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第4話:遺跡を抜けて

旅立ちの先に、足跡があった――。


第4話では、遺跡を抜けたフィンが初めて“外の世界”を歩き、

見て、描き、感じながら、“誰か”の存在にたどり着いていきます。

そして物語のラストではついに、“人との出会い”が訪れます。


声をかけるか、逃げるか。

ひとつの選択が、フィンのこれからを大きく変えていくことになります。

階段は、まるで果てがないかのように続いていた。

照らしていた光はいつの間にか消えて、視界は暗闇に閉ざされていた。

石壁に手を当て、慎重に足を進める。足音が反響し、自分の鼓動と混ざる。


「……まだか……?」


独り言が漏れた。

怖さではない。不安でもない。

ただ、長く続く沈黙と闇の中で、言葉がないと、自分が自分でなくなりそうだった。


だが――そのとき、微かな風が頬を撫でた。


「……風?」


鼻腔に、土と草の混じった匂いが入り込む。

温度の違う空気が流れてきて、世界が少しだけ動いたような錯覚を覚える。


数段を駆け上がるように進むと――急に視界が開けた。


目の前には、想像すらしたことのない景色が広がっていた。


空。

それは、村から見えていた空とは、まるで違った。

閉ざされた谷から仰ぎ見ていた狭い“抜け穴”ではない。

限りなく広がり、吸い込まれるような青。どこまでも果てのない大空だった。


フィンはその場に立ち尽くした。

眩しさに目を細めながら、数歩前に踏み出す。


足元は、柔らかく、温かい。

草が生え揃った丘が眼下に広がっていて、その先には森と川、さらに遠くには山の影。

風が吹き抜け、草が波のようにうねり、白い小さな花が舞っていた。


「……すごい……」


言葉にならない感嘆がこぼれた。


耳を澄ませば、鳥の鳴き声、虫の羽音、小さな動物の走る音――

村では聞いたことのない音で満ちていた。


そして、見慣れない色の葉を持つ木、地面に這う赤い蔓、空を舞う鮮やかな翅。

どれもが新しく、そして美しい。


遺跡の出入り口は、振り返ればただの岩壁の裂け目に過ぎなかった。

もはや扉の気配も残っていない。

見つけようとしても、誰も気づかないような、不思議な場所だった。


「……こんな世界が、本当にあったんだな」


村では語られなかった。

外の世界は危険で、汚れていて、迷えば二度と帰れない。

それが“掟”だった。


でも今、目の前にあるのは――生きている世界そのものだった。


ペンダントは沈黙していた。

試練が終わったことを告げるように、もう何も語らない。


その静けさが、逆にフィンの背中を押した。


「……旅に出るんだな、俺は」


声にしてみると、不思議と勇気が湧いてくる。

まるで、自分自身に宣言したような気分だった。


風が吹く。

温かくも冷たくもなく、けれど確かに、彼の髪を揺らす。


そのとき、草の奥で何かが動いた。

音もなく飛び出してきたのは、小さな四足の動物。

狐にも似ているが、毛は緑がかっており、背中には奇妙な模様がある。


フィンとその生き物はしばらく見つめ合った。

そして、向こうが先に顔をそらし、くるりと反転して森へと消えていった。


「なんだったんだ、今の……」


見たこともない。けれど、どこか“生きている”という実感があった。

この世界は、自分の知らないことであふれている。

それは恐ろしくて、でもたまらなく――面白かった。


「……よし、行こう」


フィンは草原へと、一歩を踏み出した。

もう後ろを振り返ることはなかった。

草原の中を、フィンはゆっくりと歩いていた。


一歩踏み出すたびに、足元の草が柔らかく沈み、細かな種子がふわりと舞う。

葉の先には朝露が残っており、靴先が濡れてもそれすら新鮮に思えた。


鼻をくすぐるのは、湿った土と草の匂い。

ときおりすれ違う風は、どこか甘い香りを運んでくる。

それは村の畑では感じたことのない、未知の“自然の混合香”だった。


「……これは、草の匂い……いや、花も混じってる? 何の……?」


