第14話:風を守る村
“語ること”が罪とされていた村――
風を信じた少年ユウと出会い、フィンたちは“語られなかった名”と向き合うことになります。
このエピソードは、「語りの力」が他者に届き、
そして“語る者”が生まれていく過程を描く、大きな転機でもあります。
旅の中で芽吹いた小さな声。
それが、やがて“王の語り”へと繋がっていく最初の一歩。
灰の地を越えた先に、小さな村があった。
村の名は――シズノ村。
谷間にひっそりと息づく集落で、風車が一基だけゆっくりと回っていた。
だが、その回転はどこか重く、風そのものが疲れているように見えた。
「……風が、ここを嫌ってる?」
ノーラが呟くように言った。
フィンは風の流れを感じながら、村に足を踏み入れた。
風が遠巻きに村を迂回している。まるで中に入りたがらないように。
「なにかある。風がここを“拒んでる”というより……“迷ってる”」
「語られたくないのか……それとも、語れないのか」
⸻
村の様子は静かだった。
人の姿はあっても、誰も話そうとせず、
視線は合わさず、笑い声ひとつ響かない。
「……空気、重いね」
リナが眉をひそめた。
宿屋も店もなく、唯一開いていたのは、村はずれの小さな祠。
そこにいたのは、一人の少年だった。
髪は風に乱れ、衣は土にまみれていたが、瞳は澄んでいた。
そして彼は、フィンたちを見るなり、叫んだ。
⸻
「あなたが、“風の剣”の人……ですか?」
⸻
フィンは言葉に詰まる。
「……“風の剣”?」
少年は、懐から折れた木の剣を取り出し、空にかざした。
「“風を切る剣を持つ語り手が、災いの風を払う”って……
この村に、そういう噂が来たんです。
誰も信じなかったけど……僕だけは……」
フィンは、胸の奥がざわつくのを感じた。
「……君の名前は?」
「ユウです。
“風が好き”ってだけで、村のみんなから遠巻きにされてます。
“風を気にしすぎると、災いを呼ぶ”って……
だから、僕、ずっと……喋っちゃダメって言われてた」
ノーラが息を呑んだ。
「この村……語ること自体が“禁忌”になってる……?」
⸻
話を聞いたところ、この村では十数年前に“風災”が起きたという。
突風で家が潰れ、怪我人が出た。
そのとき、誰かが言ったのだ。
「風に“名を語った”せいだ」
以来、村では“名前を語る”“風を読む”“語り継ぐ”という行為が、
全てタブーとされていた。
「……それで、声も、名も、封じたんだ」
フィンは静かに呟いた。
「でも、ユウだけは違った。
語ることを、風を……信じていたんだな」
ユウはうなずいた。
「風は怖くない。
風は……時々、“名前を呼んでくれる”んです」
⸻
その言葉に、フィンの中で何かが確かに共鳴した。
「……ユウ。君は、風と語る力を持ってる」
「えっ……?」
「教えてくれ。“風が、この村に何を伝えようとしてるか”」
ユウは目を閉じた。
風が、そっとその周囲を撫でる。
その流れに、小さな記憶が混じっていた。
かつて、村を覆った風の中に――“誰かの悲鳴”と、“助けたい”という声があった。
それは、災いではなかった。
助けを求めた声が、風に乗っただけだった。
だが、人々はその“叫び”を“呪い”と誤解し、封じた。
ユウの口が、震えながら開く。
「……風は、誰かを助けようとしてたんです。
でも……誰にも聞いてもらえなかった……」
⸻
フィンは剣を抜いた。
そして、村の中央の広場に立つ。
語る準備を始めた。
「語ろう。
語られなかった風の声を――
名を、思い出させるために」
風が、呼応した。
そのとき、遠くで鈍い鐘の音が鳴った。
それは、村の警鐘。
誰かが、村の外れに“災いの風”が戻ってきたと叫んでいた。
だが、ユウは震えながらも言った。
「違う。あれは……“守り風”です。
風が、この村を守りたがってるんです!」
フィンは頷いた。
「なら、俺は語る。
この村にとって“本当の風”が、なんだったかを――」
警鐘が鳴る。
乾いた音が谷間に響き、村中に不安が広がっていく。
「風が……また来たぞ!」
「語ったな! 誰が名を口にした!?」
ざわめきは、怒気に変わる。
広場に集まった村人たちは、恐れと怒りを混ぜた視線をユウに向けた。
「お前だな、ユウ! また風を呼び込んだのか!」
「母親もそうだった……“風に呪われてた”んだ……!」
ユウの肩が震える。
足がすくみ、言葉が喉に詰まる。
だが、誰かがその背を突き飛ばそうとしたその時――
