表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
44/134

44話: 命を語る書、記録を裂く声

第44話では、“制度と命”の間に立つ王としてのフィンの覚悟が、ついに言葉となって現れました。

塔の記録という巨大な権威が、その“語り”を否定しようとする中で、

彼は「それでも語る」と、剣ではなく声で世界に立ちました。


この物語の核心は、「記録されない声にも意味があるのか」。

そして今、塔が選んだのは――“封印されていた語り”という切り札でした。


世界が、揺れ始めます。

朝、王都に淡い霧が立ち込めていた。

 鐘は鳴らず、塔の頂にも旗は揺れていない。

 だが、その静けさの中に、“前例のない一手”が放たれようとしていた。


 


 王宮の執務室――。


 書見台の前に立つフィン・グリムリーフは、羊皮紙に視線を落としながらも、筆を握ろうとしなかった。


 


 その手元には、塔の印が押されていない命令書が一枚、置かれていた。


 本文は短く、そしてまっすぐだった。


 


 > 『王都南部地区において、雨期による地盤緩みによる住宅崩落の恐れが確認された。

 > よって、三日以内に該当地域の住民全員に一時避難を命じる。

 > 必要な支援物資の配給、および臨時避難所の設営を王命とする。』


 


 それは、ただの避難勧告だった。

 だが、**“記録庁の審査を通していない”**という一点だけで、

 この一枚の紙が、国そのものを揺らしかねない力を持っていた。


 


 「……本当に出すのか?」


 リナが、座卓の上に剣の手入れ道具を置いたまま、真剣な目で尋ねた。


 


 「塔がどう出てくるか分かんねぇぞ。

 “記録されてない命令は、命令にあらず”って……何度も言ってきたじゃん」


 


 「でも、間に合わない」

 セリナが、静かに言った。


 


 「記録庁の審査は三日を要する。

 その間に、予報通りの大雨が来れば――被害は避けられません」


 


 ノーラが壁に寄りかかったまま腕を組み、ゆっくりと口を開く。


 


 「つまり、“命を守るか”“制度を守るか”ってことになるわけね」


 


 「そうだ」

 フィンが呟いた。「これは“塔の記録”じゃない。

 “俺が生きてる人間を見て、出す命令”だ」


 


 書見台に再び目を落とす。

 塔の印の代わりに、“剣と風”を象った印章が押されていた。


 


 それは、塔に認められた記録ではない。

 だが、南門の戦いでフィンの語りに呼応した民たちが、自主的に象った“王印”だった。


 


 「出すぞ」

 フィンは、ためらいなく言った。

 「これは、語りだ。俺が語る。命を守るために」


 


 筆が、紙の最後にサインを走らせる。


 フィン・グリムリーフ――

 塔の王ではなく、“人々の王”としての名が、そこに刻まれた。


 


 その瞬間、空気がわずかに変わった。

 遠く、塔の方角から、鐘の音ではない“震え”のような気配が伝わってきた。


 


 ノーラが目を細める。


 


 「塔が……気づいたな」


 


 「さて、怒るか、それとも動くか……」

 リナが笑ったが、その笑みに浮つきはなかった。


 


 セリナが、命令書を慎重に巻きながら問う。


 


 「これを配下の文官に回しますか?

 それとも、“語り手であるあなた”自身が、街で読むおつもりですか?」


 


 フィンは、ほんの一瞬だけ考えた。

 そして――はっきりと言った。


 


 「俺が語る。

 これは、“記録される語り”じゃない。

 “命を守るための声”だ」


 


 その声が、すでに“剣より強い”何かを帯びていたことを――

 このとき、仲間たちは直感で理解していた。

その日の昼、王都の南広場には人だかりができていた。


 


 塔の鐘は沈黙を保っていたが、街の噂は早かった。


 「王が、塔を通さず“命令”を出したらしい」

 「いや、“語った”んだ。広場で、命を守るために」

 「塔の印がないのに……そんなの、通るのか?」


 