思わず立ち止まり、周囲を見渡す。

草原の一角に、低く広がる紫の花々が風に揺れていた。

花びらは五枚、中心にはふわりと白い綿毛のようなものが乗っている。


フィンはしゃがみ込み、布切れと木炭を取り出す。

遺跡の中で使った観察用の簡易道具。

今ではそれが、旅の必需品となっていた。


「……葉は楕円。花は不規則……茎は湿ってるけど、折れにくい……」


観察しながら描き写し、言葉を添えていく。

写実的ではないが、特徴を捉えるのがフィンのやり方だった。


「たぶん……薬にはならなそうだな。匂いが強すぎる」


そう呟いて立ち上がると、目の前に一段と高い丘が見えた。

少し迷った末、登ってみることにする。


風が強くなってきた。

登るにつれて、視界が開けていく。


丘の頂に立った瞬間、フィンは思わず息を呑んだ。


眼下に広がるのは、果てしない景色だった。

川が蛇のように曲がりくねり、その両岸には色とりどりの木々が生い茂っている。

一本だけ大きな木――白い幹に赤い葉をつけた木が、まるで塔のようにそびえていた。


「……あれは……」


その木をスケッチ帳に描きながら、フィンは独りごちる。

「ただの木」に見えない。何か意味があるような気がする。

それは勘ではなく、観察の蓄積からくる“直感”だった。


ふいに、視界の端で何かが動いた。


草むらの中から現れたのは、見たこともない小動物だった。

体長は小型犬ほど、背中には羽根のような突起があり、毛並みは薄い青。


「……!」


思わず声が漏れそうになったが、フィンはぐっと飲み込んだ。

代わりに、その生き物の行動をじっと見つめ、スケッチの手を動かす。


前足で地面を掘り、鼻先で花の根を探り、ぴょこんと跳ねて茂みに消えていく。


「雑食性か……それとも、薬草を……?」


その動きには一定のパターンがあった。

何かに習ったかのような、理にかなった行動。

それを“記録する”という行為そのものが、彼にとっては旅だった。


風が変わった。


遠くで何かが鳴いている。

甲高い、鳥のような、けれど尾を引く声。


耳を澄ませる。

その声は、同じリズムで繰り返されていた。


(……鳴き声で仲間に合図してる?)


ただの感動ではなく、情報として読み取ろうとする目。

それが、“観察者”の眼差しだった。


そのとき、足元に何かが当たった。

小さな石ころ――と思ったが、それは明らかに人工的だった。


表面に何か刻まれている。

削られたような線。ひとつの円と、二本の縦線。

言語ではない。だが、意味を持たせようとした“形”だった。


「誰かがここを通った……?」


目を上げると、そこには細く踏み固められた小道が続いていた。

動物の通り道ではない。人の靴の跡が、かすかに残っていた。


風が、その道の先から吹いてくる。


「……行ってみるしか、ないよな」


ページを閉じ、木炭をしまい、ペンダントを一度だけ握りしめる。

反応はない。でも、それでいい。

今はもう、誰かに導かれるのではなく――自分の足で進むと決めたのだから。

草原に続く踏み跡は、一本の細い線となって地平へ伸びていた。


フィンはその上に慎重に足を置いた。

地面はわずかに凹んでおり、草の繊維が人の重みによって押し潰され、まだ起き上がっていない。

湿り気もあり、足跡の底にはわずかに靴底の模様が残っていた。


(……三日も経っていない。下手すれば昨日の朝か――いや、もっと最近かもしれない)


村では獣道と人道の区別を覚えていた。

踏まれ方、土の締まり、草の戻り方。

この痕跡は、明らかに“意図して歩いた人間のもの”だ。


フィンは身をかがめて、土の感触を確かめる。

指先でなぞると、かすかな湿りとともに、誰かの体温の残り香のようなものすら感じられた。


「……一人、じゃないかもしれない」


足跡はひとつではなかった。

主の違う大小ふたつの靴跡が、前後に少しずれて並んでいる。


大きい方は歩幅が広く、まっすぐな線を描いていた。

小さい方はそれに比べてやや乱れていて、ときおり道の端へ逸れている。


(子ども……いや、背の低い誰か?)


