてこの場に立っています」


 その第一声が、広場全体に反響した。

 一瞬のざわめきの後、フィンは続けた。


 「今日、皆さんに伝えたい。王は塔のしもべではない。王は、記録の番人ではなく、市民の代弁者であるべきだと、俺は信じています」


 その言葉は、朝陽に染まりゆく石壁を震わせるように響いた。


 「塔が果たしてきた功績には、俺も敬意を持っています。だが、彼らが今なお街の予算の大半を握り、市民の生活が後回しにされている現状は、明らかに異常です。教育に必要な施設が建たず、医療が届かず、農地の修復すらままならない。これが、本当に知の守護者のすることなのか?」


 広場の一角から、ひとつ、拍手の音が鳴った。

 続いて、もう一つ、そしてそれは次第に波紋のように広がり、やがて広場全体を覆う拍手の嵐となった。


 その時、塔の代表が立ち上がった。

 その老齢の男は、濁った瞳に憤りを湛えながら、演壇に向かって声を上げた。


 「王よ、あなたの言葉は感情的に過ぎる。塔の知は千年の歴史を支えてきた。記録なき街は、未来なき街に等しい!」


 その一喝に、空気が一変する。だが、フィンは怯まなかった。


 「記録は重要です。けれど、それを抱え込むために市民が犠牲になるのは本末転倒だ。塔が築いた知の遺産は尊い。しかし、それはあくまで“人々のために使われる”べきものでしょう?」


 フィンは一歩、演壇の縁まで踏み出した。


 「塔は、知の名の下に人材と資金を吸い上げ、今や閉じられた権威の砦と化している。知識の力が暴走すれば、それは暴力と変わらぬ。私は、街をそのような支配から解き放ちたい」


 再び、議場に沈黙が落ちた。


 やがて、一人の評議員が椅子を引いて立ち上がった。


 「……私も、王の意見に賛成します」


 その声に、周囲の何人かが頷き、さらに別の評議員が追随する。


 「塔の力は尊重すべきだが、それが市民の暮らしを損ねているなら、見直さねばならぬ」


 だが、反対の声も即座に上がる。


 「塔を弱めれば、この王都は他国の学術都市に遅れを取る!」

 「知識の蓄積なくして、街の発展などあり得ぬ!」


 感情と理屈がぶつかり合い、議場は激しく揺れた。


 リナがフィンにささやく。


 「……意見は割れてるけど、でも、確実に風向きは変わってる」


 フィンの視線の先には、揺れる民意のうねりがあった。

 塔という存在に初めて真っ向から疑問が投げかけられ、市民一人ひとりが“選ぶ”という行動に動き出していた。


 ――そして、それこそが彼の目指す未来だった。

その瞬間、議場の扉がひとつ音を立てて開いた。


 振り返った視線の先には、よれた服を着た一団――市場の荷運び人、養育院の女性、片足を引きずる退役兵――が、揃って一歩を踏み出していた。彼らは誰の許可もなく、ただ“民のひとり”として、議事堂の階段を上がってきたのだ。


 「おい、なんだあれは……」

 「衛兵は何をしている……!」


 ざわつく評議員たち。塔の代表が席を立ち、厳しい声を放つ。


 「ここは民衆の劇場ではない。討論の場だ。無断で演壇に近づくなど、規律を――」


 しかし、言葉を遮るように、先頭に立った壮年の男が声を張り上げた。


 「規律が、飢えた子どもたちを救ってくれるのか!」


 その一喝が、議事堂の石壁にこだました。


 「俺は王都の外れで、木箱の中に子どもを寝かせている。薪が買えず、夜の冷え込みを耐えるのに必死だ。それでも、塔には新たな書庫が建ち、使われぬ古文書のために屋根が金で葺かれる……」


 男の声は震えていた。だが、迷いはなかった。


 「それが“知の時代”だというなら、そんな未来はいらねぇ!」


 評議員の間に動揺が走った。


 続いて、老婆が杖を突いて進み出る。


 「私は医術塔で薬草の配給を断られました。記録に残らぬ“非正規患者”だからだと……。塔の基準に沿わぬ者は、病むことも許されないのか?」


 塔の代表が言い返そうとした瞬間、演壇のフィンが手を上げた。空気が静まる。


 「これが、俺が言いたかった“声”です」


 フィンの言葉は、広場の最奥にまで届いた。


 「知識は尊い。だが、それは生きる人々のためにあるべきだ。塔が誇る歴史も、記録も、未来へ繋げるためのもの。ならば、未来を担う者たち――この民を、まず守るべきなんだ」


 議事堂の空気が変わっていた。


 保守派の長老たちの表情が揺れ、若い評議員が頷きを交わす。塔の代表は険しい顔のまま口を閉ざした。


 「王として命ずるわけではない。これは俺の“提案”だ。塔の予算配分を見直し、民間医療、教育、インフラ整備に優先的に資金を回す新制度を提案する。そして、その予算配分を……市民の公開評決によって決める仕組みにしたい」


