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61話:剣を収めて、声を拾え――王と近衛団長

フィンが再び剣を抜いた街。

その夜は戦の終わりではなく、街の未来を見据えるための新たな幕開けでした。

民の声を受け止めながら、王として、そして一人の人間として悩むフィン。

彼を支える近衛団長エルシアとの対話には、剣ではなく“言葉”が交わされます。


このパートでは、戦の後に残された“静かな戦い”――内政と、心の揺れ――が描かれます。

王都アルディアの空がようやく晴れたのは、フィンが統治令を発してから三日後の朝だった。

 瓦礫の山が残る街の片隅に、新たな市場の柱が建ち始める。避難していた民が徐々に戻り、街に再び人の気配が戻る中で、王としての仕事はむしろこれからだった。


 フィン・グリムリーフは早朝から執務室にこもり、語り庁が提出した議案書に目を通していた。

 「食糧供給網は王都北部の村落経由に一本化すべきだ。……南部は治安がまだ不安定だからな」

 地図を睨みながら、手元の羽ペンが動く。

 「それと……医療体制の再編、クラリスの提案を入れて、町医者に薬の配給権限を持たせる。そうすれば王都の負担も減る」


 静かに戸が叩かれた。

 「失礼します、陛下」

 入ってきたのは近衛団長にして王妃候補のエルシアだった。甲冑の上からでも気品と気迫を漂わせるその姿は、王都防衛の象徴でもある。

 「城門東側、警備体制の再編について報告に来ました。ついでに朝食も、お持ちしました」


 フィンは思わず苦笑した。

 「……ありがとう、でも“ついでに”って何だよ」

 エルシアは軽く笑って、机に木箱を置いた。

 「あなたが倒れたら、王国そのものが危ういんですから。これぐらい当然です」


 少し沈黙が流れる。

 フィンはふと、窓の外を見る。

 「エルシア。俺は……この国をどうにか導いていきたい。声を聞いて、剣を抜いて、街を生かしたい。だけど、正解があるとは思えないんだ」


 エルシアは一歩近づき、手袋を外して机に手を置いた。

 「正解なんて、どの王も知らない。でも……王であるあなたが悩み、選び取った答えを、私たちは支える。それだけです」

 その言葉に、フィンの胸に重く、けれど温かなものが灯る。


 書類を束ねると、次の問題が机の上に現れた。

 「……商業ギルド再建の件だ。ローザリアからの流通を認める代わりに、語り庁の監視下での取引。ギルド内で腐敗が起きない仕組みが必要だ」


 そこへクラリスが書類を抱えて入ってきた。

 「王様、ギルド構成員の再登録リストです。前の体制のままでは、また“声を奪う者”が紛れ込みます」

 「ありがとう。こっちはエルシアの警備体制案もある。明日、臨時会議を開こう」


 三人の視線が交差する。そこには、剣も血もない、王としての戦いの形があった。


 そして、その日の午後、フィンは語り庁の議事堂に立ち、街の民と語り手たちの前で宣言した。

 「新たな商業法を施行する。ギルドの再建には信頼と公開を原則とし、すべての市民がその“声”を持つことを保証する――」

 民の中からざわめきと共に、小さな拍手が広がった。


 その夜、執務室の明かりは深くまで灯っていた。

 王としての覚悟は、今日もまたひとつ形を持ったのだ。

市場の騒乱が収まってから、すでに数日が経過していた。

 だが、街の空気は張り詰めたままだった。


 フィン・グリムリーフは、王の椅子に腰掛けながら、届いた報告書の山を睨んでいた。

 「治安回復に伴う再建案、商人ギルドの統制策、そして語り庁の意見調整……」

 思わず呟いた声に、隣で控えていたクラリスが頷く。

 「市場での剣は、街の秩序を守る象徴となりました。でも、それをどう制度に落とし込むか……ここが山場ですね」


 フィンは深く頷き、ペンを取る。

 「市民の声を制度に変える。つまり、声を“記録”し、“法”として遺す。これが今の戦いだ」


