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109話:王国からの視線と、風の記憶

いつもお読みいただきありがとうございます。一条信輝です。


 今回は、108話「王国からの視線」。

 自治都市エルダンに対し、ついに“王国の監察官”が姿を現しました。いよいよ国全体のなかで、エルダンの存在が無視できない規模になってきたということですね。


 ティナたちが築いた街が、外からどう見えるのか。

 そして、それに対して“どう向き合うのか”。


 後半では精霊ノーデルとのやりとりにも一区切りがつき、新たな展開への扉が開かれます。


 言葉が“風”を動かすことができるのか――どうぞ最後までお楽しみください。

王都シェリオンの郊外、かつて“風の社”と呼ばれていた神殿跡は、今やほとんど森に埋もれかけていた。


 巨木に囲まれ、苔むした石柱が数本、辛うじてその輪郭を保っている。風化した大理石の床には、かつての儀式を象徴する紋章が刻まれていたが、その線も薄れ、雑草の間に隠されていた。


 「ここが……ノーデルが眠る場所、か」


 フィンが呟くと、隣にいたセリアが静かに頷いた。


 「王宮の記録によれば、この神殿は“風の精霊との交信”に使われていた場所。でも、百年以上前に使用が禁じられて、そのまま放置されたらしいの」


 「精霊との交信が……禁じられた?」


 「“信仰の危険性”がどうとか、そう記録には書かれていたわ。でも――」


 セリアは風に髪を揺らしながら、柔らかい声で続けた。


 「本当は、精霊たちが人間との関わりを断ち切ったのかもしれない。……人の傲慢さに、ね」


 リナがふう、と息を吐いた。


 「でもフィンは違うでしょ? アンタは、精霊を利用しようなんて思ってない。共に歩くって、そう言ったじゃん」


 その言葉に、フィンはわずかに笑みを浮かべた。


 「……言葉だけじゃ伝わらない。だからこそ、行動で示す」


 そして彼は、神殿跡の中央にゆっくりと足を進めた。


 薄く崩れた石の台座がそこにあった。祈りの場だったのだろう。フィンはその前に立つと、静かに目を閉じた。


 風が――吹いた。


 それは、森の木々を揺らす自然の風とは違っていた。もっと、柔らかく、内側から震わせるような風。声なき声が、空気に溶けるように広がっていく。


 「ノーデル……精霊ノーデル。君の名を、この地にて呼ぶ」


 フィンの言葉が空に乗った瞬間、まるで応えるように大地が震えた。


 ざわ……ざわざわ――。


 木々が風に煽られ、空がわずかに暗くなる。雲が寄り、光が遮られる。神殿跡の中心、台座のまわりに、淡い蒼光の輪がゆらりと現れた。


 「これは……精霊の顕現……?」


 セリアが目を見開くと、リナも一歩、後ろに下がった。


 そのとき、音もなく“それ”は現れた。


 風をまとったような影。形は曖昧で、人のようでもあり、翼を持つ獣のようでもあり、ただの空気の歪みのようでもあった。けれどその“気配”だけは、圧倒的だった。


 ――それが、精霊ノーデル。


 そして、その声が響いた。


 《……なぜ呼ぶ。なぜ、忘れられた名を、再び口にする》


 フィンは、一歩も引かず、その気配の中心を見つめた。


 「君が、まだここにいると聞いたから。忘れられても、名前が消されても……君が“誰かのために在った”存在なら、今こそもう一度、共に歩いてほしい」


 ノーデルは、しばらく黙っていた。風の唸りだけが空を満たす。


 やがて、深く、重たい問いが返ってくる。


 《……人は変わったか。かつて我が言葉を忘れ、誓いを裏切った者たちが、いま再び我を呼ぶ。何を以って、その“違い”を示す》


 その問いに、フィンは一瞬だけ言葉を詰まらせた。


 だがすぐに、彼は胸に手を当て、静かに、確かに言った。


 「違いを“証明する”ことはできない。でも……僕は、君の名前を呼びたいと思った。その気持ちは、嘘じゃない。契約じゃなくていい。僕が今、ここにいること――それが、すべての答えだ」


