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38話:門が語るとき

“語られなければ、記録されない”。

そして、“記録されなければ、存在しない”。


第38話では、ついにフィンたちが本格的な包囲戦へと踏み込んでいきます。

塔が沈黙し、王都防衛軍が動かない中、

語る者も命じる者もいない戦場で、ただ立つ者たちが何を選ぶのか。


これは、剣が記す最初の“攻囲”の記録です。

朝の光が、門の石壁を温かく照らしていた。


 だが、温もりを感じるには早すぎた。

 勝利というには、あまりにも静かすぎた。


 


 広場では、志願兵たちが怪我人を運び、武器を整え、互いに水筒を回し合っていた。

 誰もが疲れていた。

 けれど、誰もが“まだ終わっていない”ことを、本能で理解していた。


 


 「……勝ったっていうより、止めただけだな」


 ノーラが門の上から戦場を見下ろしながら、ぽつりと呟いた。

 双刀はすでに背に戻していたが、その手はまだ少しだけ震えている。


 


 「本隊、まだ来てないんだよね……?」


 リナが階段を登ってきながら、隣に並ぶ。

 その顔には汗と埃がこびりつき、目の下には小さな切り傷。

 だが、剣士としての目の鋭さは、むしろ増していた。


 


 「偵察が戻ってこないのが不気味だな」

 ノーラが短く言った。


 


 「……情報、遮断されてる?」


 「もしくは、囲まれてる。

 来るぞ、次は“落とすための波”が」


 


 ふたりの会話を、フィンは背中で聞いていた。


 


 剣はすでに収めている。

 だが、今も“抜き終わった”感覚は消えていなかった。


 


 王都南門の上。

 さきほどまで“語り”が走ったその場所に、今は“無言の重圧”が戻ってきていた。


 


 ルフェイリアが階段を静かに登ってきた。

 彼女は鎧を纏っていたが、それ以上に“観察者”としての気配が強くなっていた。


 


 「あなたは……もう、次の戦いを見ているんですね」


 


 フィンは答えなかった。

 だが、その目線は遠く、まだ見ぬ地平を睨んでいた。


 


 「騎兵の突撃だけで終わる戦ではなかった。

 王都を揺らすには、もっと深く、もっと重く――」


 


 彼女の言葉を遮るように、門の外から“音”が届いた。


 


 重く、鈍く、足音とは異なる地響き。

 地面の深い部分が“押されている”ような感覚。


 


 「これは……」


 


 ノーラが立ち上がる。


 門の外。朝の霧がまだ残る道の向こうから、黒い影が連なっていた。


 


 騎兵ではない。

 歩兵の列。

 槍を立て、盾を掲げた重装の兵たちが、沈黙のまま列を組んで進んでくる。


 


 そして――その後ろには、機械仕掛けのような“車輪”が見えた。


 


 攻城兵器。


 


 「……本隊だ」

 リナが、呟くというより、吐き出すように言った。


 


 門の前には、確かに“軍”がいた。


 二千人規模の、本気の包囲軍。

 騎兵の先遣とは違い、“壊すために来た”者たち。


 


 「斥候を潰して、地形を把握し、突撃で門の構造を見て……」

 ルフェイリアが淡々と言う。


 


 「すべては、この包囲のため。

 最初から“王都南門を戦場にする”つもりだった」


 


 ノーラが目を細めた。

 唇を噛む。


 


 「……私たち、試されたんだな。

 どこまで抵抗するか、どこまで踏ん張るか――」


 


 フィンは剣に手をかけた。


 まだ抜かない。

 だが、“始まり”の合図は、すでに自分の中に鳴っていた。


 


 王都防衛軍は動かない。

 記録庁からの正式な指令もない。


 


 この門を守るのは、名もなき者たち。


 


 だが、それでいいとフィンは思った。


 誰かが“物語の入り口”に立たなければ、何も始まらない。


 


 そのとき、下から声が上がった。


 


 「隊長! 北からも煙です! 民間の屋根が燃えてます!」


 


 「包囲、もう始まってる……!」


 


 リナが剣の柄を握った。

 ノーラは双刀を抜いた。


 


 そして、フィンもまた、鞘から剣を引き抜いた。


 


