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107話:剣を抜かぬ決闘

いつもお読みいただきありがとうございます!


 今回のエピソードでは、フィンが「剣を抜かずに闘う」ことで王国の価値観に一石を投じます。剣技や力を誇示するのではなく、「なぜ振るうのか」「振るわない勇気」にこそ彼の信念が表れています。


 この物語では、強さとは何か、英雄とは何かを問い直しながら進めていきたいと思っています。セリアとの会話を通じて、フィンの“信じる力”も少しずつ形になっていきますので、今後の展開にもぜひご注目ください。

王都シェリオン。その中央広場に隣接する《双月の演武場》は、貴族階級専用の決闘施設として知られていた。


 大理石の柱に囲まれた広々とした石畳の舞台。床には、二つの月を模した青と白の紋様が描かれている。観覧席には、剣術を嗜む王侯貴族たちが上品な衣服に身を包み、まるで上質な芝居でも観るかのような視線を投げていた。


 その視線の先――中央に立つのは、少年フィン・グリムリーフ。


 黒衣に銀の刺繍を施した式典用の使節服。その腰には、布で包んだままの剣。抜かれる気配はない。


 向かいには、貴族団随一の剣士と呼ばれるレヴォルト卿の嫡子、カイロン・レヴォルトが立っていた。長身で、彫りの深い顔。剣を引き抜いた手には力がみなぎり、血気盛んな若者の野心が見て取れる。


 だが、フィンは微動だにしない。


 「……はじまらないのか?」


 ざわつき始める観覧席のなかで、セリアは胸の前で手を組んだまま、じっとフィンを見つめていた。隣には、王国の王弟であるサルヴァン殿下が座しており、扇を唇に当てながら、興味深げに視線を投げていた。


