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111話:古の熱、未来を灯す

赤岩帯――そこは、炎の精霊が封じられたと伝えられる断層地帯。

 フィンたちは、王都からの視線を気にしつつも、その祭壇跡へと足を踏み入れます。

 火龍の幼竜と剣を通じて結ばれた“契約”が、今度は眠れる炎の精霊“アール=ブレイズ”を呼び起こすのか。

 だが、その先には予想もしなかった“代償”と、“監視者たち”の影が待ち構えていました。

 燃え盛る記憶の先に、何を手にし、何を失うのか――その選択の時が迫ります。

夜が明ける直前、王都の空には淡い橙の光がにじみ始めていた。

 宿の窓は薄い霧で霞み、外の世界がまだ夢と現のあわいにあるかのような空気を漂わせている。


 セリアは早くに目を覚まし、まだ眠るフィンとリナを見やったあと、ゆっくりと羽織を肩にかけて部屋を出た。

 階下の共用の暖炉には、昨夜の残り火がまだ微かに赤く輝いている。


 薪を一本、静かにくべると、ぱち、と小さな音を立てて火が目を覚ました。


 「……火って、やっぱり、生きてるみたいね」


 そう呟いた背後から、柔らかな足音が近づいてきた。


 「さっきの炎のせい? それとも、フィンの剣の?」


 リナだった。寝巻きのまま、毛布を肩にかけ、髪を少しぼさつかせながらも、その目ははっきりと冴えていた。


 「両方、かしら」


 セリアはそう答えて、少し笑った。


 二人は暖炉の前に並んで腰を下ろす。火のゆらぎが、壁に彼女たちの影を映していた。


 「……あたし、昨日の夜のこと、うまく言葉にできないや」


 リナがぽつりと呟く。


 「うん。わかる。私も、ずっと文献を読んできたはずなのに……まるで、“教わってないこと”ばかりだった」


 セリアは膝を抱え、足元の炎を見つめながら続けた。


 「祈りって、形式でも理論でもなくて……感情の橋なんだって、昨日ようやく腑に落ちた気がする」


 「……あたし、祈ったことってないんだ。ちゃんとした形で」


 「そうなの?」


 「うん。教会に連れて行かれたことはあるけど、何かを信じて“お願い”したことなんて、なかった。でも――」


 リナは暖炉の火に視線を落とし、その揺らぎの奥にある何かを確かめるように、静かに言葉を紡いだ。


 「“忘れない”って、たったそれだけの気持ちが、何かに届くなら……あたし、もう一度、祈ってみたいって思った」


 セリアが少し驚いたように目を見開いた。


 「……リナ、それって――」


 「ううん、別にフィンの影響ってわけじゃないよ。たしかにあいつは、時々まっすぐすぎてムカつくけどさ……でも、心が動いたのは、たぶん自分のせい」


 「……素敵なことよ」


 セリアは、微笑んだ。


 「わたしはね、祈りを“手段”だと思ってたの。精霊に届く“鍵”だって。でも、昨日のことで考えが変わった。“祈ること”そのものが、精霊の“記憶”と繋がるための……道そのものなんだって」


 「だから、“封じた”のかな。精霊のこと」


 リナの言葉に、セリアは静かに頷いた。


 「精霊たちは、人の記憶と感情に影響を与える。言い換えれば、世界の流れを変える力を持ってる。だから、記録から消され、“声を奪われた”」


 「……ずるいよね」


 「え?」


 「だってさ、人間が勝手に“記憶から抹消して”、声も名前も封じたんだよ? それで、何百年も経った今になって、“やっぱり必要だから教えて”って、都合よすぎるって思う」


