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72話:静謐の裏、揺れる塔

王都の空気は、かつてないほどに張り詰めている。

塔との対立は、静かな火種から確実な火へと変わりつつあった。

今回のエピソードでは、フィンたちが選んだ「民を守る」という方針のもと、塔の権威にどう立ち向かうのかが描かれます。

一方で、リナ、ノーラ、エルシア――それぞれの「覚悟」も、また強く静かに浮かび上がってくるはずです。

見えないものが動き出す。

そして、その気配を、誰もが感じ始めていた。

朝日が王都の屋根を淡く照らし始めた頃、街の空気には不穏な緊張が漂っていた。


 王城の一室、執務机に向かうフィン・グリムリーフは、前夜からの報告書に目を通していた。


 塔の使者が再び非公式に動き、今度は街の議員の一部に接触していた。


 “予算配分の見直しは、王都の安定を揺るがすものだ”――そんな言葉をちらつかせて、議員たちを動揺させようとしている。


 「塔は、分かっている。予算の変更が、単なる数字の話ではないことを」


 フィンは書面を閉じ、静かに立ち上がった。王の印章が刻まれたマントが、背に揺れる。


 そこへ、リナが部屋に駆け込んできた。


 「王様! 城門の前に、塔の使者が来てます! ……しかも今回は、正式な文書を携えて!」


 「受け取ろう。……もう、避けられない段階に入った」


 城の正門前には、塔の紋章を掲げた使者が二人、慎重な面持ちで立っていた。


 彼らの衣服には、かつての学者らしい簡素さと、現在の権威を示す金糸の装飾が共存している。


 「王フィン・グリムリーフ殿。塔は、対話を正式に申し入れます」


 差し出された羊皮紙には、交渉の日時と、塔の主導者――“記憶管理官”の名が記されていた。


 「……記憶管理官か。あの男が動くとは」


 フィンの脳裏に、過去に一度だけ会ったあの冷徹な目がよみがえる。


 「リナ。ノーラを呼んで。塔との交渉に備えて、資料と人員の準備を」


 「はい!」


 そのやり取りの最中、見張り塔から一羽の伝書鳥が舞い降りた。脚につけられた小さな筒には、警備隊からの報告が入っている。


 『南地区で不審な動きあり。塔関係者とみられる者、深夜に複数回出入り』


 「隠れて動いていたのは、交渉とは別の筋……か。交渉の裏で、別の手も打っているな」


 フィンは眉をひそめた。


 塔は表と裏、二つの顔を持っている。


 そして今、両方が動き出した。


 執務室に戻ったフィンは、机に置かれた街の地図を見つめながら、静かに言った。


 「塔の裏をかくには、こちらも二手に分ける必要がある」


 その言葉に応じて、静かに現れた影があった。


 「では、私が動こう。表ではなく、裏から塔の情報を探る」


 ノーラだった。黒の外套に身を包んだ彼女は、かつての暗殺者の本能を今も眠らせてはいない。


 「塔の旧記録室。あそこに出入りしている人間を探ってくれ。過去を掘り返す連中の目的が、ただの知識とは限らない」


 「了解」


 フィンは地図を指先でなぞる。


 「俺たちが塔に問うのは、記録ではなく、この街の未来だ」


 朝日が王都を照らし始める中、静かに決戦の幕が上がろうとしていた。

塔の大広間に、重苦しい沈黙が満ちていた。


 数百年の時を越えて築かれた円形の石造りの空間。その壁には、歴代の魔導師たちの名と業績が刻まれ、天井には魔力を蓄える銀糸の紋様が浮かんでいる。


 その中心に、フィンは立っていた。王の正装ではなく、日常の黒衣を纏った姿。その足元には、王印とともに持参された文書の束が置かれている。


 塔の重鎮たち――長老、書記、記憶管理官、封印術士たちが円卓に腰掛け、フィンを見下ろしていた。彼らの多くは、塔の自治権を守るための交渉だと信じている。しかし、フィンの目はその先を見ていた。


 「……提案は理解しました。だが、我々が築いてきた知の体系に対し、予算を削るというのは、侮辱に等しい行為です」


 口を開いたのは、長老の一人。白髪を後ろに束ねた老人で、塔の実権を握る三人のひとりである。


 「侮辱ではありません。街の現実を見ていただきたい。今、衛生も医療も教育も、支援を必要としています。塔の役割は尊重しますが、それは市民の生活の上に成り立っているべきです」