 「……あれは、ただの子どもに見えるが」


 「違いますよ、殿下。フィンは……“感じる力”を持っています。見ていてください。彼の剣は、抜かずとも届くから」


 セリアの声は静かだったが、王弟の瞳にちらりと好奇心の色が走る。


 ――静寂。


 カイロンが痺れを切らしたように動いた。踏み込みと同時に剣を振り下ろす、正統派の一撃。


 だが。


 フィンは、その瞬間、ただ一歩横にずれた。風の流れを読むかのような自然な動作で。


 剣は空を切る。そこから続く連撃、突き、回転斬り。そのすべてを、フィンは身体の軸をぶらさぬまま、歩くような動作でかわしていく。


 観覧席がざわめいた。


 「な、何だあれは……剣を交えていないのに……!」


 「技を見切っているのか? まさか、全部……!」


 レヴォルト家の若き剣士は苛立ちを隠せず、声を荒げた。


 「剣を抜け! 見せかけだけでは、こちらを侮っていると見なすぞ!」


 だがフィンは、静かに頭を振った。


 「違う。これは侮辱ではない。“力を振るう”必要があると、まだ思っていないだけだ」


 「何?」


 「貴族の剣は、威信を示すものだと聞いた。ならば、見せればいい」


 フィンの足元が、一瞬沈んだように見えた。


 次の瞬間――風が唸った。


 カイロンの背後に、剣の影が現れる。否、それは“気配”だった。斬撃の幻像とも呼ぶべきそれが、彼の首筋に触れた――かに見えた。


 観客たちは息をのんだ。何も起きていない。だが、誰もが“斬られた”と錯覚した。


 それが、見せるだけの“力”。


 カイロンは剣を落とし、肩で息をしながら後退った。


 「……馬鹿な。何も、していないのに……!」


 フィンは、ようやく一歩前に出た。そして、鞘ごと剣を軽く構えた。


 「これが僕の答えだ。力を振るうことと、見せることは違う。剣とは、傷つけるためだけのものじゃない」


 王弟サルヴァンが、面白そうに目を細める。


 「……これは、面白い。剣を抜かずに心を折るとは、どこで教わったのだ?」


 セリアが小さく笑った。


 「誰にも。彼は、旅の中で“自分の剣”を探してきたんです。人の想いと痛みに触れて……優しさと決意で編まれた剣です」


 その言葉に、サルヴァンは扇をたたんで立ち上がった。


 「では、この目で確かめよう。剣士フィン・グリムリーフ。貴殿に興味が湧いた」


 その声に、場内がどよめいた。


 ――それは、王家からの正式な関心表明。


 フィンは黙って頭を下げた。


 その背には、抜かぬ剣を携えた静かな誇りがあった。

演武場の空気が、ひとつ息を飲むように静まった。


 鞘から抜かれることのなかったフィンの剣――それがもたらしたのは、勝敗の決着ではない。誰の心にも届く、“問い”だった。


 「力とは、何のためにあるのか?」


 観客席の貴族たちは口を噤み、王弟サルヴァンだけが、その余韻に深く頷いていた。


 「まさか、抜かずに制すとはな。噂以上の使節団かもしれぬ……」


 やがて儀礼の合図が鳴らされ、演武場の式次第が終了となった。緊張が解かれた空気のなか、フィンは静かに一礼し、演武場を後にする。


 舞台裏の通路を歩きながら、フィンは額の汗を拭った。戦いそのものは短かったが、精神の集中と気配の張り詰めが続いたせいで、全身がじっとりと熱を帯びていた。


 そんな彼に、セリアが駆け寄ってきた。


 「フィン!」


 いつもと変わらぬ、けれど少しだけ緊張を滲ませた声。


 フィンは笑って応じた。


 「大丈夫。誰も傷ついていないよ」


 セリアは目を細め、小さく息を吐いた。


 「……でも、フィンが傷ついてないってわかってても、あんな大勢の前で、剣も抜かずに戦うなんて……心臓に悪いよ」


 「ごめん。でも、やらなきゃいけないことだった。あの人たちは、“力”を求めていた。でも、ぼくは“暴力”じゃない答えを示したかった」


 セリアは立ち止まり、真っ直ぐにフィンを見つめた。


 「……それが、あなたの“剣”なんだね」


 その言葉に、フィンもまた視線を合わせた。静かに、そして確かに。


 「うん。旅の中で、いろんな人と出会った。誰かを守れなかったこともある。けれど……誰かに届いた言葉もあった。だったら、この剣は、ただ斬るだけじゃない。“伝える剣”にもなれるはずだって」