フィンはその小さな足跡を追いながら、自然と口元に笑みを浮かべていた。


誰かがここを通った。

それも、旅をしていた。

この広い世界のどこかに、フィンと同じように“外へ出た誰か”がいる。


その事実が、思いのほか胸を熱くさせた。


「……人って、ほんとにいるんだな。ここにも」


遺跡の中では空間そのものと対話し、

草原では自然の摂理を観察した。

けれど“誰かの生きた証”を見たのは、これが初めてだった。


やがて小道は森の縁へとたどり着く。

風が木々にぶつかり、ざわざわと葉を揺らす音が響く。

空は遮られ、光は斑に落ちる。

足元の道は土へと変わり、落ち葉の層が柔らかなクッションのようになっていた。


森の入口には、奇妙な印があった。

一本の木の幹に、何か鋭いもので刻まれた円と十字の模様。

その下には、“→”のような矢印。


言葉ではなかった。

だが、それは間違いなく“意図”を持った印だった。


「道しるべ……?」


誰かが残した痕跡。

言葉を持たない案内。

見知らぬ者への配慮か、それとも仲間への合図か――


(何かが、俺を導いてるわけじゃない。だけど……これは、手がかりだ)


森に入ってすぐ、足元にもうひとつの痕跡を見つけた。

焚き火の跡だ。


枯れ枝が黒く焦げ、地面に灰が散っている。

囲うように石が並べられ、その中心だけがわずかに凹んでいた。


指を近づけると、かすかな温もりが残っていた。


(昨日の夜か、今朝……)


灰の隙間から、焼け焦げた木の実の殻が見えた。

それはフィンの知る食材ではなかったが、食べられる植物であることは間違いない。


周囲を見渡すと、倒木に腰掛けたような痕もある。

草が押しつぶされ、座った体重の重みが残っていた。


「本当に、いたんだ……ここに」


焚き火の位置と足跡の方向を照らし合わせる。

二人組は、森を抜けてさらに奥へと進んだらしい。


その先には何があるのか。

彼らはどこへ向かっているのか。

フィンにはまだ分からなかった。


だが、確かなことが一つある。

この世界には、“自分以外の人間”が、確かに存在しているということ。


それは希望であり、同時に警戒すべき現実でもあった。


誰かに会うことは、助けを得る機会であると同時に、

争いに巻き込まれる可能性も孕んでいる。


(でも、俺は会いたいと思ってる)


人と出会い、話をし、世界を知る。

村にいたころ、誰にも語れなかったその思いが、今なら言葉にできる気がする。


ペンダントは沈黙したままだった。

けれど今は、導きは要らなかった。


自分の意志で歩き、自分の目で見て、

自分の言葉で誰かに話しかける。


それが、これからの旅だった。


「……行こう」


フィンは小道を再び歩き出した。

森の奥、誰かが待つかもしれない場所へ――。

森の奥へと続く踏み跡を、フィンは慎重にたどっていた。


木々は密生し、空の光はわずかにしか差し込まない。

周囲の音は少ないが、それでも耳を澄ませば、遠くで小鳥の声や風に揺れる枝のざわめきが聞こえる。

そして、その音のすべてが――いま、どこかで“人ならざる音”に変わった気がした。


微かな煙の匂いが、鼻をかすめた。

それは焚き火の名残。

ただの木の焦げた匂いではない。肉や草、乾いた革の匂いが混ざっていた。


フィンは胸に手を当てた。

鼓動が、ほんの少し早くなっている。


(誰かが、近くにいる)