 フィンの声は低く、けれど確固たる意志を込めていた。その声の響きが、魔力を帯びた天井にわずかな震えをもたらす。


 「歴史の保存と研究は、未来への投資です。それを断ち切るなど……」


 今度は記憶管理官が反論する。彼女はかつて王家の秘匿文書の整理を担い、王都の真実を知る数少ない人物でもあった。


 「断ち切るつもりはありません。ただ、街の声を無視した運営は続けられないということです。塔が民から離れれば、それはただの傲慢な城塞に過ぎない」


 その時、天井から一筋の光が差し込んだ。

 霧の向こう、王都の空が開け始めていた。


 「……お前の語り口は、王というより、教師に近いな」


 封印術士が呟いた。皮肉ではなく、半ば感嘆のように。


 「学んだことを、次代に伝える。それは知の本質です」


 フィンは小さく頷き、持参してきた一冊の書を差し出した。それは、彼が再編を望む新たな知の共有機関『市民知識会』の構想案だった。


 「塔は塔として、知の殿堂であり続けてほしい。だが、街の民と知を結ぶ新たな橋が必要なんです」


 静寂が流れた。


 長老たちは目を伏せ、互いに視線を交わす。


 「……その案、検討に値するかもしれんな」


 ようやく、一人の長老が口を開いた。だがその裏には、塔の内部での意見の分裂も見え隠れする。


 会議が終わった後、塔を出たフィンをエルシアが出迎えた。見張り台の陰から現れた彼女は、すでに警戒態勢の指示を終えていたらしい。


 「交渉、どうだった?」


 「すぐには動かないだろう。ただ……塔の一部は揺れている」


 フィンの答えに、エルシアはわずかに頷く。彼女の表情は固い。


 「裏で動く連中も出てくる。ノーラにも警戒させるべきね」


 「もう伝えてある」


 フィンは空を見上げた。まだ、街の全貌は霧の中だ。


 だが、その向こうには、確かな光が差している。


 「俺たちが変える。塔も、街も、王都全体も……一歩ずつ」


 その言葉に、エルシアもまた、黙ってうなずいた。

塔の外壁は重々しい沈黙を保ち、灰色の空に溶け込むように佇んでいた。

 王都の中心に築かれたこの知の要塞は、静寂のなかに膨大な情報と記録、そして密やかな力を宿していた。


 フィンたちは塔の西門から入ることを選んだ。 正面の大扉は象徴としての意味が強すぎる。 彼らの目的は誇示ではない、対話と監視だ。


 随行するのは、近衛隊の中でも選りすぐりの者たち。 エルシアが直接選んだ数名と、ノーラの配下の影の者たち。 彼らは視線と言葉を交わさずとも、周囲の気配に鋭敏に反応しながら塔へと歩を進めていた。


 石畳の廊下は、足音すら吸い込むような静けさ。 両脇の書架には、古代語で綴られた巻物や、錬金術に関する禁書、かつて封じられた秘術の記録が並んでいる。


 リナは思わず足を止めて呟いた。

「……まるで、時間そのものが止まってるみたい」


 その言葉に、フィンは小さく頷いた。 塔は、知の集積であると同時に、時の牢獄でもあった。 変わらぬ価値を信奉するあまり、変化を拒み、時には民の歩みに逆らうことすらある。


 塔の奥、最上階に近い階層に案内されたフィンたちは、重々しい扉の前で立ち止まった。 そこはかつて、王家の代行者でさえ許可なく入ることができなかったとされる禁の間だった。


