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68話:記録と支配の塔

今回のエピソードでは、王都の“塔”が隠し持つ知識と、その裏に潜む権力構造にスポットを当てました。

ノーラの動きは静かですが、確実に物語の奥行きを広げるものになっています。

塔の暗躍、記録という名の支配、そして王としてのフィンの決断。

世界の「見えざる支配構造」に切り込んでいく導入編となります。

陽が沈みかけた王都の空に、濃い茜色が差し込んでいた。


 夕方という時間帯は、市場の喧騒が和らぎ、兵舎や塔に仕える者たちも一時の休息に入る静かな刻である。だが、この日の静寂は、どこか張り詰めた気配を孕んでいた。


 中央塔に続く道を、重々しい足取りで歩く数名の男たちがいた。彼らは塔の書記官でも学者でもなく、鍛え抜かれた体に黒革の装束を纏った、どこか物騒な雰囲気を漂わせている。塔の入口では、普段よりも厳つい顔立ちの衛士が立っており、その目はまるで誰かを拒むように冷たかった。


 「……また増えてるな、塔の警備」


 フィンの側近であるマルクが、通りの陰から塔を見上げながらそう呟いた。


 フィンは静かに頷いた。


 「今朝、塔から新たな物資搬入の報告があった。だが、その内容が曖昧だった。輸送記録にも一部抜けがある。……何かを隠している」


 「やはり、税の再分配が火種か」


 「可能性は高い。塔は、王國の中でも長く『不干渉』を保ってきた。だが、それが民の命よりも優先されてはならない」


 フィンは視線を落とし、手元の書簡に目を通す。塔の記録係から届けられた報告書。だが、記されている内容と、実際の街の動きとに、明らかな齟齬がある。


 「……エルシアとノーラに、塔の内外を調べさせる。正面から塔を糾弾すれば反発は避けられない。だが、裏で実態を把握しなければ、民の信を失うことになる」


 フィンはそう結論づけ、手紙を封じた。


 その日の夜、王城の小会議室には、エルシア、ノーラ、そしてリナの三人が集められた。


 「塔の動きが不穏だ。……民の生活を脅かすような研究や資金の流用があれば、即座に止めなければならない」


 フィンの言葉に、エルシアは真剣な眼差しで頷いた。


 「表門と物資搬入口の監視は、私が担当します。塔の衛兵に顔が割れていない分、やりやすいかと」


 「内部は私に任せて。以前仕掛けた通路の抜け道は、まだ使えるはず」


 ノーラが淡々と告げると、リナは腕を組みながら言った。


 「私は市民の側から探るよ。塔の下請けや関係者の話を聞けるはず。怪しい金の流れや噂があれば、掴んでみせる」


 それぞれが異なる視点と方法で、塔の実態に迫ろうとしていた。


 「……頼む。塔が正しく民のために知を使う場所であってほしい。それを信じたいが、もしそうでないなら、断を下さなければならない」


 フィンの表情は苦悩に満ちていた。かつて自らも学びを得た場所に刃を向ける覚悟は、容易なものではなかった。


 だが、民のための“王”として歩む以上、どんな痛みも背負わなければならない。


 静かに頷いた三人の仲間たちの顔を、フィンはしっかりと見つめた。


 ──次なる局面は、知と権威の象徴である“塔”との衝突。


 そしてそれは、フィンという“王”が真に何を守るのか、民もまた見極める瞬間となるだろう。

陽が傾き始めた頃、王城の南側に広がる訓練場では、金属が打ち合う音と、気合の声が響いていた。


  エルシアとリナが木剣を手に、激しく打ち合っていた。観戦する者は少ないが、訓練場の端ではノーラが腕を組みながら、その様子をじっと見つめている。


  「……剣筋が甘い、リナ」


  「うるさいな、近衛団長。これでも本気だってば!」


  エルシアの突きを紙一重で受け止め、リナが足を引いて距離を取る。彼女の額には汗が滲んでいたが、瞳の奥には、どこか晴れやかな光が宿っていた。


  「お前は、真正面からの斬撃ばかりに頼りすぎだ。敵の虚を突け。攻撃は正面からだけじゃない」


  「……あんたに言われたくないんだけど。どいつもこいつも、フィン様にばっかり懐いて」


  最後の言葉は小さく呟かれたが、ノーラの耳はそれを捉えていた。


  「嫉妬かい? リナ」


  突然の声に、リナが驚いたように振り返る。ノーラは肩をすくめると、にやりと笑った。


  「……べ、別にそんなわけないじゃん!」


  「でも、分かるわ。あの王様の背中って、不思議と、誰かの心を惹きつけるものがあるもの」


  エルシアは木剣を収めると、淡い笑みを浮かべながら言った。「それが、王というものだから」


