第2話:森で拾ったもの
村を追放されたホビット、フィン・グリムリーフの冒険が動き出します。
森で拾った不思議なペンダントをきっかけに、彼は“通過者”として選ばれ、
誰も知らない扉の奥へ――。
運命の導きと、目覚める何か。
第2話は、旅の本当の始まりです。
森の中は、思った以上に静かだった。
鳥の鳴き声も、木の葉を揺らす風もある。
けれど、そのどれもがまるで“遠く”で起きていることのように思えた。
木々が高く密集し、空の光を遮っているせいか、昼間だというのに足元は薄暗い。
フィン・グリムリーフは、しっかりと地面を踏みしめながら、慎重に歩を進めていた。
道はない。獣道のような、踏みならされた痕跡すらない。
枝が行く手を遮り、時折、服の袖を擦って通せんぼする。
けれど、不思議と恐怖はなかった。
「……静かだな」
声に出すと、少しだけ気持ちが落ち着く。
村では、こうして声に出す余裕さえなかったことを思い出す。
ここには視線も噂もない。ただ、世界と自分しか存在しない。
ポケットの中で、金属の感触がかすかに動いた。
朝拾ったペンダントだ。
何気なく手に取ると、やはり異国のもののような装飾が、陽の光にかすかにきらめいた。
「これ、やっぱり……ただの落とし物じゃないかもな」
そう思った矢先――
「……っ!」
足元の感触が、一瞬消えた。
次の瞬間、フィンの体は地面からふわりと浮いた。
重力の感覚が、ほんの一瞬、遅れて戻ってくる。
「わ――!」
落ちた。
乾いた音と、土と草の匂いがフィンの身体を包み込む。
視界が揺れ、森の天井が斜めに傾いた。
「……あいたたた……何これ、穴……?」
どうやら地面の一部が崩れていたらしい。
苔に覆われた足場に気づけず、もろく崩れた部分に足をとられてしまったのだ。
フィンは身体を起こし、手足の汚れを軽く払った。
幸い、怪我はない。
それにしても――森の中に、こういう“落とし穴”のような地形があるとは思っていなかった。
落ち葉に覆われていたら、誰でも気づかずに踏み抜いてしまうだろう。
「……ん?」
ふと、落ちた先の空気が、どこか変だと気づいた。
しん、としている。
音がないのだ。
風も、木々のささやきも、虫の羽音すらも。
まるで、そこだけが“森ではない”別の場所のような――そんな違和感。
ポケットの中で、ペンダントが震えた。
手に取ると、ほんのりと、けれど確かに温かい。
「……反応、してるのか……?」
辺りを見渡しても、特に変わったものはない。
ただ、地面に落ちている石のいくつかが不自然に並び、
その中心に――何かの印のような模様が、かすかに刻まれていた。
ペンダントを近づけると、模様がかすかに光り始めた。
その瞬間、フィンの背後で――草を踏む音がした。
「誰か……いるのか?」
静かに立ち上がり、ペンダントを握りしめながら声を張る。
返事はない。だが、確かに何かの気配は近づいてきていた。
緊張が、背筋をひやりと走る。
森の匂いとは違う、冷たい空気が一瞬、頬をかすめた。
フィンは静かに姿勢を低くし、足音のする方向へ視線を向けた。
すると、そこに――人影のような“何か”が、木々の間にちらりと姿を見せた。
だが、次の瞬間にはもう、消えていた。
その“何か”は、音もなく木々の間を横切って消えた。
フィンは息をひそめたまま、周囲に注意を向ける。
手のひらに残るペンダントの熱が、妙に強く感じられた。
まるで、自分だけが警戒を強めていないことを叱ってくるように。
「……人じゃない。少なくとも、普通の気配じゃない」
長く森にいた経験はない。
けれど、それでも“おかしい”と感じるくらいには、異質だった。
あの影は、まるでこの場所に溶け込むように現れ、そして消えたのだ。
(こんなに静かなのに、気配だけが濃い……)
木の幹の陰、茂みの裏、岩陰の影。
視界の端に、何かが映った気がしても、振り返ると何もない。
けれど確かに“視線”だけは、背中に突き刺さるように感じていた。
再びペンダントに目を落とす。
そこには確かに、中心の紋章が淡く輝いていた。
ただの金属飾りに見えていたそれが、まるで“何か”を感知しているかのように。
(反応してる……あの印と、あの影に?)
