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122話:風の塔・名を結ぶ試練

今回の更新では、ついに三本尖塔のうち一本目――風の塔への到達を描きます。

断崖沿いの細い道、全身を叩く山風、そして“名乗った者だけが通れる”という謎の儀式。

セリア、リナ、フィン、それぞれが自分の言葉で名を名乗り、試練の第一関門を突破する場面は、この旅の「在り方」をもう一度確認するシーンになっています。

塔内部での水面の映像、現れた一文字〈結〉は、泉での啓示と呼応する要素であり、これから先の道筋を暗示しています。

夜明け前の山道は、まだ冷たい。

 吐く息が白く立ち上り、空の端にはかすかな青が滲み始めていた。風の塔を後にした三人は、切り立った崖の縁に沿って続く細い道を進んでいた。岩肌は夜露で湿り、足を踏み外せば谷底まで真っ逆さま――そんな場所で、足音は岩に吸い込まれるように響いている。


 「……やっぱり、ここ、嫌い」

 セリアが肩をすくめながらぼそっと言った。

 「足元、ずっと見てないと落ちそうだし、風が耳の中まで吹き抜けてくるし……」


 「文句言うなら、もうちょっと足を上げて歩きなさいよ」

 先を行くリナが振り返る。

 「ほら、そこ、岩が割れてる。踏んだら靴底ごと抜けるわよ」


 「……うぅ。こういうの、やっぱり冒険者向いてないんじゃないかな、あたし」

 「今さら何を言ってるの。泉の試練まで突破した子が」

 「それは……フィンがいたから、でしょ」


 名前を出されたフィンは、無言で小さく笑った。

 「そうかもしれないけど……でも、セリアの声がなかったら、あの扉は開かなかったよ」

 「……うん」セリアは小さく頷いたが、すぐにまた足元を見つめ直した。


 道の先、朝霧が谷底からせり上がってくる。白い靄が足首のあたりを撫で、岩肌の色をぼやかしていく。

 やがて、斜面を回り込んだ先に、小さな石の休憩所が現れた。風除けの壁と、腰掛けになりそうな石段がある。三人はそこに腰を下ろし、一息ついた。


 「……で、次の“峰”って、どのくらいで着くんだ?」

 フィンの問いに、リナが地図を広げる。

 「この山脈を越えて、さらに北東に半日。だけど問題はここから――」

 地図上に記された赤い線が、途中で大きく曲がりくねっている。

 「三尖の峰の手前にある谷……橋が崩れてるって、ここに書いてある」


 「じゃあ、どうするの?」セリアが眉をひそめる。

 「迂回路はあるけど、一日以上かかる。それに、野営地が少ないから危険も増える」

 「……橋を直すって選択肢は?」

 「崩れてるのが表面だけなら、板を渡して何とかなるかも。でも基礎から落ちてたら……」


 そこで、セリアがふっと笑った。

 「じゃあ、やってみよ。どうせ行ってみないと分かんないし」

 「やる気出たわね」リナが呆れたように笑う。

 「だって……こうやって、何かを一緒に乗り越えるの、ちょっと楽しいから」


 フィンはその言葉を静かに受け止めた。

 (確かに……試練の場でも、こういう時でも、結局は“誰かと一緒”だから前に進めるんだ)