 風が止まった。


 空気が凪ぎ、空が開けるような感覚。


 《……契約は拒む。我はもはや、人に誓わぬ。だが……そなたの声は、風に届いた》


 ノーデルの気配が、すこしだけやわらぐ。


 《ならば、誓いなくとも、我はそなたの傍に立とう。“風”として、言葉の外にあろう》


 その宣言に、セリアが思わず息を呑む。


 「フィン……やった……!」


 リナががしっと彼の背を叩いた。


 「なに笑ってんのよ、アンタ。ほんとにやりおるわね!」


 フィンは、二人に向かって小さく頷いた。


 「ありがとう。……これが、“一歩”だから」


 風は、確かに応えた。


 それはまだ微かな始まりだったが、忘れられた名前が、再び空を翔びはじめるその第一歩だった。

空が晴れ、神殿跡に一瞬の静けさが戻った。


 だが、風はまだ息を潜めたまま――まるで精霊ノーデルの沈黙が、空そのものを支配しているかのようだった。


 フィンの言葉に対する返答はあった。だが、それは「共に歩む」という希望に満ちたものではなく、あくまで“誓いを拒む”という距離を残したものだった。


 それでも、フィンは微笑んでいた。


 セリアとリナが近づくなか、彼は両手を膝に当て、崩れかけた台座の前で小さく深呼吸をした。


 「……ノーデルが、ああ言ってくれただけで十分だよ」


 「でも、誓ってくれなかったんだよね?」


 リナが少し眉をひそめて言うと、セリアが首を横に振った。


 「違うわ、リナ。誓いとは、時に束縛になる。ノーデルは“意志で選ぶ”という一歩を踏み出したのよ。精霊にとって、それは簡単なことじゃない」


 「それって……?」


 「精霊たちは、人と契約することで存在の一部を縛られるの。でも今、ノーデルは縛られずに、フィンの“傍に立つ”って言った。――それは、信頼に近い」


 セリアの言葉を受けて、リナは腕を組み、ふうっと鼻を鳴らした。


 「へえ、なんだか哲学的ね。……ま、いいわ。フィンがちゃんと受け止めてるなら、あたしも文句は言わない」


 「ありがとう、リナ。セリアも」


 フィンはゆっくり立ち上がり、台座に向かってもう一度だけ頭を下げた。


 「ノーデル。また、話そう」


 すると、木々の間をぬうようにして一陣の風が吹き抜けた。まるで返事のように。


 風が運ぶ葉のざわめきが、どこか柔らかく感じられた。


 その場を後にして、三人は神殿跡を出た。


 森の外れ、王都シェリオンが望める丘の上まで来たとき、セリアがぽつりと呟いた。


 「ノーデルがいた“風の社”は、王都の歴史から完全に抹消されていた。だけど、今こうして確かに“存在していた”ことが証明された……」


 「記録されてない歴史って、たくさんあるのかな」


 フィンの問いに、セリアはうなずいた。


 「きっと、あるわ。歴史って、記した者の都合で塗り替えられるものだから。でも……誰かが“それは違う”って言葉にすることで、再び陽の当たる場所に出てくる」


 「言葉って、すごいな……」


 「でもね、言葉だけじゃ届かないこともあるの。だから私は、読み解くだけじゃなくて、“つなぐ”役目を果たしたいの」


 セリアの横顔は、どこか遠くを見つめていた。


 「……私、王宮図書館で見つけたあの断片、まだ気になってて。あれにはきっと、ノーデル以外の精霊のことも書かれてる」


 「まさか……他にも?」


 「ええ。もしかしたら、王都の下層に、まだ誰にも知られていない“精霊との記録”が眠っているのかもしれない」


 「次は、そこに行ってみるのもアリかもな」


 フィンがそう言った瞬間、セリアはぱっと笑顔を見せた。


 「ふふっ、そう言うと思った。じゃあ決まりね。次は“忘れられた記録”を探しに行く旅よ」


 「本当に……休む暇がないな、僕たち」


 リナが肩をすくめたが、どこか楽しげだった。


 丘の上で三人が笑い合うその背後、王都の塔がゆっくりと影を伸ばしはじめていた。


 日は傾き、夜の気配が少しずつ広がっていく。


 しかしその夜風には、確かな変化が宿っていた。


 かつて精霊たちが去っていった都に、再び“風”が戻ってきたのだから。


 それは始まりに過ぎない。けれど、それこそが、物語の芯となる希望の兆しだった。

夕暮れが丘を包み込む頃、三人は王都シェリオンの石畳の通りへと戻ってきた。


 街はまだ活気を残していた。行商人の呼び声、屋台から立ちのぼる香ばしい煙、子どもたちの笑い声――だが、フィンの胸の奥には、風の社で感じた静寂が今もなお残っていた。


