51話:語り庁の誇り、剣なき王の声
語り庁として、初めて正式な外交交渉の場に立ちました。
塔の残影を背負いながらも、剣を抜かず、声で国を繋ぐと誓った自分の選択が、今日試されました。
剣よりも重い言葉の責任――
それでも、仲間たちの支えがあるから、この国の声を信じて進めるのです。
剣なき王として、これからも一人ひとりの声を守っていきたい。
王都の朝は冷たく澄んでいた。
霧の向こうに新しい一日が始まる気配を感じながら、フィンは語り庁の大広間に向かっていた。
塔の記録が解体され、剣を抜かず語りで国を治めると決めてから、毎朝の空気が変わった。
それは、街の人々が一人ひとり自分の声を持ち始めた証のようにも思えた。
(語りは、剣よりも重い。
誰かの命を抱きしめるようにして、繋がなければならない。
それがこの国を守る、俺の戦いだ)
大広間の扉を押し開けると、朝の光が差し込み、数十人の役人や語り庁のスタッフたちが慌ただしく行き交っていた。
塔の時代なら、こうした役人たちは命令を待つだけの存在だっただろう。
だが今は違う。
一人ひとりが、誰かの声を抱えて動いている。
その光景を見つめ、フィンは深く息を吐いた。
その時、リナが足早に近寄ってきた。
腰に佩いた剣の柄を軽く叩きながら、きりりとした声で報告する。
「王様、昨日のローザリア特使団との交渉内容を各街の町役人に伝達しました。
でも、一部の町では塔時代の古い役人たちが、まだ影響力を振りかざしています。
“語り庁の指示に従う義務はない”なんて言い出す者も……」
リナの眉間には苦渋が滲んでいた。
フィンは彼女の言葉を受け止め、静かに頷いた。
「塔の記録がなくなった今でも、その影は簡単には消えない。
だが、語り庁は塔のように支配する場所じゃない。
それでも、街の人々を守るためには、塔の遺灰を払うのは俺の責任だ。
必要なら、俺自身が語りで向き合わせる」
その声には剣気はなかったが、確かな決意が宿っていた。
リナはその瞳を見つめ、軽く頷く。
「承知しました。王様の語りの盾になります。
もし語りだけじゃ足りない時は、私が剣を振りますから」
その言葉に、フィンは小さく微笑んだ。
「ありがとう、リナ。お前がいるから、俺は語りで国を守れるんだ」
その会話の隙間を縫うようにして、ノーラが現れた。
腰の左右に佩いた双刀の柄を指先で確かめながら、鋭い目でフィンを見据える。
「中央広場で妙な噂が流れてる。
“塔の残党が語り庁を狙ってる”ってな。
ただの風聞かもしれないが、あの影はまだ王都に潜んでると思った方がいい」
その声音には、塔の闇を生き延びてきた者の実感がこもっていた。
フィンは頷き、ノーラの双刀に目をやった。
「ありがとう、ノーラ。
お前の剣は、俺の語りの盾だ。
もし語りだけじゃ届かない時は、お前の剣を貸してくれ」
ノーラは一瞬だけ目を細め、唇の端を上げた。
「任せとけ。
塔の頃とは違う、あんたの語りを、私が守ってやる」
その声に、フィンはまた少しだけ背筋を伸ばした。
そこへ、カレンが羊皮紙の束を抱えて駆け寄ってきた。
長い栗色の髪を揺らし、少し息を切らせながら報告を始める。
「王様、語り庁の初期運営資金の配分について、会計担当から最終報告が上がりました。
各町の治安維持費、教育費、そして市民支援の分配まで――
すべて塔時代の記録とは異なる新しい予算編成が必要です。
さらに、隣国フレストがローザリア特使団の動きを警戒しているようで……」
フィンは羊皮紙を受け取り、深い息を吐いた。
(塔の記録がないということは、どれだけ大変なことか)
しかし、もう逃げるわけにはいかない。
「ありがとう、カレン。
語り庁は塔と違う。
一人ひとりの声を拾い上げて国を繋ぐのが俺たちの役目だ。
予算も外交も、全部語りで繋ぐ。
それがこの国の選んだ道だ」
カレンの瞳がわずかに潤む。
「王様の語りは、塔のそれとは違います。
だから私も、全力で支えます」
その声には、塔時代を生き延びた者の覚悟がにじんでいた。
その言葉を胸に刻み、フィンは歩を進めた。
語り庁の扉を押し開け、朝日を浴びた王都を見つめる。
遠くでは、商人たちの呼び声と、子どもたちの笑い声が交錯している。
そのすべてが、この国の語りになる。
(剣なき王の選択――
この道が正しいかどうかは、俺が語りで証明するしかない)