 休憩を終えた三人は再び歩き出す。風は相変わらず強く、時折身体を押し戻そうとする。崖下には、太陽の光を反射する細い川が蛇行して流れていた。

 「……あれ、下の川、すごく透き通ってる」セリアが身を乗り出す。

 「落ちたら綺麗どころじゃ済まないわよ」リナがすかさず袖を引いた。

 「わかってるってば。でも……ああいう水の色、久しぶりに見た」

 「里の近くの泉と似てる?」フィンが尋ねる。

 「……うん、ちょっとだけ」


 そんな会話をしながら進むうち、前方に細い影が見えた。

 山肌に張り付くように架けられた木の橋――おそらく地図にあった崩れた橋だ。

近づくにつれ、橋の状態がはっきりと見えてきた。

 木板は所々で裂け、支柱の一本は折れて谷底に落ちている。残った板も黒く変色し、表面は海綿のようにぼろぼろだ。


 「……こりゃひどい」リナが低く呟く。

 「半分以上、足場がないじゃない」


 フィンはしゃがみ込み、橋の根元に手を触れる。

 「湿ってるな……夜露だけじゃない。谷から上がる霧で常に濡れてるんだ」

 「つまり、腐ってるってこと?」セリアが顔をしかめる。

 「そうだ。踏み込めば崩れるかもしれない」


 足元から吹き上げる風が、靴の縁を冷たく撫でた。下を覗くと、霞の切れ間に銀色の水面が遠く見え、流れが光を返していた。


 「……ここを渡らないと、峰に行けないんだよね?」セリアが小声で確認する。

 「最短ルートは、な」リナが答える。

 「無理そうなら、迂回してもいい」フィンが補足したが、声には迷いがあった。


 「……やってみよ」セリアが唐突に言った。

 「えっ?」リナが目を瞬かせる。

 「だって、行けるかもしれないでしょ。あたし、軽いし」

 「そういう問題じゃないの」リナは即座に否定する。

 「橋が崩れたら、軽いも重いも関係ないわ。下まで真っ逆さまよ」


 フィンは二人の間に入るように立ち、橋の全体を見回した。

 「……板はだめだが、支えの縄はまだ生きてる。二人はここで待っててくれ。俺が渡って確認する」


 「ちょっと待って」リナが腕を組む。

 「何よ、その“危ないのは俺だけがやればいい”みたいな顔」

 「顔じゃなくて事実だ」フィンは軽く笑うが、その笑みに温度はなかった。


 セリアは俯き、指先で杖の先を握り締めた。

 「……あたしも、行く」

 「セリア?」

 「魔法で補助できるかもしれない。もし板が割れそうになったら、氷で固めるとか」

 「でも――」

 「一人だけ残る方が怖いよ」セリアは強い声で遮った。


 リナはしばらく二人を見比べ、それから小さく息を吐いた。

 「……分かったわ。ただし、渡るのは二人まで。私はこっちで縄を固定しておく」


 フィンとセリアは頷き、橋の入り口に立った。足を乗せると、木板がわずかに沈み、古びた音を立てる。

 風が吹くたび、橋は軋み、谷底から冷たい湿気が上がってきた。


 一歩、二歩。

 セリアの靴が板の隙間を踏み、ぐらりと揺れる。

 「っ……!」

 「大丈夫か」フィンが素早く腕を取った。

 「う、うん……でも、これ、本当に怖い」

 「あと少しだ。焦るな」


 橋の中央まで来た時、下から突風が吹き上げた。板が悲鳴を上げるようにきしみ、縄が震える。

 「フィン!」後方のリナの声が風にかき消される。


 その瞬間、足元の板が裂け、セリアの片足が空を踏んだ。

 「――っ!」

 フィンが咄嗟に彼女を引き寄せる。

 セリアは杖を掲げ、短く詠唱した。

 「《フリーズ・ロック》!」

 冷気が足元に走り、割れた板の隙間を凍りつかせる。


 「……助かった」フィンが息をつく。

 セリアは笑おうとしたが、頬が引きつっていた。

 「はは……こういうの、心臓に悪い」

 「渡ったら甘いものでも食べよう」

 「……約束だからね」


 やっとのことで対岸にたどり着く。フィンは支えの縄を新しい杭に結び直し、橋の片側を固定した。

 向こう岸のリナに手を振る。

 「縄はしっかり結んだ! これで渡れる!」

 「了解!」リナが答え、慎重に歩を進め始めた。


 三人がそろった時、東の空に太陽が顔を出し、霧が金色に染まった。

 その光景を背に、彼らは再び北東の峰を目指して歩き出した。

橋を渡りきった三人は、再び北東の峰を目指して歩みを進めた。

 霧は薄くなったが、風はむしろ強まっている。足元の道は岩肌がむき出しで、苔が斑に貼りつき、時折、踏み込むたびにぬめりが靴底にまとわりついた。