 セリアはしばし沈黙したのち、小さくうなずいた。


 「正しい指摘よ。私たちは、精霊に“赦し”を乞うべきなのかもしれない。でも同時に――“もう一度信じる”ことも、必要なの」


 「……だから、フィンみたいなやつが必要?」


 「うん。まっすぐで、不器用で、でも決して諦めない人。

 私たちがどれだけ躊躇っても、彼が一歩を踏み出してくれるから、次が見える」


 リナはちょっとだけ顔を背けて、小さく笑った。


 「……あたし、昔からあいつのそういうとこ、ちょっと苦手だったんだよね。羨ましくて」


 セリアは視線をリナに移した。

 リナの目はまっすぐに炎を見つめ、その中に映る“誰か”をじっと見守っているようだった。


 「でも、たぶん今は……少しだけ、隣を歩きたいって思ってる」


 リナの声は、決して大きくなかったが、確かに届くものだった。


 「リナ……」


 「ま、照れくさいから、この話は終わり! あたし、朝ご飯食べたい!」


 急に立ち上がったリナに、セリアはくすっと笑った。


 「もう……ほんと、あなたって人は」


 「ん? 今、褒められた?」


 「そうね、“私とは違う視点をくれる人”って意味では、すごく大事な存在よ」


 「わー、またなんか難しいこと言ってる。……とにかく、早く食堂行こう。フィンも起きるでしょ」


 そう言って、リナは毛布をぱたぱたとなびかせながら部屋に戻っていく。


 セリアは残された暖炉の火にもう一度目を向けると、そっと手をかざした。


 赤い火の奥に、昨夜の“声”がまだ残っているような気がした。


 “名前を呼ばれるのを待っている記憶”。


 語られることなく、封じられたままの精霊たち。


 「……あなたたちの声を、必ず見つけるから」


 そう呟いてから、セリアもまた立ち上がった。


 新しい朝の光が、窓の霧を溶かし始めていた。

朝の王都は、ようやく霧を抜けて青空がのぞき始めていた。

 街を流れる石造りの水路には、朝日が差し込み、小さな水面の光がきらきらと瞬いている。


 宿の食堂では、簡素ながら温かい朝食が用意されていた。焼きたてのパンと根菜のスープ。

 テーブルを囲んだ三人の前には、昨夜共鳴したフィンの剣が静かに置かれていた。


 「……この剣、まだ“内側”が熱を帯びてる気がする」


 パンをちぎりながらつぶやくフィンの声に、リナがスプーンを咥えたままちらりと視線を向けた。


 「食事中にそういう話するのやめてよ。……でも、わかる。見てて落ち着かない。まるで火種が残ってる感じ」


 「火種、ね……たぶん、“記憶のかけら”が残ってるんだと思う」


 フィンはそう言って、そっと剣の柄に触れた。


 セリアが頷きながらスープを啜る。


 「精霊との“初期共鳴”によって、記憶の断片が“定着”することがあるわ。つまり、あなたの剣は今、“火の精霊”の記憶と回路を繋ぎかけている」


 「……だから炎の環が、呼んでるのか」


 「ええ。あなたが“応答した”から。次は、精霊の方が“試す”番」


 リナがスプーンを置き、身体を乗り出すようにして言った。


 「それってつまり、精霊が“受け入れるか、拒むか”を見に来るってこと?」


 「そう。しかも、“炎”は感情や欲求に敏感な存在。強く求めれば応じるけれど、反面、拒絶されたと感じたら……焼き尽くす」


 「……あー、火ってそういうとこあるよね」


 リナが頷きながら、やや不機嫌に言った。


 「“情熱”って言えば聞こえはいいけど、“暴走”とも紙一重じゃん。あたし、ちょっと苦手だな」


 フィンは苦笑しながら、パンの端をかじった。


 「でも、昨日――あの声は怒ってなかった。“確かに継がれた”って言ってた。幼竜の記憶が、そのまま伝わってるのかもしれない」


 セリアが静かに続ける。


 「その“火の記憶”は、剣を媒介に定着してる。もし、あなたが次に“炎の環”で語りかければ――扉が開く可能性は高いわ」


 「じゃあ、行こう」


 フィンがそう言うと、リナが眉をひそめる。


 「ちょっと待って。あの場所って、地図にすら載ってないでしょ? 場所どころか、名前すら消されてる。簡単に近づけるの?」


 セリアはその言葉に応じて、小さく首を振った。


 「“赤岩帯”……そこは、王都北西にある火山性の断層地帯。かつて古代王国が祭壇を築いた場所。今は“危険区域”として封鎖されていて、一般人の立ち入りは禁じられてる」


 リナが両手を広げて嘆く。


 「ほらやっぱり! つまり、行くだけでアウトじゃん!」


 だが、そのとき――セリアの視線がゆっくりとフィンに向いた。


 「……でも、あなたは“王”よ。しかも、現政権から正式に迎えられた“特別な国賓”」


 「……?」


 リナが首を傾げる。


 セリアは続けた。


