71話:王の声、街の鼓動
王都に再び、静かな緊張が漂い始めました。
第71話では、フィンと仲間たちが塔との対立に正面から向き合います。塔とは、ただの記録管理機関ではなく、街の知識と歴史を牛耳る存在――その「正しさ」が、いま街の民の暮らしと衝突し始めています。
街の福祉を守るために塔への予算配分を見直したフィン。だが、それがもたらしたのは塔の動揺と反発。ノーラ、エルシア、リナといった仲間たちも巻き込みながら、王としての覚悟と「声の力」で、彼は揺れる街を導こうとするのです。
この物語の根底にあるのは「声を持たぬ者に、光を当てたい」というフィンの信念。今回はその信念が、大きな壁とぶつかる回となります。どうか、街の鼓動と共に歩む王たちの姿を、見届けてください。
朝焼けが王都の空を染める頃、フィンはまだ目を閉じていた。だが眠ってはいなかった。彼のまなざしは内面に向けられ、あらゆる思考が交錯していた。塔との対話、街の民の声、市民評議会の圧力、そして王という名に込められた責任。それらすべてが、まるで嵐のように彼の胸中で渦巻いていた。
石造りの執務室に淡い光が差し込む。壁には王都の地図が貼られ、その上には無数の書き込みがある。塔の動向、民衆の声、物資の流通、衛生と教育の改革案。そのどれもが、街の未来を形作る重要なピースだった。
扉が静かに開いた。
「おはようございます、フィン王。」
入ってきたのはエルシアだった。長い銀髪を結い上げ、簡素だが美しい白銀の法衣をまとっている。彼女は塔との交渉の補佐役でもあり、王としてのフィンにとって信頼できる相談相手だった。
「……眠れなかっただけさ。」
フィンはゆっくりと椅子を回し、彼女を見た。目の下にはかすかな隈があったが、その瞳には迷いはなかった。
「今日が初日ですね。市民評議会と塔の代表を交えての三者協議。」
エルシアは静かに机の上の資料を整える。その手つきはいつも通りに見えたが、どこか緊張がにじんでいた。
「……塔の態度が軟化しているのは表向きだけだ。奴らは記録と知識を盾に、自分たちの利権を守ろうとしている。」
「それでも、こちらが対話の姿勢を見せることで民の信頼は得られます。あくまで“王としての振る舞い”が大事です。」
フィンは頷き、ゆっくりと立ち上がった。椅子の軋む音が石造りの室内に小さく響く。
「……行こう。言葉で戦う場だ。剣ではなく、声で証明しよう。」
協議の場は王都中央にある旧公会堂。重厚な石柱とアーチが連なる歴史ある建物で、かつては王と議会の合同会議が行われていた場所だ。今では、王政復興後の象徴的な場所として使われている。
会場に到着すると、既に評議員たちと塔の代表たちが席に着いていた。空気は張り詰めており、誰もが互いの出方を探っている。
塔の代表、グレイローブをまとった長老がゆっくりと立ち上がった。その瞳には濁った光が宿り、静かながらも威圧的な気配を放っていた。
「王よ。我らは塔の知をもって、この街を見守ってきた。長きにわたり、記録を残し、歴史を継いできたのだ。」
「だが、塔はその知を民のために使ってきただろうか?」
フィンの声は静かだったが、広い会場にしっかりと響いた。
「記録を盾に、民の声を封じ、予算と人を独占する。それが塔の在り方ならば、我々は異を唱える。街は塔の私物ではない。」
ざわめきが走る。評議員たちが視線を交わし、塔の者たちが眉をひそめる。
「あなたは若い。理想に燃えるがゆえに、現実を見失う。」
塔の長老の言葉には皮肉が混じっていた。しかしフィンは一歩も退かなかった。
「理想なき現実は、ただの惰性だ。惰性の支配に、未来はない。」
言葉が会場に重く落ちた。しばしの沈黙の後、エルシアが立ち上がり、双方に茶を勧める仕草をすることで場を落ち着かせた。
この協議が、今後の街の命運を大きく左右する――そう誰もが肌で感じていた。
フィンはこの日、ただの王ではなく、“語り継ぐ者”として初めて公の場に立った。
その声には、街の未来が宿っていた。
王都の西側、石造りの古い劇場――今は閉鎖され、ひっそりとした廃墟と化しているその建物の奥深くで、仄暗い灯りが揺れていた。
塔の一団が、そこにいた。
ローブに身を包み、顔を覆面で隠した者たち。だが、その中でもただ一人、長身で真紅の印章を胸に掲げた男が中央に立ち、静かに周囲を見回していた。
「王が民を優先するか……予想より早い。ノーラが動いていたのも納得だ」
彼の名は《記録管理長》ユリウス。塔の表の顔では研究の第一人者、だがその裏では、街の記憶と記録を操作する者として知られていた。