 「……これ、滑りそう」セリアが慎重に足を置きながら呟く。

 「踏み込みを浅くして、重心を低くしろ」フィンが前から声をかける。

 「……重心って、そんなに低くできないよ。あたし小さいし」

 「そこは利点だろ」リナが笑い混じりに言った。


 冗談を交わしながらも、視線は常に足元と周囲に配っている。

 山道の両側には鋭い岩が突き出し、その隙間からは強風が音を立てて吹き抜けていた。まるで笛のような高音と、低く唸るような音が混じり、耳の奥を震わせる。


 「……あの音、何か言ってるみたい」セリアが足を止め、耳を澄ませた。

 フィンも風下に顔を向ける。確かに、風が岩の裂け目を通るとき、一瞬だけ言葉のような響きが混ざっていた。


 「聞こえるか?」

 「うん……“進め”って言ってる……ような……」

 「錯覚かもしれないけどな」リナが淡々と返す。

 「でも、こういう場所での“錯覚”って、わりと危ないのよ」


 その言葉どおり、山道は突然途切れ、小さな崖になっていた。下を覗くと、黒々とした岩が露出し、その間を白い水流が勢いよく走っている。落ちれば助からない高さだ。


 「……道が崩れてる」フィンが低く言う。

 「どうする? 飛び越えるには……ちょっと距離あるわよ」リナが測るように視線を動かした。

 セリアは崖の縁まで行き、周囲を見回す。

 「迂回路、ないみたい……この先、谷を回り込む道は全部崩れてる」


 フィンは腰の剣に手をかけ、しばらく考え込んだ。

 「……縄橋を作るか。あの橋で使った残りの縄がまだある」

 「でも、支える杭を打つ場所がない」リナが反対側を指す。向こう岸は岩壁がほとんど垂直にそびえている。

 「じゃあ、こっちから向こうに投げて、岩の突起に引っかける」フィンは迷いなく答えた。


 「……やるなら急ごう。風が強くなる前に」リナが頷く。


 フィンは鞄から縄を取り出し、先端に小さな金属の鉤を結びつける。

 「セリア、風を読んでくれ。突風が止まった瞬間に投げる」

 「う、うん……」セリアは目を閉じ、頬や耳に当たる風の変化に集中した。

 やがて、風が一瞬だけ和らぐ。

 「今!」


 フィンが腕を振り抜き、縄の先が放物線を描く。鉤は見事に岩の突起に引っかかり、軽い金属音が響いた。

 「……よし」フィンが手首で確かめ、縄を二重に固定する。


 「私が先に行く」リナが言い、縄に足を掛けて身体を支えながら向こう岸へ渡る。途中で風が吹き上がるが、彼女は体重を低く保ち、岩壁を蹴って安定を保った。

 無事に着地したリナが親指を立てる。

 「次、セリア」

 「うわ……やっぱり怖い」

 「俺が支える。足元を見ずに、前だけ見ろ」フィンが声をかける。


 セリアは震える手で縄を掴み、慎重に進む。途中で突風に煽られたが、フィンの手が腰を支えたおかげで落ちることなく渡りきった。

 最後にフィンが軽く縄を弾き、岩壁を蹴って飛び越える。着地の瞬間、背後で岩が崩れ、渡ってきた場所が谷底へ消えていった。


 「……危なかった」リナが息を吐く。

 「もしあのまま迷ってたら、全員あの下だな」フィンが答える。

 セリアは膝に手をつき、荒く息をつきながらも笑った。

 「ねえ……これ、もう試練始まってない?」

 「かもな」フィンが笑い返す。


 三人は再び歩き出す。風は相変わらず強く、空には灰色の雲が低く垂れ込めていた。

 だが、その奥に、次の目的地――三尖の峰の輪郭が、はっきりと見え始めていた。

谷を越えてからも、風は一向に弱まらなかった。

 むしろ山肌を回り込むごとに、その勢いは増していく。髪や外套が翻り、靴底の感覚が時折宙に浮くように感じられる。


 「……ねえ、あれ」セリアが前方を指差した。

 岩の尾根の向こうに、灰色の塔のような影が覗いていた。だが、近づくほどに、それが自然の岩ではなく人工の構造物であることが分かってくる。


 「……尖塔だな」フィンが目を細める。

 「三本のうちの一本、ってわけか」リナが顎をしゃくった。


 塔の周囲は断崖で囲まれ、唯一伸びている細い岩道は、風の通り道になっているらしく常に白い霧が渦を巻いていた。


 「この道……幅、狭いな」セリアが足を止める。

 「半歩間違えば落ちる。しかも風は真正面から」リナが短く息を吐く。

 フィンは剣の鞘に手をやり、背後の幼竜の存在を意識する。

 (……温度を、保てるか)