 「フィンが“視察”の名目で赴くなら、王宮も止める名目を持てないわ。

 封鎖区域でも、“王の随行”であれば、文化的保全の理由での入域が可能。少なくとも、表向きは」


 「……表向き?」


 「“異端の精霊に接触しようとしている”なんて噂が立てば、宗教庁や旧教派の動きが黙ってない。

 監視されるのは当然として、最悪、排除されかねない」


 リナが思わずテーブルを叩いた。


 「何それ! 王様扱いするくせに、裏では睨んでくるってこと? どんだけ理不尽なの、この国」


 フィンが静かに息を吐いた。


 「でも、やるしかない。今さら引き返せない。声が届いたってことは……次も“語られる”のを待ってる精霊がいるってことだから」


 「……フィン、」


 セリアは一瞬だけ迷ったような顔をしたが、すぐに表情を引き締めた。


 「“炎の環”に入るのは、今日が最善。王宮が気づく前に動けば、監視を最小限に抑えられる。私たちも随行員として正式登録しておくわ」


 リナが立ち上がった。


 「なら、さっさと荷物まとめよ。どうせ危ないなら、早い方がいい」


 「“熱”を鎮める薬草も持っていくわ。炎の精霊との共鳴で体温が上がることもあるし、最悪の場合――火傷じゃ済まない」


 セリアの言葉に、リナの顔がひきつる。


 「……あたし、帰ってきたらアイス食べるって決めたからね」


 笑いながら言ったその言葉に、フィンもまた肩の力を抜いて微笑んだ。


 「じゃあ、“帰ってきたらアイス”を目標にするか」


 「絶対にだからね。バケツサイズね!」


 セリアがあきれたようにため息をつきつつ、荷物をまとめ始める。


 やがて――三人は剣と地図、祈祷書を携え、赤岩帯へと向かう準備を整えた。


 “火の記憶”は呼んでいる。

 今もなお、名前を呼ばれることなく眠る精霊が、静かに――炎の扉の向こうで待っている。

王都の北西、およそ半日の行程を経てたどり着くのが、“赤岩帯”と呼ばれる断層地帯である。


 古の時代に活発だった火山の噴火口跡が連なるこの地は、王国の公式記録には“地質的不安定区域”として扱われていたが、実際には、そこには明らかな“人工の痕跡”が残されていた。


 フィンたちが山道を抜けた先、視界がひらけた時、思わず足を止める。


 「……これが、炎の祭壇跡?」


 リナが息を呑んだ。


 赤褐色の岩肌が露出する丘の中腹に、巨大な石柱と、その奥に口を開けた半円形の石門。

 門の周囲には焦げたような黒い痕と、かすかに崩れた祭壇らしき台座――だが、すべてが“かつてあった”ことを証明するだけで、今は静まり返っていた。


 「……ここ、明らかに自然じゃない」


 セリアは祭壇の縁に手を触れ、かすかな彫刻の痕をなぞる。


 「この文様、“風”の環と同系の構造よ。ただし、これは“燃焼”と“内圧”を象徴するパターン。炎の精霊の座標点を示してるわ」


 「……つまり、ここに“環”がある」


 フィンは剣を抜かず、そっと地面に手を伸ばした。


 岩肌に残る微かな振動。それは“風”の環が共鳴した時と似ているが、もっと荒々しく、重い。


 地の底に燃え残った熱気が、音もなく呼吸しているようだった。


 「ねえ、ちょっと待って」


 リナが視線を険しくする。


 「なんか、空気……乾いてるというか、焦げてない?」


 「……正確に言うと、ここは今でも“燃えたまま”なのよ」


 セリアが答える。


 「環の中に封じられた火の記憶が、完全に鎮まってない。だから、この空間全体が“共鳴の準備状態”にあるの」


 「じゃあ……ここで祈れば、また昨日みたいに……」


 フィンが問いかけると、セリアは慎重に首を振った。


 「“風”の環は、言葉への反応が柔らかかった。でも、“炎”は衝動で動く。刺激が強ければ暴走の危険もある。だから今回は――」


 「……剣を使うよ」


 フィンが立ち上がり、剣を抜いた。


 赤岩の丘の中央にある石台の前に立ち、その刀身をゆっくりと地面に向けて突き立てる。


 風が、一瞬止んだ。


 まるで、空間そのものが息を止めたかのような沈黙――そして、足元から“熱”が立ち昇る。


 《――名を語れ。血を持たぬものよ》


 それは、耳ではなく“胸の内側”に届いた声。

 昨夜の“火の精霊の声”とは違う。これは、より深く、より古い――まるで岩盤の中から這い上がってくるような、重たい気配だった。


 「俺はフィン。火龍の幼竜と誓いを結んだ、“契約の剣”を持つ者だ」


 剣の紋様が赤く光り、空気がふるえた。


 《汝がその身に宿せしは、我が分かたれし小炎こほむらなり。ならば、記憶は継がれし。だが、今なお、我が名は語られぬ》


 「名を……?」


 フィンが戸惑ったように問うと、セリアが横から叫んだ。


 「フィン、古文書にはこうあった!

