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118話:尖塔へ至る風、交わす言葉

前回、聖精の泉の奥に眠る小祠で〈三声を揃えよ〉の試練を越えたフィン、セリア、リナ。

 三人がそれぞれの“在り方”――セリアは「名前で呼ぶ」、リナは「守る」、フィンは「届ける」を言葉にし、消えかけの記録へ楔を打ったことで封印の門は開きました。

 現れたのは、風の強い山地と三本の尖塔を描く光の地図。次なる目的地と、新たな試練の予告です。


 今回、港町に戻った一行は国賓としての立場を保ちつつも、尖塔遺跡へ向かうための準備を始めます。

 その中で交わされるセリアとリナの会話は、戦いの作戦だけでなく、お互いの心の奥底にある本音へと触れていく――。

夜の帳が山間の谷を覆い始めると、泉のほとりには焚き火の橙色の光が揺らめいた。日中は水面に降り注いでいた陽射しも、今は高い木々の影に隠れ、あたり一帯がしっとりとした冷気に包まれている。


 フィンは小さく息を吐き、泉の水で濡らした布を首元に当てた。あの小祠での出来事――結界が解け、光の地図が現れた瞬間の感覚が、まだ指先に残っているような気がする。


 「今日はここで野営だな。次の目的地までは……どう見ても今から動くのは無理だ」


 地図を広げたままのフィンの声に、リナが頷きながら焚き火に薪をくべた。ぱちり、と乾いた音とともに火の粉が舞い上がり、闇の中で瞬く。


 「そうね。泉から少し離れれば動物も寄ってこないだろうし……ここなら夜襲も受けにくい」


 その横で、セリアは水筒を抱えて泉にしゃがみ込み、慎重に水を汲んでいた。焚き火の光に照らされた横顔は、どこか考え込むような陰を落としている。


 「セリア、何か気になることでもあるのか?」


 フィンの問いに、少女は小さく肩をすくめた。


 「……あの祠、どうしてあたしまで“声”を求められたのかなって。あたし、ただの……」


 言葉の続きは、かすれるように小さくなった。元奴隷――その過去をあえて口にしなくても、二人には伝わってしまう。


 「セリア」


 焚き火越しに、リナが静かな声で呼びかけた。


 「さっきの祠で、あんたが名乗ったでしょ。あれが鍵だったのよ。身分とか、過去とか、関係ない」


 「……でも」


 「でもじゃない。あれは、あんたが“ここにいる”って証だったの」


 リナの目は、炎に照らされてもなお鋭く光っていた。剣士としての真っすぐな視線が、セリアの迷いを正面から射抜く。


 フィンも口を開く。


 「俺もそう思う。あそこでセリアが名を言わなかったら、あの門は開かなかった」


 「……ほんとに?」


 「ほんとだ。あれは三人でやったことだ」


 セリアはしばらく黙っていたが、やがて小さく笑みを浮かべた。ほんの少し、安堵の色が混じる。


 焚き火の音だけが、三人の間に静かに流れた。


 やがてリナが、薪の束から一本を引き抜き、火に突き立てながら話を変える。


 「それで、次の目的地……あの地図に出てた三本の尖塔。山地の奥みたいだけど」


 「地形の感じからすると、風の環の領域だと思う。山越えが必要になる」


 フィンは地図に指を滑らせ、等高線の細かい部分を示した。


 「ここから北東に二日。途中の峠は風が強くて、荷物持ちにはきつい道だ」


 「だったら、先に装備を軽くした方がいいわね。泉で水を補給できたのは助かったけど……食料は?」


 「残り三日分。山越えには足りるが、尖塔の遺跡で何日か足止めされることを考えると心もとない」


 セリアが、焚き火にかけた小鍋の中身を木杓子でかき混ぜながら口を挟む。


 「だったら、道中で獲れそうなもので足すしかないよ。魚とか、山菜とか」


 「獲れるのか?」とフィンが半ば冗談めかして聞くと、セリアは唇を尖らせた。


 「獲れるもん。……奴隷だった頃は、山の中で食べられるもの、いっぱい覚えたんだから」


 その言葉に、焚き火の向こうでリナが少し眉を下げる。過去の痛みが混じった自慢――それを軽く流すことは、彼女にはできなかった。


 「……じゃあ、あんたの知識、頼りにさせてもらうわ」


 「うん」


 夜が更け、星が天頂に昇るころ、三人は交代で見張りを立てながら休むことにした。泉の水音と、焚き火のはぜる音だけが響く夜。


 フィンは背を丸め、剣を手元に置いて半ばうつらうつらと目を閉じた。その耳には、遠くで風が笛のように鳴く音がかすかに届いていた――まるで、これから向かう山地が呼んでいるかのように。

