表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/134

第17話:命を語る剣(前編)

今回の第17話「命を語る剣」では、

フィンの“語り”が初めて直接、人の心に踏み込む場面を描きました。


語ることで誰かを止める。

けれど、それは救いになるのか、あるいは暴力と同じなのか――。


仲間を守るための語りが、やがてフィン自身の内面をえぐり、

そして“語る覚悟”とは何かを問う展開へと繋がっていきます。

山道は細く、霧が立ちこめていた。

朝露が草に宿り、足音すら吸い込まれるように静かだった。


「……ここ、嫌な感じがするね」


リナが小声でつぶやく。


「霧が濃い。誰かが“あえて焚いてる”んだ」


ノーラが警戒する。

フィンも胸の語り火に触れた。火はわずかに揺れていた――風ではない、気配に反応して。


「――待て。止まれ!」


リナが叫ぶのと同時に、霧の中から何本もの矢が飛んだ。

ひとつは地面に刺さり、もうひとつがノーラの足をかすめた。


「くっ……!」


ノーラが片膝をつく。


「ノーラ!」


「大丈夫……浅い。でも、来るよ!」


次の瞬間、霧が裂けて、十数人の盗賊が姿を現した。

斧、槍、粗末な革鎧。組織された軍ではない。

だが――彼らの目にはためらいがなかった。


「いけるか!」


「やるしかないっしょ!」


リナが前に出て、剣を抜く。ノーラも懐から小さな詠唱石を取り出した。

フィンは、剣を抜かないまま、静かに前へ進み出た。



「なにしてんだよ、フィン!」


リナの声が背後から届く。


だがフィンは、霧の奥――敵の中に、妙な揺れを感じていた。


ひとり、明らかに目を逸らした男がいた。

他の盗賊が怒号をあげるなか、その男だけが目に映らないものを見ているようだった。


(……あの男、なにか“覚えてる”)


フィンの足が止まる。


その瞬間、語り火が強く震えた。


(語ってほしい――そう言ってるのか?)


フィンは男の前に立ち、剣を鞘ごと地面に突き立てた。


「……やめろ」


「なに?」


盗賊たちが動きを止める。


「お前が奪った命は、まだお前の記憶にいる。

その声が聞こえるだろう? ――それでも、なお剣を振るうのか」


その言葉と同時に、語り火の光が男の胸元に吸い込まれた。


そして――



ざわっ


風が吹いた。

否、記憶の声が、吹き抜けた。


「やめてくれ……! やめてくれ……!」


男が突然頭を抱え、崩れ落ちた。


「やめろって言ったのに……やりたくなかった……なのに、俺は……!」


他の盗賊たちが驚愕する。


「おい、どうした! レイス!? おい!」


「こいつ、なにしたんだ!?」


「……“語り”だ。こいつは、こいつの記憶に触れただけ」


リナが低く言う。


「だけど、それは……人の心を壊すほどの、力だ」



フィンは、膝をついて泣き叫ぶ男の前で、一歩も動けなかった。


手は震えていた。心も、重かった。


(これが……語りの力……?)