 “炎の環は、忘れられた名を呼ぶことで、記憶の門を開く”って!」


 「でも、その名が……」


 そのときだった。フィンの剣が、ひときわ強く共鳴した。


 “ギン……”と甲高い音を立て、刀身の先が岩を割る。


 そして、かすかに誰かの声が、剣の奥から響いた。


 《……ア、アール……》


 幼き声。かすれた、頼りない呼び声。


 だが、確かに――その名を呼ぼうとしていた。


 「アール=ブレイズ……!」


 その名を呼んだ瞬間。


 石門が赤く染まり、空気が弾けた。


 岩盤の下から、真紅の光柱が立ち昇る。


 風が爆ぜ、熱が吠え、空間が一瞬“裏返った”かのように圧力が反転する。


 「下がって!」


 フィンが二人をかばいながら、剣を構えた。


 だが、熱は彼に害を与えなかった。


 それどころか、剣の奥に眠っていた火龍の幼き記憶が、今や完全に“覚醒”を始めていた。


 《……我は、忘れられし火。語られぬまま、炎の底に沈められしもの。されど、今再び――》


 炎が、形を持ち始める。


 祭壇の奥、かつての“座”の上に、ゆらゆらと赤い影が立ち上がる。


 それは、まだ“人型”でも“獣型”でもない、純粋な火のかたまり。


 だが確かにそこには、“存在”があった。


 セリアが呟いた。


 「……これが、“精霊の残響”」


 リナも固唾を呑む。


 「……まるで、生まれる前の魂みたい……」


 精霊はまだ、完全な形を取り戻していない。

 けれど、それでも“名を呼ばれた”ことによって、存在の輪郭が戻りつつある。


 フィンが剣を一歩前へ進める。


 「アール=ブレイズ。お前の記憶を、俺に託してくれ。忘れられた声を、取り戻す力に変える」


 その言葉に応えるように、炎が一瞬、明るく脈動した。


 “契約”の始まりの兆し。


 だが――同時に、周囲の空気が変わる。


 セリアがはっとして顔を上げる。


 「……誰か、来てる! 王都側の……追跡部隊かも!」


 リナが叫ぶ。


 「どうする? 契約、続けるの!?」


 フィンは剣を握り直し、炎に向けて言葉を絞り出した。


 「今、ここで“語る”ことでしか……お前はもう、戻れないだろ?

