表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/134

31話:剣を帯びぬ語りには、城も砦も落とせない

王都での「記録庁」との対話は、フィンにとって“語り”の意味と限界を突きつけられる時間となりました。

語れば縛られ、黙っても語られる――その矛盾の中で、彼はついに“剣を選ぶ”決断を下します。


本話は、「語る者」から「戦う者」への境界線。

名も望まず、ただ戦場に立とうとする彼に、周囲が“王”という言葉を結び始める――そんな静かで重い転機を描いています。

記録庁の扉が閉じると、まるで外の世界が完全に遮断されたような静けさが支配した。


 空気が重い。

 音が消える。

 呼吸の音さえ、自分の身体の中でしか響かないように感じられる。


 


 案内された部屋は広くはなかった。

 石造りの壁に囲まれ、窓はなく、光源は天井の中央に埋め込まれた小さな魔石灯ひとつだけ。


 その冷たい白光が、部屋の中心に置かれた重厚な机を照らしていた。


 


 机の向こう側には、男が一人、座っていた。

 四十代半ば、痩せた顔立ちに深い眉。

 眼鏡の奥に潜む瞳は、フィンを見るのではなく、“解析する”ように注がれていた。


 


 「フィン・グリムリーフ殿ですね」


 


 男の声は、無機質な沈黙の中で妙に響いた。

 抑制されていながらも、確実に“支配する声”だった。


 


 「ようこそ、記録庁へ。私は語り情報管理部の監査官、デルム・イヴェリスと申します」


 


 フィンは頷いた。ノーラとリナは背後に控えている。

 この場にいるのは、形式的にはフィンひとり。だが、彼は一人で来たわけではない。


 


 「今日は何を話すんだ?」

 フィンは椅子に座らず、立ったまま問うた。


 


 「本日は、あなたの“語り”が王都及び周辺社会に与えた影響について、

 記録庁の見地から、正式な分類と定義を行わせていただきます」


 


 「定義……?」


 


 フィンは一歩だけ前に出た。

 机の上には分厚い紙の束が積まれていた。

 そこにはフィンの名、出身地、旅の経路、語った内容、救った村の数、語りによって起きた“民の行動”の記録までが事細かに記されていた。


 


 「あなたが語った記憶。それを聞いた人々がどう動いたか。

 どのような連鎖が生まれたか――すべて、記録済みです」


 


 男は一枚の書類を抜き取り、机の上に広げた。


 


 そこには、数人の子どもたちが歌った“風の王様の歌”の歌詞、

 それを聞いた周囲の大人たちの反応、さらには別の村で同様の歌が流行しつつある事例までが並んでいた。


 


 「“語り”は、意図の有無を問わず、民の行動を変化させます。

 あなたの語りは、単なる個人的行為を超え、社会変容の要素として扱う段階にあります」


 


 フィンはそれを見つめながら、知らぬうちに拳を握っていた。


 


 「……俺は、そんなつもりで語ってきたわけじゃない」


 


 「では、どのようなおつもりで?」

 デルムは一切の感情を込めずに返した。


 


 「誰かを……ただ、忘れさせたくなかっただけだ。

 死んだやつ、報われなかったやつ、名もなく消えた誰か。

 その人生が、“なかったこと”になるのが、嫌だった」


 


 デルムは書類に視線を戻しながら言う。


 


 「意図と結果は、別問題です。

 あなたの語りは現に、特定の集落における王制否定的な意識を助長しました。

 “現王よりも信頼できる”という住民証言も出ています」


 


 フィンの肩がわずかに動いた。

 だが、それは怒りではなかった。――自嘲だった。


 


 「信頼……? 信じられるようなこと、俺は何一つしてないのにな」


 


 「だからこそ、記録庁は“定義”する必要があるのです。

 あなたの語りが、偶発的な善意であるのか、それとも意図的な“指導性”を持つのか――」


 


 「待て」


 


