53話:塔残党の影、決意の静寂
第53話Dパートでは、フィンが王としての歩みを一歩ずつ進めていく姿を描きました。
王都の影に潜む塔残党の気配、外交交渉の難しさ、仲間との絆。
剣を振るわずとも戦場を制する“静けさ”の力が、フィンを支えています。
まだ未熟な王だけど、小さな戦場王として――。
どうぞ、最後までお付き合いください。
フィン・グリムリーフは、王城の応接室に立っていた。
朝の陽光が、窓越しに差し込む。
磨き上げられた床に、その光が反射して、フィンの影を長く引き伸ばす。
まるで、これから向き合う外交交渉の重圧を映し出しているかのようだった。
「……今日が、その日か。」
小さく吐息をつき、フィンは自分の胸に手を当てる。
剣を抜かないと決めた自分の覚悟が、今、試されようとしている。
ローザリア公国――塔の残党と繋がりがあると噂される隣国からの使者団を迎えるのだ。
応接室の奥では、語り庁の役人クラリスが、外交文書の最終確認をしていた。
彼女は淡い栗色の髪を揺らしながら、几帳面な筆跡で書類に目を走らせている。
その隣では、カレンが書簡を抱え、緊張した面持ちで立っていた。
彼女の記録が、この外交のすべてを後世に伝えるのだと思うと、フィンは心強くもあり、また身の引き締まる思いがした。
「フィン陛下、準備は整いました。」
クラリスが顔を上げ、真っすぐにフィンを見つめた。
その瞳に、揺るぎない誇りと使命感が宿っている。
フィンは頷き、言葉を探す。
「ありがとう、クラリス。……そして、カレン。」
カレンの瞳が一瞬揺れたが、すぐにまっすぐフィンを見つめ返した。
「大丈夫です、フィン陛下。必ず、陛下の“語り”を記録に残してみせます。」
その声に背中を押されるように、フィンは応接室の扉へ向かった。
扉の向こうには、ローザリア公国の使者団が待っている。
彼らは塔残党の影を引き連れているかもしれない。
噂だけではない、不穏な空気が王都を覆い始めていた。
扉を開けると、重厚な絨毯の上に使者団が整列していた。
中央に立つのは、品のある紺色の外套をまとった男――ローザリアの特使、マルキス・レオン。
彼は柔らかな微笑みを浮かべていたが、その瞳には計り知れないものが潜んでいる。
「フィン陛下、お招きいただき感謝いたします。」
レオンが一歩踏み出し、優雅に頭を下げる。
その所作は、さすが外交の国ローザリア公国の使者だと思わせた。
フィンは小さく頷き、語り庁の意義を胸に抱きながら、静かに言葉を紡いだ。
「マルキス・レオン殿、ようこそ王都へ。
本日は両国の友好を語る場として、語り庁の名の下にお迎えした。」
「ありがたいお言葉です。陛下がこの場を設けてくださったこと、ローザリア公国としても大変光栄に存じます。」
マルキス・レオンはにこやかに言葉を返した。
しかし、その背後で控える副官たちの目が、一瞬だけ鋭く細められるのをフィンは見逃さなかった。
(……油断できないな。)
剣を抜かず、言葉で挑む場とはいえ、相手は外交のプロであり、塔残党と通じているかもしれない。
その気配が、使者団の周囲にうっすらと漂っていた。
「さて、陛下。」
レオンが声の調子を変え、淡々と言葉を続ける。
「先日いただいた貿易に関する提案書を拝見いたしました。
ローザリアとしても、王都との交易拡大を歓迎したいところですが――」
一瞬、レオンは意味深に笑みを浮かべた。
「貴国が語り庁を設立したと伺いました。
剣を抜かずに国を治めるという新たな体制、たいへん興味深いものですな。」
その笑みには、称賛とも皮肉とも取れる響きがあった。
フィンは微かに息を呑む。
(塔の残党が動いているのか……?)
