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42話:語りは剣よりも深く

語りは、剣よりも深く届くことがある。

言葉にならない思いを、“誰かの代わりに語る”ということ。

それは、記録にも制度にも分類されない“意志の連なり”かもしれません。


第42話では、フィンが塔の記録庁に正式に挑み、

“語るとは何か”を言葉と沈黙で伝えようとする姿を描いています。


制度に拒まれても、誰かの記憶が“応えてくれる”なら。

彼は語ることをやめない――その意志が、塔すら動かしはじめます。

塔の審査の間は、あまりに静かだった。

 ただの沈黙ではない。

 “意味を持たぬ音”すら、この空間には許されていない。


 


 白い石の床に立つフィンは、自分が“存在していること”そのものが問われている気がしていた。

 何も言わなくても、何もしていなくても、

 この空間は、すべてを“測ろうとしている”。


 


 六人の記録官――“塔の中枢”に通じる者たちが、仮面の奥からこちらを見ていた。

 その中で、唯一仮面を外していたのが、ティセル・ナヴィレア。

 エルフィス族の記録官。

 数百年にわたって記録と向き合い続けてきた長命の審査官。


 


 「では、始めましょう」

 彼女の声は冷ややかでありながら、どこか敬意も宿していた。


 


 「あなたの“語り”は、言葉を持たぬ剣の一撃とされている。

 塔の記録には、“王名ノ一閃”“戦場変換”といった語句で仮登録されているものの、

 詠唱・構成・効果すべてが分類不能と判断されています」


 


 別の記録官が補足するように前に出た。

 彼の仮面には、“書かれた羽根”の意匠があった。


 


 「我々は、“語り”を“構築言語”と定義します。

 意味を持つ語彙、対象、意図、発動条件――それらが揃ってこそ、“記録可能な語り”です。

 あなたのそれは、“語り”ではなく、“感情による現象干渉”の可能性がある」


 


 「じゃあ訊く」

 フィンが、静かに言った。


 


 「南門で、俺が斬った“あの線”を。

 誰も越えられなくなった“あの場所”を――

 あれは、“記録しなくてもよかったもの”だったか?」


 


 沈黙が落ちた。


 


 「言葉はなくても、記憶に残ってる。

 声にできなくても、あのとき剣を握ってた全員が、感じてた。

 “この一振りは、誰かを生かすためのものだった”って――」


 


 「だが、それは証明されていない」

 別の記録官がすぐに割って入った。

 「塔にとって、語りとは“記録に残る真実”でなければならない。

 再現不能の一撃を“語り”とするなら、塔の全記録体系は崩壊します」


 


 「それでも」

 セリナが一歩、フィンの隣に並ぶようにして前に出た。

 「王都南門にいた者たちは、その“一撃”で命を繋いだのです」


 


 「……その者たちは、語りましたか?」


 


 ティセルの問いは、感情を排していた。

 事実だけを問う者の、冷静な声だった。


 


 「語ってなどいない。

 ただの兵士、ただの志願者。

 語る権利を持たぬ彼らの感情を、あなたが勝手に“語った”のでは?」


 


 「そうだよ」

 フィンは頷いた。「だから俺が語った。

 彼らの恐れも、願いも、誰かが“語ってやらなきゃ”って思った。

 あのままじゃ、全部が“なかったこと”にされるって分かってたから――」


 


 空気が震えた。


 フィンの声が、塔の中心にまで届いたように思えた。


 


 「俺の語りは、技術でも、才能でもない。

 “見ていたから、語れる”。

 “忘れてほしくないから、語る”。

 たったそれだけのことを――塔は“分類できない”からって、切り捨てるのか?」


 


 しばらく、記録官たちは動かなかった。


 


 やがて、ティセルが静かに口を開いた。


 


 「ならば、“記録再現”を行います」


 


 白い壁の一部が崩れ、宙に記録映像が浮かび上がる。

 塔が、“過去の語り”を再現しようとしていた。


 


 フィンの前に、かつての王都南門が広がった。

 燃える空、震える兵士たち、突撃する騎兵。


 そして、その前に――剣を掲げる、かつての自分の姿が現れる。


 


 「これは、塔が観測した“あなたの語りの瞬間”です」


 


 ティセルが言った。


 


 「この記録を見た上で、改めて答えていただきましょう。

 あなたの語りは、“剣技”ですか? それとも、“記憶を救う言葉”なのですか?」


 


 フィンは、記録の光の中に映る“自分”を見つめた。


 そこにいたのは――確かに、語っていた。


 声に出さなくても、誰よりも叫んでいた。


 


 (この命が、“なかったこと”にされるぐらいなら――)


 


 (俺が、全部、背負ってやる)


 


 そして彼は、静かに呟いた。


 


 「……これは、“語り”だ。

 誰にも届かなくても、俺の中で生きてる語りなんだ」


 


 記録庁は、それをどう判断するのか。

 塔は、何を記すのか――


 


 今、語りが、制度と正面からぶつかろうとしていた。

塔の天井に、淡い揺らぎが走った。

 まるで風が吹いたかのように――だが、ここに風はない。

 空間そのものが、語りに“揺れた”のだった。


 


