第15話:継名刀
今回の第15話では、フィンたちが立ち寄った“名もなき鍛冶村”を舞台に、
失われた技術と、語られなかった剣《継名刀レイヴ=ハルド》との出会いが描かれます。
語りとは、単なる力ではなく――
忘れられた想いに寄り添い、もう一度名を灯すこと。
語り手と鍛え手、そして風がつなぐ、
“名を託す”というこの物語の核となるエピソード、ぜひ最後までお楽しみください。
「……ここ、すごく静かだな」
崩れかけた石造りの建物が並ぶその村で、フィンは足を止めた。
空は曇っていて、風は吹いていない。鳥の鳴き声もない。ただ、沈黙だけが村全体を覆っていた。
「元・鍛冶の村だって言われてるけど……地図にも名前がないの、変だよな」
リナも足元の瓦礫を避けながら言った。
「語りの技術があったって聞いたことがある。剣に名を込める、特別な打ち方だったはず」
ノーラがそう呟いて、フィンを見た。
「……名を語る剣、か」
まるでその言葉に導かれるように、フィンの視線がある工房跡へ向いた。
屋根は半分崩れていたけれど、かすかに炉の跡が残っていて、なぜか惹かれるものがあった。
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工房の奥、埃だらけの作業台の下。
そこでフィンは――見つけた。
「これは……剣?」
半分に折れた刃。柄の部分は煤けている。けれど、妙に目が離せなかった。
彼はそっと手を伸ばして、触れる。
「……熱っ」
一瞬、手のひらがじわっと熱を持ったような感覚。
そして、胸の奥がぐっと締め付けられた。
風もないのに、髪がふわりと揺れた気がした。
耳元で、誰かが囁いたような――そんな錯覚。
(語ってる……?)
フィンは剣を両手で持ち上げる。
その瞬間、周囲の埃がふわっと舞い上がり、工房の中にほのかな風が流れた。
「……風が、動いた?」
さっきまで閉ざされていた空気が、まるで剣に反応したかのように。
それだけじゃなかった。
剣を握るフィンの視界の端に、小さな“火花”のようなものが揺れて見えた。
炎じゃない。けれど、記憶の残り香のように、懐かしくて切ない光。
(……語りの名残り、なのか?)
彼は思わず、剣に問いかけるように呟いた。
「君の、名前は……?」
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「何してやがる!」
突然、鋭い声が飛んできた。
「うわっ!?」
フィンは驚いて剣を庇ったまま振り返る。
崩れた壁の向こうから現れたのは、筋骨隆々の小柄な男。
全身が煤と油で汚れ、分厚い革の前掛けとゴツい鉄槌を肩にかけていた。
「そこにあるもんに触るな!勝手に入ってきやがって!」
「ご、ごめんなさい!」
フィンは慌てて折れた剣を戻しかけた。けれど、男の目が剣に向けられた瞬間、空気が変わった。
「……その剣、どこで見つけた」
一歩、二歩。男は近づいてくる。
声の調子が、怒鳴り声から――何か懐かしさを滲ませた低音へ変わった。
「作業台の下に……落ちてました」
フィンは正直に答える。
男は無言で剣を見つめていたが、やがてぽつりとつぶやいた。
「それは……俺の親父が打った剣だ」
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「……あなたの、お父さんが?」
「ああ」
男は鉄槌を床に立てかけて、どっかりと座った。
すこし黙ってから、名乗った。
「グロル・ハンマーフォール。滅んだ鍛冶一門の最後の生き残りだ」
⸻
グロルの話によれば、この村にはかつて“語りの技術”があった。
剣に名を与え、その名を通して使い手と通じ合う――そういう、古い伝承だ。
「親父はそれを極めようとしてた。
あの剣は……最後に仕上げたやつだ。
でも、村が焼かれ、親父も死んだ。
名前を与える前に……全部、終わっちまった」
フィンは静かに剣を見下ろす。
「……でも、この剣。語りかけてきたんです。確かに。風が、火花が……」
「火花?」
「記憶の火花っていうか……言葉じゃない、なにかが残ってるって感じで」
グロルは黙っていたが、拳をぎゅっと握ったまま肩を震わせていた。
⸻
フィンはそっと剣を見つめたまま、心の奥を探るようにして口を開いた。
「“名前を、託す”って――誰かが、そう言ってた気がする。
この剣の中に、まだ……残ってるんです。語られていない、名が」
そう言い終わったときだった。
工房にふわっと、温かい風が吹き込んできた。
埃が舞い上がり、差し込んだ陽の光に照らされる。
錆びた風見鶏が、きぃ……と音を立てて回った。
フィンの手が、ゆっくりと剣を掲げる。
「――《レイヴ=ハルド》」
彼の口から、その名が自然に零れた。
風が一気に吹き抜け、光の粒子が弾けるように散っていった。
