40話:記録の剣、語る王
こんにちは、一条信輝です。
ついに『ついホビ』も第40話、そして第2巻の完結までたどり着きました。
ここまでお付き合いくださった読者の皆様、本当にありがとうございます。
今話では、フィンの戦いの“結果”と、それがもたらした“記録”の確定、
そして――彼が“王”と呼ばれることになる運命の瞬間を描いています。
戦の炎の中で剣を抜いた少年が、
“塔の外”から世界を動かす存在となるまで。
その記録の意味と重さが、
あなたの心にも届けば嬉しく思います。
戦は、終わった。
――少なくとも、今は。
王都南門。焦土と化した防衛線の先に、
フィン・グリムリーフは、なお剣を携えて立っていた。
塔の旗が再び掲げられた町には、
修復班と回収班、傷ついた兵士と沈黙した市民が行き交っていた。
「南門防衛隊、三日以内に再配置予定」
「死者確認、第五班進行中。損耗比、三割超」
リナが手早く報告用紙を束ねながら、
ちらとフィンを見た。
「……立ちっぱなし。少しは休めばいいのに」
フィンは無言で、破れた南門の先を見つめていた。
だがその眼は、戦の余韻ではなく、次に備える者の眼だった。
***
――王都は、包囲されていた。
南門以外にも、王都の三方すべてに敵が現れた。
塔が後に出した報告には、次のように記されている。
【東門】
記録庁直属の魔導防衛隊が迎撃。
結界陣を起動し、敵の突破を阻止。
魔導障壁の一部が破られ、30名以上が重傷。
【西門】
斥候騎士団が応戦。一時敵に突破され、市街地に迫られる。
だがルフェイリアの副官・ミランが強襲に成功し、戦線を奪還。
長期戦の末、敵は夜明けとともに撤退。
【北門】
貴族連合兵による防衛だったが、敵の陽動に混乱。
敵部隊が一時城下地区に侵入し、民家に被害。
記録庁の予備隊が迎撃し、侵入部隊を撃破。死者多数。
王都は――総力戦だった。
そして、その防衛の象徴として名を刻んだのが、
南門で剣を掲げ、龍を呼び、敵を退けた少年だった。
フィン・グリムリーフ。
***
王都中心、記録庁正殿。
塔の最上評議室では、騎士団、記録官、貴族会議の代表たちが集まっていた。
その中央で、一枚の文書が掲げられた。
> 『記録庁は、フィン・グリムリーフに対し、
> 王都防衛における記録の成立と、
> 塔外現象との同調記録を認定。
> “記録の剣を持つ者”として、王号の授与を宣言する。』
記録庁、貴族連名の共同決定だった。
“現王は生死不明で記録未確定”――
その空白を埋める正当な「記録」に、
ついに名が刻まれたのだ。
***
南門広場。
石の段に立つフィンの前に、一人の記録官が歩み出る。
塔の象徴である白銀の長衣を纏い、
手には古い、記録の儀式用の“語り杖”。
「フィン・グリムリーフ」
少年の名が、王都の空に響いた。
「あなたの剣は、塔が認める“記録”を成した。
その証として、塔と貴族会議は、あなたを王位継承者として――
ここに、正式に記録する」
フィンは答えなかった。
ただ、剣を引き、静かに地に突き立てた。
周囲の兵士たちが見守る中、
風が石畳を吹き抜けた。
その刹那、塔の高みに刻まれた魔導石が、
ひときわ強く、彼の名を刻んで輝いた。
王都に鐘が鳴り響いた。
塔の最上層に設置された“記録の鐘”――
王都が新たな記録を受け入れたときだけ鳴らされる、特別な音。
それは、戦いの終わりではなかった。
新たな時代の、始まりだった。
「……今の、鐘……?」
「塔から……? 王の鐘って……記録が――」
街中にいた人々が、次々と顔を上げる。
洗濯物を干していた母親が、手を止める。
鍋をかき混ぜていた屋台の老夫婦が、箸を落とす。
外に出た子どもたちが、無言で空を仰いだ。
そして、誰かが呟く。
「フィンって、あの少年だよな……南門の……」
その声をきっかけに、広場へ人が集まり始めた。
彼の姿を見た者。
噂で聞いた者。
ただ、鐘の意味を確かめたかった者。
老若男女が、次第に広場の石畳を埋めていく。
その場にいた誰もが、「どうすればいいか」を知らなかった。
だが、それでも――見ていた。
王座も玉璽もない。
旗も軍楽もない。
それでも、あの場所には「王」と呼ばれるに足る何かが、確かに立っていた。
***
塔の一室、記録官たちの間でも緊張が走っていた。
「記録、確定です。塔の記録石が反応しました」
「署名者、記録庁上層部12名、貴族会議承認7名……手続きは整いました」
別の記録官が声を潜めて言う。