 だったら、俺は――この声を、世界に繋ぐ!」


 次の瞬間、炎が爆ぜ、精霊の形が――“眼”を持った。


 その瞳は、燃えながらも、静かにフィンを見つめていた。

赤岩帯に吹き荒れる風が、急激に熱を帯びていた。

 空が焼けるように赤く染まり、地面から立ち上る熱気が、空間そのものを歪ませている。


 だがその中心――かつて“炎の環”と呼ばれた祭壇の前では、ただ静かに、深く、確かな契りが交わされようとしていた。


 燃え盛る火の塊の中に、二つの“光”が揺れていた。

 一つは、剣に宿る幼き火龍の記憶。

 もう一つは、失われた名を持つ精霊、“アール=ブレイズ”の魂の残響。


 その瞳がフィンを見つめていた。


 《名を語り、我を呼び戻した者よ。問う――汝は、何をもって“我が記憶”を受け継がんとする?》


 声は音ではなかった。

 それは炎そのものが放つ“意志の波”、精神に直接響く問いだった。


 フィンは、剣を胸に引き寄せ、静かに答える。


 「俺は、忘れないために戦う。

 過去が消えないように、語られるべき声が途切れないように――そのために、この力が必要なんだ」


 剣が共鳴し、紅い紋が明滅した。

 火龍の幼き記憶が、フィンの言葉に呼応する。


 《……“語り継ぐ意志”か。ならば、汝は“炎の契り”に足る者。だが、我は“忘却”の中に長く在りすぎた。代償なしに、その記憶を渡すことはできぬ》


 「代償……?」


 フィンが眉をひそめると、炎の中に一瞬、過去の断片が揺らいだ。


 燃えさかる都市。

 炎に包まれた祭壇。

 そして、祈りを捧げる巫女の影と、その手に抱かれた――幼い竜の姿。


 「……!」


 その映像を見た瞬間、フィンの脳裏に鋭い痛みが走った。

 焼き付くような熱。まるで、記憶そのものが彼の中に流れ込んでくる。


 《汝の“記憶の器”に、我が“過去”を注ぐ。だが、そのためには、汝の中の何か――“未だ定まらぬ未来”の一部が、燃え落ちる》


 セリアがすぐさま叫ぶ。


 「フィン、やめて! それは“記憶と引き換えに、未来を犠牲にする”って意味よ!」


 「わかってる……けど、それでも俺は、“語る力”が欲しい」


 フィンの声には、迷いはなかった。


 そして次の瞬間――炎が剣を飲み込むように包み込み、眩い閃光がほとばしった。


 剣の奥で、火龍の記憶が揺れ動き、幼き鳴き声と共に、アール=ブレイズの“残響”と絡み合う。


 《……“名を繋ぐ者”として、我が記憶の一部を授けよう。願わくば、炎に呑まれぬことを》


 契約が、結ばれた。


 赤岩帯の空が一瞬、真白に塗り潰され――その直後、周囲の空気が“鎮まる”のを感じた。


 フィンの剣は、今までよりも深く紅に染まり、柄には新たな精霊文様が刻まれていた。


 だが、同時に――フィンはぐらりと体を傾け、膝をついた。


 「フィン!」


 リナが駆け寄り、肩を支える。フィンの額には玉のような汗が浮かび、呼吸も浅い。


 「身体の負荷が強すぎる……!」


 セリアが鞄から薬草包みを取り出し、即席の冷却剤を作り始める。


 「大丈夫……記憶は……繋がった。ちゃんと、繋がってる」


 フィンは息を整えながら、剣の紋を見つめた。


 そこに宿るのは、もはや“幼竜の記憶”だけではない。


 “火の精霊の系譜”に連なる、一つの“名”の記録。


 だが――その余韻を断ち切るように、遠くから甲冑の軋む音が聞こえてきた。


 「……来た!」


 リナが音の方向に目をやる。


 岩壁の上、王都方面から黒い外套を羽織った数人の影が姿を現した。


 その先頭には、鋼鉄の面頬をつけた男がいた。

 宗教庁直属の“秩序守官”――異端の兆候を取り締まる監察部隊である。


 「確認。禁忌指定区画にて“精霊封印違反”を検知。即時拘束対象とする――」


 乾いた声が、魔力で拡張され、谷間に響いた。


 「逃げるよ、今すぐ!」


 リナが叫び、セリアもフィンの腕を引いた。


 「……でも、“環”が……!」


 フィンが振り返る。


 だが、祭壇の“炎の環”はもう沈静化していた。

 契約が結ばれた今、もうこの場に“語るべきもの”は残っていない。


 代わりに、赤岩の丘の頂に、かすかに灯る残り火が――まるで“別れの灯”のように、静かに揺れていた。


 「……わかった。逃げよう」


 フィンはそう言い、剣を背負い直して立ち上がる。


 「追っ手は多くない。南の尾根を下れば、峡谷に入れる。あそこまで逃げ切れば追跡は難しい」


 セリアが瞬時に判断し、ルートを指示する。


 「王様なのに……こんな扱い、納得いかない!」


 リナが叫びながら走り出す。


 「王だからこそ、彼らには都合が悪いのよ! “精霊と契約した王”が、王都に戻ったらどうなるか……彼らはそれを恐れている!」


 セリアの言葉に、フィンは心の奥でひとつ、炎が灯るのを感じた。


 “力”を得ることは、“責任”を得ることでもある。


 彼が今、記憶を受け取ったということは――この世界の“語られざる声”を、引き継ぐということ。


 その意味を、これから――すべて背負っていく。


 赤岩帯の空に、朝陽が差し込む。


 新しい一日が始まろうとしていた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます!

 第111話では、“炎の環”を舞台に、フィンと精霊アール=ブレイズとの仮契約、そしてその代償が描かれました。

 火龍の幼竜の記憶と精霊の残響が剣を媒介に融合する描写は、これまでの物語の流れをより強く結び付ける要となっています。


 物語が次第に緊張感を増す中、皆さまの応援がとても励みになります。

 「面白い!」「続きが気になる!」と思っていただけましたら、ぜひ【ポイント】【ブックマーク】【感想】【レビュー】【リアクション】をよろしくお願いします!

 皆さまのひと言が、この物語をさらに前へ進める大きな力となります。

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