その瞬間、折れた剣がわずかに、微かに震えた気がした。
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「……ああ、間違いねぇ」
グロルの声がかすれていた。
「親父が……名を与えようとしてた言葉と、同じだ……」
目元を拭ったその手に、煤がついて黒くなっていた。
けれど、剣を見つめるその目は、まっすぐで――涙に濡れていた。
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「この剣、まだ残ってたんですね。
語られなかった名を……ずっと待ってたんです」
フィンがそう言うと、グロルはうなずいた。
「……“継名刀”ってのがあったな。
名を継ぐ剣。語られなかった言葉を、未来に繋ぐための……そういう打ち方だ。
親父はその最後の一振りに賭けた。
でも俺は、何一つ受け継げなかったと思ってた」
フィンはにっこり笑った。
「でも、今。語られたじゃないですか。ちゃんと、ここに」
風がまた、工房の奥を静かに通り抜けていった。
そしてグロルは、小さく笑った。
「……まだ語れるものが、残ってたか」
「……語られた、か」
グロルの手の中で、折れた剣《レイヴ=ハルド》が静かに光を落ち着かせていた。
さっきまでフィンの手の中で反応していた“記憶の火花”はもう消えている。けれど、剣が確かに――“名前”を持ったような気がした。
「お前、さっき語った名……どこで聞いた?」
「聞いてない。勝手に口から出たんです」
「……そりゃまた、都合のいい話だな」
グロルは剣を見つめたまま、そうぼやいた。
けれど、怒りはなかった。ただ、深いため息とともに肩の力が抜けていた。
⸻
フィンは瓦礫に腰を下ろして、少しだけ距離を置いてグロルを見ていた。
(彼の中で、ずっと止まってたものが――少し動き出したんだ)
それは、ただ“剣の名前を知った”からじゃない。
長年、誰にも言えずにいた後悔。受け継げなかった想い。忘れていたはずの言葉。
フィンには、それが風の中に滲んでいるように思えた。
⸻
「親父は、寡黙な職人だった」
ぽつりと、グロルが口を開いた。
「言葉より、火と金槌の音で会話するようなやつだった。
でも、作る剣には……いつも“語る名”を刻んでた」
「語りの技術ってやつですよね?」
フィンが聞くと、グロルは小さくうなずいた。
「ああ。使い手の想いと、鍛えた者の魂。
その両方が通じ合う“名”を、剣に吹き込む。
親父にとっては、それが“剣を完成させる最後の一撃”だった」
フィンは、自分の《カザナギ》に目をやった。
まだ、その剣に“名”を宿した実感はない。けれど――
「その技術、今は……?」
「俺は継げなかった」
グロルは、かぶりを振った。
「親父の最期の日――俺はただ剣を持って逃げただけだ。
語りの技術も、火の扱いも、何一つ教えてもらわずに……」
拳がぎゅっと握られた。
けれどその手にあった《レイヴ=ハルド》は、静かに寄り添うように沈黙していた。
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「でも」
フィンは、ゆっくりと言葉を選ぶように話した。
「今、ここに“名”は残ってました。
語られてないからって、消えたわけじゃない。
忘れられても、想いが残ってれば――また、語れる」
風がひと吹き、工房の天井を抜けていった。
「グロルさん。
あなたが“継げなかった”って思ってたもの、
きっとこれから――“語り直せる”と思います」
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グロルは少しの間、黙っていた。
それから不意に、立ち上がって奥の棚へ向かう。
「見せたいもんがある。ついてこい」
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錆びた扉の先には、煤まみれの棚が並んでいた。
その一番奥――布でぐるぐる巻きにされた何かが、大事そうに置かれていた。
グロルがそれをゆっくり開くと、中には――鍛冶師の記録帳があった。
「親父が、自分用に書き残してたノートだ。
“語りの技術”の仕組みとか、名を込める時の心の持ち方とか……
俺には読めなかった。というか、読む資格ないって思ってた」
フィンはそっと近づき、ページをめくる。
そこには古いドワーフ語の筆跡で、精緻な図解と一緒に――剣の図、火入れの温度、そして“名を刻む型”の説明が並んでいた。
「すごい……これ、まるで“語りの設計図”みたいだ」
「なあ、フィン」
グロルが不意に呼びかけた。
「俺が、これをちゃんと読み込んで……
あんたの剣を打ち直したら――“語れる剣”にできるかもしれないな」
「えっ、僕の《カザナギ》を!?」