 映し出された記録は、淡々としていた。

 王都南門。騎兵の突撃。盾を構える志願兵。

 その前で、ひとりの少年が剣を抜く――そして、光のない斬撃が戦場に線を引いた。


 


 「……これが、“語り”だと?」


 


 記録官のひとりが言った。仮面の奥からでも分かる、疑念のにじむ声だった。


 


 「映像上は、ただの剣技だ。確かに威力は常軌を逸しているが……これは“力”であり、“言葉”ではない」


 


 「でも、兵たちは反応した」

 セリナが反論する。「あの一撃で、崩れかけていた戦列が整った。

 誰も言葉を交わしていないのに、まるで“何かが通じた”ように――」


 


 「それを“語り”と定義するなら、塔はあまりに多くの“沈黙”を見逃してきたことになる」


 


 その瞬間、記録官たちの中で、唯一仮面を外していたティセルが目を伏せた。


 


 「……かつて、“沈黙の語り”と呼ばれた現象がありました」


 


 その言葉に、他の記録官たちがざわついた。


 


 「第五層記録群、『塔暦第一二一〇年、北壁戦役』。

 “声なき戦陣”と記録された小規模戦闘で、語りによる直接命令は確認されなかった。

 だが、兵士たちは全員、同一の動きで戦線を維持していた。塔はそれを“偶発的連動”と分類したが――」


 


 「その語りは、記録されましたか?」

 セリナが問う。


 


 ティセルは、ほんのわずかに口元を動かした。


 


 「……記録は、拒まれました。“分類不能”という理由で。

 当時の審査官たちは、“証明できぬ語り”を排除したのです」


 


 フィンが、ゆっくりと彼女を見た。


 


 「あなたは、どう思ったんだ」


 


 ティセルは答えなかった。

 その沈黙が、記録官としての“線”を維持するための苦しさのようにも見えた。


 


 他の記録官たちが、囁くように議論を交わし始める。


 


 「確かに、過去にも非詠唱型の干渉記録は複数ある」

 「だが、それは塔の反応を得たケースに限られている」

 「この語りは、記録前提ではなく“反記録的”ですらある」


 


 「――つまり、“制度の外”から来た語りだ」


 


 その声が、空間を貫いた。


 


 記録官たちが一斉にフィンを見た。


 


 「お前たちが記録しなかったから、

 俺は語った。

 誰にも聞かれなくても、誰にも知られなくても――語るしかなかった」


 


 塔の壁が、かすかに光を帯びた。

 記録官たちの背後で、幾つかの石板が震え、小さな音を立てる。


 


 まるで、塔そのものが――“思い出している”。


 


 「語りは、剣よりも深く刺さる。

 それが誰かの命を動かすなら、

 その語りは、“記録に値する”はずだ」


 


 セリナが、フィンの隣で小さく頷いた。


 


 「この語りが“例外”であるなら、塔が変わるべきです。

 例外を拒み続けた記録庁の枠を越える、“新たな語りの形”として――認めるべきです」


 


 しばらく、誰も言葉を発しなかった。


 だが、空間は確かに“ざわめいて”いた。

 剣ではない。爆発でもない。

 ひとつの語りが、記録の深層を静かに揺らし始めていた。

審査の間に、妙な“圧”が満ち始めていた。


 声を張る者はいない。

 剣を抜く者もいない。


 それなのに――壁が軋み、石板が震えていた。


 


 塔が、反応していた。

 まるで“未分類の語り”に呼応するように、

 記録庁の心臓部が、無音の振動を刻み始めたのだった。


 


 「この現象……」

 ひとりの記録官が石板のひとつに手をかざす。

 「分類されていない“未登録語り群”が、塔の記録層から浮上しつつある」


 


 「語りに呼応している……?」

 別の官が、仮面の奥で息を呑んだ。


 


 「記録は反応する。“意味のある語り”には、塔は静かに共鳴する。

 だからこそ、語りは“制度の中”で慎重に扱われるべきだったのに――」

 ティセルの声は、震えていた。

 それは怒りではなく、“揺らぎ”のようだった。


 


 「あなたが今感じているそれこそ、答えだ」

 フィンが、ゆっくりと前に出る。

 剣には手をかけない。ただ、語った。


 


 「塔は反応してる。俺の語りに。

 南門のときと同じ。

 誰かを救いたいと願って語った言葉が、

 確かに“記録されようとしてる”」


 


 記録官たちの一人が震える声で言った。


 


 「このまま“語り”が分類不能のまま記録層に影響を与えれば、

 塔の中核に未定義領域ができる。

 すべての記録が再編され、“語りの構築定義”そのものが再考を迫られることになる……!」


 


 「なら、再考しろよ」


 


 フィンの一言が、空間を打ち抜いた。


 


 「語りは誰のものだ? 塔のためか? 記録のためか?