風が、唸った。
ざああ――という音とともに、村の空気が変わる。
その中心に立つフィンが、静かに剣を地に突き立てた。
「これ以上、子どもに“封じた言葉の責任”を押しつけるな」
村人たちの口が、ぴたりと止まる。
⸻
ユウはゆっくりと顔を上げた。
目は涙で滲んでいた。
「僕……ずっと……
母さんのこと、“祟り”って呼ばれるのが、つらかった」
「でも、母さんはね……あの日、“家が崩れる”って風が教えてくれたって、叫んだんだ……!」
「助けようとしたのに……誰にも聞いてもらえなくて……
そのまま、風に巻かれて――死んじゃったんだ!」
村の空気が凍る。
誰も、声を出せない。
ユウの声が、風と共に響いた。
「それでも僕は……風が好きなんだ。
母さんが最後に話してたのは、風に向かってだった。
“お願い、誰かにこの名前を届けて”って……!」
⸻
老人の一人が、歯を食いしばった。
「……ワシは……あの日、何もできなかった……
“名前を語ったから災いが来た”――
そう思わなきゃ、怖くて……」
誰かが、後ずさる。
誰かが、泣きそうな顔で地面を見つめる。
フィンは、一歩、ユウの隣に立った。
「ユウ。語れ」
「え……?」
「語るべきなのは、俺じゃない。
君だ。
“語られなかった名”を、今、呼ぶのは――
君でなければ意味がない」
ユウは唇を噛む。
だが、拳を握り、声を震わせながら言った。
⸻
「……ミナリ。
僕の母さんの名前。
風は、あの日、母さんの声を運んでくれようとした。
誰にも届かなかったけど――
今は、聞いてくれる人がいるなら、僕は語る」
⸻
風が、再び唸った。
だがそれは、恐怖ではなかった。
静かで、優しくて、どこか……赦すような風だった。
村の風車が回り出す。
誰かが、息をのんだ。
「……風が……村の中心に戻ってきてる……」
「こんなに穏やかな風……何年ぶりだ……?」
老婆が、涙をこぼした。
「ミナリ……あの子は、いつも私の膝の下に座って、
“風に名前を乗せるのって楽しいね”って言ってた……
あの声が……今も、風に混ざってたんだね……」
⸻
一人が、膝をついた。
次々に、村人たちが頭を垂れる。
それは謝罪ではない。
“風に語られた名”を受け入れた証だった。
ユウは、両手で顔を覆いながら、泣いていた。
その肩を、フィンがそっと抱いた。
「君は、風を“守った”。
“語る”という行為が、こんなにも人の心を動かせる――
君が、それを最初に教えてくれた」
⸻
リナが小さく笑う。
「……王子様、いい仕事したね」
ノーラが目を伏せたまま、頷いた。
「言葉を封じた村が、初めて“語り”を許した瞬間……
その先に生まれるのは、きっと“未来の語り手”だよ」
⸻
その夜、村には久しぶりに灯りがともった。
風が家々を抜け、誰かの名を呼んでいく。
それは祟りでも、呪いでもなく――
語られたかった“想い”だった。
夜の村には、久しぶりに灯がともっていた。
誰も口にしなかった“名”が、
今は焚火のそばで、少しずつ語られ始めている。
「昔、ミナリがこんな歌を口ずさんでてね……」
「ユウは、よく風車の前で何か話してたっけなあ……」
まるで、堰を切ったように――
村人たちの声が、風に混ざっていた。
⸻
フィンは、村のはずれに腰を下ろしていた。
焚火の揺らぎの向こう、ユウがそっと近づいてくる。
「……フィンさん」
「うん」
「今日、母さんの名前を呼べて……良かったです。
でも、まだ胸が苦しくて……これで“良かった”って思っていいのか、わからないんです」
その言葉に、フィンは小さく頷いた。
「語るってのは、そういうもんだ。
“語ったから終わり”じゃない。
語ったあと、何を背負うか――そこから始まる」
ユウは黙って聞いていた。
「俺も、最初はただ“伝えたい”って思っただけだった。
でも、語るたびに“その名前の想い”を知って、
“語られる重さ”を、少しずつ覚えていった」
風が、ユウの前髪を撫でた。
「……じゃあ、僕も……これから、風に語られる人になれるでしょうか」
「なれるさ」
フィンは笑った。
「そのために、俺たちは旅をしてる。
語る者を増やすために。
語る者が増えた先に、“本当の世界”が見える気がするんだ」
⸻
リナが、遠くから声をかけてきた。
「フィーン、王子様って呼んでほしいの?」
「またそれか」
フィンが苦笑すると、リナは焚火に背を向けて手を振った。
