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28話:語りを断つ者たち(後編) ― 風を継ぐ者

名もなき命が消えたあと、語るべきものは何か――

第28話では、「語りが通じない戦場」の余韻と、それを受け止めようとするフィンの心の変化を描きました。


そして登場するのは、新たな存在。

語られなかった名家の令嬢・エルシア。

彼女は語りを必要とし、フィンの“語らなければならない旅”にひとつの選択肢を示します。


物語は、静かに。けれど確かに、新たな局面へと動き出しています。

風が、静かに吹いていた。


 《戦場変換フィールド・ドミネーション》が消えてから、どれほどの時間が経ったのか。

 空は晴れていたが、その光はどこかまだ鈍い。

 まるでさっきまでの戦場の記憶が、空気に染みついて残っているかのようだった。


 


 フィン・グリムリーフは、剣を鞘に納めたまま、無言で立っていた。


 戦った。語られなかった命を前にし、語れなかった想いを飲み込みながら。

 彼の胸には、未だ重たく澱のようなものが残っていた。


 


「……まだ、終わってない気がするな」


 呟いた声は風に溶けて、誰の耳にも届かない。


 


 彼の背後、リナとノーラが近づいてくる。


 リナは肩で息をしながらも、姿勢を正していた。

 ノーラはいつも通りの無表情――だがその足取りには、わずかな緊張が残っていた。


 


「フィン、大丈夫?」


「大丈夫だ。……けど、言葉が届かない相手と戦うのは、やっぱり……違うな」


「……うん。私も、そう思う。最後まで、何も聞けなかった」

 リナは、言葉を探すように、空を見上げた。


 


 ノーラは腕を組んだまま、鋭く周囲を見渡す。


「次は……来ないよな?」


「いや――来てる」


 


 フィンの声と同時に、地響きがした。


 遠く、森の奥から複数の足音と、馬の蹄の音が重なって聞こえてくる。

 それは整った隊列の動きだった。敵の混沌ではなく、訓練された軍の歩調。


 


 ノーラが即座に構える。


「……王都の軍? でも、こんなタイミングで?」


 


 土煙を上げながら、騎士団が姿を現した。

 だがその鎧は、黒鉄の猟兵団のものではない。

 紺を基調に銀で縁取られた、格式のある装甲。

 胸元には王都の紋章。そして、その中央に立つ女騎士――


 


 彼女の背には、ある紋章があった。


 それは、王都貴族“ルフェイリア家”のもの。

 長きにわたり、政治の最前線から距離を置き、

 人前で名を語ることすら控えてきた、寡黙な名門。


 


 その紋章が、今――風に揺れていた。


 


 騎士たちは、敵意なくフィンたちを囲みながらも、即座に陣形をとる。

 女騎士が馬を降り、兜を外す。


 


 淡い金の髪が風に舞う。

 透き通った灰青の瞳が、まっすぐフィンを見据える。


 


「あなたがこの地で戦っていた姿は、

 私たちの斥候が報告しています。

 語りを力とする者が、語れぬ敵を前に、それでも剣を選んだ――

 その矛盾を背負いながら立ち続けたあなたに、私は興味を持ちました」


 


 声に驚きはなかった。

 だが、確かな意志と緊張感が込められていた。


 


 フィンは静かに視線を返す。

 そして、その背の紋章に再び目をやる。


「……“語ることを慎んできた家”が、今になって、何を語ろうってんだ?」


「だからこそ、です。

 これまで語らずにいた我が家が、今――あなたに、語られたいと願っている」


 


 その言葉に、風がわずかに揺れた。

 風薙の刀身が、微かに反応する。


 “語られる覚悟”を持つ者が、ここに現れた。


 


 名も知らぬ彼女だった。

 けれどその佇まいと瞳が、フィンには“語る価値がある存在”に思えた。

 風がそう告げていた。

 彼女は、いつか――この旅路に深く関わる者になる。

 そんな予感だけが、強く胸に残った。

風が止んだ。

 だが、それは静寂ではなかった。

 目に見えぬ緊張が、地面に根を張るように広がっていた。


 