「……我らが保持する“記憶写し”が使われる時が来たな」
仲間の一人がそうつぶやくと、ユリウスはわずかに口角を上げた。
「王が“記憶”を軽んじるなら、我々の正義を見せるまでだ。『記憶』こそが人の歴史であり、支配の根幹なのだから」
その言葉に呼応するように、床に設置された円環魔法陣が淡く光を放ち始める。
一方、王城。
エルシアは塔の内通者からの報告を受けていた。
「――劇場跡に動きがあると? 塔の中核が……?」
報告者の姿が消えるや否や、彼女はすぐさま作戦室に駆け込んだ。
「王様、塔の幹部が集まっている場所を突き止めました。旧劇場跡地です」
「……とうとう尻尾を出したか」
フィンの声には、怒気はなかった。あるのはただ静かな覚悟だけだった。
「リナ、ノーラを呼べ。塔の計画が進行中なら、止めるのは今しかない」
「了解!」
リナが駆け出す。
その背を見送ったフィンは、王の剣を背負い、ゆっくりと立ち上がる。
「塔が“記憶”を操ることで、この街を自分たちの思い通りにできると思っているなら、過ちを正すのが俺の役目だ」
――夕刻。
劇場跡地。
霧に包まれたその場所に、黒衣の者たちと王の近衛兵が相対していた。
先陣を切って進むのはノーラだった。
彼女は静かに短剣を抜くと、影のように滑り出る。
「接触します。合図は赤の煙」
その声と同時に、暗がりの劇場の入口に淡い煙が上がった。
「王の名において、塔の者たちに通告する! 不法な記憶操作と都市機能の乗っ取りの容疑により、即時退去せよ!」
近衛兵の声が劇場内に響いた。
だが、返答はなかった。
かわりに、劇場の奥から立ち上る黒い煙。そして、次の瞬間――強烈な魔力が場を満たす。
「始まったか……!」
フィンは剣を構え、前へ出た。
「この街を守るのは“記憶”ではない。今を生きる人々の声だ!」
ユリウスが前に出てきた。
顔の覆面を外し、冷徹な目でフィンを見据える。
「記憶なき民に未来はない。お前はその意味をわかっていない」
「わかってるさ。だが、その記憶が“塔に都合のいい真実”で歪められているなら、それは暴力と同じだ!」
交錯する言葉と視線。
そして、魔力と剣の激突が――始まった。
塔の主導者であるエリアスの名は、王都において重い響きをもっていた。
魔導技術と記憶転写術の双方に通じ、歴代の王にも助言を行ってきたその存在は、知識の守護者として神殿にも等しい扱いを受けていた。
だが同時に、彼が保持する知識と影響力の大きさは、王の統治に影を落とすものでもある。
そのエリアスが、今、王城を訪れていた。
議場ではなく、私的な謁見室。
それは塔からの申し出だった。あくまで表向きには“友好の再確認”として。
フィンはその場に、エルシアとノーラ、リナを同席させた。
彼女たちは、信頼できる仲間であり、それぞれが王都の治安・軍事・市民の声に通じている。塔と対話する上で、決して欠かせぬ存在だった。
エリアスは長身痩躯の男で、灰色のローブを身にまとい、その瞳は深い井戸のように感情を映さない。
「王よ……いや、フィン殿。
そなたの民への誠実さは、まことに尊い。しかし、時にそれは愚行に通じることもある」
「塔への予算を削ったことを指して言っているのか?」
フィンの声に、エリアスは首を横に振った。
「否。我らが懸念しているのは、民衆の“声”という不確かな力に統治を預けるという在り方だ」
「民の声は不確かではない。俺たちが耳を澄まし、目を配れば、そこに真実がある」
「……純粋だな。だが、我らは知っている。声は簡単に流され、記憶は歪められ、正義は時代によって変質する。ゆえに記録し、制御することこそが、知の使命であると」
その語り口はまるで講義のようで、冷たく整っていた。
エルシアが口を挟む。
「だとしても、あなたたちは街の一部。すべてを制御しようとするのは、独善では?」
「独善、か……なるほど、そう見えるかもしれぬ。
だが我らは、幾度となく王の暴走を止めてきた。だからこそ、知の塔は在り続けた」
その言葉に、フィンは立ち上がった。
ローブの裾が揺れる風圧を静かに受け止めながら、まっすぐにエリアスを見る。
「塔は必要だ。だがそれは、民を見下す存在としてではない」
エリアスの目が細められた。
「……では、交渉の余地はないと?」
「塔が市民の未来と共に歩むというなら、いくらでも話し合う。
だが、記録と制御の名のもとに支配を望むなら、それは拒絶する」
静かな沈黙が、謁見室を包んだ。