 そのとき、執務室の扉がノックされ、リナが姿を現した。

 「フィン、エルシア団長が到着しました」

 「通してくれ」


 ほどなくして、近衛団長エルシア・ルフェイリアが入室する。

 軍服の上に外套を羽織った姿は精悍でありながらも、どこか女性らしい柔らかさを漂わせていた。

 「王、ではなく……フィン。話がある」


 クラリスが軽く会釈して部屋を出ると、エルシアはフィンの前に立ったまま、ため息をひとつ落とした。

 「街の南区で、不穏な武器の取引があったようです」

 「誰の仕業だ?」

 「元王国軍人――塔の残党と接触していた疑いがあります」


 フィンは眉をひそめた。

 「統治令の発布前に……これは厄介だな。統治の正当性が問われる前に、内乱の火種か」


 沈黙のあと、エルシアが静かに告げる。

 「私は……王の剣として、迷いなく戦えます。でも……街を守る“王の女”として、フィンの隣に立つ覚悟があるかは、まだわからない」

 「……それは、今する話か?」

 「今だからだよ。剣だけで王に仕えるのは、もう限界なんだ。あなたが街と共に歩むなら、私はあなたと共に立ちたい。王としてじゃなく、人として」

 それは戦いとは別の、もう一つの覚悟の表明だった。


 フィンはしばらく黙っていたが、静かに目を閉じた。

 「ありがとう、エルシア。お前の言葉は、俺の剣と同じくらい重い」

 「なら、私をただの部下としてではなく、“未来の選択肢”として見てくれれば、それでいい」


 その日の夜、フィンは再び街に出た。

 広場では、語り庁主催の市民集会が開かれており、ノーラやクラリス、そして新たに選ばれた市民代表たちが壇上に立っていた。

 フィンが姿を現すと、小さなどよめきが広がり、やがて静寂が訪れる。


 「街の声を聞きに来ました」

 その一言に、壇上のノーラが頷き、フィンへと問いかける。

 「では王様、改めてお聞きします。この街を、どんな形に導こうとしているのか」


 フィンは一歩前へ出た。

 「剣だけでは守れない。声だけでは導けない。だから俺は、その両方を持つ。俺たちの街、アルディア王都は、剣と声の両輪で前に進む」


 その言葉に、広場から拍手が湧き上がった。

 市民たちの瞳が、またひとつ、信頼の色を取り戻していく。


 だがその裏で、またひとつの影が動いていた。

 ギルド本部――かつては経済の中心であったその建物の地下に、一人の男が膝をついていた。

 「……王が剣を抜いたか。では、こちらも“声なき力”を動かす時だ」


 街の光と影――その輪郭が、静かに濃くなっていく。

執務室に戻ると、フィンを迎えたのは、厳しい表情の近衛団長エルシア・ルフェイリアだった。


「王様。ギルド連合との調整会議、出席する気はありますか?」


 まるで剣を突きつけるような問いだったが、その声音にこもるのは怒りではなく、心配だった。


「行くよ。避けていたつもりはないが、向き合う覚悟がまだ足りなかった。……だが、今は違う。」


 フィンは胸を張って答えた。市場で剣を抜いた夜から、彼の中の何かが確かに変わった。街を守るのは、剣だけではない。だが、声だけでもない。両方を持ち合わせてこそ、英雄王の器なのだ。


「ならば、私も同席いたします。……王としての言葉に、護衛ではなく、証人として立ち会いたい。」


「ありがとう、エルシア。」


 フィンは微笑む。その横顔を見て、エルシアは口を開きかけ、しかし言葉を飲み込んだ。


(まだ……今は、王様と騎士。王妃候補など、軽々しく言える時じゃない)


 彼女の剣のような視線が、再び未来へと向けられた。


 午後の陽射しが、執務室に差し込む。


 机上には、再建計画書が何十枚も並んでいた。クラリスが用意したもので、市場再建費、街道補修、港湾設備の拡張、新たな治安隊の設立案――どれもが、街をひとつの国として動かすための礎だった。