 「……あなたに語られたい」


 そう言った彼女――ルフェイリア家の女騎士は、まっすぐな目でフィンを見ていた。

 その言葉には、どこか“求める者”の気配があった。

 上から命じるでもなく、下から縋るでもない。

 ただ、等身大の“覚悟”だけがあった。


 


 「名前を聞いてもいいか?」


 フィンの問いに、彼女は一歩前へ出て、軽く頭を下げる。


 


 「エルシア・ルフェイリア。

 王都直属第一斥候騎士団、第二分隊の隊長です。

 この一帯の斥候・回収・危険判定の任にあたっていました」


 


 形式的な名乗りだったが、口調には無駄な硬さがなかった。

 現場に出ている者の語り方だ、とフィンは直感する。


 


「それで……“語られたい”ってのは、どういう意味だ?」


 彼女の目がわずかに和らぐ。


 


 「そのままの意味です。

 私たち――ルフェイリア家は、何も語らず、ただ生き残ってきた家です。

 戦乱にも、政争にも、正面から関わらず。

 名を語られることを避け、忘れられることを選んできた」


 


 リナが不思議そうに問いかける。


 「忘れられることを……選んだ? どうして?」


 


 「語られるというのは、覚悟を伴う行為です。

 誰かに名を刻まれることは、過去も、意志も、明かすということ。

 その責を負う者が、うちにはいなかった――いえ、誰も引き受けようとしなかった」


 


 エルシアは言葉を止めた。

 少しだけ息を吐き、フィンを見つめ直す。


 


 「けれど今日、あなたの戦いを知って、思いました。

 語ることを恐れず、語られることにも耐えながら、前に立つ者がいるなら。

 そこに、名を重ねることに意味があるのではないかと」


 


 ノーラが静かに言った。


 「……じゃあ、王都はフィンに何をさせたいわけ?」


 


 エルシアはわずかに表情を引き締めた。

 今度は“騎士”の顔だった。


 


 「正直に申し上げます。

 王都は現在、“語り”という力の拡張に注目しています。

 それは魔法でも、記録でもない、“精神の伝達と再構成”に関わる未解明の力。

 あなたが見せたあの《戦場変換》も、その一端と見なされています」


 


 「……おれの力を使いたいってことか」


 「あなたの力そのものではありません。

 “語り”という概念と、それが戦場にも作用し得るという事実。

 その証明者として、あなたの存在が必要です」


 


 風がまた、草をなでるように通り過ぎる。

 静かなやり取りだったが、言葉のひとつひとつに剣のような切っ先があった。


 


 「要するに、俺に王都と関わる選択肢を突きつけに来たってわけだな」


 「はい。

 私個人としては……あなたに、“語りの意味”を問い直す旅の続きをしてほしい。

 そのために、王都を拠点のひとつとして使ってもらいたいと願っています」


 


 エルシアの目は真っ直ぐだった。

 その提案に打算はある――だが、誠意もあった。


 


 「……答えを急がせるつもりはありません」

 「でも、“語りが通じない者”との戦いは、これで終わりではない。

  あなたも、そのことには気づいているはずです」


 


 その言葉とともに、空がわずかに陰った。

 黒い雲が、遠くの地平線に滲んでいた。

エルシアたちの騎士団が立ち去ったあと、辺りに残ったのは風の音だけだった。


 けれど、ただ静かだったわけではない。

 耳を澄ませば、草のざわめき、葉のささやき、鳥の羽ばたき。

 自然の音が少しずつ戻ってきていた。


 その音が心を癒してくれるかと思えば、逆だった。

 静かすぎて、逆に胸の奥に残ったざらつきが、余計にはっきりと浮き彫りになる。


 


 「……どうするの?」


 リナの声が、少しだけ風に流された。

 それでも、フィンの耳にははっきり届いた。

 淡く、けれど真剣な瞳が、彼の横顔を見つめている。


 


 フィンはすぐには答えなかった。

 代わりに、騎士団が消えた森の奥を見つめたまま、小さく息を吐いた。


 