 セリアはふわりと笑った。


 「……なら、今日はその第一歩だね。王都の人たちに、ちゃんと届いてたよ。あなたの想い」


 二人の間に、あたたかな沈黙が流れる。


 そのとき、背後から足音が近づいてきた。


 「グリムリーフ殿――お見事でした」


 現れたのは、先ほどの王弟サルヴァンだった。従者を下がらせ、あえて単身で歩み寄ってきたその姿は、格式ばらずに相手を見極めようとする意志の表れだった。


 フィンはすぐに立ち止まり、丁重に頭を下げた。


 「恐れ入ります。演武場の機会を与えてくださり、感謝いたします」


 サルヴァンはゆっくりと首を横に振った。


 「礼を言うのはこちらだ。貴殿の“剣の思想”は、実に示唆に富んでいた。“王に仕える者が、力の使い方を誤れば民を滅ぼす”。……そう、我が父王もよく言っていた」


 サルヴァンの言葉には、単なる感心ではなく、どこか深い懐疑と希望が混ざっていた。


 「グリムリーフ殿。私は王家の弟として、近衛騎士団とも関わっているが……いずれ、貴殿に“訓練生たち”を見てやってはもらえまいか?」


 フィンは目を瞬かせた。


 「ぼくが……ですか?」


 「そうだ。抜かずに伝える剣。それを、若者たちが知るだけでも意味がある。なにより、彼らが剣を学ぶ前に、“心”を知ってほしい」


 フィンは少しだけ迷った末に、静かに頷いた。


 「……はい。もし、その言葉が誰かを守ることに繋がるなら」


 サルヴァンは口元をゆるめ、満足げに微笑んだ。


 「いい返事だ。――この国には、まだ“風”が足りぬ。閉じた空気をかき混ぜる、新しい風がな」


 それは明らかに、彼自身の王家に向けた言葉でもあった。


 そして、王弟はセリアに目を向けた。


 「君も、ただの侍女ではないな。彼のそばに、歌をもって寄り添っている。歌と剣……奇妙な組み合わせだが、どうやら悪くない」


 セリアは驚いたように瞬き、少し照れたように言った。


 「私は……彼の“風の音”を聞いているだけです。だから、止まないように、静かに支えるだけ」


 「ほう。それはまた……風読みの巫女のようだな。面白い」


 そう言って、サルヴァンは踵を返し、静かに去っていった。


 二人のもとに残ったのは、言葉では表せない、わずかな期待と風の気配だった。


 セリアは、再びフィンの隣に立ち、ぽつりと呟いた。


 「……なんだか、動き出しそうだね。王都の中で、何かが」


 フィンは小さく頷いた。


 「うん。たぶん、これからが本当の“交渉”なんだろうね」


 そして、彼はそっと剣の柄に触れた。まだ布に包まれたままのそれに、確かな重みを感じながら。


 “抜かぬ剣”は、確かに届いた。


 だが、それはまだ“始まり”にすぎない。

王弟サルヴァンが立ち去ったあとの中庭は、静かで穏やかな風が吹いていた。


 灰色の石畳に落ちた影が伸び、花壇のチューリップがそよぐ。だが、その穏やかさの裏には、確かに何かが動き出している気配があった。


 「セリア、ちょっと散歩しない?」


 フィンの声に、セリアは軽く頷いた。


 「うん。……この空気、なんだか、まだ緊張が残ってる気がするの」


 二人は王宮の裏庭へと足を進めた。庭園の奥には、王族以外の者はめったに立ち入らない静かな区域があった。高い垣根に囲まれ、白と青の花が静かに咲いている、まるで“閉じられた記憶”のような空間だった。


 「ここ、誰もいないね……」


 「うん。でも……音がある」


 セリアは足を止めて、そっと目を閉じた。


 風の音、鳥の羽ばたき、遠くから聞こえる鐘の音――そうした自然の息吹が、微かに、だが確かにここに存在していた。


 「……あのとき、わたし、怖かったんだ」


 セリアがぽつりと呟いた。


 フィンはその言葉に振り返り、セリアを見つめた。


 「演武のこと?」


 「うん。剣を抜かなかったことも、あなたの表情も、あの空気も……全部、すごく怖かった。でもね、同時に……嬉しかったの」


 「嬉しかった?」


 セリアは頷いた。


 「あなたが、自分の言葉で、剣で、何かを伝えようとしてた。それが、たとえすぐには理解されなくても……誰かの心に届くって信じてた。わたしは、その想いを、歌にできたらいいなって思ったの」


 フィンは黙って、優しい目で彼女を見つめていた。


 「……歌ってくれる?」


 「今?」


 「うん、今。きっと、この庭も、聞きたいと思ってるから」


 セリアはほんの少し照れくさそうに笑い、そしてゆっくりと息を吸った。


 「……じゃあ、耳をすましてね。今度は、風じゃなくて――光のうた」


 目を閉じ、両手を胸の前で組み、彼女は小さな声で歌い始めた。


 ♪光よ、届いて

  閉ざされた扉のむこう

  ひとつだけでもいい

  想いが誰かに灯るなら……


 言葉は囁くようでありながら、どこまでも澄んでいた。その旋律は風に乗り、花々の間をすり抜け、空へと昇っていく。


 そのときだった。


 低い声が庭の入り口から響いた。


 「……それが、“グリムリーフの光”か?」


 二人が顔を上げると、そこに立っていたのは――王の侍従長だった。厳格な衣装を纏い、目の奥に鋭い光を宿す老人。先ほどまで、王族貴族の集まる大広間にいたはずの彼が、なぜここに?