その決意を胸に、フィンは再び歩き出した。
語り庁の執務室は、朝から紙の山に埋もれていた。
塔の崩壊後、王都の記録は散逸し、管理もほぼ崩壊した状態。
治安維持から税の徴収、教育の整備まで――すべてを語り庁が一から作り直す必要があった。
フィンは机に積み上がった報告書の束を前に、額に手を当てていた。
剣を抜くことより、この作業のほうがずっと重い。
だが、誰かがやらなければならない。
(塔の記録が消えた今、この国の声を拾えるのは、語りしかない)
リナが資料の束を持って入ってきた。
「王様、中央地区の治安維持部隊から、暴動未遂の報告が届きました。
元塔の役人を支持する市民たちが、『塔を戻せ』って叫んで暴れたそうです。
でも、現場の隊長が“語り庁の方針に従って対応する”と説得して、今は収まっています」
その声に、フィンは目を閉じて深く息を吐いた。
「……塔の影は、まだ簡単には消えないな」
その声には、剣を抜く時とは違う、重い決意が滲んでいた。
「でも、語り庁の兵たちは諦めてないですよ」
リナが、わずかに笑みを浮かべた。
「塔の命令を待たずに動くのは初めてで、少し戸惑ってましたけど……。
それでも、民衆の声を聞きながら隊を動かしたそうです。
“自分たちの声で治安を守れる”って、少し自信がついたみたいです」
その言葉が、フィンの胸に温かさを残した。
(語りが人を支える。その最初の一歩が、もう始まっている)
彼は机を叩き、ゆっくりと立ち上がった。
そのとき、扉の外から慌ただしい足音が響く。
現れたのはクラリスだった。
「王様、隣国フレストの使者が非公式に接触してきました。
“塔の記録が崩れた今、王都と秘密裏に協定を結びたい”とのことです。
どうやら、ローザリア特使団との和平交渉を嗅ぎつけたようで……」
その表情には、緊張が刻まれていた。
フィンは眉をひそめた。
「塔の記録があれば、こうした動きも塔が握っていたはずだ。
だが今は塔がない。
語り庁が動かなくては、誰かの声が簡単に消されてしまう」
その瞳には、剣のような光が宿った。
クラリスは資料を差し出した。
「この件は、正式に語り庁として対応すべきか、それとも王様個人の語りとして動くべきか……。
判断を仰ぎたいとのことです」
その問いに、フィンは少しだけ迷った。
(語り庁を“国の声”にするなら、これは公式の場で扱うべきだ。
けれど、外交は駆け引きが絡む。
王として動くべき場面もある。
今の俺に問われているのは、どの声を守るのかだ)
フィンは視線を上げ、はっきりと答えた。
「公式の場で話す。
隣国だからといって、誰かの声を勝手に捻じ曲げさせるわけにはいかない」
その声は、剣よりも鋭かった。
クラリスの顔がほっと緩む。
「承知しました。
語り庁の全権をもって、フレスト使者団との接触を正式に取り仕切ります」
その言葉に、フィンは小さく頷いた。
すると、部屋の隅でカレンが筆を走らせていた。
「王様の語りは、塔時代の記録とは違います。
声を聞く者として、そしてこの国の語りを残す者として、私も全力で支えます」
その声には、塔の呪縛を超えた覚悟が宿っていた。
フィンはその言葉を胸に刻み、仲間たちを見渡した。
リナの瞳には戦士としての強さと、仲間を支える優しさがある。
ノーラは腰の双刀を確かめ、まだ王都のどこかに潜む“塔の残党”の影を探っている。
クラリスは資料を抱え、語り庁の未来を形にしようとしている。
そしてカレンは、語り庁の一員であり、王の語りを記録する者としてその場にいる。
(この国は、もう塔の記録だけで動く場所じゃない。
一人ひとりの声で繋がっている。
その声を、俺は決して切り捨てない)
窓の外を見やると、王都の街並みが朝日を浴びて輝いていた。
その光の中で、子どもたちが駆け回り、商人たちが声を上げ、兵士たちが市民を守っている。
そのすべてが、この国の“語り”だった。
「よし、全員配置についてくれ。
塔が支配していた頃のやり方はもう通用しない。
これからは、人の声が国を動かす。
そしてその声を守るのが、語り庁の役目だ」
フィンの声が響いた瞬間、部屋の空気が震えた。
仲間たちは一斉に頭を下げ、その背筋を伸ばした。
剣を抜かずとも、人の声で国を守る。
それが、語り庁の始まりだった。
(剣を抜かない覚悟――