昼下がりの謁見室。高い天井から吊るされた水晶灯が、柔らかな光を白大理石の床へと落とし、磨かれた石面に淡く反射していた。窓の外では、城下町の遠いざわめきと、庭園の噴水の水音が混じり合って響いてくる。


 フィンたちは国賓として滞在している身でありながら、今日は王城の奥深く、王直属の執務室へと呼び出されていた。重厚な扉を押し開けると、室内には既に数名の高官が待機しており、その中央で背筋を伸ばして立っていたのは、王直属の近衛隊長マルクスだった。


 「よく来てくれたな、フィン殿」

 低く落ち着いた声が響く。彼は一歩踏み出すと、真剣な面持ちで彼らを見渡した。


 「例の港の防衛戦……あれで君たちがいなければ、被害は倍では済まなかったと、陛下も仰っていたよ」


 フィンは少しだけ眉をひそめ、肩を竦める。

 「あの時はただ必死だっただけです。港を守らなければ交易路が止まってしまうし、あそこで踏みとどまれなかったら王都にも被害が及んでいたでしょう」


 傍らでリナが腕を組み、軽く鼻を鳴らす。

 「必死って言う割には、あんた、最後まで一歩も引かなかったじゃない。あれ、普通の人間なら逃げてるわよ」


 セリアは椅子の端にちょこんと座り、二人のやり取りを目で追っていた。

 「……でも、あの時の波の音とか、船の揺れる感じ、まだ覚えてるよ。怖かったけど……みんながいたから平気だった」


 マルクスは微かに頷き、机の上の書類を手に取った。

 「実は、港の防衛戦以降、沿岸地域での警戒態勢が引き上げられている。海路を狙う魔物や賊の動きが活発化しているらしい。そこでだ――君たちにも協力を頼みたい案件がある」


 フィンは視線を向け、手短に続きを促す。

 「案件?」


 「ある密輸ルートを潰す。最近、港に入るはずのない積荷が幾度も検問をすり抜けている。それが魔物の活動域と一致しているんだ」


 リナが片眉を上げる。

 「つまり、魔物の背後に人間がいるってわけ?」


 「可能性は高い」

 マルクスは即答した。その目は鋭く、ためらいがなかった。


 フィンは椅子から少し前のめりになり、ゆっくりと息を吸った。

 「わかりました。港での戦いで貸しも作ったんだ。やれることはやります」


 セリアが心配そうに彼を見上げる。

 「でも……フィン、また危ない目にあうんじゃないの?」


 「大丈夫だ」

 フィンは短く答えると、セリアの頭に手を置いた。

 「お前が見張っててくれるだろ? 俺が変な無茶しないように」


 セリアは口をすぼめてから、こくりと頷いた。

 「うん……でもちゃんと約束だよ」


 リナはそんな二人を見て、わざとらしく溜息をつく。

 「まったく、どっちが子供かわからないわね」


 場の空気が少しだけ和らいだところで、マルクスが地図を広げた。そこには港と周辺海域、そして内陸へと続く交易路が細かく描かれている。

 「潜入経路は二つ。表から堂々と入るか、密輸人が使っているという裏路地を通るかだ。後者は狭く暗いが、見張りは少ない」


 フィンは地図を覗き込みながら考え込む。

 「……裏路地だな。正面から行けば相手も構えるし、港の人間にも無用な心配をかける」


 リナも頷いた。

 「それに、裏路地なら動きやすい。狭い方が私たち向きでしょ」


 セリアは少しだけ不安げな表情を浮かべたが、それ以上は口を挟まなかった。


 こうして、彼らは再び港へ向かうことになる――かつて命を懸けて守った場所へ。

 その背中に、あの日の潮の匂いと戦いの記憶が、静かに重なっていった。

王城を後にしたフィンたちは、港町へ向かう馬車に揺られていた。


 冬の冷たい潮風が窓から吹き込み、頬を刺すような冷たさが肌を切る。海の匂いはかつての戦いの日を鮮やかに蘇らせた。船板を叩く波の音、潮に混じる火薬の臭い、そして耳をつんざく怒号――それらがまるで昨日のことのように、心の奥底でざわめいていた。


