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43話: 王座に坐して、剣を抜かず

王となったフィンの前に立ちはだかったのは、

剣でも塔でもなく、“言葉で測ろうとする他国の目”でした。


第43話では、語ることを求められる一方で、

語らないことが“語り”になるという皮肉を抱えながら、

彼が初めて「王としての言葉とは何か」に向き合っていきます。


剣を抜かず、声を張り上げず、

ただ“伝えるべき瞬間”を探す少年の姿が、

やがて国そのものの呼吸を変えていく――そんな静かな始まりの物語です。

王座の間は、どこか静かだった。


 かつて火と血と瓦礫にまみれた場所。

 その面影は、今も床の一部に残るひび割れや煤に残されていたが、

 そこに差し込む朝の光が、それらを柔らかく包んでいた。


 


 空気に緊張はなかった。

 けれど、そこにいた誰もが“何かが始まる”ことを感じていた。


 


 王座の中央。

 やや小柄な体躯に、淡い外套をまとった少年――フィン・グリムリーフが坐していた。


 


 剣はない。冠も、飾りもない。

 ただ、“あの日、語りによって守った街”の空気を、その身に受けているだけだった。


 


 けれど、その姿が“王”としてそこにあることを、誰も否定しなかった。


 


 「報告いたします」


 前に立つのは、セリナ・トラヴィス。

 元記録庁補佐官にして、現在は王政補佐官を務める女性だ。


 


 「第一外郭南区、市場通りの復旧は四割完了。

 民兵による治安維持は継続されており、明確な暴動は確認されておりません。

 ただし、城壁西側の水路再建に遅れがあり、補給ラインの負荷が増大中です」


 


 「兵の声は?」

 フィンが問う。


 


 「“剣を預けたい”という者が増えています」

 「もう、自分たちは“戦うだけの存在”ではないと……」


 


 セリナの言葉に、フィンはゆっくりと目を伏せた。


 


 「……語っただけで、戦わずに済むなら……」

 「そう思える人間が出てきたってことだよな」


 


 「そうだな!」

 リナが元気よく言った。

 「広場じゃ噂になってるよ。

 “フィン王は、剣じゃなくて言葉で国を治めるらしい”って」


 


 「王が言葉で国を治めるのは、当たり前のことだろう」

 ノーラが苦笑する。

 「でも、あんたは剣で語ってたからね。“どんな王になるか”って街の連中も注目してるよ」


 


 王座の間には、少人数ながらフィンの側近たちが揃っていた。


 長机の上には簡素な地図が広げられ、いくつかの場所に赤や青の印が打たれている。


 


 「これが、王都と周辺五州の現状です」

 セリナが印を指差す。

 「そしてこちらが、外交における懸念点です」


 


 その指先が触れたのは、王都の北東に広がるメリア王国の領域だった。


 


 「メリアから使節団が到着予定です。

 “塔が語りの王を仮登録した”という情報が広がってから――わずか三日。

 あまりにも動きが早すぎます」


 


 「塔の話なんて、まだ街の子どもすら分かってないのに」

 リナが腕を組む。

 「外の連中は、そういうの嗅ぎつけるの早いんだな」


 


 ノーラが地図を見つめる。


 「メリアは塔とは別の記録体系を持つ国。

 “語り”を外交の手札として使う可能性はある。

 ただの挨拶じゃ済まない気がするね」


 


 「……挨拶も、まだ慣れてないけどな」

 フィンは微かに笑う。


 


 その笑みに、空気が少しだけ和らいだ。


 


 「俺は、戦場で“剣を抜く理由”ならいくらでもあったけど……

 今は、“抜かない理由”を考える日が来るなんて、思わなかった」


 


 「だから、“王”なんだよ」

 セリナが静かに言った。

 「語るだけでは足りない。けれど、剣を抜かずに“治める”には――その語りの先にある責任が必要です」


 


 「……語ったことに、責任か」

 フィンは小さくつぶやいた。


 


 王座は、戦場よりも静かだった。

 けれどその静けさの中でこそ、

 “剣では動かない世界”を動かす、最初の語りが始まろうとしていた。

午前の日が、王都の石畳を金色に照らしていた。

 城門の前に並ぶ兵たちは緊張の面持ちを保ちながらも、内心では戸惑っていた。


 


 戦は終わったはずだった。

 けれど、“剣を持たずして来る者たち”のほうが、時に厄介な存在であることを、

 街の古参兵たちはよく知っている。


 


 使節団が到着したのは、日が南に差し始める頃だった。


 先頭に立つのは、華やかな金装束をまとう青年――

 カリム・エスファン。

 メリア王国の第二王子であり、現政権内では“外交における語りの実践者”として知られる男だった。


 


 彼の騎乗する馬車には、王国紋章に加え、“語りの巻物”を象った旗印が掲げられている。


 


 「……あれが“語り使い”の外交官か」


 ノーラが遠巻きに言った。

 双刀を帯びたまま、門の上から使節団の動きを観察していた。


 


 「表情だけで言えば、戦場の将軍より強敵かも」

 リナが片肘をついて苦笑する。


 