この交渉が、語り庁の試金石であることは間違いない。
剣を抜かず、声で国を導けるのか。
その覚悟が、今まさに試されているのだ。
「我が国は、語り庁の理念を信じています。」
フィンは静かに、けれど力強く答えた。
「剣で国を治める時代は終わった。
これからは、声と想いでこの国を導いていく。
それが、フィン・グリムリーフの選んだ道だ。」
言葉を発した瞬間、マルキス・レオンの瞳が、底知れない深い色を帯びた。
交渉の行方は、まだ分からない。
だが、フィンは剣なき王としての誇りを胸に、声でこの国を守り抜く覚悟を決めた。
王城の応接室での会談が一段落した頃、フィン・グリムリーフは席を立った。
胸の奥に、言いようのない胸騒ぎがあった。
ローザリア特使団との話し合いは一見順調に進んでいるように見えたが、その言葉の裏に潜む影が気になってならなかった。
(……塔残党。あの気配が、使者団の誰かと繋がっているのかもしれない。)
剣を抜かず、語りで国を導くと決めた自分。
その決意を試すように、影はじわりと忍び寄ってくる。
廊下を進むと、遠くから誰かの悲鳴が聞こえた。
フィンは一瞬立ち止まり、声のする方へ駆け出した。
声は、カレンのものだった。
(カレン!?)
あの優しくも芯のある瞳を思い出す。
フィンは剣を帯びていたが、それを抜くことなく走る。
自分は“剣なき王”。
それでも、大切なものを守るためなら――。
小広間の前で、二人の衛兵が倒れていた。
その奥には、カレンが床に倒れ込んでいた。
肩口を押さえ、血がにじんでいる。
その背後に黒装束の影――塔残党の残党兵か。
目の奥に冷たい光を宿した男が、短剣を握りしめて立っていた。
「カレンッ!!」
フィンは叫び、駆け寄った。
剣を抜きかけて――だが、そこで踏みとどまる。
(俺は……語りで国を導くと決めたんだ!)
剣の柄を握る手が震える。
血が滲むカレンの姿が、目の奥を焼いた。
守れなかった自分を責める声が胸を刺す。
だが、彼女の瞳がしっかりとこちらを見ていた。
「フィン陛下……私なら、大丈夫です……!」
その声が、王としての矜持を呼び覚ます。
「お前……何者だ!」
フィンは声を張った。
短剣の男はひくりと口元を歪める。
「へっ……語り庁だか何だか知らねえが、剣を抜かねえ王に国は守れねえんだよ。」
冷笑の響きに、フィンの奥底の怒りが煮えたぎる。
「剣を抜かずとも、この国を守ると決めた。
それがフィン・グリムリーフの王の誇りだ。」
声が震えるほどの怒気を含みながら、フィンは言葉を叩きつけた。
男が短剣を振りかざして迫る。
フィンは咄嗟に腕を上げて受け止めると、すかさず背後の衛兵が駆けつけ、男を取り押さえた。
「……大丈夫か、カレン!」
膝をつき、彼女を抱き起こす。
カレンの肩口は切られていたが、傷は浅い。
「私は……大丈夫です……。でも、フィン陛下……特使団の中に、怪しい動きが……!」
かすれる声で、彼女は必死に告げた。
フィンの胸に、冷たい刃が刺さったような感覚が走る。
塔残党の息が、ローザリアの使者団の中に潜んでいるのか。
(あいつら、最初からローザリアと繋がっていた……?)