「だが、これは“記録が先行した”例だ。記録庁が政治に追いつけなかった」
「……いや、“記録が導いた”とも言える。龍があれだけ明確に応答したのなら」
紙の上では、王都はまだ“空位”だった。
だが人々の記憶の中では、もう空白は埋まっていた。
「これが……剣で記録された王か……」
***
一方、兵舎では負傷した兵士たちが肩を寄せて広場の様子を眺めていた。
「見ろよ、あそこ……人が集まってる」
「隊長もあの中にいるってよ」
「俺ら、あの人の指揮で生き残ったんだ。……そりゃ、文句ないよな」
負傷兵たちが黙ってうなずいた。
彼らは、戦いの渦中で「誰かのために動いた」指揮官を見た。
塔でもなければ、貴族でもない。
ただ剣を構えて、仲間の前に立った少年。
それだけで十分だった。
***
広場の中央。
石段の上で、フィンは風を受けていた。
彼の前には、記録庁の高官、貴族、騎士団の長、そして市民たち。
視線が交錯する。だが、誰も彼に命じようとしない。
「……フィン・グリムリーフ」
塔の記録官が、儀礼用の長巻を広げて宣言する。
「あなたの剣は、王都に命を、記録に新たな名を残しました。
ここに、“剣王”としての記録が正式に成立したことを告げます」
剣王。
それは、語りによらず、剣によって歴史を動かした王にだけ与えられる、特例の称号だった。
民の間に、ざわめきが走る。
だが――騒ぎにはならなかった。
誰もが「こうなるべきだった」と、心のどこかで納得していた。
「俺は、まだ“王”じゃない」
フィンがぽつりと呟いた。
「けど、誰かがそれを必要とするなら……剣を握る意味はある」
リナが思わず笑った。
「なにそれ。王の初台詞、謙虚すぎでしょ」
ノーラも肩をすくめる。
「でも……いいんじゃない? あの剣が、私たちを守った。それが全て」
フィンは小さくうなずいた。
「語られることは、望まない。
だけど、記録されることを、拒むつもりもない」
その瞬間――
広場に集まった者たちが、自然と膝をついた。
一糸乱れぬ統一などなかった。
だが、それは儀式ではなく、“意志”だった。
王が命じたのではない。
人々が、「王」として受け入れたのだ。
夜の王都に、静かな風が吹いていた。
戦の痕跡は、街のいたるところに残っていた。
砕けた石、焼け焦げた壁、倒れた街灯、黒く染まった剣。
それでも――
人々は火を灯し、水を運び、パンを焼き、子を抱いていた。
何が変わったのか、誰にも明確にはわからなかった。
ただ、ひとつの名前が塔に記録された。
それだけが、“次”を動かす最初の音だった。
***
南門近くの丘。
かつて敵騎兵が突撃してきたあの戦場が、今は風の音だけを返していた。
フィンは剣を膝に、静かに座っていた。
焚き火の光が遠くに揺れている。
その中に、仲間たちの笑い声や、湯気の立つ鍋の音が混じっていた。
「……まだ、終わった感じがしないな」
ぽつりとつぶやくと、後ろから足音がした。
「当然でしょ。戦は勝ったけど、“記録”はまだ始まったばかりよ」
ルフェイリア・エルシアだった。
彼女はマントを翻しながら、横に腰を下ろすと、やや遠慮がちに草を払った。
「塔も貴族も、あなたを“王”と認めた。
記録は整った。封印された記録石も再起動してる。
でも――」
「人の心は、簡単に上書きできない」
フィンが言うと、彼女はふっと微笑んだ。
「……やっぱり、そういうところは王様ね」
「やめてくれ」
フィンは苦笑しながら、剣を見下ろした。
その刃には、夕方の光がまだわずかに残っていた。
「王って呼ばれるのは慣れない。
“誰かの前に立つ”のはできるけど、“上に立つ”ってのは……違う気がして」
ルフェイリアは真顔で彼を見る。
「じゃあ、上に立たなきゃいい」
「……え?」
「あなたの剣は、“前に立つ”ためのもの。
それで十分。上から命じる王じゃない。
“一緒に進む王”だって、いていいはずよ」
その言葉に、フィンはしばし目を伏せた。
やがて彼は、深く、ゆっくりと呼吸を整えた。
「……だったら、俺は――」
その時、また別の足音が聞こえた。
「何? また語ってるの? もう、話好き王様で通っちゃうよ?」
リナだった。
片手には、焼き直した兵糧パンと、湯気の出る干し魚スープ。
「はいこれ。“語りすぎるとお腹減る”って塔の格言に従って、差し入れ」
「そんな格言ないでしょ……」
ノーラも木の影から現れた。いつものように無言で腰を下ろすと、ひとつパンを奪う。
「……なんだかんだで、ここが一番落ち着くのよね」
四人は、言葉少なに並んだ。