 ざわつきの中、まだ不安と期待が入り混じっていた。


 だが人々の目には、ひとりの少年の姿がしっかりと映っていた。


 


 フィン・グリムリーフ。

 南門の戦いを率い、塔の審査を越え、王となった男。

 今は、王座の装飾も冠もない。

 けれど、その立ち姿は、まぎれもなく――“語る王”だった。


 


 彼の隣には、セリナが控え、広場の中心には高台が設けられていた。


 その高台に、フィンが一歩一歩、足音を響かせながら昇っていく。


 


 リナとノーラは広場の外縁で警戒に目を光らせていた。

 この場において、剣は不要――それが理想だと皆わかっていた。

 だが、今の王都はまだ、理想をすべて受け入れるには早すぎる。


 


 フィンが高台の中央に立ったとき、風が一度だけ吹き抜けた。


 その風に、彼の外套がなびく。


 


 静寂。


 


 先に声を発したのは、誰でもなかった。

 **フィン自身の“語り”**だった。


 


 「今日、俺は“記録されない命”のために、語る」


 


 最初の言葉が、空気を変えた。


 ざわつきはぴたりと止まり、

 その場にいた誰もが、呼吸を浅くした。


 


 「塔は、審査が必要だと言った。

 だが、審査の間に、命は失われる。

 避難が遅れれば、崩れた家の下に取り残される人もいる。

 だから俺は、今ここで――命令を出す」


 


 彼は手にしていた巻物を広げた。


 塔の印は、ない。

 代わりに、“剣と風”の紋章が刻まれていた。


 


 「これは、“語りによる命令”だ。

 この語りを受けた者は、三日以内に南部区画から避難を始めてくれ。

 臨時避難所は東の練兵場に用意した。

 水、食料、寝具、薬……すべて用意する。

 塔の許可はないが、命を守る力は、ここにある」


 


 民衆の間にざわめきが走る。

 だがそれは、“不安”ではなかった。


 確かな“覚悟”のようなものが、静かに広がっていた。


 


 「記録に残らなくてもいい」

 フィンは言葉を重ねた。


 「でも、救われる命があるなら、それで十分だ」


 


 その瞬間。


 群衆の中から、ひとりの老婆が杖を突きながら歩み出た。


 


 「南区の者じゃが……避難しても、よろしいのかえ?」


 


 フィンは、まっすぐに頷いた。


 


 「もちろん。

 “記録される”かどうかじゃない。

 “あなたが生きる”ことが、何よりの意味です」


 


 老婆がゆっくりと頭を下げた。


 


 次に、子どもを抱いた母親が名乗り出る。

 続いて、青年、商人、巡回兵……次々と、“記録を通さない命令”を受け入れる者が現れた。


 


 その光景に、セリナが息を呑む。


 


 (これは……塔が積み重ねてきた“記録信仰”の壁を、

 たったひとつの語りが――崩していってる)


 


 高台の上で、フィンは一言も語らなかった。


 だがその沈黙が、語る以上に雄弁だった。


 


 彼の語りは、誰かの名を必要としない。

 塔の筆も、記録の資格も、印も、いらなかった。


 


 ただ、“今、生きている者”のために。


 それだけで、語りは命令となり、命令は希望となった。

塔は沈黙しなかった。

 いや、“制度の守人たち”は、むしろ即座に動いた。


 


 記録庁本庁の白殿――塔の中枢、最高審査会議の間には、

 数十本の巻物が、机の上に乱れ並べられていた。


 


 それは、フィンが王として行使した“語りによる命令”の報告と、

 街の反応、市場の混乱状況、そして住民たちの自発的な避難行動を記した一次情報。


 


 だが、それよりも――もっと重く、もっと静かに積み重なっていたのは、

 “記録されなかった情報”に関する恐怖だった。


 


 「……報告書、再確認。

 王都南部、住民の四割以上が“塔の記録を経ていない王命”に従い、移動を開始」


 


