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第21話:王と呼ばれた日

『王と呼ばれた日』は、“語り”が世界に届いた瞬間と、その先を描く回です。


フィン・グリムリーフの語りは、子どもたちの祝詞になり、

やがて王都を揺るがすほどの“声”となりました。


けれど、それは終わりではなく、“始まりの証”だったのです。


この21話では、彼が「語られる存在」から「語る覚悟を持つ者」へと変わる様子と、

それを見守る仲間たちの絆、

語りの力が“記録”ではなく“伝承”へと移っていく過程を描いています。


語った先にあるのは祝福だけではなく、拒絶と静寂。

それでも彼は歩き出します――語ることを、やめないために。

王都・語録殿堂。


 記録官たちが集う巨大な吹き抜けの空間に、

 ひとりの少年が立っていた。


 


 フィン・グリムリーフ。


 語りで命をつなぎ、

 歌で風を震わせ、

 龍すら呼び起こした、名もなきホビットの少年。


 


 その名が、いま――

 世界の中心で“語られようとしていた”。


 


 「語れ、フィン・グリムリーフ」


 


 最年長の記録官の声が響く。


 


 「語りを持ち、風を呼び、記憶を揺らした者よ。

  汝が本当に“記録に値する者”かどうか――

  我らは、汝自身の“声”を以て判断する」


 


 フィンはゆっくりと、前に進み出た。


 その足取りは軽くなかった。

 けれど、止まることはなかった。


 


 「……俺は、“語りたい”と思って語り始めたわけじゃない」


 


 「誰も語ってくれなかった。

  誰も、その名前を呼んでくれなかった。

  だから……語るしかなかったんだ」


 


 震える声だった。

 けれど、その震えは“怖れ”ではない。

 “届いてほしい”という願いの強さだった。


 


 「命の重さも、涙も、怒りも、

  誰かが語ってくれないなら、俺が語る。

  語りが届くって、誰かが信じてくれるまで――!」


 


 沈黙。


 けれど、その沈黙はすぐに破られた。


 


 


 「びゅーんととぶぞ、かぜなぎくん♪」


 


 風が、運んできた。

 外から聞こえてきたのは、あまりにも無邪気な“歌”。


 


 「きゅーんとささるぞ、ことばのつるぎ♪」

 「こわいものでも ひとことかたれば――」

 「おともだち〜〜〜!!」


 


 子どもたちの声だった。


 広場で、待っていた子どもたちが、

 昨日から何度も口ずさんでいた“フィンの歌”。


 


 誰かが書いた歌詞ではない。

 誰かが指導した旋律でもない。


 


 ――それは、語りに触れた子どもたちが、心のままに作った祝詞の讃歌。


 


 それは“歌”という形で、語りが継承された証だった。


 


 記録官たちの顔が動揺に染まる。


 


 「……あの歌……祝詞ではない、ただの子どもの遊びか……?」


 


 いや――違った。


 


 歌は、止まらなかった。


 子どもたちは、次の節を自然と紡ぎ出していた。


 




「びゅーんととぶぞ、かぜなぎくん♪」

「きゅーんとささるぞ、ことばのつるぎ♪」

「こわいものでも ひとことかたれば――」

「おともだち〜〜〜!!」


(合いの手)

「やったー! かぜなぎ! もう泣かない!」

「ほらね! ことばって、つよいんだ!」

「フィンのこえ、きらきらだ!」


 


「ぴゅーんとすべるよ ふうのうた♪」

「しゅわーっと光るよ りゅうのめもり♪」

「しずかなこえが みんなをまもる――」

「フィンは 王さま〜〜〜!!!」



 


 その瞬間――風が変わった。


 祝詞が、ただの歌ではなくなった。


 音が、震えた。

 天井の装飾がきらめき、空間の気圧がわずかに揺れた。


 


 殿堂の天蓋から、記憶の風が流れ込んでくる。


 それは、風のノスタルドラグの気配。


 


 言葉の波が、音として空を揺らし、

 風がフィンの足元に集まり、

 記録の筆が、勝手に震えだした。


 