戦場を駆けた日々。
焦げた空。
剣の音。
誰かの涙。
守れなかった命。
全部、まだ終わってはいない。
けれど、今この瞬間、
誰もが“何かが始まる予感”を確かに感じていた。
「……ルフェイリア」
フィンが口を開く。
「塔の記録官が言ってた。“記録が揺れる時、歴史が動く”って」
「ええ、そうね」
「でもさ、揺れさせたのが剣で、動かしたのが語りじゃないなら……
誰がそれを、正しいって決めるんだろうな」
誰も答えなかった。
ただ、遠くで風が鳴った。
その風の中に、誰かの声が混じった気がして――
フィンはふと、空を見上げた。
***
そして、その夜。
――王都を見下ろす高台に、一つの影が立っていた。
黒衣に身を包んだ男が、静かに立ち尽くす。
その眼差しは、王都の灯火を越え、塔の最上層へと注がれていた。
「……剣が記録を動かしたか。
ならば、次は“語り”が試される番だな」
その男の名は――ヴァレン・ザルディーン。
かつて記録庁に名を連ねながら、その存在ごと“記録から消された男”。
今は、塔の外から“記録そのもの”に抗おうとする者。
風が吹いた。
それは、静けさをまといながらも、
遠くに嵐のにおいを運んでいた。
鐘が鳴った。
深く、澄んだ音が王都の空を揺らし、
記録庁の尖塔から、剣で刻まれた名が世界に響き渡った。
広場に立つフィン・グリムリーフ。
彼の前で、記録官が塔の公式文書を広げ、宣言する。
> 「記録庁・貴族会議・塔、三権の合意により――
> 本日をもって、フィン・グリムリーフを“王位継承者”として記録する。
> 称号、『剣王』。記録特例に基づき、正規王位継承者として塔に記される。」
その瞬間――空気が変わった。
ひとりの兵士が、剣を地に突き立て、膝をついた。
それを合図に、騎士団が、補給兵が、斥候が、
ひとり、またひとりと――誰に命じられるでもなく、
剣を伏せ、膝をついた。
やがて市民たちも、荷を下ろし、額を伏せる。
誰が叫んだわけでもない。
誰かが合図をしたわけでもない。
けれど――王都全体が、その剣と語りに、応えた。
静かに、確かに。
これは、塔の記録を超えた、“生きた歴史”だった。
その中心に立つフィンは、ただ剣に手を添えたまま、
目の前の人々を、まっすぐに見つめていた。
言葉を用いて、剣を抜いた。
剣を振るって、誰かの命を繋いだ。
そして、語った――自分の意思で。
そのすべてが、“記録”として認められた。
ルフェイリアが静かに言う。
「この記録は、塔のものだけじゃない。
あなたを見ていた、無数の人たちの“物語”が紡いだ結果よ」
ノーラも頷く。
「塔は記すだけ。
本当に“残る”のは、あのとき、あなたの剣と声に動いた人々の記憶」
リナはにかっと笑う。
「王様でいいよ、もう。
でも、あたしたちの仲間ってのは、ちゃんと覚えておいてね?」
フィンは、そっと剣を抜いた。
誰にも向けず、ただ空へと掲げる。
この街の空を割った剣として。
命と、記憶と、希望を貫いた証として。
塔の記録官が、最後の筆を走らせる。
> 『語る剣は、命と記憶の狭間に道を拓いた。』
> 『この王の名を、記録は永遠に刻むだろう。』
筆が止まった瞬間――
塔の最上層が、柔らかな光に包まれた。
新たな王の名が記され、
風が、記録とともに、王都のすべてを包み込んだ。
――物語は、新たな章へ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
第40話では、フィンが“王”として名を刻まれるまでの過程と、
彼自身の覚悟、そして仲間たちとの絆を描ききりました。
剣で語り、言葉で導いたフィンの姿は、
まさに“語る剣”として王都の記憶に残るものとなったはずです。
塔の記録官が語らなかったこと、
市民が静かに膝をついた理由、
仲間たちが彼を支え続けた意味。
それらすべてが、“記録”の外にある“真実”です。
次巻では、記録庁の内側、
そして沈黙していた“もう一つの王候補”ヴァレンとの衝突へと物語が進みます。
どうかこの先も、彼の“歩んだ道”を共に見届けていただければ嬉しいです。
ここまで読んでくださったあなたに――
心からの感謝をこめて。
物語を「面白い」「続きを読んでみたい」と感じていただけましたら、
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読者の皆さまの声が、作者の筆を進める大きな原動力になります。
どうか応援のほど、よろしくお願いいたします。