その重さを、俺はこの胸に抱き続ける)
語り庁の会議室は、朝から人で溢れていた。
塔の時代には考えられなかった光景だ。
剣や記録に縛られていたこの国が、今や“語り”という形で動き出そうとしている。
フィンはその場の空気を深く吸い込み、ゆっくりと目を開けた。
「この国の声を拾うのが語り庁の役目だ。
塔の記録に頼らず、一人ひとりの声を形にする。
その覚悟を、今日から本格的に示していく」
フィンの言葉に、室内が静まった。
リナが一歩前に出る。
「王様、第一段階として、各町の役人たちに語り庁の説明会を開く手はずが整いました。
ただ、塔時代の権力者たちの影響が強い場所もあって、簡単にはいかないでしょうが……」
その声には、剣士としてだけでなく、王の補佐としての責任感がにじんでいた。
「分かってる。
塔の残骸は簡単には消せない。
でも、俺たちが語りで変えていくしかないんだ」
フィンの声には、剣を抜かない覚悟が宿っていた。
リナは頷き、腰の剣に手を置く。
「何があっても王様の盾になる。
言葉で通じない相手には、剣でも守りますから」
その言葉に、フィンは微笑んだ。
「ありがとう、リナ。
お前の剣があるから、俺は語りを信じて進める」
そのやり取りを見つめていたノーラが、小さく息を吐いた。
「王様、中央市場の裏通りで“塔の亡霊”なんて名乗る連中がビラを撒いてるそうです。
“王の語りは偽りだ”とか“塔の秩序が必要だ”なんてことを書き立てて……」
その瞳には冷たい怒りが光っていた。
フィンの眉がわずかに動く。
(やはり、塔の影は根深い……)
「ノーラ、そいつらの動向はどうなってる?」
「街の子どもが知らせてくれました。
直接危害は加えてないけど、人心を乱そうとしてるのは間違いない」
ノーラは腰の双刀を軽く叩き、声を低くした。
「剣を抜けって言われたら、すぐ抜くよ。
でも、王様が語りで解決するって言うなら、私も最後までついていく」
その言葉には、塔の影を斬ってきた者の覚悟があった。
フィンは真っ直ぐノーラを見据える。
「ありがとう、ノーラ。
もし語りで届かない相手が現れたら……その時は頼む」
ノーラは短く頷き、背筋を伸ばした。
そのやり取りを、会議室の隅でカレンが書き留めていた。
長い栗色の髪を揺らし、真剣な眼差しで筆を走らせる。
「王様の語りは、私が必ず後世に残します。
塔のような一方的な記録じゃない、“生きた語り”を」
その声には、王の語りを信じる者としての誇りがあった。
フィンはその声を胸に刻み、机の上に広がる書類に目を移した。
そこには、語り庁が集めた町役人や市民からの報告書、子どもたちの落書きのような要望書、年老いた農夫の震える文字で書かれた嘆願書――
あらゆる声が詰まっていた。
「……この国の声は、剣よりも重い」
フィンは小さく呟いた。
「リナ、各町の説明会は任せた。
塔時代の役人に惑わされないよう、語り庁の理念を伝えてくれ」
「承知しました!」
リナの声が、会議室を震わせた。
「ノーラ、中央市場の件、必要なら監視をつけろ。
剣を抜くのは最後だが、市民を危険に晒すわけにはいかない」
「了解!」
ノーラが鋭く頷き、腰の双刀を確かめた。
「カレン、語り庁の記録はお前に任せる。
この国の声を、必ず残してくれ」
「はい。
王様の語りを、誰にも歪めさせません」
カレンの声には、塔時代を超えた誇りがあった。
その時、クラリスが新たな書簡を持って駆け込んできた。
「王様、先ほどのフレスト使者団から正式な会談要請が届きました。
“王都を認め、語り庁の声を尊重する”という条件付きです。
ただし、裏では一部の貴族たちが塔の秩序を取り戻そうと動いているという噂もあります……」
その声には緊張が滲んでいた。
フィンは短く息を吐き、瞳を閉じた。
(塔の影を斬るために剣を抜くか、語りで抗うか――
選ぶのは、俺だ)
「分かった。
語り庁の声を示す時が来た。
フレスト使者団との会談、語り庁として迎えよう。
この国が塔の残骸に縛られていないと示すために」
その瞳には、剣なき王の誇りが宿っていた。
午後の陽が王都を照らす頃、語り庁の会議室には緊張感が漂っていた。
塔が崩壊し、語り庁が動き出してから、初めての本格的な外交交渉がここで開かれる。
それは、この国が剣ではなく語りで歩むと決めた最初の試練でもあった。