そのときだった。
耳に、ささやくような声が届いた。
「……もっているのか……鍵を……」
誰の声だろう?
男か女か、年齢すらもわからない。
けれど確かに、耳の奥に直接届くような、霧の中の囁きのような響きだった。
「誰だ!? そこにいるのか!?」
声を張って叫ぶ。が、返事はない。
ただ、風がざわりと吹き抜け、木の葉を揺らした。
足元の地面が、ほんのわずかに震えた気がした。
何かが地中でうごめいているのか、それとも自分の鼓動が伝わっただけか――
判断がつかないほど、全身の感覚が過敏になっていた。
「落ち着け、落ち着け……ただの幻覚じゃない。これは、現実だ」
フィンはゆっくりと腰を落とし、呼吸を整える。
そのとき、目の前の地面の石が、ふっと淡い光を放った。
一瞬だけ、地面に刻まれた紋章が輝いたのだ。
ペンダントの光と共鳴している――そう確信したフィンは、
無意識にその中心へと手を伸ばしていた。
その瞬間、すぐ背後に――“吐息”が落ちた。
冷たい、湿った、確かな生き物の気配。
反射的に振り返った。
そこには、黒いフードを被った、影のような存在が立っていた。
フィンは息を呑んだ。
顔は見えない。フードの奥は、まるで霧のようにぼやけていて、視線が定まらない。
けれど、その存在は“確かにそこにいる”と、全神経が訴えていた。
「……おまえ、は……」
影が低い声で呟く。
声というより、“音”だった。
風のうねりに似た、不思議な響き。
フィンは足を引いた。逃げるか、構えるか。
だが相手は、こちらを見下ろしたまま、動こうともしない。
「……まだ、目覚めては……いないのだな……」
影の手が、ゆっくりとペンダントを指差した。
「それを持つ者は、選ばれし“通過者”。
……だが、時は満ちていない」
「何の話だ!? 通過って、どこを……どこに……!」
問いかけようとした瞬間、風が唸るように吹き抜けた。
目を開けていたはずなのに、まばたきの隙間に、影はもう消えていた。
残されたのは、木々のざわめきと、手の中のペンダントだけ。
フィンはしばらくその場を動けずにいた。
「通過者……選ばれた……俺が?」
信じられなかった。けれど、確かに“見てしまった”。
あの気配は幻でも、夢でもない。
紛れもなく、現実だった。
そしてそれは、彼の旅が“偶然”ではないことを示していた。
その場にしばらく立ち尽くしていたフィンは、ようやく足を動かした。
震えていたわけではない。
ただ、動いてしまえば“元には戻れない”と、本能が理解していたのだ。
「通過者……選ばれた……?」
信じられない言葉だった。
村の外に出て、たった一日。
その間に出会ったのは、見たこともないペンダントと、正体の知れない影。
しかし、それでも確かに――自分に何かが起こり始めていることだけは、否定できなかった。
彼はペンダントを手に取り、しばらく見つめた。
まるで何かを問うように、じっと。
だが、返事はない。ただ淡い光が、彼の胸元を温かく照らすのみだった。
「……行くしかないか」
覚悟を決めるように、一歩踏み出した。
地面に刻まれた印は、もう光っていない。
だが、なぜか彼には“進むべき方向”が分かっていた。
それは言葉では説明できない直感だった。
影が立っていた方角。風の流れ。草のそよぎ。
それらすべてが彼を導いているように感じられた。
森の奥へ――
まだ見ぬ何かへ。
木々の間を抜け、陽の光が差すわずかな小道を進む。
気づけば、空気が少しずつ変わっていた。
森の香りが薄れ、代わりにどこか懐かしいような、甘い花の匂いが鼻をかすめる。
「……この匂い……」
嗅いだことがないはずなのに、懐かしい。
子どものころ、夢の中で一度だけ訪れた草原。
そこに咲いていた白い花の香りを、ふと思い出す。
やがて、不意に風の中に混じって、微かな鐘の音が聞こえた。
「……鐘?」
まるで、遠くのどこかで誰かが呼んでいるような音だった。
森に鐘のある建物など、聞いたことがない。
だが、不思議と恐怖はなかった。むしろ、その音は彼の心を落ち着けた。
ペンダントの紋章が、再びふわりと光を放つ。
まるで「その音に従え」とでも言うように。
フィンは立ち止まり、深く息を吸った。
目を閉じると、頭の中に道筋が浮かぶような感覚が広がってくる。
地図ではなく、声でもなく――何かが直接、心に“場所”を示している。