 副査官の一人が、筆を震わせながら読み上げた。


 


 「避難所は開設済み。民間協力者多数。

 王印が掲げられた場所には、自発的に炊き出しや医師が集まっています。

 ……“秩序の維持”という観点からも、特段の混乱は認められません」


 


 「……では、何が問題だというのですか?」


 


 沈黙の中、立ち上がったのはデュラン・クロイツ。

 “秩序の筆”と呼ばれた老記録官。その声音は低く、だが鋭く通った。


 


 「記録庁の印が、押されていない」

 「これは“語り”ではない。“記録”ではない」

 「“記録を経ていない語り”が命令として受け入れられたことが、問題なのです」


 


 ざわつきが広がる。


 


 「ですが、クロイツ様。現場では既に効果が――」


 


 「効果ではない。“記録の支配”が揺らいだことこそが危機なのだ」


 


 その言葉に、誰も反論できなかった。


 記録庁は、あらゆる語り・出来事・法令を“定義”することにより、

 世界の秩序を構築してきた。

 それが否定された瞬間、塔の存在意義が、崩れ落ちる。


 


 「……通達を出す」

 デュランが命じた。「形式は“記録通告・特例警告文”。

 出頭命令付き。“語り資格”の再審査も視野に入れよ」


 


 書記たちが一斉に筆を走らせる。


 命令はわずか数分で起草され、金の印が押された。

 それは、塔の制度において“最大級の警告”を意味する巻物だった。


 


 > 『記録庁本庁より通達――

 > フィン・グリムリーフ王は、語りの資格を有するとされるも、

 > 本庁の記録過程を経ずして命令を布告した。

 > 本件に対し、記録庁は“語り資格の再審査”を行う意向を表明し、

 > 七日以内の記録庁本庁出頭を命ずる。

 > 出頭なき場合、“語り行使の停止”も含め、制度的措置を講じる。』


 


 塔から放たれたその通告は、王宮へと届けられた。


 


 王都、夕刻。

 その報を受け取ったとき、広場にいた兵士たちがざわついた。


 


 「王が……“語りを禁じられる”って、本気なのか?」


 


 「冗談じゃない。あの人が“語らなかったら”……誰が命を繋いでくれるんだよ」


 


 そして、王城。


 通告文を読み上げたセリナの声は、途中でわずかに震えた。


 


 「……語り資格、停止。

 つまり、“もう語るな”という命令です」


 


 「ふざけんなよ……」

 リナが拳を握り、壁を叩いた。


 


 ノーラは静かに息を吐く。


 


 「塔は……本気で潰しにきてる。

 “語りの王”って立場ごと、制度から引きはがすつもりだ」


 


 フィンは、通達文を読み終えても何も言わなかった。


 ただ、長い時間――その紙を見つめていた。


 


 (命令文ではなく、“通告”)

 (これは、塔からの最後通牒に近い)


 


 やがて彼は、ゆっくりと口を開いた。


 


 「……それでも俺は、語るよ」


 


 その声は、かすかに掠れていた。

 けれど、揺れていなかった。


 


 「語りの資格なんて、塔が決めた形式にすぎない。

 でも俺は、“語りで救える命”を知ってしまった。

 ……なら、誰に何を言われようと――語る。命がある限り」


 


 夕日が差し込む王宮の広間。


 その光は、塔の白殿よりも暖かかった。


 そしてその日、フィン・グリムリーフは決意する。


 


 記録のためではなく、

 命のために語る――“本当の語り手”として。

塔からの通告が公になったその夜、王都は静まり返っていた。


 


 だがそれは、安らぎの静けさではない。

 沈黙という名の“不安”だった。

 市民も、兵も、貴族も、誰もが――「何かが決定的に変わる」と本能的に感じ取っていた。


 


 王城の政庁では、急遽招集された貴族会議が始まっていた。

 長机の上には通告文の写しが置かれ、重苦しい空気が会議室の隅々まで染みついていた。


 