 セリアは窓の外を見つめたまま、小さな声で呟く。

 「……あの日と同じ匂いがする」


 フィンは彼女の方へ視線を向けた。

 「怖いか?」


 「ううん……怖いっていうより、変な感じ。あの時、すごく怖かったはずなのに、今は……また同じ場所に行くって思うと、少しだけ楽しみでもある」


 リナが前の座席から振り向き、口の端を上げた。

 「それは、セリアもちゃんと戦える自信がついたってことじゃない?」


 セリアは一瞬だけ目を丸くし、やがて小さく笑った。

 「そうかもしれない……」


 馬車は港町に近づくにつれ、周囲の景色が変わっていった。広い道沿いには倉庫や造船所が並び、海鳥が空を横切っては甲高い声を上げる。遠くには、大きな帆を下ろした商船がいくつも碇を下ろしており、その甲板には人影が忙しなく動いていた。


 到着すると、マルクスの部下が既に待機していた。鎧の表面に塩が白くこびりつき、長い任務の疲れが顔に刻まれている。

 「こちらへ」

 短い案内の後、彼らは港の裏手にある細い路地へと案内された。


 そこは日が差し込みにくい薄暗い通りで、石畳の隙間からは海水混じりの湿った空気が立ち上っていた。壁には古い漁網や割れた樽が積まれ、足元には小さな貝殻が散らばっている。


 「ここが密輸人の使う抜け道か……」

 フィンは声を潜めながら周囲を観察する。


 「見張りはいないみたいね」

 リナが腰の剣を軽く叩き、先へ進む準備を整えた。


 しかし、セリアは壁際の古い木箱に目を止めた。

 「これ……最近運ばれたものだよ。木の表面がまだ新しい」


 フィンは頷き、箱の蓋を慎重に開ける。中には乾燥した薬草の束がぎっしりと詰まっていた。しかし、その下に隠されるように金属製の筒が数本、布で包まれている。


 「……火薬だ」

 フィンの声が低くなる。


 リナは口元を引き結び、視線を鋭くした。

 「港を襲った時と同じ手口……海からじゃなく、陸からも火力を持ち込んでたのね」


 セリアが小さく息を呑む。

 「じゃあ、この薬草は……ただの偽装?」


 「そうだろうな」

 フィンは箱を閉じ、静かに立ち上がる。

 「この情報はすぐにマルクス隊長に渡す。だが――」


 その時、路地の奥から足音が響いた。複数だ。乾いた靴音が石畳を叩き、低い笑い声が混じっている。


 フィンは素早くセリアを壁際に押しやり、リナと目で合図を交わす。

 現れたのは粗末な外套をまとった男たち三人。肩には荷袋を担ぎ、腰には短剣を差している。


 「こんな所で何してやがる?」

 先頭の男が警戒の色を浮かべながら問いかける。


 フィンは一歩前へ出て、落ち着いた声で答えた。

 「ただの旅人だ。道に迷ってな」


 「……港町で迷う奴なんざいねぇよ」

 男たちの視線が鋭くなった瞬間、リナが動いた。彼女は足元の石を蹴り上げ、その隙に間合いを詰めて剣の切っ先を男の喉元へ突きつける。


 「質問に答えるのはあんたたちの方よ。密輸品はどこに隠してる?」


 「くっ……!」

 男たちは一瞬だけ抵抗しようとしたが、フィンが背後を押さえ、セリアが詠唱を開始したことで動きを封じられた。


 やがて一人が観念したように肩を落とし、視線を逸らした。

 「……港の倉庫だ。北の桟橋の奥、古い石造りのやつだ」


 フィンは頷き、男たちを縄で縛ると、マルクスの部下へ引き渡した。

 海風が再び頬を撫でる。冷たさの中に、次なる戦いの匂いが混じっていた。


 「行くぞ。倉庫を押さえれば、この港の安全は取り戻せる」

 フィンの言葉に、リナとセリアは力強く頷いた。

北の桟橋は、冬の海風がまともに吹き付ける場所だった。

 波が護岸を打ち、白い飛沫が暗い石畳を濡らす。夕暮れが近づき、空は灰色に沈みつつあったが、その中で一際黒々とそびえる建物が見えた。古い石造りの倉庫――男たちが吐いた場所だ。