「レイヴ=ハルドに語りを引き戻せたのは、お前の力だ。
その剣にも、たぶん……まだ“語られてない名”がある。
だったら――今度は俺が、語る番だ」
グロルの瞳が、久々に火を灯していた。
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その夜。
フィンたちは工房の隅で焚き火を囲んだ。
「……それでグロルさん、鍛冶再開?」
リナがニヤッとしながら言うと、グロルはむすっと頷く。
「久々に火を入れるが……腕が鈍ってたら笑うなよ」
「笑わない。というか、燃やすなよ、村ごと」
「お前はほんと口が減らんな」
リナの茶化しに、グロルの口元が少しだけ緩んだ。
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その夜、フィンは焚き火を見つめながら――
《カザナギ》の柄をそっと握った。
「……君の“名”も、語る時が来るのかな」
答えはない。けれど、風が一度だけ頬を撫でた気がした。
翌朝。
工房に、久しぶりの火が入った。
錆びた炉に木材をくべ、グロルが無言で火打石を擦る。
パチッと小さな火花が跳ね、それが乾いた木に染み込んでいた古い油を燃やした。
ごう、と音を立てて炎が上がる。
フィンはその光景を、息を呑んで見つめていた。
「……ああ、やっぱり違うな」
グロルがぽつりと漏らした。
「“火”ってやつはな、ただの熱じゃねえ。
使う者の気持ちを映すんだ。
怯えてたら暴れるし、腹が決まれば従う。ずっと、そうだった」
彼の手が慣れた動きで金属を並べ、作業台に布を広げる。
「今日はまず、《カザナギ》を診る。
打ち直しをするには、芯の癖も、重心のずれも見なきゃいけねぇ」
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フィンはそっと自分の剣――《カザナギ》を外して、両手で差し出した。
いつも腰に差していたそれを、他人に渡すのは初めてだった。
「なんというか……重さだけじゃなく、なんか“馴染んでる”感じがあって」
「あるだろうな。剣ってのは、手の癖に合わせて変わっていくもんだ。
名が刻まれてなくても、使い手の想いは自然と染みる」
グロルは真剣な目で《カザナギ》を見つめ、刃を光にかざした。
その目に迷いはなく――けれど、どこか優しさがあった。
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「この剣は、よく頑張ってる」
「……え?」
「傷だらけだが、折れてない。芯が通ってる。
お前みたいだな、フィン」
不意に言われて、フィンは少しだけ照れたように頬をかいた。
「……芯があるかは、自分じゃわからないけど」
「あるよ。昨日、それが見えた。
お前が“名を語った”あの時の声――あれは、ただの偶然じゃなかった」
グロルは《カザナギ》を作業台に置き、指で刃をなぞる。
「たぶん、この剣にも“名の種”が残ってる。
でもそれを育てるには、打ち直しじゃ足りねぇ」
「……じゃあ、どうすれば?」
「“名を託す”ってことを、やらなきゃならねぇ」
⸻
“名を託す”。
その言葉の重みに、フィンは小さく息をのんだ。
「それって……鍛冶師が、剣に“言葉”を送るってこと?」
「ああ。
でもな、単なる言葉じゃだめなんだ。
使い手と、鍛え手の両方が“想い”を通わせなきゃ、名にはならねぇ」
グロルは工房の天井を見上げて言った。
「俺の親父は、よく言ってたよ。
“語りってのは、伝えるためにあるんじゃねぇ。
誰かと一緒に“在る”ためにある”ってな」
⸻
フィンはその言葉を反芻した。
伝えるためじゃない――一緒に、在るため。
彼が今まで語ってきた名も、風も、想いも。
全部が、誰かのそばに寄り添いたくて、流れてきたものだったのかもしれない。
「グロルさん、じゃあ……その“託す”っての、今からできるんですか?」
「ああ」
グロルは《カザナギ》を手に取り、炉の火にかざす。
「ちょっとばかり時間はかかるがな。
俺の語りと、お前の想い。両方込めて、叩く」
ごぉ、と火がうなる。
「今日は一発目だ。……魂込めるぞ」
⸻
ガン。
一度目の打音が、炉の奥に響いた。
ガン。
二度目は、少しだけ高い音で。
三度目――
風が、また吹いた。
リナとノーラが工房の隅でじっとその様子を見守っている。
「ねえ、これ……普通の鍛冶じゃないよね?」
ノーラがぽつりと呟いた。
「うん。でも、だからいいんじゃない?」
リナが笑う。
「語りの火ってのは、きっと誰かの想いを燃やすもんさ」
⸻
フィンは、燃える火と、叩かれる剣の響きの中で、
ずっと握っていた《カザナギ》の“感触”を思い出していた。
いつかこの剣に、語れる名が宿ったら――
それはきっと、誰かのために、振るう時だ。
ガン――
ガン――ッ!