 記録官たちが、ついに気づく。


 


 「……語りが、歌になった……!」

 「彼の声が、記録を超えて“伝承”に変わろうとしている……!」


 


 記録官のひとりが、筆を取り、空白の巻物に記す。


 


 > 『本日、語りは歌になり、

 >  歌は名を呼び、

 >  名は民の心に刻まれた。』


 


 > 『この名、記録する。

 >

 > フィン・グリムリーフ――

 > 静けさを連れてきた、小さな戦場王。』


 


 その瞬間。


 空が――祝福した。


 


 殿堂の上空を、風の龍がひときわ高く旋回したような、

 轟くような“風音”が全域に響き渡った。


 


 世界が、語ったのだ。


 「この名を、忘れるな」と。


 


 フィン・グリムリーフは、

 この日、民に語られ、風に語られ、歴史に記された。


 


 ――王と呼ばれた日。


 それは、かつて名もなき少年が“誰かを語りたかった”だけの物語が、

 “誰もが彼を語る物語”へと変わった瞬間だった。

夜の王都は、昼の喧騒とはまるで違っていた。


 


 語り合戦の広場も、商人たちの語り売りも、

 祝詞の歌を響かせていた子どもたちの姿も消え、

 ただ、静けさだけが路地を満たしている。


 


 その中で――

 ノーラは、ひとり静語せいごの庭に立っていた。


 


 記録院の裏手にある、石畳と苔の細道。

 かつては語り手たちが“言葉を失ったとき”に訪れたとされる、静かな場所。


 


 街の灯りが届かないこの庭は、

 不思議なほど音が吸い込まれていく。


 


 「……変ね」


 


 ノーラは立ち止まり、そっと空気に触れる。

 風がないわけじゃない。

 けれど、その流れは――掴めない。


 


 いつもなら感じられる“語りの筋”が、まるで断ち切られているようだった。


 


 (……風が通ってない)


 


 ただの静けさじゃない。

 これは、風も言葉も、“この場所を避けている”。


 


 ノーラはゆっくりと、手を開いて語りの術式を展開する。

 かすかに光る術式が、空気の流れを探そうとする。


 


 でも――


 


 何も引っかからなかった。

 まるで、この一帯だけ“語りという概念”が消えているような感覚。


 


 「……語りが通らない場所なんて……本当にあったんだ」


 


 その瞬間、ノーラの背中に冷たいものが走った。


 それは恐怖じゃなかった。

 ただ、確信だった。


 


 (灰眼の谷……)


 


 ノーラはその名を、誰にも聞かれないように呟いた。


 


 語りの都にいて、語りのすべてに囲まれているのに――

 この王都の中にすら、“語れない領域”がある。


 


 だからこそ、感じる。


 フィンの語りは、届かない場所に向かうべきなんだと。


 


 風が吹いた。

 でも、それは彼女の立つ場所には届かなかった。


 


 


 そのころ、フィンは記録院の書庫で、

 語り手たちが残した古い文献を読んでいた。


 


 ある巻物の最後に、こんな走り書きがあった。


 


 > 『声が消えた。風も。

 >  語りかけても、答えてくれなかった。

 >  あれは――語りが拒まれた場所だ』


 


 フィンは静かに筆を置いた。


 


 「でも……俺は、それでも語る」


 


 答えが返ってこなくても。

 拒まれても。

 言葉が意味を持たなくなっても。


 


 それでも、自分の声を誰かに残したいと思った。

 誰かの命が、忘れられずに残ってくれたらと願った。


 


 「それが、語りなんだろ?」


 


 王都の灯りは、遠くで揺れていた。


 でも、フィンの胸の中には、もう一つの“灯”が灯り始めていた。

夜の王都は、まるで“祭りの後”のようだった。


 


 昨日まで、語りと歌で溢れていた街。

 記録官が筆を走らせ、子どもたちが祝詞を口ずさみ、

 広場は賑やかな語り合戦と拍手に包まれていた。


 


 けれど今は、灯りの数も減り、

 どこか“言葉の静けさ”が街に降りていた。


 