 倉庫は長年潮風に晒されてきたせいか、壁面は苔むし、鉄製の扉には赤茶けた錆が浮いている。近づくと、古木を焦がしたような匂いと、かすかな油の臭気が鼻を突いた。


 リナが剣を抜き、低く囁く。

 「中に何人いるか分からない。油断しないで」


 フィンは頷き、セリアに目をやる。

 「魔法の準備はできてるか?」


 セリアは杖を握りしめ、小さく頷いた。

 「いつでも……」


 扉の前で息を整えた瞬間、倉庫の中から金属がぶつかる音が響いた。気配は複数――そして、ただの荷役ではない、重く鋭い殺気が混じっている。


 フィンは合図を送り、リナが扉を蹴破った。

 軋む音とともに、冷たい海の空気が倉庫内に流れ込む。


 中は暗く、所々に置かれたランタンの光が床の木箱や樽を照らしている。影が揺れ、その中から数人の男たちが振り返った。武器は短剣、棍棒、そして――一人は火縄銃を構えている。


 「侵入者だ!」

 叫びと同時に、火薬の匂いが立ち込めた。


 フィンはすぐに低く身を沈め、銃口の閃光をかわす。背後の木箱が弾丸で砕け、木片が飛び散った。

 「リナ、左!」

 「任せなさい!」


 リナは滑るように床を蹴り、棍棒を構えた男の懐へ踏み込むと、剣の平で腕を打ち払った。武器が落ちる音が響き、そのまま男の顎に膝蹴りを叩き込む。


 反対側では、セリアが詠唱を終えた。

 「《フリーズ・ランス》!」


 青白い氷の槍が空気を裂き、火縄銃を構えた男の腕を貫く。銃が床に落ち、火薬が散る。男が悲鳴を上げて倒れ込む間に、フィンは残る敵へ駆けた。


 足元の木箱を踏み台にして跳び、剣を逆手に構えて肩口へ叩きつける。鈍い衝撃と共に男が崩れ落ち、床の埃が舞い上がる。


 やがて、倉庫内に響くのは短い息遣いと波の音だけになった。


 「……全員、無力化したな」

 フィンが息を吐きながら辺りを見回す。


 しかし、リナが眉をひそめる。

 「まだ終わってないわ。見て」


 彼女が示したのは、倉庫奥の大きな帆布に覆われた山だった。フィンが帆布をめくると、中から現れたのは大量の火薬樽、金属製の弾丸箱、そして細長い木箱――蓋を開けると、中には銀色に光る短銃が並んでいる。


 「……これだけの武器を、どこに運ぶつもりだったんだ」

 セリアの声が震える。


 フィンは短く答える。

 「港の防衛戦の時と同じだ。街を混乱させ、その隙に何かを奪うつもりだったんだろう」


 リナが倉庫の裏口を確認する。そこは海に面しており、小さな桟橋にボートが二隻繋がれていた。

 「海から運び出すつもりだったのね」


 フィンは頷き、倉庫の扉を全て閉めて錠を掛けた。

 「マルクス隊長に報告だ。これで港の安全は確保できる」


 港を出ると、空はすっかり暮れかけ、遠くに灯る漁火が揺れていた。潮風は冷たいが、胸の奥には確かな安堵が広がっていた。


 セリアがふと笑みを浮かべる。

 「なんだか……少しだけ、あの時よりも自分が強くなれた気がする」


 リナが肩を軽く叩く。

 「そうよ。あの港防衛戦を生き抜いたんだから、もう半人前じゃないわ」


 フィンは二人を見て、小さく笑った。

 「まだまだ、これからだ。次はもっと大きな波が来る……その時も一緒に乗り越えるぞ」


 港町の灯りが三人の背中を照らし、波音が静かにその決意を包み込んだ。

今回は、尖塔遺跡への出立前の小休止と、セリアとリナのやり取りを中心に描きました。

 戦場では息ぴったりに動く二人ですが、こうして面と向かって“心”の話をする場面は久しぶり。

 セリアの祈りと、リナの静かな決意が、フィンを支える形で重なっていくのが印象的になったかと思います。


 また、国賓として動く制約の中で「それでも自分たちのやるべきことを貫く」三人の姿勢も、今後の展開に繋がります。

 次回はいよいよ尖塔遺跡へ――風の環と共鳴する、新たな試練の幕開けです。

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