 セリアは道端の石段に腰掛け、背中の荷を降ろすと、ゆっくりと巻物の束を取り出した。王宮図書館から持ち出してきた、古代文字が記された記録の断片だった。


 「ねぇ、これ……もう一度ちゃんと読み直してみようと思うの」


 「その断片……王宮の禁書庫にあったやつ?」


 「そう。以前は“意味不明”ってされてたけど、あのノーデルとのやりとりのあとで見ると、少し文法が見えてきた気がするの」


 彼女は小声で、紙に書かれた文字をなぞる。


 「“深層へ至る風は、地の根を越え、忘却の柱のもとに眠る”……」


 「地の根?」


 リナが眉をひそめて身を乗り出す。


 「つまり、地下ってことか?」


 「うん。王都の地下には、今は封鎖された旧貯水路がいくつもあって……中には、王族ですら立ち入りを禁じられた“旧神殿層”があるって、古い記録に残ってた」


 「そこに、“他の精霊の記録”が?」


 「そうとは断言できないけど……ノーデルが顕現した今、きっと何かが変わってる。精霊たちは、完全に人との関係を断ったわけじゃなかった。少なくとも、可能性はまだ残されてる」


 リナは腕を組んでうなり声を漏らす。


 「……まあ、行ってみないことには始まらないわね。けど、地下って危ないでしょ? 罠とか、崩落とか、魔物とかさ」


 「そのときは、君の剣を頼るよ、リナ」


 フィンが冗談めかして言うと、彼女はわざと大げさにため息をついた。


 「まったく……あたしの剣、酷使されすぎじゃない?」


 「でも……信頼してるよ」


 その言葉に、リナは一瞬だけ目をそらし、ぶっきらぼうに呟いた。


 「――ま、そう言われると悪い気はしないけど」


 そのやり取りにセリアがくすりと笑い、立ち上がった。


 「じゃあ、今夜は資料の整理をしよう。旧神殿層への地図も探してみる。きっと、まだこの都には、知られていない“層”がある」


 そう言って歩き出したセリアの背中を、フィンとリナも追いかける。


 その夜、彼らは王都の宿舎に戻り、かつてないほど静かな夜を過ごすことになった。


 ノーデルの存在が、目に見えない“風”として部屋の隅に漂っているような気がした。まるで彼が、傍らで彼らの会話を聞いているような、そんな気配。


 ――確かに、共に歩み始めたのだ。


 夜が更けるにつれ、外では再び風が吹き始めていた。


 街路樹の葉がさらさらと揺れ、遠くの塔の鐘が、ゆっくりと二度、鳴った。


 静かな夜だった。


 けれどその静寂のなかで、王都の地下深く――かつて精霊との交信を担っていた“根の神殿”では、何かが目覚めようとしていた。


 忘却の柱。


 その名で呼ばれた石造の支柱が、微かに震えている。


 誰にも気づかれぬまま、長い時のあいだ眠り続けていた“別の精霊”が、風の呼び声に反応していたのだ。


 ――風が戻った。


 ――ならば、次は“炎”か、“水”か。


 その気配は、まだ輪郭を持たない。


 だが確かに、フィンたちの歩みが“止まっていた精霊の記録”を動かし始めていた。


 そして翌朝――。


 王宮に仕えるある老学士が、禁書庫の扉がわずかに開いているのを発見した。中に入ると、古びた棚の一角にあったはずの巻物が、一つだけ消えていた。


 “風の社”に関する記録。


 それは、本来なら“消された歴史”として、誰の目にも触れぬはずのものだった。


 しかし――今、誰かが再びその記録を手にした。


 歴史は、書き換えられるものではない。だが、“思い出される”ことはある。


 そしてそれは、新しい物語の幕開けを告げる予兆でもあった。

翌朝。王都シェリオンの空は澄みわたっていた。だが、その清らかな青の下で、静かに“揺らぎ”が生まれようとしていた。


 王宮図書館の一角、通称“禁書庫”。


 ふだんは重厚な扉で厳重に閉ざされ、王の許可なくしては立ち入りも閲覧も許されない場所。だがその朝、扉の一部にかすかな焦げ跡とともに、風の痕跡のような微細な砂塵が残っていた。


 「これは……?」


 学士長バルクは、その場に立ちすくみながら、指先でそっと灰を払った。


 異常はそれだけではない。


 棚の中央――古王朝時代の記録が並ぶ“精霊関係書架”の一角で、一冊の巻物が忽然と消えていた。


 それは確かに、昨夜まで存在していた。


 “風の社における封印精霊ノーデルとの記録”