 フィン・グリムリーフは、宿の屋上で一人、夜風に吹かれていた。


 


 王都からの正式認定。

 記録に残った称号。

 そして、子どもたちの歌が“伝承”として語り継がれ始めたこと。


 


 “語り手”として、ここまでの道のりは、たしかに奇跡だった。


 


 でも、その先に待っているのは――語りが通じない場所。


 


 「灰眼の谷……」


 


 ぽつりとその名を呟くだけで、胸の奥にひりつくような重みが生まれる。


 


 “語っても何も起きない”

 “語りが空気に消えるだけの場所”


 


 その概念自体が、フィンにとって初めてだった。


 


 語りが通じる世界でしか生きてこなかった。

 誰かが耳を傾けてくれるから、語りたかった。

 語ることで、命がつながると信じていた。


 


 でも――


 


 「もし、何を言っても、何も動かなかったら……?」


 


 誰にも聞かれない屋上の空で、フィンは小さく問いかける。


 


 「もし、“語り”が否定されたら――

  それでも、俺は語りたいと思えるのかな……?」


 


 そのとき、風が吹いた。


 やわらかく、でも、芯のある風だった。


 


 そして、空の向こう――

 雲の切れ間に、輪郭だけの存在が浮かび上がる。


 


 風の記憶をまとった龍――ノスタルドラグ。


 


 フィンの語りに最初に応じた“記憶の象徴”。

 今も変わらず、見えない空の高みから、彼を見守っていた。


 


 「……わかってる。

  きっと、答えなんか出ないんだよな。

  語るしかないんだ。届かなくても。

  記録に残らなくても」


 


 彼は剣――風薙の柄に手を置き、ゆっくりと目を閉じた。


 


 「届かないから、語る。

  届いたことが、奇跡なんじゃなくて、

  語ったことが、俺の生きた証になる」


 


 ノスタルドラグの気配が、ほんのわずかに揺れた。


 それは、返事だった。

 静かな、でもはっきりとした、“同意”の風だった。


 


 


 宿の部屋に戻ると、リナとノーラがまだ起きていた。


 


 「……出発、明日だね」

 リナが言った。

 でもその声には、迷いはなかった。


 


 「怖くないわけじゃない。

  でも、語りが通じなかったら――

  あたしたちは、それを世界に伝えるためにいるんだよね」


 


 ノーラは黙って剣を磨いていたが、

 フィンを見ると、小さく笑って言った。


 


 「あなたが語ることで、何かが動かなくてもいい。

  でも、あなたが語らなかったら、

  “動かなかった”ことさえ、世界は知らずに終わるわ」


 


 その言葉が、フィンの胸の奥にすっと落ちていく。


 


 「……ありがとう」


 


 「語るのが怖くなくなったわけじゃない。

  でも、誰かに残せる言葉があるなら、

  俺は、それを“風”にして旅に出たい」


 


 外では、まだ夜風が揺れていた。


 


 子どもたちの祝詞の歌が、どこかでかすかに口ずさまれている。


 「びゅーんととぶぞ、かぜなぎくん♪」

 「きゅーんとささるぞ、ことばのつるぎ♪」

 「こわいものでも ひとことかたれば――」

 「おともだち〜〜〜!」


 


 たった一人の語りが、

 たった一度の声が、

 今では、見知らぬ誰かの口から“残されて”いる。


 


 それだけで、充分だった。


 ……でも、それでも――


 


 「俺は、語り続けたい」


 


 その言葉に、風が吹いた。


 


 


 こうして、王都の夜が明ける。


 フィン・グリムリーフは、旅立つ。


 語りが通じない土地へ。

 言葉が弾かれる場所へ。

 そして、それでも“語ることを選ぶ”自分自身の答えを、探しに。

王都を離れる朝は、やけに風が穏やかだった。


 


 大通りを歩く人々は、それぞれの語りを口にしていた。

 朝食の支度を語る者。

 夢の続きを語る子ども。

 昨日聞いた噂を語る老婆。

 それは誰に向けたものでもない、けれど、誰かと“つながる”言葉たちだった。


 