「……俺、なにしたんだ……」


「フィン……」


ノーラが、負傷した足を引きずりながら近づいてくる。


「あなたが言った通り。彼は、なにかを背負ってた。でも……」


「それを、無理やり引きずり出したんだ。俺の言葉で。

……俺は、“語り”で人を壊したんだ……」


「フィン!」


リナが叫ぶ。


「それでも、助けたじゃん! あいつがこのまま進んでたら、誰かを殺してたかもしれない。

……あんたの語りは、止めた。止めたんだよ!」


フィンは、剣を引き抜き、静かに鞘に戻した。


けれど――その手の中に残った重さは、しばらく消えなかった。

霧が静かに晴れていく。


盗賊の一人、レイスは地に膝をつき、肩を震わせていた。

その周囲には、仲間たちの戸惑いと警戒が漂っている。


誰もが、フィンを見ていた。

剣を抜かず、ただ語っただけの男。

だが、その語りは――仲間の一人をここまで追い詰めた。


「……なにをしたんだ、お前……」


盗賊のひとりがつぶやくように言う。


「心を……壊したのか?」


フィンは答えない。

ただ、地に伏したレイスに、静かに視線を向けていた。


レイスが顔を上げた。


涙と泥に濡れたその顔に、怯えと……ほんの少しの安堵が混じっていた。


「俺は……もう、剣を握る理由がわからない……」


「レイス……」


仲間の一人が歩み寄るが、レイスは手で制した。


「俺は……昔、村の護衛をやってた。

子どもたちを守って、年寄りを避難させて……“あんたたちは誇りだ”って、言われてた」


一同が息をのむ。


「でも……戦が終わって村が焼けて、帰る場所もなくなって、

報酬も出ず、残ったのは……この剣だけだった」


「……」


「気づいたら、俺は“奪う側”になってた。

それでも、あの時の声が、ずっと頭の中に残ってたんだ……

“お前は誇りだ”って……でも俺は、もう誇れるものなんか、なかった」


フィンは、ゆっくりと前に出た。


「じゃあ……今、もう一度、その声を思い出して」


「……!」


「語られなかったその想いを、誰かに伝えたいなら――

俺は、それを“語る”ことを選ぶ。……剣じゃなくて、語りで」



「冗談じゃねえ!」


突然、別の盗賊が叫んだ。


「感傷で隊を解散する気か!?

このままじゃ、飢えて死ぬんだぞ!」


「そうだ! こいつに心を読まれたくらいで、何もかも捨てられるか!」


怒号が上がる。


レイスは立ち上がり、振り返った。


「違う。心を読まれたんじゃない――

俺が初めて、自分の心を“聞いた”んだよ。

忘れたふりしてた声が、フィンの語りで……はっきり響いた」


「……」


「俺は今、あんたたちに何も強制できない。

でも、俺はもう剣を振るいたくない。……振れないんだ」


彼は、自分の剣を地面に落とした。


カシャン――という金属音が、霧の静寂に響いた。


それを皮切りに、一人、また一人と剣を置いていく。


「……俺もだ。もう、やめる」


「ここで止まるなら……俺も、それでいい」


「フィン・グリムリーフ。……その名、忘れねえよ」



盗賊団は静かに立ち去った。

誰も、彼らを追わなかった。

そして誰も、あの日の彼らを“善人”だとも“悪人”だとも言わなかった。


ただ――語られなかった彼らの物語が、ここから始まったのだと、

フィンたちは静かに見届けていた。



ノーラがそっとフィンの隣に立つ。


「怖くはないの? 語りって、こんなにも……人の心を動かしてしまうのに」


「怖いよ。

でも……怖がって黙るより、怖くても語った方がいい」


「どうして?」


フィンは静かに言った。


「……語られなかった声が、ずっと心に残ってるなら。

誰かが、その声を“思い出せるように”語らなきゃって思うんだ」

焚き火が、ぱちりと音を立てた。


乾いた小枝が弾け、赤い火の粉が夜空に跳ねる。

その光をぼんやりと見つめながら、フィンは膝を抱えていた。


語り火の瓶は、両手の中にあった。

昼間の出来事をなぞるように、瓶の中の灯りがゆらゆらと揺れている。


「……俺のせいで、泣かせた」


ぽつりと、漏れた声は小さかった。

それでも、火に照らされた顔にははっきりと迷いが滲んでいた。


「あの人は……俺の語りで、崩れ落ちた。

俺が触れなければ、あんなふうにはならなかったのに」


語りは力だ。

でも、力は――誰かを救える半面、誰かを傷つけもする。


今日、初めて“語りで人を壊す”可能性を目の前に突きつけられた。

その重さに、肩が押し潰されそうだった。


(本当に、これでよかったのか?)


(止めたかった。ただそれだけのはずだったのに……)