 剣からじんわりと伝わる熱が、足元の岩に霜が張るのを防いでくれる。


 「フィン、先頭行くの?」

 「ああ。俺が風を切る。二人は背中から離れるな」


 そうして、三人は一列になって進み始めた。

 足元は乾いた岩と、ところどころ黒く濡れた箇所が交互に現れる。風が岩壁を叩くたび、低い振動が足裏に伝わった。


 「……何か聞こえない?」セリアがまた耳を澄ませた。

 「さっきの谷と同じだな」フィンが答える。

 「違うわ。今度は“試す”って……そんなふうに聞こえる」


 その直後、塔の入り口付近から影が現れた。

 全身を風にたなびかせるような灰色の衣。顔は布で覆われ、手には長い槍を持っている。

 「来訪者か……」低く、それでいて風の音に溶ける声。


 「門を通るなら――名を名乗れ」


 フィンは足を止め、二人と視線を交わす。

 「……ここでも“名”か」リナが小声で言った。

 「選ばれたのは名乗った者……って、泉での言葉と同じだ」セリアが囁く。


 フィンは一歩前に出た。

 「フィン。ホビットの里の出身……だが、今は旅の者だ」

 影の男は一瞬沈黙し、微かに首を傾けた。

 「……次」


 リナが剣の切っ先を軽く下げながら進み出る。

 「リナ。傭兵……いや、今は仲間を守る剣だ」


 最後に、セリアが一歩踏み出す。

 「セリア。……ただのエルフの子。でも、友達を守りたい」


 風が、一瞬だけぴたりと止んだ。

 影の男は槍を地に突き立て、道の中央から退いた。

 「通れ。名乗った者よ」


 三人が塔の中へ足を踏み入れると、背後で入口の石扉が音もなく閉まった。

 「……閉じ込められた?」セリアが不安げに振り返る。

 「いや、これは……」フィンは耳を澄ます。

 中は外の風が嘘のように静かだった。


 だが、その静寂の中に、低く響く鼓動のような音が混じっていた。

 塔の壁には螺旋状の階段が上へと続き、ところどころに古い紋章が刻まれている。

 「この紋章……聖精の泉の奥で見たやつと似てる」リナが指でなぞった。

 「やっぱり、全部つながってるんだ」セリアが息をのむ。


 階段を上るにつれ、鼓動の音は強くなる。

 やがて最上部にたどり着くと、そこは広い円形の間になっていた。

 中央には、透明な水を湛えた小さな池。その周囲に、三本の石柱が円を描くように立っている。


 「……また水だ」フィンが呟く。

 その水面が、三人の姿を映したかと思うと、ふいに揺れ、全く別の映像を映し出した。


 それは――荒野を駆ける無数の影。黒い風のように広がるそれらの中心に、巨大な尖塔がそびえている。

 「これって……この塔?」セリアが映像と現実を見比べる。

 「いや……もっと大きい。たぶん、これから向かう先だ」フィンの声に、リナも頷く。


 水面が再び揺れ、今度は一文字だけが浮かび上がった。

 〈結〉

 その瞬間、塔全体に風が吹き抜け、三人の外套を大きくはためかせた。


 「……試練は、まだ始まったばかりらしいな」フィンが剣の柄に手を置く。

 「上等よ」リナが笑う。

 「……あたしも、もう怖くない」セリアが小さく頷く。


 三人は水面に背を向け、塔を後にした。

 外に出ると、夕暮れの山地に長い影が伸び、その先に残り二本の尖塔が霞んで見えていた。

風の塔は三本の尖塔の中でも、もっとも“道”そのものが試練となる場所でした。

今回描いた名乗りの儀は、泉での示唆がいよいよ現実になった瞬間であり、三人が対等な仲間として名を響かせた象徴的なシーンです。

〈結〉という文字が何を意味するのか――単なる“結び”か、それとももっと深い契約や運命の結節なのか。

次回からは残る二本の尖塔に向かい、風の塔で得た鍵と啓示をどう使うのかが問われます。

感想・考察・予想、特に“名を名乗る”ことの意味や、〈結〉に込められた解釈について、ぜひお寄せください。

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