足音を立てぬように草をかき分け、木々の間を進む。

息を殺し、耳を澄ませながら、一歩一歩を慎重に踏みしめる。


視界がふいに開けた。


そこには、野営の跡があった。


木の枝を組み合わせて作られた簡易な天幕。

雨よけの布が片側に掛けられ、地面には囲炉裏跡。

その傍らには、革袋と編みかけのロープ、数本の木製の矢が置かれている。


フィンは木陰に身を潜めたまま、じっと目を凝らした。


焚き火はまだかすかに煙を上げている。

灰は白く、火は消えているが、まるでつい先ほどまで誰かがそこにいたような生温かさが残っていた。


(ほんの一時間前……いや、もっと近いかもしれない)


そのときだった。


草を踏みしめる音が、森の向こうから近づいてきた。

フィンは反射的に身を伏せ、茂みに隠れた。


姿を現したのは、ひとりの女性だった。


肩まで伸びた金髪を束ね、背には布の鞄、腰には短剣を下げている。

その顔は幼くも、引き締まっていた。

くたびれた旅装のような服装。袖口には補修の跡。

手には乾いた木の枝が数本、火を絶やさぬために集めてきたようだった。


彼女は焚き火に近づき、枝を一本ずつくべながら、何かを呟いた。

その言葉は、フィンの知るどの言語とも違っていた。


音の高低差が大きく、やや速口。

感情を込めた語尾の跳ね方に、どこか歌のようなリズムがある。


(異国の言葉……?)


やがて、もうひとりの姿が現れた。


背は低く、少年か少女か判別しづらい中性的な風貌。

短く刈った黒髪、軽い身のこなし、手には水袋と小さな木の実の入った布袋。


ふたりは小声で会話を交わしながら、野営地の整理を始めた。


――まるで日常の延長のように、落ち着いた動きだった。


フィンは、息を詰めたまま見つめていた。

心の中では、言葉が交錯していた。


(……話しかけたい。誰かに、自分の声で――)


でも、その一歩が、あまりにも遠く感じた。


言葉が通じなかったら?

驚かれたら?

警戒され、拒まれ、追い払われたら?


そんな不安が、喉を塞ぐ。


だが、それでも――彼は動きたかった。


村では、自分の夢を語るたびに笑われ、遠ざけられてきた。

この世界に出てきて、ようやく人に出会えたのだ。

ただの観察で終わらせたくはない。


そう思ったとき――風が吹いた。


枝が揺れ、フィンの隠れていた茂みの葉が大きく動いた。


「……誰?」


低く鋭い声が飛んだ。

金髪の女が短剣に手をかけ、素早く立ち上がる。


少年も身構え、目を細めて森を睨んだ。


完全に見つかった。


逃げようと思えば、できた。

だが、背を向けたらもう二度と――この距離に近づくことはできない気がした。


(……行け)


自分の中で、何かが背を押した。


フィンは、ゆっくりと立ち上がり、木々の陰から姿を現した。


「……ボクは……」


喉が震え、声が掠れる。


ふたりは驚いたように息を呑み、短剣の柄が握られたまま固まる。


フィンはそれを正面から見据えた。

逃げも隠れもしない。自分の存在を、はっきりと示す。


「フィン。……ボクの名前は、フィンって言います」


言い終えた瞬間、自分の中で何かがほどけた気がした。


言葉が通じるかは分からない。

だが、それでも、伝えたいという意志は確かにあった。


金髪の女は、目を細めたままフィンを見つめる。

少年が一歩前に出て、何かを言いかけた――が、言葉にはならなかった。


沈黙の中で、風が再び吹いた。


世界が、ゆっくりと開かれたような気がした。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました!


第4話では、自然との対話から「人との接触」へと一歩踏み出す瞬間を描きました。

観察者としての視点に立っていたフィンが、自らの意思で名乗り、

初めて“他者の世界”に踏み込む場面は、この物語の小さな転機になります。


次回は、言葉の壁と距離感をどう越えるか――

火を囲んだ出会いの余白が、物語を少しずつ動かしていきます。

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