 「王都と関わるってことは……もう“語る”だけじゃ済まなくなるってことだよね」


 リナの言葉に、ノーラが小さくうなずいた。

 彼女は腕を組み、無表情のままフィンを見た。


 


 「言葉だけで戦場を渡れるなんて、誰も思っちゃいない。

 でも、あんたはそれでも“語る”ことを信じてきた。

 そのあんたの“語り”を……王都は使おうとしてる。

 上手く、便利なようにね」


 


 その言い方は皮肉だったが、敵意ではなかった。

 どちらかといえば、警戒と忠告だった。


 


 フィンは無言で頷いた。

 彼の手は、無意識に風薙の柄を握りしめていた。


 


 「語るってさ……誰かの想いとか、記憶とか、痛みとか、そういうものを拾って、形にして、誰かに伝えることだと思ってた。

 でも、通じない相手に剣を振るった時……俺は、それを捨てたのかもしれないって思ったんだ」


 


 誰に向けた言葉でもなかった。

 けれど、リナもノーラも黙ってそれを聞いていた。


 


 「でもさ」

 リナが、そっと言った。


 「通じなかったってことは、語ろうとしたってことだよね?

 最初から語る気がなかったら、それは“捨てた”って言えるけど……

 あんたはずっと、語りたかったんでしょ」


 


 フィンは少しだけ目を見開いた。

 そして、わずかに視線を落とした。


 


 「語れなかった命のこと、ずっと頭から離れないんだ。

 倒したのに、何も残せなかった。

 名前も、顔も、痛みも――何ひとつ、語れないままだった」


 


 「それでも、見ようとした。知ろうとした。

 それだけで、私は意味があると思う」


 リナの声は柔らかかった。

 フィンの胸に、静かに沈んでいくような響きだった。


 


 ノーラはふっと鼻を鳴らすように笑った。


 「……真面目だね、あんたら。

 語れるかどうかで命の重さが変わるなら、あたしら戦場にいる意味なくなるじゃん」


 


 それは、冗談のようでいて、本気だった。


 「でも、そういう“真面目な奴”が、一人くらい前に立っててくれてもいいかもって思ってんの。

 だからさ――行くなら、せめて一言くらい言ってよ。黙って王都行かれたら、むかつくから」


 


 その言葉に、フィンは小さく笑った。

 それは、戦場で笑える種類の笑いではなかった。


 けれど、ようやく少しだけ力が抜けた。


 


 風がまた、吹いた。


 さっきまでと違う。

 どこか優しさを取り戻したような風だった。


 


 「……王都の申し出は考える。

 でも、俺は俺のやり方で進む。

 語りたいものを語って、守りたいものを守る。

 それができないなら、意味なんてない」


 


 「それでこそ、フィンだね」


 リナが笑った。ノーラは横目でそれを見て、小さく肩をすくめた。


 


 「でもそのやり方、きっとまた面倒ごと引き寄せるよ。

 ……ついてってやるから、せいぜい覚悟しなよ」


 


 風が吹いた先に、まだ見ぬ何かの気配があった。

 遠く、丘の向こうにうっすらと見えるのは、王都の方向ではなかった。


 かつて語れなかったこと。

 捨てたままにしてきた言葉。

 立ち止まるたびに置き去りにしてきた、“誰かの声”。


 


 それらが、今になって、再びこちらに向かって風に乗ってくるような――そんな気がした。


 


 「……でもその前に、もう一度だけ寄りたい場所がある」


 「寄り道? また?」


 「……どうしても、語らなきゃいけないことがあるんだ」


 


 その時、彼の語りはまだ始まりにすぎなかった。

 風は、もう一度だけ背を押してくれていた。

陽は西へ傾き、草原に伸びる影が長くなっていく。

 戦いの後とは思えないほど、空は穏やかで、風は静かだった。


 けれど、その静けさの中には確かな輪郭があった。

 言葉にするには淡すぎて、けれど確かに心に引っかかる“何か”が、風に混じっていた。


 


 「……あのとき、立ち止まれなかった場所がある」


 フィンの言葉に、リナとノーラが振り向く。


 


 「村……だったよね」

 リナが小さくつぶやく。


 