 フィンは一歩、踏み出した。

 椅子を使わず、机に両手をつき、真っ直ぐにデルムを見た。


 


 「語りが人を救えるなんて、本気で思ってた時期もあった。

 だけど違う。語ったって、死んだ奴は帰ってこない」


 


 沈黙が落ちた。

 部屋の空気が凍りついたかのようだった。


 


 「言葉だけじゃ、命は守れない。

 語っても、焔の前では焼き尽くされる。

 剣を持たずに立っても、誰も守れない。

 だから、もう“語り”じゃ足りないんだ」


 


 デルムの視線が、ようやく真正面からフィンに向けられた。


 


 「……あなたは、自らの語りを否定するのですか?」


 


 「違う」


 


 フィンはゆっくりと身を起こした。

 その眼には、曇りがなかった。


 


 「俺は、語りを捨てるわけじゃない。

 でも、“語っていれば誰かが助けてくれる”って夢を、もう見ない」


 


 風薙の柄に手が触れる。

 冷たい金属が、指先で確かな現実を伝えてきた。


 


 「語るだけじゃ、国は守れない。

 語りを記録に変える前に――この手で、現実を変える」


 


 「その発言、記録に残します」


 


 「構わない。

 俺は、“語る者”じゃない。

 “奪わせない者”として、ここに立ってるだけだ」

フィンの言葉が、記録庁の沈黙を裂いた。


 ――語りでは国は守れない。

 ――この手で現実を変える。


 


 それは、記録庁の中枢にとって予期せぬ“宣言”だった。


 


 デルム・イヴェリスはその言葉を無言で受け止めると、書類に一言、筆を滑らせた。

 そして、机の下にある小さな鈴を一度だけ鳴らした。


 


 間もなく、部屋の奥に隠されていた細い扉が開いた。

 音もなく現れたのは、淡い灰色のローブをまとった男だった。


 


 「……遅れてすまない。私は記録庁理事局直属、語勢観察課のセリオ・ハルダスです」


 


 名乗りは穏やかだったが、瞳は笑っていなかった。

 彼の雰囲気は、デルムと違い、“抑えた激情”を感じさせるものだった。


 


 「あなたが“風の王”……いえ、グリムリーフ殿ですね」


 


 その呼び名に、フィンの眉がほんのわずか動いた。


 


 「……やめてくれ。その名前は、俺が望んだものじゃない」


 


 「存じております。ですが――」

 セリオは微笑んだ。

 「望まれずとも、名は残ります。歴史とは常にそうして語られてきたものですから」


 


 彼は歩み寄ると、デルムの横に立ち、資料の一部を手に取った。


 


 「あなたの語りは、確かに力を持っていた。

 だが、あなたがそれを“放棄する覚悟を語った”瞬間――

 あなたは、王政に最も近い地点に立ったのです」


 


 「……意味がわからないな」


 


 フィンの声には、静かな苛立ちがあった。


 


 「“語り”はあなたを広め、“沈黙”があなたを王にした。

 自らの力を否定し、剣を取る決断――それこそ、民が最も飢えている“英雄像”です」


 


 「俺を利用するつもりか?」


 


 フィンの問いに、セリオはあっさりと頷いた。


 


 「ええ、そうです。

 私たちは、あなたに“語りを制する者としての王”を期待しています。

 現王家は、語ることすらやめ、沈黙と儀礼だけを重ねて民を遠ざけました。

 ……あなたはその対極にある」


 


 フィンは黙ってセリオを見据えていた。


 その眼は、刃を向けるでもなく、明確に拒絶するでもなく、

 ただ“観察”していた――まるで獣が敵の動きを見極めるように。


 


 「ひとつ、忠告しておく」


 


 声が低く落ちた。


 


 「俺は、誰かの駒になる気はない。

 語られようと、王と呼ばれようと……俺が選ぶのは、俺の戦場だけだ」


 