 王座の間には、既に来客を迎えるための簡素な調度が整えられていた。

 フィンは、王座の手前にある一段下がった玉座――“語りの間”と呼ばれる対話の席に坐っていた。


 


 扉が開き、カリム・エスファンが歩み出てきた。


 


 「初めまして。メリア王国よりまいりました、カリム・エスファンと申します」

 その口調は丁寧だったが、声音には僅かに“試す”ような響きがあった。

 「塔があなたの語りを認めたと聞き、ぜひ一度、直接拝見したいと――」


 


 「剣じゃないぞ」

 フィンが遮るように言った。

 「俺の語りは、“剣を抜かずに済んだもの”ばかりだ」


 


 「……それは、それで興味深い」


 カリムが口元を歪めた。

 「私の国では、“語り”とは戦術であり、影響力です。

 外交交渉では、語りによって空気を制する者が主導権を握る。

 つまり――言葉は剣と同じということ」


 


 セリナがわずかに眉を動かす。

 (これは、剣ではなく“語りの一騎打ち”だ)


 


 「あなたが塔に認められた語り手であるならば……」

 カリムが片手を掲げる。


 


 「どうかこの場で、その“記録されなかった語り”を示していただけますか。

 メリア王国の使節として、あなたの言葉の“価値”を確かめたい」


 


 空気が、すっと張りつめた。


 セリナも、リナも、ノーラも――

 誰もが“剣を抜かない戦場”の到来を感じ取っていた。


 


 だが、フィンは立たなかった。


 


 「……語りってのは、そう簡単に“披露する”もんじゃない」

 彼は静かに言った。

 「必要があるとき、誰かの心に届くとき、それが“語り”になる」


 


 「……つまり、あなたは今――語らない?」


 


 「俺の語りが届くときは、誰かが“語ってほしい”って思ってるときだ。

 今みたいに、“試してみたい”って思われてるだけじゃ、

 ……たぶん、何も起きない」


 


 沈黙が落ちた。


 だが、それは敗北ではなかった。


 言葉を抜かずに、“語りの間”を支配する。

 剣を抜かずに、“この場”を制する。


 


 カリムはわずかに目を細めた。

 その表情には、予想外の展開を楽しむような色すらあった。


 


 「……なるほど。“語らぬ語り”とは、こういうことですか」

 「やはり――一筋縄ではいきませんね、“王”」


 


 フィンは答えなかった。

 ただ、静かに椅子の背に身を預けていた。


 それは、戦場ではなかったが、

 確かに“戦い”の始まりだった。

応接の間を辞したあと、使節団は城内の一室に案内された。

 簡素ながら広く、白い布が張られた窓から王都の風が流れ込んでいた。


 


 カリム・エスファンは、案内役の兵に軽く頷くと、

 腰を下ろすより先に窓辺に立ち、外の景色を見下ろした。


 


 「……思っていたよりも、ずっと――“生きた街”ですね」

 彼の言葉は誰に向けたものでもなかった。

 だが、背後の護衛がひとり、静かに応じた。


 


 「王都とは、もっと“語りで統制された街”だと思っておられたのでは?」


 


 「正直なところ、そう期待していた部分もある」

 カリムは目を細めた。


 


 「“語りで国を治める王”とは、なかなかに魅力的な題材です。

 記録庁の噂、塔の震え、そのすべてが一人の少年に集約されている――

 そうであれば、我が国の記録律に組み込む価値がある」


 


 「しかし彼は、“語らなかった”」

 護衛が静かに言った。「まるで“語られること”自体を拒んだように見えました」


 


 「……それが一番厄介だ」


 


 カリムはくるりと振り返ると、口元を歪ませた。


 


 「語る者は利用できる。“語らぬ者”は崇拝される。

 どちらも、記録にとっては有益だが――

 あれは、その中間だ。“語る意志”はあるのに、“自分からは語らない”」


 


 「ならば、こちらから“語らせる状況”を用意する必要がありますか?」


 


 「ふふ……まるで塔の記録官みたいだな、君は」


 カリムは軽く笑いながらも、目だけは笑っていなかった。


 


 一方、王の間に戻ったフィンたちは、簡易の地図と報告書を囲んでいた。


 


 「……あいつ、完全に“見に来てた”よな」

 リナが言った。「最初から戦うつもりじゃなくて、どんなやつか確かめるつもりで」


 


 「試してたのは間違いない」

 ノーラが椅子の背にもたれたまま、腕を組む。

 「語らせようとしてた。“外交儀礼”に見せかけて、実質は能力測定みたいなもん」


 


 「でも、語らなかったんですよね」

 セリナが書類を整理しながらつぶやく。


 


 「フィンが“語り”を“必要なときだけ使う”って態度を貫いたのは、

 彼らにとってはたぶん一番想定外だったはず」


 


 フィンは地図に視線を落としたまま、呟くように言った。


 


 「誰かの“記憶”を使って、誰かの“思い”を踏み台にするような語りなら……

 俺は、たとえ王になってもやりたくない」


 


 その言葉に、しばし沈黙が落ちる。


 