「……なら、信じてみるか」
自分の運命を。
見えない何かを。
そして、この一歩が物語になることを。
フィン・グリムリーフは、導かれるように歩き出す。
それがどんな結末に繋がっていようと、もう止まるつもりはなかった。
空の色が変わっていく。
陽が落ちるのではなく、空間そのものがわずかにねじれ、薄光が地表を揺らしているようだった。
足元の地面に、知らぬうちに現れた文様が一瞬だけ浮かび上がり、また消える。
この森には、まだ多くの“知らない”が眠っている――
それを、確かに今、フィンは歩いていた。
小道の終わりには、不自然な空間のゆがみがあった。
まるで空気が濃く、重たく、層のように重なっている――
視界の端に常に“何か”が引っかかっているような、奇妙な感覚。
フィンは慎重に近づいた。
ペンダントが、また光り始めていた。
淡い光ではない。はっきりとした輪郭を持つ、確かな輝き。
「……ここにあるのか。何かが」
木々が途切れ、視界が開けた場所に出た。
そこには巨大な岩壁がそびえていた。
だが、その中央。
石と木の境目に、確かに“扉”があった。
大きさは人ひとりが通れるほど。
古びているのに、なぜか時間の風化を受けていないようにも見える。
表面には複雑な紋様が刻まれており、それがペンダントの紋章とそっくりだった。
フィンは自然と歩を進めていた。
手の中のペンダントが、まるで引き寄せられるように震える。
扉に近づくと、その中心部――円を描いた文様が、ふわりと光を放った。
「……反応してるのか」
ペンダントをそっと掲げる。
すると、文様の中心がじわりと脈打つように、光を返してきた。
その光はフィンの体を包み、まるで優しく触れるように、彼の肩、胸、額へと移動する。
温かい。
だがその中に、圧倒的な“何かの意思”が混じっている気がした。
扉が、彼を“測っている”。
“通過者”としての資格を――
胸の奥が、かすかに疼いた。
まるで、心の奥底にしまっていた過去や、想い出や、逃げ出したくなるような出来事が、次々と脳裏をよぎる。
だが、フィンは目を逸らさなかった。
弱さも、痛みも、自分自身だと、受け止めるように。
やがて、扉の文様がすべて同時に光を失った。
そして、石と見紛う重厚な扉が――音もなく、わずかに開いた。
「通れる……のか?」
中は真っ暗だった。
だが、奥の奥で、微かに呼ぶような感覚がある。
耳ではなく、心で聞こえるような――そんな招き。
扉の中から漂う空気は、外とはまるで異なっていた。
冷たさはなく、むしろ静謐な温もりがあった。
だが、それは生命のぬくもりではなく、永劫の時を超えてなお残る“知”の気配。
フィンは足元を一度見つめ、息を整えた。
胸元のペンダントは、まだかすかに震えていた。
まるで、「ここからが始まりだ」と告げているように。
そして、左手でペンダントを握りしめながら、
右足を、一歩、扉の向こうへ踏み出した。
――途端に、空気が変わった。
まるで世界そのものが“音”を失ったように、静寂がすべてを包み込む。
外界の風も、木のざわめきも、体の鼓動すら遠のいていくようだった。
視界が白く染まり、地面がぐらりと傾いた。
「……うっ……!」
目をつぶると、重力が逆さまになったような感覚に襲われる。
だが、ほんの数秒後――
すべてが止まった。
目を開けると、そこはもう、森ではなかった。
広がっていたのは、石で組まれた広大な空間。
天井は高く、無数の光の粒がふわふわと漂っている。
足元の床には、さきほどの扉と同じ文様が円形に刻まれていた。
中央には、石造りの台座がひとつ。
そしてその上には、ひとつの本。
黒い表紙に、金の文字でなにかが記されている。
だが、読めない。見えているのに、言葉が理解できない。
「……これは……」
フィンが近づこうとした、その瞬間。
台座の左右にあった壁が、重たい音を立てて動き出した。
まるで何かが目覚めたかのように――
最後まで読んでいただきありがとうございます!
第2話では、ペンダントと扉の謎、そしてフィンが“通過者”として選ばれる場面を描きました。
ほんの小さな異変が、やがて大きなうねりへと変わっていく……
そんな予感の詰まった回になったかと思います。
次回は、扉の奥――封じられた空間と、第一の試練が待ち受けています。
どうぞお楽しみに!