 エルシアが軽く剣に手を添える。 だが、フィンはそれを制した。

「交渉の場に武は持ち込まない。 ……それが、王のやり方だ」


 扉が開く。

 その向こうに現れたのは、塔の主導者であり、記録管理長である老魔導士ギルバートだった。 彼の瞳は、年老いてなお濁らず、深い知識の湖を湛えているようだった。


「お迎えにあがれて光栄です、王よ」


 ギルバートの声には皮肉も媚びもない。 ただ、長年塔を守ってきた者としての誇りと、相対する者への静かな観察だけがあった。


 フィンはまっすぐその視線を受け止めた。

「俺は、塔の持つ知識と記録の価値を否定するつもりはない。 だが、その力が民を縛るなら、王として見過ごすわけにはいかない」


「……ならば、我々にとっても試練のときということですな」


 ギルバートは背を向け、広間へと招いた。 そこには、塔の幹部たちが整然と並んでいた。

 その誰もが一癖も二癖もある老練な学者や魔導士たちで、若き王を試すかのような視線を向けてくる。


 リナは気後れしそうになるが、フィンの隣に立つと、まっすぐ前を見据えた。


 塔と王。 記録と未来。 過去に根差した力と、これからを創る意志が、いまこの場で交錯する。


 会談は、慎重かつ緊張感を孕んだ空気のなかで始まった。

 フィンはまず、塔に割かれていた過剰な予算の見直しと、市民生活への再分配を正式に宣言。 それに対して、塔の幹部たちは即座に反論した。


「記録を保つことが、どれだけ国家の骨組みとなるかご存知か?」

「過去の失敗を繰り返さないためには、膨大な情報の管理が必要なのです」


 フィンは一つ一つに応じた。 だが、その言葉に怒りや焦りはなかった。 あくまで冷静に、王としての使命を貫こうとする姿勢があった。


「記録は必要だ。 だが、それを守るために未来が犠牲になるのなら、俺はその均衡を変える」


 静寂が落ちる。 塔の者たちは互いに視線を交わし、ついにギルバートが言った。


「……この若さで、よくぞここまで言葉を持った。 ならば、我らもまた試される時なのでしょう」


 そうして、塔は部分的な予算削減と市民評議会との連携強化を受け入れる姿勢を示した。

 表面的には交渉の勝利。 だが、フィンの胸には一抹の不安が残る。


 塔がこのまま引き下がるとは思えなかった。

 それでも、前に進むしかない。


 会談の後、エルシアが小さく笑った。

「……意外と、言葉だけで通じたな」


「言葉が届く限り、俺は剣を抜かない。 だが、備えは怠らないさ」


 夜が更けていく。

 塔の中枢で交わされた密やかな均衡は、やがて街に新たな波を生むことになる。


 未来を選ぶために、王はまたひとつ決断を下したのだった。

夜の帳が王都を包み込む頃、塔の最上層──かつて賢者たちが知を紡いだ記憶の間では、静かに、だが緊張を孕んだ動きがあった。


 フィンは重く閉ざされた扉を前に立ち止まる。そこには塔の象徴である、封印術によって閉ざされた“記録の回廊”があった。外部からはアクセス不可能で、特定の魔力波長でのみ開かれる特殊な結界が張られている。


 「開けるぞ、ノーラ」


 短くそう言うと、フィンは掌を掲げ、自身の魔力を紋章へと注ぎ込んだ。ゆらりと空間が揺れ、封印が緩んでいく。


 「まさか、ここまで来るとは思っていなかっただろうな」


 ノーラが淡く微笑む。彼女の手には、塔の動きを記した密書があった。そこには、王都各地に配置された記録監視者たちの情報、そして塔の動員計画が克明に記されていた。


 「この場所……私が暗殺者だった頃も、一度しか足を踏み入れていない。あの時は、命令に従って監視用の魔術器具を仕込んだだけだったが……まさか、こんな風に戻ってくるとは」


 「運命ってやつだな」


 フィンが低く答える。扉が開かれ、冷気のような記憶の魔力があふれ出す。


 記録の回廊──それは文字通り、時の断片を封じ込めた魔術空間であり、塔の知識と歴史の真髄が保管されている場所だった。だが今や、その権威は暴走しつつあった。


 ふたりは静かに歩を進める。天井に浮かぶ光球が、ゆらゆらと足元を照らす。左右の壁には、古代語で記された記録と、無数の記憶水晶が整然と並ぶ。


 「塔の上層部は、この空間を使って“記憶転写術”を実験していた。市民の過去や意志を、無断で記録・再生していた疑いがある」


 フィンの声は低く、だが確固たる怒りを孕んでいた。


 「……やはり、そこまで来ていたか」


 ノーラが呟く。その背には、暗殺者として培った鋭利な気配がわずかに滲む。


 「俺は、“知”を否定したいわけじゃない。ただ、それが支配になるなら、止めなければならない」


 その時、空間の奥から声が響いた。


 「王よ……随分と大胆に足を踏み入れるな」


 現れたのは、塔の長老格であるゼフ・アルノルトだった。白銀の法衣をまとい、手には杖。長い白髪を背に流し、その双眸は鋭く光っていた。


 「塔の力は、王の支配から自由であるべきだ。我々は記録者であり、審判者ではない。しかし、民は愚かだ。彼らのために、我々が導くべきだと、そう信じてきた」


 「それはただの“傲慢”だ」


 フィンが前に進み出る。


 「知る者がすべてを決める社会は、民の自由を奪うだけだ。俺たちは、民と共に歩む“王国”を作る。記録や知識は、そのために使われるべきだ」


 「ならば、王よ。力をもって証明してみせよ」


 ゼフが杖を振ると、空間が軋む。記憶の回廊全体が魔術陣と化し、天井から光が落ちる。


 「来るぞ、フィン!」


 ノーラが後ろへ下がり、戦闘体勢に入る。だがフィンは、わずかに笑った。


 「ようやく、核心にたどり着いた気がする」


 その言葉と共に、王の魔力が噴き上がる。黄金の風が記憶の間に渦巻き、塔の長老と王の対決が、今まさに始まろうとしていた。

72話では、ついに塔側が揺さぶりをかけてきました。

街を守るという名目のもとで、どこまで自分たちの意志を貫けるか。

王であるフィンと仲間たちが試されるのは、剣の力ではなく、信じた未来を貫く覚悟だったのかもしれません。


リナの献身、エルシアの真意、ノーラの静かな怒り――。

どれもが、次の戦いに向けての布石になっています。

次回、いよいよ塔との“交渉”の場が設けられることになりますが、はたして言葉が通じるのか。

決裂か、それとも……火蓋が切られるか。

続く73話を、お楽しみに。

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