 けれどその沈黙は、重苦しいものではなかった。

 むしろ、仲間たちの中にある“覚悟”が、改めて確認されたような空気だった。


 


 「じゃあ、“語らせる隙”を与えないように、こっちから仕掛けるか?」


 リナがいたずらっぽく笑う。


 


 「剣を抜かずに戦うってんなら、俺たちにもやり方あるしな」


 


 「言葉の布陣……ってやつですね」

 セリナが苦笑しながら頷く。

 「“王”としての対話を、先手で築くための――」


 


 ノーラが立ち上がった。


 


 「こっちも、そろそろ“語り”の意味を、

 “塔の外”で見せてやる頃合いかもね」


 


 フィンは何も言わなかった。


 けれどその目には、剣を抜かない“戦い”への覚悟が、確かに灯っていた。

王都の夜は、戦が終わってからというもの、不思議なほど静かだった。


 


 それは不安でも、怯えでもない。

 むしろ、何かが“始まる前の呼吸”のような、

 都市全体がゆっくりと息を整えているような、そんな気配。


 


 商人たちは火を落とし、子どもたちは窓辺に座って外を見ていた。

 兵士たちは剣を帯びたまま、しかし誰ひとり手を握りしめてはいなかった。

 街路に並ぶ石の灯籠には、赤い光石が穏やかに脈を打っていた。


 


 ――その灯の下、焚き火を囲む広場では、人々の話し声が少しずつ集まっていた。


 


 「おい、聞いたか? メリアの使節が来たって」


 「王様に会ったんだろ? “語り”で返したのか?」


 「いや……“語らなかった”らしい」


 「語らなかった……? あの人が?」


 


 「でもさ、それでいいんじゃないか。

 王様、何でもかんでも言葉にしないところが、好きだってうちの娘が……」


 


 「昨日、工房の兄貴が言ってたよ。

 “剣で王になったわけじゃない。語りで繋いだ命が、王にしたんだ”って」


 


 その言葉に、誰かが火の番をしながら頷いた。


 


 「語ったから王なんじゃない。

 “誰かの命を、語ってくれたから”だ。

 ――それだけで、もう十分だよな」


 


 


 そして――その噂は、王都の中心部にある高塔の窓辺にも届いていた。


 


 夜風がカーテンを揺らし、わずかに開いた木枠の隙間から、街のざわめきが風に乗って届く。


 


 「……なんか、変わったよな。街の音」


 


 窓辺に立つフィンが、ぽつりと呟いた。


 


 「前はもっと、ただの喧噪だった気がする。

 でも今は……静かなんだけど、ちゃんと“生きてる”」


 


 背後から、柔らかな足音。


 「それ、ちゃんと届いてる証拠だよ」

 ノーラがそっと微笑んだ。

 「あなたが語ったことも、語らなかったことも。街はちゃんと受け取ってる」


 


 フィンは振り返らないまま、答えた。


 


 「……でも、まだ俺は“王様”じゃない気がするんだ」


 


 「どうして?」


 


 「誰にも、“自分の言葉”で何かを伝えたことがないからさ。

 今まで俺が語ったのは、誰かの命、誰かの記憶……

 だけど、“俺自身の想い”は、一度も語ってない」


 


 ノーラは黙って彼の背に立った。

 その場には、いつの間にかセリナとリナも来ていた。


 


 「なら、明日やればいい」

 リナが大きく肩を回しながら笑う。

 「“王様の語り”ってやつ。難しいこと考えずに、あんたの言葉で街に話しかけてみればいい」


 


 セリナがそっと頷く。


 


 「民は、あなたが“語りで戦った王”だと信じています。

 けれど今、彼らが必要としているのは、

 “戦の後に何を守るのかを語れる王”です」


 


 「……何を守るのか、か」


 


 フィンはふと、自分の掌を見つめた。

 剣を握っていた手。

 誰かの命を支えた手。

 でも今は、ただ“言葉”を抱くしかない掌。


 


 「語ってみるよ」

 その声は、ゆっくりと決意を帯びていた。

 「明日。俺の言葉で。俺自身の想いを――この国に届ける」


 


 その瞬間、夜の風が彼の足元を優しく撫でた。

 街で灯る赤い光石のひとつが、音もなく、わずかに光を強くした。


 


 誰が見ていたわけではない。

 けれど確かに、街はそれを“聞いていた”。


 


 “語り”が、またひとつ――剣を抜かぬまま、生まれようとしていた。

「語らなかった」ことが、人々の中で“語り”になっていた。


戦の英雄ではなく、“街の王”として、

剣を振るわずに何を語るか。

語る覚悟を持ちながらも、その場を選ぶという“沈黙の勇気”。


第43話では、フィンが初めて“語らぬ選択”を通して、

国と人々の心に立つ王としての一歩を踏み出しました。


言葉はまだ届いていません。

けれど、焚き火の前で語り合う民たち、

窓辺に立つ子どもたちの視線が、確かに彼を見ていた。


次回、第44話――

剣ではなく言葉で、民と向き合うフィンの“初めての語り”が始まります。

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