炎の中で鉄が赤く染まり、グロルの金槌がリズムよく打ち下ろされる。
「温度、よし……次、戻し打ちだ」
汗が額を伝い、声は低く、けれど確かな熱を持っていた。
剣はまだ形を保っている。
だがその奥――“名前”の気配は、まだぼんやりしていた。
(この剣に、“何か”が宿ろうとしてるのは分かる。けど……)
フィンは、燃え盛る炉の熱風の中で、自分の中の言葉を探していた。
(俺が、語らなきゃいけない)
⸻
「グロルさん、少し止めてもらえますか」
「……あ? ここで止めるのか?」
「今、“語り”たいんです。……この剣に、ちゃんと」
グロルはフィンをじっと見て、無言で頷いた。
金槌を下ろし、炉の火を落とさないように抑えつつ、作業を止める。
フィンは作業台の前に立ち、そっと手を伸ばした。
まだ赤熱を帯びた剣に、直接触れることはできない。
けれど、その柄のすぐ傍――風が、そこに集まっているのが分かる。
「……カザナギ」
語りかける。誰にも聞こえない声で。
「君は……俺の、はじまりの剣だ」
⸻
この剣を手にした最初の日。
何ができるかも分からず、ただ――誰かの役に立ちたい。
そんな思いだけで、フィンはこの剣を選び、握った。
戦うためじゃない。守るためでもない。
自分が、何者かになれる気がしたからだ。
「君と、ずっと歩いてきた。
語りながら、戦いながら、逃げながら、笑いながら」
風がひとすじ、炉の中を抜けた。
ふわり、と赤熱の中で火花が舞う。
⸻
「だから、もし――君が“名を持ちたい”と思ってるなら」
フィンは手を柄の上に添えるようにして、目を閉じた。
「俺は、語るよ。君の名。
それが、どんな名前になるかはまだ分からないけど――
きっと誰かに届く、“在る”ための言葉になるように」
その瞬間だった。
ごぉ、と炎がうなりを上げた。
工房中の空気が、一瞬にして震える。
そして、誰も口にしていない“音”が、壁を伝って響く。
グロルははっと目を見開いた。
「……今、鳴ったぞ」
「……え?」
「剣が、音を出したんだ。語りの剣だけが持つ、“名の呼び音”だ!」
フィンは思わず、柄に添えた手をぐっと握った。
剣は、震えていた。
⸻
リナとノーラが工房の入口から様子をうかがっていた。
「これ……もしかして“語りの剣”の目覚め?」
「まだ途中。でも……フィンの声が、届いたのかも」
⸻
グロルが、ゆっくりと金槌を取り上げた。
「さっきの響きで……剣の“芯”が動いた。
いま叩けば、その“名の響き”が……刃に通るかもしれん」
フィンは黙って、頷いた。
ガンッ!
再び金槌が振り下ろされる。
音は、最初よりも――高く澄んでいた。
ガンッ! ガンッ!
炎が踊り、風が抜け、火花が夜空の星のように飛び散る。
⸻
やがて――グロルが静かに手を止めた。
「……終わった。今回は“打ち起こし”までだが、確かに宿ったぞ」
剣を冷却槽に沈める。
じゅっ、と白い蒸気が立ち上り、工房中が一瞬だけ真っ白になった。
その中で、フィンはそっと目を閉じた。
(ありがとう、カザナギ)
⸻
剣はまだ、名前を告げてはいない。
けれど、それはもう――“語りかけられた剣”だった。
名を託す者と、名を待つ剣。
その間にある“風”が、今日、初めて吹いた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
《レイヴ=ハルド》という語られなかった剣の名が、フィンの語りによって再び風に乗ったことで、
彼の“語り手”としての成長と、仲間との絆が一段深まった回となりました。
また、鍛冶師グロルの再起や、《カザナギ》に芽生えた“名の兆し”も、今後の大きな伏線になります。
次回からは、旅の風景がまた一変します。
風と語りが導く次の出会いも、どうぞご期待ください!
物語を「面白い」「続きを読んでみたい」と感じていただけましたら、
評価ポイント・ブックマーク・リアクション・感想・レビューをお寄せいただけると嬉しいです。
読者の皆さまの声が、作者の筆を進める大きな原動力になります。
どうか応援のほど、よろしくお願いいたします。