「……語らない方が、よかったのかもしれない」


ふと、そう呟いたとき――


「それでも、語ったんでしょ?」


声が降ってきた。

焚き火の向こう側、剣を傍らに置いたリナが腰を下ろしていた。


「語るのをやめなかったってことは、少なくとも“そうした方がいい”って、あんた自身が思ったってことじゃない?」


フィンは顔を伏せたまま答えない。


「語ったあんたを、私は止めなかったよ。ノーラも」


リナは焚き火に手をかざし、じっと揺らぎを見ていた。


「私にはできない。あんなこと。

誰かの心に深く踏み込んで、その記憶に触れて、

それでもちゃんと正気でいられる自信なんてない」


「……俺も、正直わかんないよ」


フィンがようやく口を開いた。


「心に届いたって思えた一方で、“壊したかもしれない”って、思ってる。

罪の意識と、必要だったって気持ちが――ずっと、ぐるぐるしてる」


そのとき、語り火の瓶が、ふっと小さく揺れた。


フィンが気づいて目を向けると、ノーラが焚き火の外から歩いてきた。


「私さ、あんたの語り……ちょっと羨ましかった」


「……羨ましい?」


ノーラは瓶を見つめながら言った。


「私の魔術は“記録”を扱う。でも、あんたの語りは“記憶”そのものに触れる。

しかも、それが“癒し”にも“刃”にもなり得る」


「……だから、怖いんだよ」


「でも、あの人、レイス。

あの人の目には、あんたの語りが“呪い”だった?」


「……いや。

最後には、ありがとうって――言ってくれた。

“語ってくれて、よかった”って」


ノーラは笑う。


「なら、いいじゃない。

結果なんてどうでもいい。大事なのは、“語る覚悟”を持てたかどうか。

その一歩が、きっとどこかに届くんだよ。誰かに」


フィンは瓶を両手で包み直す。


小さな炎が、手のひらの中でぽっと灯る。

さっきよりも、少しだけ明るい気がした。


「……怖い気持ちは、たぶんこの先もなくならない」


「なくていいよ。なくなったら、それは語りじゃなくなる」


リナが言った。


「怖いまま、語ればいい。あんたは、そういう語り手なんでしょ?」


「うん……そう、かもな」


フィンは深く息を吐いた。


「じゃあ……もう一回、決めるよ。

俺は、“語られなかった声”を、語っていく。

たとえ怖くても、迷っても――

それが届く場所があるなら、俺は……語る」


風が吹いた。


瓶の中の炎がふわりと揺れ、

フィンのその言葉に答えるように、柔らかく明るく燃え上がった。


リナが笑い、ノーラも目を細める。


「……じゃあ、あんたの語り、これからもそばで見ててあげる」


「見てるだけじゃなくて、ちゃんと支えてね」


「任せなさい。あんたが倒れたら、私が語る番だから」



こうして、夜は静かに更けていった。


しかし誰もが、わかっていた。


“語り”はこの日、ひとつ形を変えた。


ただの言葉ではなく、“誰かを生かすための選択”として――

フィンの手の中で、確かに宿ったのだ。

朝の光は、静かに山を包んでいた。


霧はほとんど晴れ、草の葉に宿る露が朝日を受けてきらめいている。

鳥の声もまだ少なく、夜と朝の境目にあるような、静かな空気が漂っていた。


語り火の瓶が、荷物の脇でほのかに揺れている。

フィンはその光に目をやりながら、深く息を吐いた。


「……少し、軽くなった気がする」


「うん。顔つきがね、昨日よりまし」


そう答えたのはリナだった。

彼女は剣を背負いながらも、どこか穏やかな表情をしていた。


「本当の戦いって、斬り合うことより、語った後に“立ち続けられるか”ってことかもね」


ノーラがゆっくりとストールを肩にかけながら言った。


「語った人間が、責任まで引き受けられるかどうか。

あんたは昨日、それができた。だから……今、少しだけ風向きが変わってるのかも」


その言葉に、フィンはハッとしたように顔を上げた。


「……風?」


そう――確かに、吹いた。


それはほんの一瞬。

語塔のある東の方角から、ふわりと頬を撫でるような風が、こちらへと届いた。


まだ誰も起きていない山道。

風見鶏も音は立てず、葉擦れの音もない中で、確かに“届いた”と感じたのだ。


(今のは……語塔の……)


フィンは瓶に目を落とす。


瓶の中の火が、小さく、しかし確かに“応えるように”揺れた。


「……聞こえた気がする」


「え?」


「誰かが、俺の語りを……“聞いた”って」


その言葉は確信ではなく、希望だった。

けれどその声には、もう昨日のような迷いはなかった。



遠く、語塔の最上部――


ルネ・レディオルは静かに風を感じ取っていた。


彼女の衣が揺れ、風が語塔の窓を抜ける。


目を閉じた彼女の唇が、わずかに動く。


「……語りは、まだ生きている」


その声は誰にも届かない。

だが彼女の胸元で、小さな紋が淡く光った。


それは――千年前に封じた語りの証。

かつて言葉に殺され、言葉で癒された者だけが背負う“名もなき誓い”だった。


(あの子が、“風を呼んだ”)


(ならば、私もまた……)


彼女は塔の中央に置かれた古い書を開いた。

誰も触れてはならなかったその記録のページを、初めて自分の手でめくる。


その紙の香りと共に、再び塔に“風”が吹いた。


それはまだ細く、かすかなもの。

だが確かに、“言葉が戻る予兆”だった。



朝の山道。

フィンは語塔のある東を見つめながら、小さくつぶやいた。


「行こう。俺の語りが届く場所まで」


語り火が、明るく揺れた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!


第17話は、フィンの語りが持つ「力」――その正と負の両面をテーマに据えた回でした。

言葉は人を救える。けれど、同時に“暴く”ことにもなりかねない。


それでもなお、語り続けようとするフィンの姿は、

彼がただの語り手ではなく、導く者――未来の“王”へと歩き始めていることを示しています。


風が再び動き出しました。

次回は、語りが“少年の命”に届く回――

どうぞ、引き続きよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