剣を抜くか、語りで解決するか――その葛藤が再び心を揺さぶる。
けれど、フィンは決めていた。
「俺は……語りでこの国を守る。
剣は、民を導く最後の手段でしかないんだ。」
その声は、小さく震えていた。
だが、それでも真っ直ぐだった。
立ち上がると、語り庁の衛兵たちが駆け寄り、カレンを保護しようと動き出した。
フィンは衛兵長に向き直り、鋭い声で告げる。
「すぐに使者団の監視を強化しろ。
語り庁として、今回の件は必ず突き止める。」
「はっ!」
衛兵長が応え、足早に去っていく。
残されたカレンが、震える声で呼びかけた。
「フィン陛下……剣を抜かずとも、この国を導けると……信じています。」
その言葉が、フィンの胸に響く。
カレンの瞳が、かすかに潤んでいた。
「ありがとう、カレン。」
フィンは微笑んだ。
その笑顔は、ほんの少し涙を含んでいたかもしれない。
でも、それでいい。
この国を守る覚悟が、剣を超える力になると信じているのだから。
フィン・グリムリーフは、再び歩みを進めた。
剣を抜かない王として、仲間の想いを背負い、この国の未来を語りで照らすために。
その瞳には、迷いはなかった。
謁見の間に戻ると、フィン・グリムリーフは深く息を吐いた。
ほんの少し前まで、塔残党の刺客に襲われたカレンの姿が脳裏にちらついていた。
その痛ましい姿は、王となったばかりのフィンにとって、重い現実だった。
(この国を治める覚悟を決めたのに、まだ俺は何もできていないんじゃないか……。)
一瞬、そんな不安が胸をかすめる。
だが同時に、自分が選んだ道を思い出す。
剣の時代を終わらせ、語りで国を導くと決めたのは、偽りの自分じゃない。
民の声を拾い、守り抜くと誓ったのは、フィン・グリムリーフ自身だ。
そして何より――あの戦場で得たものは、剣だけじゃなかった。
「……行こう。」
小さな身体を一歩前に進めると、不思議と足元の空気が静まった気がした。
まるで、あの戦場で使ったスキル《戦場変換》の余韻が、自分を包むように。
戦の最中でも、あのスキルで空気を“静けさ”へと変え、仲間たちの恐怖や混乱を鎮めてきた。
今も、剣を振るわずともその力がここにあるような気がした。
謁見の間では、ローザリア特使団が既に席についていた。
マルキス・レオンが薄い笑みを浮かべている。
その奥の瞳には、油断ならない色が潜んでいた。
(あの副官と塔残党……まだ全てが繋がったわけじゃないが、動きは確かにある。)
小さな胸の奥に、熱いものが灯る。
フィンは席につくと、背筋を伸ばしてレオンを見据えた。
「マルキス・レオン殿、先ほどの襲撃事件について、あなたの副官が不審な動きをしていたという報告が上がっている。」
その声は、王というよりも、一人の戦場帰りの兵士のような落ち着きがあった。
剣を振るうだけではなく、静かに場を制する。
それが、戦場変換を通して身に染み付いた自分の“戦い方”だった。
「陛下……それは何かの行き違いかと思われます。」
レオンは一見穏やかに答えるが、その瞳の奥に微かな焦りが走る。
「塔残党と副官の関係については、私も寝耳に水。
我が国としても事実関係を確認するつもりです。」
「そうか。」
フィンは目を伏せ、一瞬だけ空気を整えるように呼吸を置いた。
周囲のざわめきが、ふっと消えた気がした。
戦場変換の残響が、空気を張り詰めた。
誰もが息を潜めるような、あの独特の空気。
それを、フィンは戦場で何度も感じてきた。
「この街で血が流れるのは、もうたくさんだ。」
その言葉は、小さな身体から絞り出すように吐かれた。
「塔残党の影は、国を蝕む毒だ。
だが、あなた方が協力するというなら、俺はそれを信じたい。
俺はまだ王になったばかりで、頼りないかもしれない。
それでも……仲間を、そして民を守りたいんだ。」
静まり返った空気の中、レオンがゆっくりと顔を上げた。
「……その覚悟、しかと受け取りました。
陛下が真実を求めるならば、ローザリア公国としても誠意を尽くす覚悟です。」
その言葉が本物かどうかは、まだ分からない。
だが、今この場でフィンにできるのは、信じるべきものを見極め、そして進むことだった。
「分かった。」
フィンはゆっくりと頷いた。
その瞳は、かつての戦場で幾度も死線を越えた戦士のそれだった。
静かに場を鎮め、仲間の声を守る――あの時と同じだ。
今もなお、自分は戦場にいるのだと、フィンは心の中で確かめた。
謁見の間を包む空気は、穏やかでいて、どこか張り詰めていた。
それはフィンが呼び込んだ“静けさ”だった。
戦場変換が生み出す戦場の支配感。