 セリオの口元がわずかに吊り上がる。


 


 「ええ、それでいいのです。あなたが“選ぶ”限り――

 その姿が、語りとなって広がる。それこそが、王の器というものですから」


 


 フィンは無言で部屋を出た。


 その背を見送るセリオの瞳は、炎でも氷でもなかった。

 ただ、歴史を書き換える瞬間を、記録する者の目だった。

記録庁の扉が閉じた瞬間、フィンの背筋にひやりとした風が這い上がった。


 それは冷気でも、通り風でもなかった。

 “視線”――目に見えない無数の視線が、薄いベールとなってまとわりついてくる。


 


 静かだった。

 それなのに、音が遠く、鼓動ばかりがやけに大きく感じられる。


 


 石畳を踏み、通りへ出たフィンの目に映る王都は、見慣れたはずの賑わいを保っていた。

 商人の声、貴族の馬車、子どもたちの笑い声――すべてがいつも通り、のはずだった。


 


 けれど、何かが違った。


 


 歩くたびに空気がざわつく。

 背後で誰かが何かを囁き、目が合うとすぐに逸らされる。


 


 「……あの人だよ」

 「風の……なんだっけ、王とか呼ばれてる……」


 


 誰も彼の名を呼ばない。

 だが、誰もが彼の存在を知っているようだった。


 


 視線がすれ違いの一瞬に集中する。

 名前ではなく、“印象”が広まっている。

 まだ確定していない、それでいて確かに共通している――“風の王”という印。


 


 露店の奥で、子どもたちが石畳にチョークで絵を描いていた。

 そこにあったのは、風に靡くマント、細身の剣、そして――王冠。


 その下に、震えるような文字でこう書かれていた。


 


 《かぜなぎくん おうさまになる》


 


 フィンは立ち止まった。

 声もなく、その光景を見つめた。


 彼の意思とは関係なく、言葉が――語りが、絵になって広がっている。


 


 「……フィン」

 ノーラが低く声をかける。


 


 フィンは振り向かなかった。

 ただ、その場に風が流れるのを感じていた。

 人々の視線、目を伏せた店主、通りすがりの貴族が囁く“あれがそうか”という音。


 


 「リナ」

 ノーラが振り返る。


 「なにか、感じる?」


 


 リナは頷いた。


 


 「言葉が回ってる。まだ輪郭はぼやけてるけど……“風の王”って言葉が、

 子どもから、商人から、貴族の下僕にまで届き始めてる」


 


 「確実に“噂”じゃない。……これは、誰かが広めてる」


 


 その言葉に、フィンの喉が微かに鳴った。


 


 “誰か”――

 王の名が、勝手に広がっていく。

 まるで見えない風に乗せられた種子のように、誰も手を下さないのに、芽吹いていく。


 


 「……ここに長居するのは危険だ」


 ノーラが一歩前に出て囁いた。


 「これはもう、監視とか噂のレベルじゃない。

 王都の空気が、“あんたを王にしようとしてる”」


 


 「フィンが何を言っても、誰も止められない」

 リナも続けた。

 「今ここで剣を振るえば、“やっぱり王様は強かった”になる。

 言葉を吐かなければ、“王は沈黙の器だった”になる。

 ……全部が、都合よく解釈されてく」


 


 フィンは、その言葉を聞きながら、歩き出した。


 王都の風が、背後から追いかけてくる。

 名もなき歌、誰かの落書き、すれ違いざまの視線、肩に置かれた希望の重さ。


 


 “語り”を否定した男が、

 “語られてしまう存在”になる矛盾。


 


 だが、彼はそれでも歩く。

 剣を帯びて、名を振り払って。


 


 それでも、風は背を押した。

 ――この国に、王が必要だと語るように。

風が変わった。

 王都の大気に含まれていた熱とざわめきが、背を押す圧力となって肌に残る。

 それは名を受けた者にしか感じられない、見えない重み。


 