 フィン・グリムリーフは、記録院の石畳に最後の一歩を残していた。


 


 「さあ、行くか」

 リナの声が明るい。

 「やっと“物語の本番”だね」

 ノーラの声は、いつも通り静かだけど、どこかやさしかった。


 


 門をくぐるその瞬間、フィンはほんの少しだけ、後ろを振り返った。


 


 高くそびえる語録殿堂。

 昨日、自分が“語られた”場所。

 子どもたちが歌い、記録官が震え、風が震えた空間。


 


 けれど、それはもう“通過点”だった。


 


 「……行ってくるよ。

  語りがまだ届いてない場所へ」


 


 それだけ言って、彼は門を出た。


 


 門がゆっくりと閉まり、その音が街に溶けていく。


 


 


 そのころ、王都のあちこちで、子どもたちの歌声が響いていた。


 


 「びゅーんととぶぞ、かぜなぎくん♪」

 「きゅーんとささるぞ、ことばのつるぎ♪」

 「こわいものでも ひとことかたれば――」

 「おともだち〜〜〜!!」


 


 その歌は、もうただの“遊び歌”じゃなかった。

 どこかの家で、風呂上がりに歌われていた。

 兵士の休憩中に口ずさまれ、

 屋台のおばちゃんが「なんか流行ってるねぇ」と微笑んでいた。


 


 語りが、街の生活に染みこんでいく。

 誰かを救いたくて語ったはずの言葉が、

 今では、誰かの心をほどく風になっていた。


 


 そして、王都の塔の上。


 風見の像が、朝日に染まりながら、

 ほんの一瞬だけ、“声のない風”に反応した。


 


 龍の気配。


 ノスタルドラグは、もう姿を現さなかった。

 でも、風だけが、確かに語っていた。


 


 「語りは、まだ始まったばかりだ」と。


 


 


 フィンたちは、東の街道を進んでいた。


 


 リナが振り返る。


 「灰眼の谷まで、あと数日。

  地図には載ってない道が多いらしいよ」


 


 ノーラは、風の動きを読むように目を細めて言った。


 「昨日までは“語りに守られてた”旅。

  でも、これからは、“語りを信じる”旅よ」


 


 フィンはうなずいた。


 


 「語りってさ……

  誰かを救うかどうかじゃなくて、

  “誰かの生きた証”を、風に残すことなんだと思うんだ」


 


 「だから俺は、語るよ。

  届かなくても、笑われても、忘れられても。

  語りが風になって、誰かを撫でていくまで」


 


 


 そのとき――


 彼の背にある風薙が、微かに音を鳴らした。


 


 風が吹いた。

 新しい風だった。


 ノスタルドラグではない。

 フィン・グリムリーフ自身の語りが、生んだ“風”だった。


 


 それは、ほんのわずかな震え。

 けれど確かに――世界が、応えてくれた瞬間だった。


 


 


 旅路の先には、語りが届かない谷がある。

 語られぬ命、忘れ去られた痛み、

 そして、記録にさえ残らない“声”。


 


 だが、今――


 一人の少年の語りが、風に乗って世界に届き始めた。


 


 


 そして、遠く、空の高み。


 龍が、風に溶けながら微笑んでいた。


 


 これは、語りの物語。

 まだ誰も知らない、言葉の旅の始まり。

 そして――


 


 “伝説”と呼ばれるには、まだ早すぎる風の一吹き。


 


 


 ◇


 


 【第一巻・完】

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。


『ついホビ』第一巻、これにて完。

フィン・グリムリーフの語りが初めて“世界に認められた”この巻は、

語りとは何か――

なぜ語るのか――

その問いを読者と一緒にたぐる、序章の旅でした。


けれど、これで終わりではありません。

むしろ、ここからが本番です。


次の舞台は「灰眼の谷」。

語りが拒まれる土地で、彼の声が何を失い、何を掴むのか。

そして、“語りの力”が記憶を超えて“未来を変える力”へと進化する兆しが、

確かに、今、風に乗り始めています。


語りが風になるとき――

物語は、伝説へと変わっていきます。


また次巻でお会いしましょう。

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