剣は抜かずとも、あの頃のように仲間を守れる――そう信じていた。
外からは、遠く鐘の音が聞こえた。
それは、王都のざわめきと交わり、新たな時代の幕開けを告げる音のようだった。
(この国を守るために、俺は歩み続ける。)
小さな身体に、仲間たちの想いと、民の声を背負って。
交渉の場は一旦の区切りを迎えた。
フィン・グリムリーフは席を立ち、謁見の間を後にする。
その足取りは、ほんの少しだけ重たかった。
(これが……王という立場なのか。)
あの戦場で剣を振るったときのような明快さはなく、今は言葉の渦に揉まれ、少しずつ進むしかない。
だが、それでいい。
仲間や民の声を抱きながら、一歩ずつ進む――それが、自分の選んだ道だ。
王城の廊下を歩くと、窓の外に灰色の雲が立ち込めていた。
塔残党の影がまだ完全に払われたわけではない。
(あの副官だけじゃない。奴らの根はもっと深いはずだ。)
フィンは小さく息を吐いた。
戦場変換を駆使して場を制するのは得意だが、この政治の場ではその力は直接的には役立たない。
それでも、あのスキルの気配を胸の奥に感じていた。
どこかでまた戦場に立つとき、その力が自分を支えてくれるはずだ。
角を曲がると、カレンが衛兵に支えられて立っていた。
肩口には包帯が巻かれているが、顔色は思ったより良さそうだ。
フィンは駆け寄り、心配そうに声をかけた。
「無理をさせてすまない、カレン。」
カレンは少し微笑んだ。
「いえ……私の方こそ、お役に立てず申し訳ありません。」
その声には、どこかで痛みを隠すような響きがあった。
フィンは小さく首を振った。
「そんなことはない。君がいてくれたから、副官の動きにも気付けたんだ。
本当にありがとう。」
言葉を交わすうちに、場の空気がふっと落ち着いていく。
(これが、俺の戦場変換の本質かもしれないな。)
剣を振るうだけではない。
場を鎮め、仲間の恐怖を取り払い、進むべき方向を照らす。
それが、この力の真価だと、今ならわかる。
「塔残党の連中……まだこの国のどこかに潜んでいるはずだ。」
フィンの声に、カレンが真剣な表情で頷く。
「はい……あの副官だけではない気がします。」
「俺もそう思う。語り庁としても、この件を必ず突き止める。
安心してくれ。」
そう言ってから、ふと声を落とした。
「俺は、まだ王としては未熟だ。
でも、戦場で学んだことはある。
仲間と共にあれば、どんな敵にも立ち向かえるってな。」
その言葉に、カレンの瞳が優しく揺れた。
「はい。フィン陛下なら、きっと大丈夫です。」
その言葉が胸に沁みた。
王として、まだ日が浅い。
それでも、自分にできることを一つずつ積み重ねていくしかない。
そのとき、遠くで鐘の音が響いた。
曇天の中でかすかに漏れるその音は、王都のざわめきを静めるような響きだった。
「陛下。」
クラリスが駆け寄り、小声で報告を告げる。
「先ほどの副官が、塔残党の密書を持っていたとの報告が入りました。
これで、やつらの繋がりは決定的です。」
「そうか……。」
フィンは目を細めた。
(これで、ローザリアの立場も揺らぐ。外交交渉は一層難しくなるだろう。
だが、もう逃げない。)
小さな身体の奥に、あの戦場で培った覚悟が灯る。
一人で戦うのではない。
語り庁、仲間、民――みんなでこの国を支える。
それが、フィン・グリムリーフの戦いだ。
「ありがとう、クラリス。
すぐに語り庁で情報を整理してくれ。
塔残党の残響は、必ず俺たちの手で止める。」
「はっ!」
クラリスが頭を下げ、足早に去っていった。
廊下の風が、微かにフィンの髪を揺らした。
戦場変換の感覚がふっと蘇る。
この空気は、誰かの恐怖や不安を鎮め、戦場をも制する静けさ。
今はまだ、この力のすべてを使いこなせるわけじゃない。
けれど、あの頃の仲間たちと共に駆け抜けた戦場で刻んだものは、確かに自分の中で生きている。
(この国を守るために、俺はこの力を手放さない。)
王という立場はまだ浅い。
でも、あの時のように、仲間を背にして立ち続ける。
それが、フィン・グリムリーフの戦いだ。
その瞳には、確かな決意と静かな強さが宿っていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
このパートでは、カレンの無事を確認し、フィンが再び戦う決意を固める場面を書きました。
静けさを漂わせながら、仲間と共に国を支える――それがフィン・グリムリーフの戦いです。
次回は、外交交渉の行方と塔残党の影をめぐる緊張感がさらに高まります。
引き続き、見守っていただけたら嬉しいです!