 「そう。名もない集落。

 焼け落ちて、誰も残ってなくて――

 俺はそれを“何もない”って断じて、通り過ぎた」


 


 フィンは自嘲するように笑った。

 あのとき、心のどこかで“語るには重すぎる”と思っていたのだ。

 語っても、誰にも届かないと思っていた。

 だから目を逸らした。


 


 でも今は違う。


 


 「……今なら、語れる気がする」


 


 その言葉に、リナがにっこりと笑う。


 「じゃあ、行こっか」


 ノーラは何も言わず、ただ先に歩き出した。

 背中に、“黙って付き合う”という意思がにじんでいた。


 


 三人は並んで、丘を越えた。

 かつて通った道は、すっかり草に覆われ、道の形すらあいまいになっていた。


 けれど、風だけは覚えていた。

 どこを通れば、そこへたどり着けるか――まるで、案内人のように道を拓いていった。


 


 やがて、村の跡地が見えてきた。


 


 かつての建物は半壊し、蔦に覆われ、瓦礫に埋もれている。

 屋根は落ち、壁は崩れ、柱は灰に近い色をしていた。


 けれどその中で、ひときわ整っているものがあった。


 村の端に、並ぶ小さな墓標たち。


 それらだけは、風雨に耐えたのか、それとも誰かが定期的に手入れをしているのか。

 草一本も絡まぬよう、静かに並んでいた。


 


 「……誰か、来てるんだな」


 フィンは小さくつぶやいた。


 


 墓標の前にしゃがみこむと、そこに何かが供えられていた。

 白く乾いた野草。

 そして、折れた木片に、鉛筆で書かれた文字があった。


 


 ――「だれもわるくない だれもゆるされない でも わすれないで」


 


 震えた文字だった。

 子どもが書いたのか、それとも震える手で綴った大人のものか。

 その断片の詩に、フィンは息をのんだ。


 


 語られぬまま、ここで終わった命たち。

 それでも、何かを残そうとした者がいた。


 


 「ここで、誰かが、生きたんだな……」


 リナが、そっと隣に座った。

 ノーラは少し離れた石に腰を下ろし、空を見上げている。


 


 フィンは静かに、風薙を地に突き、片膝をついた。


 


 「語るよ――俺なりに。

 名前も、顔も、知らないけど。

 それでも、あんたたちがここに“在った”ってことは……俺が語る」


 


 風が、そっと吹いた。


 今度は、まるで応えるような優しさを帯びていた。

 村の残骸をなでるように、墓標の間を通り抜けていく。


 


 「語るって、どうしてこんなに難しいんだろうな」


 呟いたフィンの声は、風に溶けていった。


 けれど、それは確かに“ここに刻まれた”のだった。


 


 沈黙のあと、リナがぽつりと言う。


 「でも、あんたの言葉がなきゃ、誰も思い出せないよ。

 語ってくれる人がいるから、私たちは忘れずにいられるんだ」


 


 ノーラが、墓標に背を向けたまま言った。


 「じゃあ、立ち上がりなよ。

 あんたの語りが必要な場所は、まだ他にもある。

 ……先、行くよ」


 


 フィンは風薙を引き抜き、腰に戻す。

 背をまっすぐにして、墓標を振り返る。


 


 「ありがとう。……聞いてくれて」


 


 それが誰に向けたものか、自分でも分からなかった。

 けれど、確かに“伝わった”と、風が告げていた。


 


 空にはまだ陽が残っていた。

 それでも、夜が来る前に、彼らは次の地へ向かって歩き出す。


 道は整ってはいない。

 でも、風が前へ吹いていた。


 次に語るべき場所は、もう見えていた。

語りとは、誰かの記憶を“生き延びさせる”行為なのかもしれません。

第28話の最後でフィンが向かったのは、ただの村の跡地――

けれど、彼にとっては“語れなかった過去”との再会の場でした。


「語らなかったことを、語り直す」

その覚悟を抱え、彼はまた歩き出します。


次回、第29話では“語る力”と“語らせない力”が、静かにぶつかり合います。

よろしければ、引き続きお付き合いください。

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