「じゃあさ、“王になる練習”しときなよ。
“民を語りで導く”って、そういうことでしょ?」
ノーラも横に並ぶ。
「語られた者に責任を持つって、簡単じゃないよ。
でも、それが“語り王”っていう生き方だと思う」
⸻
ユウが、拳を握った。
「僕……この村を出ます。
もっといろんな“語られなかった名前”を知りたい。
風と語って……伝えていきたい」
フィンは静かに頷いた。
「なら、君に預けるよ。
“記章騎士団”――語られた名を守り、紡ぐ者たちの名を」
ユウの目が、驚きで見開かれる。
「ぼ、僕が……?」
「まだ見習いでも構わない。
でも、今日君が語った“名”は、
きっと風が永遠に運んでいく」
⸻
ユウは焚火の前で、まっすぐに頭を下げた。
「……ありがとうございます。
母さんの名前も、僕の名も、
風に乗せて、ずっと語り続けます」
その姿はまだ小さく、頼りない。
だが、確かに“風の語り手”としての芽が芽吹いていた。
そして――
焚火を越えた先、遠くの空で風が一筋だけ揺れた。
それは、新たな“名”を求めている風。
次の語りが、すぐそこに待っている。
朝の村は、静かだった。
だがそれは、昨日までの重苦しい“沈黙”ではない。
風が音を運び、言葉を揺らし、村の奥から小さな笑い声すら響いていた。
誰かが、誰かの名を呼ぶ。
それだけで、村が少しずつ温かくなるのがわかった。
「いい空気だな」
リナが空を仰ぎながら呟く。
ノーラも穏やかに微笑んだ。
「風が“語りを通れるようになった”って、言ってるみたい」
⸻
村の入り口。
旅支度を終えたフィンたちを、ユウが見送りに来ていた。
背には、小さな革の袋。
中には、母・ミナリの名を刻んだ石片と、風車の羽根の欠片。
そして手には、フィンが村で修復した“木剣”が握られていた。
「行くんですね」
「ああ」
フィンはユウと視線を合わせる。
「この村を救ったのは、俺じゃない。
君だ。
君が語ったから、風が戻った。
だから、もう“ここにいるだけの子”じゃない」
ユウは唇を引き結び、うなずいた。
「僕、もっと語りたいです。
母さんの名前だけじゃなく、風の声も、人の想いも。
だから……いつかまた、“旅”に出られる日まで、
ここで語りを守ってます」
「その日が来たら、君を“騎士団”に迎えるよ」
「記章騎士団……!」
ユウの目が輝く。
「語りを守り、名を継ぐ者たち――
その名前に、僕の語りを重ねられるように……頑張ります」
⸻
フィンが背を向けると、村の長老たちが小さく頭を下げた。
「……ありがとうな。
あんたの“語り”がなきゃ、
ワシらは永遠に風と目を合わせられんままだった」
フィンは、首を横に振る。
「語られたくない過去ってのは、誰にもある。
でも、風は忘れない。
だったら、俺はその風と共に語るだけです」
ノーラが風の流れを読むように手をかざす。
「……西だね。
風が次に“語ってほしいもの”を探してる」
「なら、行こうか」
リナが肩を軽く回しながら笑う。
「“王子様”の旅は、まだ始まったばかりだからね」
⸻
三人はゆっくりと村を後にした。
振り返れば、ユウが風に手をかざしていた。
それは、風と語る者が使う“さよなら”の合図。
フィンも、剣を軽く持ち上げて応えた。
風が、再び彼らの背を押す。
⸻
その夜、遥か東の高台。
フードをかぶった何者かが、風に耳を澄ませていた。
「……“語りの風”が動いたな」
背後には、黒衣の者たちが控えている。
「愚かな村がひとつ、“語り”を許したか。
では、抑え込まねばなるまい――語りの王を生む前に」
その言葉に応じて、空に黒い鳥が放たれた。
語ることは、まだ“全ての地で許されたわけではない”。
風は広がる。
語る旅は、静かに――世界を動かし始めていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
第14話では、“語ることを恐れていた村”が、
“名を語ることの意味”に触れることで、少しずつ変わっていく様子を描きました。
ユウという次世代の語り手が現れたこと、
村人たちが“語る責任”と“赦し”に触れたこと、
そして風が再び村を通ったこと――
それらは、フィンの語りがただの力ではなく、
“誰かの想いを繋ぐ行為”になっている証でもあります。
次回からは、新たな仲間と出会い、
“語られなかった技術”――そして“剣”にまつわる物語へと進みます。
引き続き、よろしくお願いします!