 風が吹いた。


 門の上で、剣を構える影がひとつ、またひとつと並ぶ。


 王都南門――

 それは、いまやただの出入口ではなかった。


 


 **“風が吹いた門”**として、

 剣が立ち、物語が走る――そんな舞台となりつつあった。

石畳に染みついた血と灰が、朝の光に照らされていた。


 戦いが終わったわけではない。

 始まりが止まっているだけ――そんな、抑え込まれた静けさだった。


 


 「北の住宅区、屋根から煙! 火災確認されました!」


 


 門下から駆け上がってきた兵士が、喉を焼くような声で叫んだ。

 肩で息をしながら、目は焦点を結ばずに宙を泳いでいる。


 


 「……なんで……敵は南門にしかいないはずなのに……!」

 リナが顔を上げる。

 埃まみれの額に、ひと筋の汗が伝う。


 


 「中に入り込んだか、放火だな」

 ノーラが壁の上から周囲を見渡す。

 目の奥に宿るのは、驚きよりも“予測が当たった”という確信だった。


 


 「火の場所は?」


 


 「第七街区の北端です……民家が三棟。風向き次第では延焼も……!」


 


 「敵の狙いは、民衆の動揺……そして、王都防衛軍の分散だな」


 ルフェイリアの声は、静かだった。


 だが、その冷静さが逆に不安を強調していた。


 


 フィンは、まだ何も言わない。

 門の縁に立ち、剣に手を添えたまま、地平を見つめている。


 


 ――動かない。


 いや、“動けない”というのが正しい。

 南門前の敵は、攻めず、しかし確実に陣を固めていた。


 


 まるで、“選ばせている”ようだった。


 


 「塔には連絡済み……でも、返答なしです」


 報告を受けたルフェイリアは、ほんの少しだけ目を伏せた。


 


 「記録庁は“語られた事象”にしか反応しない。

 ここに“語り”がないと判断されている限り……動かないでしょう」


 


 「だったら、動かせばいいんじゃない?」


 


 不意に、リナが言った。

 その声は小さかったが、空気を振動させた。


 


 「またフィンが立てばいい。

 剣を抜いて、物語の続きに入ればさ」


 


 「そう簡単に使える剣じゃないんだけどな……」


 ノーラは肩をすくめながらも、刀の柄に指を添える。


 


 「でも……そうだな。

 剣ってのは、“語らせない戦場”に、言葉を叩き込む道具でもある」


 


 リナは少しだけ笑った。


 


 「なら今度は、私たちも一緒に“語る”よ。

 フィンの背中だけに任せるんじゃなくて――並んで語るの。私たちのやり方で」


 


 そのときだった。


 ――重い、鉄のような音が空気を裂いた。


 


 敵軍の後方から、巨大な投石機が姿を現した。

 軋む音と共に、ゆっくりと角度を変え、砲身を門へと向ける。


 


 「……初弾、来るぞ」


 ルフェイリアが短く言い、全員がそれぞれの“構え”に入る。


 


 リナは剣を腰から抜き、重心を落とした。

 ノーラは双刀を交差し、風を読むように目を細める。

 フィンは、剣を鞘から抜いた。


 


 その動きに、門下の兵たちが反応した。


 


 ざわめき――ではなかった。

 息を呑むような、静かな連鎖。


 


 誰かが剣を握り直す音が、乾いた空気に微かに響く。


 


 「……行きます」

 一人の青年兵が、声を震わせながら言った。


 


 「隊長のそばに……立たせてください」


 


 「おい……やるのかよ、本当に」

 別の兵がその隣で肩を震わせながら言う。

 だが、それは否定ではなく、自分への問いだった。


 


 「……だったら、俺も」

 「俺も、立ちます」


 


 少しずつ、並ぶ者たちが増えていく。


 


 言葉にされていないが、“語り”が始まっていた。


 誰かの号令ではない。

 誰かの正義でもない。


 


 ――これは、“立った”という記録だ。


 


 ルフェイリアが、わずかに目を細めた。


 


 「動かない塔に、“語りの断片”が届きはじめています。

 あとは……この場を“物語”に変えるだけ」


 


 投石機が止まった。


 石弾が乗せられ、止まった空気が震えはじめる。


 