  その頃、王城の政務室では、フィンが塔から提出された最新の研究費用配分表に目を通していた。


  「……年間の支出、三割が塔関連か」


  小さく呟くと、傍らに立つ文官が頷いた。


  「塔の運営と研究には莫大な費用がかかっております。しかし、塔からの貢献も確かに大きく……」


  「それは分かっている。だが、今は“街”の再建が優先だ。塔にばかり資源を割き続けるのは、健全とは言えない」


  フィンは思案しながら、資料の端を指でなぞった。「新たな税配分案を作成しよう。塔への資金は段階的に削減し、その分を市民生活、農業、教育に振り向ける」


  「……塔からは、強い反発が予想されます」


  「覚悟の上だ。だが、街の未来を守るためなら、必要な軋轢だ」


  政務室を出たフィンの足取りは、静かだが迷いがなかった。その背に、王としての覚悟が滲んでいた。


  その夜。城の食堂では、珍しく四人が同じ卓に着いていた。


  エルシア、ノーラ、リナ、そしてフィン。


  「……塔との件、やっぱり決断したのね」


  エルシアの言葉に、フィンは頷いた。「避けては通れない問題だ」


  「ま、あたしは賛成よ。あの塔、昔から好き勝手ばっかりだったし」


  ノーラがそう言って、ワインの入ったグラスを揺らした。


  「フィン様が決めたことなら、私は……」リナが口を開きかけたとき、ふと、テーブルの下で何かが揺れた。


  小さな振動。


  続いて、警鐘が鳴った。


  「南の塔区画で爆発が確認されました!」


  衛兵が駆け込んできた瞬間、四人の視線が鋭く交錯する。


  「……来たか」


  フィンは椅子を蹴るようにして立ち上がり、剣を手にした。


  「急ぐぞ。塔がこちらに牙を剥いたのなら、それに応える覚悟はある」


  新たな戦いの幕が、静かに、そして確かに上がった。

黄昏の気配が城都を包みはじめる頃、街道を抜けた馬車が、静かに城門前に到着した。


 控えめな装飾の施されたその馬車から降り立ったのは、長身の女性だった。腰まで届く黒銀の髪を束ね、軍服にも似た漆黒の装いに身を包んでいる。ノーラ──かつて諜報と暗殺にその身を捧げた影の女であり、今は王国の一角に立つ参謀である。


 街に足を踏み入れたその瞬間、彼女の表情がわずかに動いた。


 (……空気が変わった。いや、“変えようとしている”のか。)


 王であるフィンの治政は、確かに整いつつある。市民評議会との連携も、ギルドとの摩擦も、今は辛うじて均衡を保っていた。


 しかし──その均衡が、いかに脆いものか。ノーラには、それが肌で感じられた。


 (塔の連中は静かだが……あれだけの予算を抱え込んで、沈黙しているわけがない)


 塔──王都中央にそびえる魔術機関の本拠地であり、記録と魔術を司る場所。

 だが、それは同時に莫大な資金と人材を保持する“国家の中の国家”でもある。


 フィンの統治令が塔の予算削減と再分配を示唆した今、何も起きぬはずがない。


 「ようこそ、ノーラ参謀。王城へ」


 迎えに出たのはリナだった。赤毛を後ろでまとめた軽装の剣士──だが、その瞳にはかつての軽率さはない。近衛副団長として、日々戦場と王の近くを生きる者の目だ。


 「久しぶりだな、リナ。お前も顔つきが変わった」


 「……あなたも相変わらず鋭いですね。王様は執務中です。すぐに案内します」


 二人は歩きながら、自然と声を潜めた。王城の中においてさえ、軽口では済まされぬ事態が進行している。


 「塔の反応は?」


 「公式な抗議文はまだですが、動きはあります。研究棟の一部が情報遮断を始めたほか、記録保管室の出入りに制限がかけられています」


 「予想通りか。……なら、私が動く意味もあるな」


 やがて二人は執務室にたどり着いた。ドアの向こうでフィンが書類を整理している姿が見える。だが、その眼差しは明らかに疲弊を隠していない。


 「ノーラ。来てくれて助かる」


 「……お前の顔を見るたび、世界がまた面倒になってる気がするよ、王様」


 ノーラは冗談めかして言ったが、部屋の空気はすぐに引き締まる。


 塔の反発。街に巣食う利権の再編。表に出ない“古き王国”の残影たち。


 そして──


 「……塔は、“記録の主柱”を動かす気だと聞いた」


 フィンが呟いたその言葉に、ノーラの目が細くなる。


 「まさか、あれをまだ維持していたのか。……愚かだな、記録に依存しすぎた者たちは」


 “記録の主柱”──王国建国の古より存在すると言われる、記憶と記録を魔術で封じた巨大結晶体。その周囲には塔の最上級術士たちが日々膨大な知識を封じ込めており、それを動かすということは、王国の歴史そのものを再解釈しようとすることを意味する。