 「記録庁本庁は、王の“語り”に対し、資格の再審査を要請してきた」

 「塔の言葉は、もはや“警告”ではない。“宣告”だ」


 


 会議を主導する年長議員が、眉間に皺を刻んで続けた。


 


 「このまま王が塔の呼び出しに応じなければ、“語り”そのものが剥奪される可能性がある。

 それはつまり――王位の正統性が根本から崩れるということだ」


 


 沈黙。

 だがその沈黙の奥で、心の針は確実に動いていた。


 


 「……王の語りは、民を動かした」

 「だが、“記録されていない”という一点が、秩序を壊す危険でもある」


 


 「我々が支持すべきは“命”か、“制度”か――」


 


 会議室の外で、その声を聞いていたノーラは、廊下の壁にもたれかかったまま、溜息を吐いた。


 


 「信じていた“正義”と“決まり事”がぶつかったとき、

 どちらかを切らなきゃいけないのは、いつも下の人間なのよね」


 


 リナが口元を拭い、拳を握る。


 


 「でもさ、塔の通告ってのはさ、王が民を救ったことに対して“罰を与える”って意味だろ?

 そんなもんが、正しいのかよ」


 


 王座の間に戻ったフィンは、ただ静かに文面を見つめていた。


 


 資格の再審査。

 語りの一時停止。

 出頭命令。


 


 それら一つ一つが、ただの紙の言葉ではなく、“心臓を突く刃”のように彼に突きつけられていた。


 


 「……なら、語りじゃないって言われても、語るよ」


 


 その声は掠れていたが、芯は揺るがなかった。


 


 「誰かの命が、“記録に間に合わない”なら――

 俺は、その手前で語る。

 例え塔が“記録を支配してる”って言っても……命の声の方が、強いって証明してみせる」


 


 その夜、王都の灯火はいつもより多く揺れていた。


 


 一方、塔の最奥。

 記録庁本庁の白殿では、誰にも公開されない“密議”が始まっていた。


 


 長老記録官が囁くように言う。


 


 「……あの少年の語りは、我々の予測を超えている」


 


 「すでに“記録にない民意”を動かしている。

 もはや筆では止められぬ」


 


 「……では、例の“干渉体”を再起動すべきか?」


 


 その言葉に、全員が沈黙した。


 


 ――干渉体。


 記録の最奥。

 制度の矛盾が臨界に達したときだけ呼び出される、“塔に名を刻まれなかった語り手”。


 


 名は――ヴァレン・ザルディーン。


 


 かつて、王都南門を襲撃した男。


 王の誕生を阻止するために、表舞台から姿を消した“語りの矛先”。


 


 その名が、再び塔の中で囁かれ始めた。


 


 だが、その記録には“存在証明”も“命令記録”も残されていない。

 仮に彼が再び動き出せば――それは、塔が“制度を守るために嘘をついた”ことを意味する。


 


 つまり――フィンに勝てば塔の勝利。負ければ、制度の終焉。


 


 あまりにも危険な賭け。


 


 しかし、塔はもう“詰み”の寸前だった。


 


 その影が静かに囁いた。


 


 「……命の語りが歴史を塗り替える前に。

 記録の剣が、王の語りを上書きせねばならぬ」


 


 そして夜が明ける。


 制度と命。

 塔と王。

 語られるべき未来は、もう止まらない。

制度を守るために、塔は動きました。

そして、その“動かしたもの”の名は、かつて王都を襲った黒き語り手――ヴァレン・ザルディーン。


フィンが民を守るために語った言葉は、

塔にとって“秩序を破壊する希望”となり、

ついには“記録されない最終兵器”を呼び起こしてしまいます。


けれど、フィンは恐れず語ります。

命の声が、どれだけ“記録されなくても”、

確かに誰かに届いたのだと信じて。


次回、第45話――

語りの資格を巡る戦いが、いよいよ本格的に始まります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