 そして、剣の先が、門の空を指した。


 


 フィンが、一歩前に出る。


 


 その動きに呼応するように、兵たちの足音が重なる。


 踏み出す音は不揃いだったが、確かに一つの意志を帯びていた。


 


 ここに記録が始まる。


 塔が語らぬのなら――

 この門が、“語り始める”しかないのだから。

それは、地鳴りにも似た音だった。


 王都南門の前、敵の投石機が限界まで引き絞られ、

 石と木と鉄の軋む音が、空気を押し広げていた。


 


 「投石、発射準備完了!」


 敵陣の兵が角笛を短く吹き鳴らす。

 門上からそれを見たリナの顔に、緊張が走る。


 


 「来るぞ……!」


 剣を握る手に、じわりと汗がにじむ。


 


 フィンは動かない。

 ただ、じっと門扉の上空を見つめている。

 その眼差しはまるで、“まだ放たれていない攻撃”の軌道を読んでいるかのようだった。


 


 「門下の者は、すぐに後退! 扉に近づくな!」


 ルフェイリアの声が飛ぶ。

 だが、その言葉が届くより先に、空が震えた。


 


 ――発射。


 


 鉄の縄が一気に解放され、

 巨大な石弾が、唸るような音と共に空を割った。


 


 まるで空気が避けていくように、

 周囲の音が一瞬だけ吸い込まれる。


 


 「伏せろ――!!」


 リナが叫ぶ。


 ノーラが片膝をつき、壁際へ滑り込む。


 


 フィンは、前へ――ではなく、斜めへ跳んだ。

 着地の砂埃が、軽く舞い上がる。


 


 次の瞬間、衝撃。


 


 石弾が、門扉の上部を直撃した。


 破砕音が、空から降ってくる。


 木と鉄と石が弾け飛び、粉塵が門の中まで流れ込んでくる。


 


 「っく……!」


 門下の志願兵たちが、咄嗟に腕を掲げて身を守る。

 破片が顔をかすめた者が、一瞬よろめく。


 


 「医療班! 搬送優先、負傷兵三名確認!」


 ルフェイリアが指示を飛ばす。

 その横顔に、驚きはなかった。ただ、冷徹な迅速さがあった。


 


 「……まだだ。まだ、門は……!」


 リナが顔を上げる。


 


 扉の片翼は半壊していた。

 だが、中心の軸は崩れていない。

 門は――耐えていた。


 


 「第一撃、しのいだわね……!」


 ノーラが立ち上がり、双刀を手にする。

 その背中には、緊張と興奮の両方が走っていた。


 


 だが、敵の動きは止まらなかった。


 


 投石機の後方から、盾を構えた歩兵の列が現れた。


 黒と灰の鎧に包まれた兵士たちが、整然とした足並みで前進を開始する。


 


 「……連動攻撃」


 ルフェイリアが呟いた。


 


 「破壊と突入の同時展開。

 王都を短時間で切り裂くための手法ね」


 


 「くるわよ、剣を抜いて!」


 


 リナが剣を掲げ、門上の志願兵たちに叫ぶ。


 その声に、兵たちは迷いなく動き出す。


 


 「盾兵、門前に展開! 二段目、矢筒準備! 槍兵は側面誘導!」


 


 声が飛ぶたびに、動きが連動する。


 さっきまで震えていた者たちが、今や陣形を成して立っている。


 


 そして、最前列の影――


 フィンが、ゆっくりと剣を前へ構えた。


 


 その刃に、朝の光が反射する。


 砕けた門の破片が転がるその中に、

 一本だけ、まっすぐに伸びた剣の影が地面に刻まれた。


 


 剣が語り、門が記録を始める。


 この戦場が、“塔の外”で起こる物語であることを、

 ここにいる全員が知っていた。


 


 「……来いよ、戦争のやり方、見せてもらおうか」


 ノーラが小さく言い、足元を滑らせて構える。


 


 「負けたら、書かれもしない。ただの砂埃になるだけ」


 リナが剣を肩に担ぐ。


 


 「なら、勝って語らせる。あんたの剣で」


 


 フィンは答えない。


 だが、その無言こそが“合図”だった。


 