 すでに歴史から抹消されたはずのその資料が、いま再び動きを見せた。誰かがアクセスし、何かを読み取った。だが、記録簿には何の痕跡もない。


 「……“風”が目覚めたというのか?」


 学士長は、半ば呟くようにそう言い、背筋を正した。


 王都の底が、ざわつき始めている――それを直感で感じ取っていた。


 その頃、王都の東にある地下区画では、フィンたちが準備を整え、旧神殿層への入口を前にしていた。


 通りに面した古い水門のそば、半ば土砂に埋もれた階段。その石の一部には、風の社で見たものと同じ文様が彫り込まれていた。


 「……間違いないわ。ここの地下が、かつての“精霊信仰”の中心だった」


 セリアがそう呟き、手にした記録帳の頁をそっと閉じる。


 「ただし、今は王都の水路網に取り込まれていて、正規ルートでは入れないの。侵入扱いされるかも」


 「それでも、行くんだろ?」


 リナが剣帯を締め直し、じりっと靴音を響かせた。


 「もちろん。ここまで来て引き返す理由なんてないよ」


 フィンは、迷いなくうなずいた。


 そして、三人は静かに階段を下り始めた。


 地下への入り口は、湿気と苔に満ち、数段降りるごとに空気が重くなっていく。やがて壁の燭台に火を灯すと、朽ちかけた石造りの回廊が姿を現した。


 「ここ……生きてるみたい」


 セリアの言葉通り、その通路には奇妙な“脈動”があった。


 まるで、大地そのものが呼吸しているように、風が通路の奥から時折吹き抜ける。そして、その風には、ほんのかすかに“声”のようなものが混じっていた。


 《――記せ、記せ。忘却の深きところに、まだ灯はある――》


 誰の声でもない、だが確かに意味を持つ響きが、フィンの鼓膜を打った。


 「……いま、聞こえたよな?」


 フィンの問いに、セリアとリナも小さくうなずいた。


 「精霊の……記録の断末魔かも」


 「あるいは、まだ“眠っている者”の夢かもしれない」


 さらに奥へと進むごとに、壁に刻まれた文様が増えていった。風、水、炎、大地、そして“空”。


 そのどれもが、今は存在を忘れられた“精霊たち”の象徴だった。


 そして、通路の終端。


 巨大な扉が彼らの前に立ちふさがった。


 半ば崩れかけたその扉には、“風”の文字を囲むように五つの円環が刻まれている。


 「……やっぱり、これ、封印だ」


 セリアが低く呟き、膝をついて扉に触れる。


 「でも……一部、解けてる。昨日のノーデルとの邂逅で、“風”の環だけは反応してるのかも」


 「つまり、あと四つ――“炎・水・大地・空”を揃えれば、完全に開くってこと?」


 「その可能性が高いわ。……この中に、何があるのかは分からない。でも、きっと“記録”だけじゃない。“精霊の力”そのものが、眠ってる気がする」


 「行くしかないわね。……どんな危険があっても」


 リナの瞳に、戦士としての決意が宿る。


 フィンは、静かにうなずいた。


 「ひとつずつでいい。今度こそ、忘れ去られた精霊たちを、もう一度“語る”んだ」


 その言葉に、凪いだ風が応えるようにそっと吹き抜ける。


 そして三人は、その夜、扉の前に仮の野営地を構えた。


 星の見えぬ地下に、焚き火の光が揺れる。


 火のそばで、セリアが一冊の本を開いた。


 それは――かつて誰かが、精霊の名を記し、祈りを重ねた“忘れられた祈祷書”。


 「フィン。……これ、あなたが読んでみて」


 「僕が?」


 「うん。きっと、君の声なら――まだ残っている“風”の記憶に、届くから」


 フィンはためらいながらも、本を受け取り、ゆっくりと読み上げる。


 「“そらにしてかぜ、こだまにしてこえ。われらのまなこ、そなたのほうへ……”」


 その瞬間、焚き火の炎がふっと揺らいだ。


 そして、封印扉の“風の環”が、ごく微かに――青白く、光った。

お読みいただきありがとうございました。


 108話では、王国からの視察団を通じて「他者の目線」が描かれましたが、同時にフィンたちの“今の立ち位置”を客観的に示す機会でもありました。


 また、精霊ノーデルとのやり取りでは、明確な契約には至らずとも、「言葉が届いた」という余韻を残しました。


 これは、今後の“精霊との対話編”の布石でもあり、セリアの調査や禁書庫の描写が、物語の深層にさらに切り込んでいく予兆となっています。

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