 ざわめきが大きくなる。


 公開評決――それはつまり、市民による“直接投票”だ。王政と議会制の間に一石を投じる行為でもある。


 「王が……票を、民に委ねるというのか?」

 「そんなことが……許されるのか……」


 塔派の評議員が驚愕を隠せないなか、ある若い商人が立ち上がった。


 「王は、我々を信じようとしている。ならば、我々も応える番だ」


 拍手が生まれる。


 最初はわずかだったその音は、やがて波のように広がり――街を揺らすほどの熱気へと変わっていった。


 議事堂の外、広場で様子を見ていた群衆もまた、歓声を上げた。手を振り、涙を拭い、仲間同士で肩を叩き合う者もいた。


 リナが静かにフィンのそばに並ぶ。


 「……あんた、もう立派な王様だよ」


 「そうかな」


 微笑みながら、フィンは群衆を見下ろす。その目に映るのは、知識の塔より高く積まれた“希望の声”だった。


 フィン・グリムリーフの決断は、塔に対する戦いではない。

 それは、人々の生活に寄り添うための、小さな革命だった。


 ――王都に、“対話による改革”という灯がともったのは、この朝のことだった。

評決の鐘が鳴るまで、議場の空気は剣のように張りつめていた。だが、フィンの提案――公開評決による新制度の導入は、否応なく波紋を広げていく。塔の代表たちが動揺し、保守派の長老たちは顔を見合わせ、実務派の若手たちですら決断に戸惑っていた。


 「……このような制度が本当に成立するのか? 前例もなければ、法的な整備も追いついていない」


 塔側の代議士、アイゼンが冷ややかに言う。だが、その声にも以前ほどの威圧はなかった。


 「前例がないからこそ、俺たちは作るんだ」


 そう返すフィンの声は、揺るがなかった。


 「今の王都には、命を預けられる制度がない。だから、俺は最初の礎になる。これは王命ではない。王としての“願い”だ。すべての市民と、評議員の皆に問いかけたい――変わる覚悟はあるか?」


 静寂。


 議場に並ぶ評議員たちは互いの顔を見つめ、やがて一人、また一人と頷いていく。誰も即答はしない。だが、目に浮かぶのは拒絶ではなく、“熟考”だった。


 塔の長老エルガスがゆっくりと席を立つ。背筋は曲がり、白髪は乱れていたが、彼の言葉には重みがあった。


 「……知は塔に集うことで守られてきた。しかし、それが権威となり、人々の声を覆い隠していたというのなら、我らの責務もまた、再考せねばならぬ」


 それは、塔の敗北宣言ではなかった。

 だが、初めて“譲歩”の兆しが現れた瞬間だった。


 「我ら塔の者も、王と共に歩む未来を考える時なのかもしれぬ……」


 その言葉に、驚きの声が上がる。


 リナが小声で呟く。

 「……あの頑固爺さんが、ここまで言うとはね」


 フィンは一礼し、穏やかな声で応じた。


 「塔が持つ叡智は、この街の宝です。だからこそ、より多くの人々と共有されるべきだと思うのです。閉じるのではなく、広げてください。塔の門を、民のために開くことを……俺は願います」


 拍手が、ゆっくりと、まばらに起こった。


 だが、それは確実に熱を帯びていく。


 評議員の一人、若き女性のマリーヌが立ち上がる。


 「私たちは、知識を信じています。でも、もっと大切なのは――その知識を“どう使うか”です。私は王の提案に賛成します」


 そして彼女が手を上げると、隣の中年評議員も立ち上がった。


 「私もだ。塔の存在意義は尊い。だが、それが市民の生活を脅かすのならば、我らは新たな仕組みに挑まねばならん」


 席が次々と立ち上がり、賛同の声が次々に挙がる。


 やがて、評議会の議長が立ち上がった。


 「では、採決を執り行います。新制度の設計と試行導入を、塔と王、双方の共同監修とし、可及的速やかに準備を進める。この決議に、賛同する者は……起立を」


 一瞬の静寂ののち――ほとんどの議員が、椅子を引いて立ち上がった。


 その光景に、外で待機していた市民からも大きな歓声が湧き上がる。


 フィンは、拳を握りしめ、天を見上げた。陽はすでに昇り切り、王都を覆う空に、雲ひとつない光が広がっていた。


 「……ありがとう」


 その言葉は誰にでも、誰にも向けず、ただ空に溶けていった。


 だが、間違いなく、歴史は動き始めていた。

ご覧いただきありがとうございました。

フィンの「民のための王」としての在り方が、評議会と塔の均衡に一石を投じることになりました。

この王都編では、言葉と意志の力がどこまで状況を動かせるか――彼の挑戦が試されていきます。

なお、次話では演説の余波と、塔側の次なる動きが描かれます。ますます揺れる王都の行方を、どうぞ見届けてください。

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