 「“記録を書き換える”ことで、自分たちが正当であるとするつもりか」


 「あるいは、お前の正当性を消すためかもな」


 フィンは無言で頷いた。


 “声で街を動かす”という理念のもと、彼は一つひとつ制度を整えてきた。

 だが、過去を改ざんされれば、言葉の力は弱まる。真実の記録が歪められれば、“王”の声は、空虚に変わる。


 「俺は……塔と、戦うしかないのかもしれない」


 その呟きに、リナが声を上げる。


 「王様。戦いは、剣でだけするものじゃないはずです。あの塔に、あなたの“声”が届く可能性は、ゼロではない」


 ノーラが片眉を上げた。


 「お前がそんなこと言うようになるとはね。……だが、確かに。塔の中にも、真実を守ろうとする者がいるはずだ」


 「その可能性に賭けてみたい。今は」


 フィンの瞳には、まだ揺るがぬ意志が宿っていた。

陽が沈みきった王都の空は、墨を流したように黒く染まり、星すらも雲に隠れていた。


 その闇の中を、ノーラは静かに歩いていた。黒装束の上に羽織る深紅の外套が、風に揺れて音を立てる。


 「……まさか、“塔”の連中がここまで執着していたとは」


 彼女は王都郊外の塔――正式には『記録と観測の塔』と呼ばれる施設――を遠くに望みながら、低く呟いた。


 塔はかつて、王国の魔法記録と歴史の保管を一手に担っていた場所だ。だが、近年ではその立場を利用して“知”の独占を進め、市民や他の機関への圧力を強めていた。


 フィンが提唱した「王都統治令」は、塔の影響力を大幅に制限するものだった。その財源の一部を街の再建や福祉に振り向ける改革案も出され、塔は静かに、だが確実に反発の動きを見せていた。


 ノーラはその兆しを掴んでいた。元暗殺者の勘ではなく、現実の情報収集に基づいた確信だった。


 「……今夜は動かないだろうけど、準備は整ってる」


 手の中で転がしたのは、小さな赤い石。魔力封じの印が刻まれた密封石だ。塔の高位記録官が非常時に使用する“封印魔術”を逆手に取るため、彼女が独自に仕込んだ細工品だ。


 (……エルシアもリナも、あれからよく動いてる。私も私で、やるべきことをやる)


 ふと、彼女の目に映ったのは、城の高台に灯る灯火だった。フィンの部屋だ。


 彼はまだ執務を続けているのだろう。


 「……あんた、ほんと王様って柄じゃないのに、なんであんなに背負うのかね」


 小さな溜息が、冬の空気に白く溶けた。


 ──そして、場面は変わる。


 「……書庫塔から、予備の魔導記録が持ち出された?」


 城内。エルシアの声が静かな怒気を含んで響いた。騎士団本部の作戦室。リナ、ノーラ、そしてフィンが集められていた。


 「今朝方の巡回で発覚した。塔の第七階層、封印扱いの“第零巻”が、複製とともに何者かの手に渡った可能性が高い。責任者は……すでに行方を晦ませている」


 報告を受けたフィンは、静かに目を閉じた。


 「“第零巻”……それは、この大陸の原初神話に触れる内容だったな。もしそれが、歪められて利用されたら──民衆の信仰すら揺らぐかもしれない」


 「“知”を持つ者は“力”をも持つ。それを制御するには、剣だけでは足りない」


 ノーラが冷静に告げると、エルシアも頷いた。


 「……動きましょう、王様。今度は、塔に“問い”を返す番です」


 「塔を討つわけではない。だが、街を守るためには、すべての力が平等であるべきだ。ならば、“知”の塔もまた、我々と同じ土俵に立たなければならない」


 その言葉に、皆が静かに頷いた。


 王の命令が下され、夜の王都に緊張が走る。


 やがて、塔へ向かう近衛兵と魔法隊の編成が始まり、ノーラはその中に自然と溶け込んだ。


 「影があるなら、私はその中に入る」


 かつて、暗殺者だった頃の言葉を、今は別の意味で使う。


 それは、“誰も見ていない場所で、誰かを守る”という選択。


 そして夜明け前、ノーラは塔の裏門に一番乗りした。


 「……塔は、ただの記録庫じゃない。街を支配しようとするもう一つの『王国』だよ、フィン」


 その囁きは風に消え、彼女の影だけが、深い夜の中へと溶けていった──。

フィン、エルシア、ノーラ、リナ――仲間たちがそれぞれの立場で「守る」ために動き始めました。

かつて暗殺者だったノーラが、今では「王の背後」を守る存在になっているのも、感慨深いところです。


“塔”の動きは、ただの反乱ではなく、価値観の衝突でもあります。

次回以降、知の象徴である塔と、声と信頼を掲げる王との対決がどのような形になるのか、ご注目ください。

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