 フィンは王都の北側、市壁の外へ続く小径を歩いていた。

 そこは貴族や役人が通る大門ではなく、物資の搬入口やメンテナンス作業員が使う裏道だった。

 石の継ぎ目が荒く、壁際には苔が生えている。人通りはほぼ皆無。


 


 「……なあ、フィン」

 リナがぽつりと口を開く。


 


 「ほんとに、いいの? このまま黙って去っても。

 あんたの名前、王都中に広まり始めてるよ。誰かに説明したり、否定したり――」


 


 「否定すればするほど、燃えるんだよ」

 ノーラが低く遮った。


 


 「“そんなことありません”って頭を下げて回ったところで、

 “謙虚な王様”って物語にされて終わる。

 そもそも、フィンがどんな態度を取っても、“王にしたがってる側”は都合よく話を作るさ」


 


 「……勝手なもんだよな」


 フィンが呟いた声は、風に溶けて遠くへ流れていった。


 


 記録庁でのやりとりは、今でも喉元に棘のように残っている。

 セリオ・ハルダス――無表情の奥で火を灯したような、あの観察者の目。


 語りを拒否した瞬間、王としての価値が生まれたと、彼は言った。


 


 “語られたくない”という意志さえも、

 “語るべき逸話”として記録されていく。


 


 それが、“語りの国”という現実だった。


 


 「……だったら、剣で答える」


 


 声に出して言えば、空気が少しだけ軽くなった気がした。


 


 彼の腰には、風薙がある。

 誰に渡されたものでもない。

 自分の手で拾い、名をつけ、鍛冶師に打ち直させた。

 語りとは関係なく、血と鉄の匂いで現実を刻み込んだ唯一の証。


 


 「王様になりたくて剣を取るわけじゃない」

 「剣を取らなければ、“誰か”が王に仕立て上げる」

 「……だから、こっちから先に立つ。そういうことだろ?」


 


 ノーラとリナは、互いに目を合わせてから、無言で頷いた。

 彼女たちにとって、フィンのその言葉は、“命令”ではなく“選択の共有”だった。


 


 王都の外郭を抜けると、一気に空が広がった。

 高台の道に出た瞬間、遠く地平の向こう――くすんだ煙が帯状に昇っているのが見えた。


 


 「……見えるか?」


 


 「……ああ。焚き火じゃない。あれは……兵か、略奪か」

 ノーラの声に、確かな戦士の色が混じった。


 


 「民の村が燃えてるんだとしたら、助けるしかない。

 でも、もし軍がぶつかってるなら……」


 


 「俺たちが出る幕だ」


 


 フィンの手が、自然と風薙の柄に触れていた。


 


 語りではない。

 言葉ではなく、行動。


 


 これから語られるのは、彼の剣の軌跡。

 誰かの記憶に残るなら、それは戦場で命を救った結果だけでいい。


 


 「剣を帯びて、歩き出す」

 「言葉ではなく、覚悟で」

 「それだけが、俺が俺であるための道だ」


 


 そのとき、木々の間から小さな小道が姿を現した。


 王都の喧騒とは無縁の、小さな畑と牧場を抜ける一本道。

 けれど、その先にあるのは――戦の気配。


 


 王と呼ばれた男は、まだ王冠を持たない。

 語りも、戴冠もない。


 


 だが、誰よりも先にその戦場に立ち、剣を振るう者。

 それを“王”と呼ぶならば、きっとその名は――もう止められない。


 


 風が吹いた。

 その背を押すように。

語りから逃れたかっただけなのに、語られてしまう。

その皮肉が、この世界の“語りの構造”でもあります。

だからこそ、剣を取るという選択は、フィンにとっては一種の“宣戦布告”なのかもしれません。


次回からは戦の気配が現実になります。

言葉ではなく、刃で語る日々へ。

――それでも、彼は“誰かの名を刻む”ことを忘れはしないでしょう。


引き続き、よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