ノーラの手が無意識に腰の短剣へ触れ、リナは言葉を探して揺れていた。
やがて、エリアスはローブの内側から巻物を取り出した。
「これは、かつて塔が記録した『崩壊の前兆』だ。
王が民に溺れ、秩序が壊れたときに生まれる兆候……そのすべてが、今の王都に見受けられる」
「脅しか?」
「忠告だ」
エリアスは立ち上がり、巻物を卓上に置いた。
「この忠告を受け入れぬなら……塔は、別の道を選ぶことになるだろう」
それは、宣戦布告に等しい言葉だった。
会談の終わりを告げるように、重々しい扉が静かに閉じられた。
その音は、王都の未来に響く鐘の音のように、長く残響した。
夜の王都が静寂に包まれる中、塔の最上層では燭台に灯された揺らめく炎が、古びた書物と緻密に編まれた魔法陣を不気味に照らしていた。
そこに佇むのは、塔の長――グレイムである。
「……グリムリーフ王。これで君も、ようやく“真実”を知ることになる」
グレイムは、中央に浮かび上がった魔法記録装置に手をかざし、数世代に渡って塔に蓄積された“歴史の裏側”を起動させた。
その映像は、遥か過去の戦争と政変、禁術の誕生と封印、そしてかつて王家と塔が交わした密約を映し出す。
(王家の血統は、塔の記録術で守られてきた。だが、今やその“恩恵”を忘れ、我らを統制の対象とするつもりか……)
グレイムの顔に怒りはなかった。ただ深い諦念と、静かな覚悟があった。
同じ頃、王城の執務室ではフィン、エルシア、ノーラ、リナの四人が最終調整を進めていた。
「塔側は、表向きは和解を模索していると言いながら、実質的には旧権益の回復を狙っている」
ノーラの言葉に、フィンは頷いた。
「王都の地下にある“封魔の環”……塔が触れてはならぬとされていたはずの場所に、彼らは人を送り込んでいる。間違いなく、何かが起きる」
リナが地図の上を指さしながら言う。
「塔の魔導研究班が動き出したって噂もある。記憶装置の暴走、幻術の流出……街のあちこちで兆候が出てる」
エルシアが窓の外に目を向け、口を開いた。
「明日、正式な対話の場が設けられるけど……あれは罠だ。塔は“記録を盾にして、王権を操る”つもりなんだろう」
フィンは静かに立ち上がり、王の剣を壁から取った。
「ならば、明日、決着をつける。塔がこの街の未来を縛るなら、俺は“今”の声で抗う」
その言葉に、エルシアもノーラも、リナも頷いた。
「街を守る戦いだ。言葉であれ、剣であれ、俺たちは後戻りしない」
夜が更ける中、王城では密やかに近衛兵が動き、魔封の印が準備され、通信符が各地区に送られた。
そして、翌朝。
塔の対話の間にて、フィンたちと塔の幹部陣との対話が始まった。
重厚な石造りの円形ホール。その中心に、王と塔の長が向かい合う。
「……グレイム。君はこの街の礎を築いた塔の誇りだったはずだ。なぜ今、市民の未来に背を向ける?」
フィンの問いに、グレイムは微笑を浮かべた。
「王とは常に一代限り。しかし記録は、永遠を刻む。市民の“今”よりも、歴史の“正しさ”こそが価値あると私は思っている」
「だが、その“正しさ”が誰かの生活を壊すなら、見直すべきは過去だ。未来は、記録じゃない。生きる人間のものだ」
静かな応酬に、塔の者たちがざわついた。
だがその刹那――塔の床下より、赤黒い光が滲み出た。
「……封魔の環に、干渉が……!?」
ノーラが警告するより早く、塔の地面が大きく揺れた。
「くっ、グレイム! まさか君たち……!」
「時代が誤った道を選ぶならば、それを正すのが記録者の使命だ」
グレイムの背後で、巨大な封印陣が解放され、異形の影が浮かび上がる。
それは古の記録より蘇る禁忌の存在――“断片の王”だった。
フィンは叫んだ。
「全員、構えろ! ここで終わらせる……街の未来のために!」
塔の空が裂けるような咆哮とともに、決戦の幕が切って落とされた。
塔との対話の扉が、ようやく開かれました。ですがそれは、和解への道というより、互いの「理念」がぶつかる激突の幕開けだったように思います。
記録と秩序を守ることに誇りを持つ者たち。声なき市民を救おうとする者たち。そのどちらもが「正しさ」を信じて行動している――それゆえに、対話は簡単には噛み合いません。
けれど、剣ではなく言葉を選んだフィンの姿勢は、確かに仲間たちの心を動かし始めています。
次回以降、塔の中枢でうごめく真の意図と、街に隠された“記憶の封印”に迫っていきます。
第72話では、ノーラの過去、そしてフィンの“選択”が鍵となる回を予定しています。
いよいよ、4巻の核心へ――。