「こっちの市場案、予算配分が甘いな。補助金の算出方法をもう一度……ああ、クラリス、これを。」


「承知しました、王様。」


 クラリスは即座に受け取って立ち去り、代わりにリナが入ってきた。訓練場帰りらしく、額にはうっすら汗がにじんでいる。


「王様! ギルドの若いのらが“英雄王の剣”って騒いでましたよ。完全に惚れ込んでます!」


「……剣を振ったことを正当化するのは、まだ早いさ。」


 照れくさそうにフィンは笑う。


 けれど、彼の瞳は真剣だった。


 ――この剣は、二度と誰かを絶望させないために抜くのだ。


 その思いは、やがて行動に変わる。


 フィンは午後の会議に臨んだ。ギルド連合との調整会議。


 商業ギルド、職人ギルド、交易商人、語り庁の監査官までが揃う、実に騒々しい場だ。


「王様、ローザリア商人の再入国を許可するのですか?」「港の関税が緩すぎるのでは?」「市場の監督責任はギルドが持つべきか、王室か?」


 交錯する利害、怒号、熱。


 だが、フィンは静かに手を挙げた。その瞬間、場の空気がぴたりと止まる。


「この街は、もう王都だ。誰が上で、誰が下かで線を引くのではなく、誰が“この街を生かすか”で判断する。」


 その一言に、言葉を失う者、目を見張る者。


「ギルドには自律を求める。だが、その上で語り庁の透明な監視を受けてもらう。街の声が、誰かの私利私欲に蹂躙されないように。」


 静かに、しかし確かに語られた言葉は、市民の代表として集った者たちの心に響いていた。


 剣ではなく、声で――だがその声は、剣に勝る迫力を持っていた。


 会議が終わる頃には、多くの参加者がフィンに歩み寄り、頭を下げるか、あるいは深く息を吐いていた。


 外に出ると、夕暮れが街を金色に染めていた。


 その光の中、フィンは背後から声をかけられる。


「王様、さっきの会議……かっこよかったです。」


 ノーラだった。肩に羽織をかけ、見上げるように言った。


「私はてっきり、また剣を抜くのかと思ってました。でも、剣を抜かないって、あんなに強いことなんですね。」


 フィンは苦笑した。


「……抜いたばかりだからな。剣じゃ解決できないことも、山ほどあるって思い知ったよ。」


 ノーラは笑い、ぽつりとつぶやいた。


「それでも、王様が剣を抜いたら、私は一番前で一緒に戦います。」


 その言葉に、フィンは少しだけ言葉を詰まらせた。


「ありがとう。……心強いよ。」


 日が沈みゆく中、王の歩みは、再び未来へと向けられていた。

――夜。王城の書簡室。


 山積みになった報告書の束を前に、フィンは溜め息をついた。街の各地区から寄せられる要望は、まるで氾濫する川のように尽きることがない。


 「北区の住民は水路の復旧を、南区は市場の再整備を……。塔残党の襲撃で負った爪痕は、見えないところほど深い……」


 思わずこぼれた言葉に、扉の外から気配が届いた。


 「陛下、お入りしても?」


 低く澄んだ声。エルシアだった。


 「……どうぞ」


 扉が静かに開き、近衛団長の姿が現れる。甲冑は脱ぎ、軽装の制服に身を包んだその姿は、王の傍らに立つに相応しい気品と凛々しさを漂わせていた。


 「夜分に失礼しました。報告の続きと、少し……陛下の顔を見に」


 「顔を見に、か」


 フィンは小さく笑った。


 「それは、団長の仕事のうちか?」


 「王の剣として王の安寧を守るのも、職務ですから」


 エルシアは肩を竦めながら、静かに机の前に歩み寄った。報告書の山を一瞥し、眉を寄せる。


 「……無理をなさらないでください。お一人ですべて背負う必要はない」


 「わかってる。けど――俺が導くと決めた街だ。声を拾わずに、未来は語れない」


 その目に宿る光は、王としての覚悟と、民への深い想いだった。


 しばしの沈黙のあと、エルシアがふと呟く。


 「……陛下が剣を抜いた夜のこと、覚えていますか?」


 「ああ。忘れられるわけがない。あの時、ノーラやリナ、そして君がいてくれたから俺は――」


 「違います」


 エルシアの声が、遮るように響いた。


 「私が見たのは、誰かの助けではなく。剣を抜きながらも、最後までその剣に溺れなかった“あなた”の姿です」


 フィンは目を見開く。エルシアは静かに続けた。


 「あなたは剣を振るう者でありながら、誰よりも剣を恐れている。だからこそ、あなたは王に相応しい。私は、その背中を見て、今なお剣を抜く理由を探しています」


 「エルシア……」


 「そして――」


 エルシアは視線をそらさず、真っ直ぐに言葉を紡ぐ。


 「その背中を、私はこれからも守りたいと思っている。それは、騎士としての義務ではなく、“個人として”の想いです」


 王と近衛団長。肩書きを超えて、ひとりの男と女として交わされた言葉だった。


 フィンはしばし黙し、そしてゆっくりと口を開いた。


 「ありがとう。その言葉が、今の俺には何よりも力になる」


 ふっと空気が和らぎ、エルシアの表情にもわずかに紅が差す。


 「さて……今夜は少し、気が楽になった。報告書の山はまだ高いが」


 「では、私も手伝いましょうか。剣より筆のほうが、今夜は役に立ちそうですから」


 「……そうしてもらえると助かる」


 そうして、ふたりは並んで書簡を手に取り、灯火のもとに静かに向き合った。


 騒乱の夜は過ぎ去り、だが新たな夜がまた始まる。


 内政の柱を築き、街の土台を固める日々。


 その夜、王とその剣は、誰にも知られぬまま、心の距離を少しだけ縮めていた――。

剣を振るうより難しいのは、剣を収めた後に街を導いていくことだ。

市民の声は、日を追うごとに増えていく。水、食料、家、治安――

ひとつひとつが命に関わる声だ。だから、俺は聞き逃したくない。


けれど、それを支えるのもまた人であり、仲間だ。

ノーラやリナだけじゃない。

エルシアのまっすぐな言葉が、今の俺を強くしてくれた気がする。


……そうか、俺はいつの間にか、あいつの剣に守られてるだけじゃなくて、

あいつの“想い”にも守られていたんだな。


それに気づけた夜だった。


次回、いよいよ街を支える新制度「統治令」の動きが始まる――

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