 王都南門、迎撃戦――開戦。

敵が、押し寄せてきた。


 盾を前に構え、槍を突き出した密集陣形――

 それは“隊”ではなく、“塊”だった。


 命が意志ではなく命令で動く時、戦場は歪む。


 


 「第一波接近! 二十、三十……四十!」


 門上からの報告が怒号にかき消される。

 弓兵が一斉に矢を放つが、敵の盾に阻まれ命中は少ない。


 


 「矢、通らない! 間合いを詰めてくる!」


 


 「投擲兵! 火付き、二射目、落とせ!」


 ノーラが叫び、門上に並ぶ投擲部隊の小柄な兵士たちが、火矢を構えて前のめりになる。


 


 フィンは、門下に降りていた。


 壊れた扉の内側、踏み込まれる可能性が最も高い“切れ目”に、彼は立っていた。


 


 そこは“防ぐ場所”ではない。

 “斬るための最前線”だった。


 


 「隊長、後ろにつきます!」


 若い兵士が一人、肩に剣を背負ってフィンの後方に立つ。

 続いてもう一人、三人、数人の“名のない剣士たち”が列をなす。


 


 「後ろに構えるな、横に立て」


 


 フィンがそう言うと、全員が一瞬たじろぎ――しかし、次の瞬間には全員が剣を握り直して横に並んだ。


 


 “守られる”側ではない。

 “語る”側として、立つのだと理解したのだ。


 


 「突破されるぞ!」


 リナの声が上がる。


 


 敵の歩兵陣が門の基部に到達し、

 盾で押し込みながら突撃してくる。


 その音がまるで“地を踏みつける太鼓”のように響く。


 


 「もう一手……!」


 ルフェイリアが塔を見上げる。

 だが、そこに旗は上がらない。

 王都防衛軍も、記録庁も、動かない。


 


 「だったら……!」


 


 ルフェイリアは、剣を抜いた。


 


 軽騎士のそれとは違う、王都貴族にのみ許された“銀装の記章剣”。

 その剣を抜いたというだけで、周囲の兵士たちが目を見張る。


 


 「私が“王都の意志”を代弁する。

 今この場で、“剣を構える者が王都の前線”だと――塔に語る!」


 


 その声に呼応するように、門の影が動いた。


 


 「来るぞ――!」


 


 フィンの声に、兵士たちが構える。

 盾を、槍を、剣を、魔道の小型具を。


 剣の先に、敵兵の影が差し込んでくる。


 


 「っは――!」


 


 敵の一人が盾を捨て、剣を抜いて飛び込んだ。


 だが――


 


 斬られる前に、斬られた。


 


 フィンの一閃は、踏み込みの“意図”そのものを断ち切っていた。

 振り抜かれた剣が残した空気の線に、他の敵が足を止める。


 


 「入れさせるな――!」


 


 リナが門上から矢を射る。

 ノーラは城壁から降下し、敵側面へ飛び込む。


 


 双刀が風のように翻り、敵の足元を薙ぎ、血が舞った。


 


 「門は、ここで止まってる!」

 ノーラが叫ぶ。


 


 「……いや、“止めてる”んだ」

 フィンの声が重なる。


 


 戦場が揺れていた。


 敵の数、優勢。

 味方の備え、貧弱。

 塔は動かず、王都の本軍もなお沈黙。


 


 だが――


 


 ここに立つ者は、逃げなかった。


 


 剣を構え、矢を放ち、

 盾を持たぬ者も、ただ列に並んで立っていた。


 


 そして、剣が語る。


 


 “この門が、まだ落ちていない”と。


 “この門が、王都を護っている”と。


 


 それだけが、この瞬間を記録する唯一の言葉だった。

最後までお読みいただきありがとうございます。


第38話では、フィンたちが「無命の者」として王都の南門を守る姿を描きました。

名もなき志願兵、立場のない剣士、誰にも認められていない“記録されざる戦い”。

けれど、その場にいた彼らは確かに「守った」のです。


剣を抜き、語らずとも歴史を刻む。

その一閃一閃が、やがて“記録庁ですら無視できない語り”となる。


第39話では、戦場の外から始まる“記録の審判”が描かれます。

どうぞお楽しみに。

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