 違うだろ。

 “誰かを忘れないため”のものだ。

 なら、制度の都合なんかで閉じ込めるな」


 


 ティセルが、ついに視線を逸らした。


 


 「……私は……あなたの語りが、塔を揺るがすことを恐れていた」

 「だからこそ、受け入れられなかった。

 語りが制度を超えてしまう日が、来るかもしれないと……」


 


 「もう、来てるさ」


 セリナが静かに言った。


 


 「塔は、あなたの声に耳を傾けている。

 そして――塔の外にいる人たちも、同じように、耳を澄ませている」


 


 その瞬間だった。


 石板が、一枚、空中に浮かび上がった。


 そこには、かつて“記録不許可”とされ、誰にも読まれることのなかった語りが、

 わずかに光りながら現れていた。


 


 > 『戦場に、言葉はなかった。

 >  けれど、誰かの背中が、“守る”と語っていた。

 >  誰もがその背に、剣を重ねた。』


 


 それは、塔が“沈黙の語り”として拒絶した記録だった。


 


 ティセルが、その石板を見上げる。


 彼女は目を閉じ、小さく息を吐いた。


 


 「……この語りも、あなたと同じだった。

 誰にも語られず、記録にもならなかった。

 でも――今、あなたの語りに呼ばれて、塔の底から浮かび上がった」


 


 「じゃあ、次は誰かの語りが、俺に呼応するかもしれない」

 フィンが、言った。


 


 「塔の記録は、制度じゃない。

 “語ることを諦めなかった者たち”の積み重ねなんだろ?」


 


 審査官たちが、それぞれ視線を交わした。


 やがて、ティセルが言う。


 


 「……本日をもって、語り王フィン・グリムリーフの語りを、

 “構築語り”に分類せず、

 “共鳴型未定義語り”として仮登録する」


 


 「その意味は?」


 


 「正式な記録とは異なります。

 だが――塔が拒まず、記録が共鳴した以上。

 あなたの語りは、制度の外から塔に届いた、“最初の例外”となります」


 


 塔が――動いた。


 記録の中に、“制度に収まらない語り”の枠が刻まれたのだ。

塔が静かに震えていた。


 それは怒りでも拒絶でもない。

 むしろ、“呼吸”のような――語りに対する応答のようだった。


 


 仮登録――共鳴型未定義語り。


 塔の歴史上初めて、“制度に分類されなかった語り”が、

 正面から認められた瞬間だった。


 


 記録官たちは口を閉ざしていた。

 誰もが、自らの判断に迷いを残していたわけではない。

 ただ――“何かが変わった”という実感を、まだ言葉にできずにいた。


 


 セリナが、そっと息を吐いた。


 


 「……終わりましたね、フィン」


 


 「いや、始まっただけだよ」

 彼は静かに返した。「俺の語りはまだ、誰にも届いてない。

 塔に届いた。それだけだ。

 でも、あの日の門の上で感じたあの声たちは――まだ、全部語りきれてない」


 


 ティセルが、わずかに歩み寄る。


 彼女は一礼し、その金の瞳をフィンに向けた。


 


 「あなたの語りが、本当に“記録に残る”ものになるかどうか。

 それは、これからの時代が証明することでしょう」


 


 「なら、語り続けるさ」


 フィンはそう言って、塔の奥を振り返った。

 そこには、まだ無数の記録されなかった語りが眠っている気がした。


 


 「制度に拾われなかった声。

 沈黙の中で消えていった誰かの祈り。

 そういうものを拾うのが、“語り部”だって思うんだ」


 


 「……ならば、あなたは塔の敵になるかもしれない」


 


 ティセルの言葉は、どこか寂しげだった。

 それでも、否定ではなかった。


 


 「それでも俺は――語るよ。

 誰かの記憶が、消されないために」


 


 そして、白い記録の間に背を向け、

 フィンはゆっくりと歩き出した。


 


 その背中を、塔が見送る。

 誰も、もう止めなかった。


 


 塔の扉が開いたとき、王都の空はどこまでも澄んでいた。

 戦いが終わっても、傷が癒えても、

 “語られなかったもの”は、まだ街の至るところに残っていた。


 


 ノーラとリナが、城下の坂の途中で彼を待っていた。


 


 「塔、ぶっ壊して出てくるかと思った」

 リナが笑う。


 


 「……剣は抜かなかったのね」

 ノーラの言葉には、どこか安心がこもっていた。


 


 「抜かなかったよ。

 でも、塔は少しだけ、揺れた気がする」

 フィンは空を見上げた。


 


 「俺の語りが、誰かにとって――

 “語られなかった記憶”に、繋がっていればいい」


 


 塔の中枢で、新たな記録が動き出していた。


 誰にも語られなかった剣の軌跡が、

 今、ようやく――語られ始めた。

「これは、“語り”だ」と言い切った少年の声に、

塔がわずかに震えました。


記録とは制度であり、形式です。

ですが、物語とは“誰かの中で生き続ける記憶”でもあります。


共鳴型未定義語り。

それは、フィンの語りが“まだ定義されていないけれど確かに存在する”と、

塔が初めて認めた記録のかたち。


剣を抜かずに戦ったフィンの背には、

これから語られるべき者たちの物語が重なっています。


次回、塔から戻った彼が“語りを伝える方法”を模索する中で、

この小さな共鳴が、やがて王都という社会に波紋を広げていきます。

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