フレスト使者団の代表者は、豪奢な衣装を纏い、堂々とした足取りで入室してきた。
その背後には護衛騎士団が控え、ただならぬ威圧感を放っている。
塔の時代なら、この場を塔の記録官たちが支配していたに違いない。
けれど今、その場に立つのは語り庁のメンバーと、王であるフィンだった。
「初めまして、王都語り庁の皆様。
私はフレスト王国の使者、リゼル・ハイネストと申します」
穏やかな口調ながら、瞳には鋭い光が宿っていた。
その目は、フィンという“語りの王”を値踏みするようだった。
「ようこそ、フレスト王国の使者殿。
私はフィン・グリムリーフ。
この国の語り庁を背負い、民の声を国の力に変える者です」
フィンは、剣ではなく言葉で相手を迎えた。
「塔の崩壊以後、貴国との関係が停滞していたのは事実です。
そのため本日、この場で新たな協定を結び直したいと考えております」
リゼルの言葉には、外交官らしい婉曲な含みがあった。
(塔の混乱に乗じて、揺さぶりをかけにきたか……)
フィンはゆっくりと頷く。
「語り庁は、塔のように国を支配するつもりはありません。
けれど、一人ひとりの声を守るために、この国の語りを担っています。
その上で、フレスト王国と対等な立場で協議できる場を作りたい」
その声には、剣を抜かない覚悟があった。
リゼルは瞳を細め、軽く笑った。
「なるほど……塔の時代なら、こうした会談も一方的な通達で済んだものを。
貴国の語り庁は、面倒な手続きを取るのですね」
その声には、塔の残骸をくすぐるような挑発が滲んでいた。
ノーラが腰の双刀にそっと手をやる。
リナが目を細め、背筋を伸ばした。
その気配を感じたフィンは、手で制するように小さく振り返る。
(剣ではなく、語りで答える)
「面倒かもしれない。
けれど、この国はもう誰かの記録で動く国じゃない。
一人ひとりの声が国を支えている。
それが、語り庁のやり方だ」
フィンの声が、会議室の空気を震わせた。
リゼルの口元が、わずかに引きつる。
「それでは、こちらの条件を述べさせていただきます。
貴国と正式な和平を結ぶにあたり、塔の記録が一部欠落している問題を補填していただきたい。
そのためには、貴国語り庁の記録官をフレスト王国に派遣してほしいのです」
その言葉には、塔の時代を引きずる支配の名残が漂っていた。
フィンの表情は揺るがなかった。
「語り庁は、誰かの記録を補填するために存在するわけじゃない。
この国の声を守るためにある。
もし記録が必要なら、まずはそちらがこの国の声を聞いてほしい」
その声は剣よりも鋭く、会議室に響き渡った。
リゼルは口をつぐんだ。
その場の空気が、ぴんと張り詰める。
そのとき、カレンがペンを走らせる手を止め、ゆっくりと顔を上げた。
「王様の語りは、塔のように記録を縛るものではありません。
それを私たちが守り、伝えるのが語り庁です」
その声には、塔時代を超えた新しい記録官の覚悟があった。
フィンは小さく頷き、仲間たちを見渡した。
リナが剣を置き、ノーラが双刀の柄から手を離す。
その背筋が、語り庁の矜持を示していた。
「この国は、剣ではなく声で繋ぐ国だ。
その声を、塔の記録のように誰かが塗り替えることは許さない。
それが、俺の語り庁だ」
フィンの声が、堂々と響いた。
リゼルはしばし沈黙し、その瞳を細めた。
「なるほど……語りの国というのは、想像以上に厄介だ。
しかし面白い。
その声を確かめるためにも、正式な協議を進めましょう」
その言葉には、塔の残骸を越えようとする一抹の興味があった。
フィンは頷いた。
「語り庁として、この国の声を示してみせる。
それが、剣なき王の戦いだ」
その瞳には、揺るぎない光が宿っていた。
王都の陽は傾き始め、語り庁の会議室に赤い光を差し込ませた。
塔の記録を打ち破った先で始まった、新たな語りの国――
その行く末を、誰もが見つめていた。
フレスト使者団との交渉は、語り庁としての試金石でした。
塔の時代とは違い、剣を抜かずに声で国を導くという私の語りが、果たして国を守れるのか――
それを確かめる戦いが、これからも続きます。
仲間の剣と語りの力を借りながら、剣なき王として、一歩ずつ前へ進んでいきます。
どうかこの先も、私の語りと共に歩んでいただけたら嬉しいです。
フィン・グリムリーフ