 「……お聞き苦しいものを、お耳に入れてしまいまして」


 セリアが立ち上がり、頭を下げると、老人はゆっくりと首を振った。


 「いや、久方ぶりに“魂の揺らぎ”を感じた。それは……かつて、この庭で王妃さまが歌っていた頃以来かもしれぬ」


 「王妃さまが……?」


 「そうだ。この庭は、かつて先王妃殿下が日課として訪れていた場所だ。――あの方もまた、“声なき声”に耳を傾ける方だった」


 フィンが一歩前に出た。


 「それは、セリアの歌と……似ていますか?」


 老人はしばらく考え、そして頷いた。


 「“音”ではなく“祈り”であるという点においては、まったく同じだろうな。……グリムリーフ殿、貴殿の剣には、確かに重みがある。そして、この娘の歌もまた、ただの音ではない。これは……陛下に聞かせるべきかもしれぬ」


 「……陛下に?」


 侍従長は鋭いまなざしで二人を見た。


 「王都に吹いた風は、間違いなく貴殿らによるものだ。だが風は、いずれ“決断”を迫る。陛下の心に届くかどうかは、そのとき次第だ」


 セリアは一瞬、ためらうようにフィンを見た。


 フィンは静かに頷いた。


 「届けよう。剣と歌で」


 そのとき、まるで応えるように、遠くの空で風鈴が鳴った。


 王都という静かな迷宮に、確かに新たな風が吹き始めていた。

夜の王宮は、昼とは別の顔を見せていた。


 白く輝く月が、王都シェリオンの塔を静かに照らし、風のない空気が、重く張り詰めるように中庭や回廊を包んでいた。王城の最上階にある“謁見の間”には、灯火の明かりが揺れ、数人の高位貴族と王族が集まっていた。


 「……つまり、王弟殿。貴殿は“あの少年”に、何を見たと?」


 壮年の宰相が低く尋ねた。口ひげを整え、黒衣の装束を纏ったその男は、冷静なまなざしを崩さない。


 「力を“使わない”という力だよ」


 王弟サルヴァンは、椅子に深く腰掛けながら、天井を見上げていた。戦神を彫り込んだ金細工の天蓋が、彼の声に静かに応じるかのように影を落とす。


 「使節団として訪れたその少年――フィン・グリムリーフ。あの者は、自分の剣を見せるために鞘から抜かず、それでいて剣士団の者を打ち伏せた。あれは単なる技巧や演武ではない。“何を振るうか”ではなく、“なぜ振るうか”を理解した者の動きだった」


 「……英雄と呼ぶには若すぎるな」


 「だが、始まりとしては十分だろう」


 審議の間には、短い沈黙が流れた。


 「王都に混乱をもたらす者ではないか? 聖騎士団の中でも、あの“剣を抜かぬ戦い”は侮辱と受け止めた者も少なくない」


 「それは“力を誤解している証左”だ」


 サルヴァンはきっぱりと言い放った。普段は温和な表情を崩さぬ彼の声に、かすかな熱が宿っていた。


 「剣は人を傷つけるためのものだと思い込んでいるから、抜かれなかったことに苛立つ。だがあの少年は違う。剣は“守るために抜かない”という選択肢すら持っている。それは――かつて兄上が目指された“新しき王政”に通じるものだと、私は思う」


 その言葉に、全員が黙った。


 王が掲げる理想――それは力ではなく、信頼と理性による統治。しかし現実には、王国の貴族階級や聖騎士団が、その“古き強さ”を手放せずにいた。


 そのとき、扉が静かに開いた。


 「失礼いたします、陛下よりの伝令でございます」


 姿を見せたのは、第一侍従長だった。長身の老騎士で、その一歩一歩が王宮の歴史を刻むかのような重みを持っていた。


 「王よりお言葉。“グリムリーフ殿と、その一行を正式に迎えよ。次回の晩餐にて、対面を許す”とのこと」


 「……なんと」


 王弟が驚きに目を細めると、宰相もまた口元を引き締めた。


 「陛下は動かれたか。思ったより早い」


 「それだけ、あの少年の行動が印象を与えたということだ」


 サルヴァンは立ち上がり、ゆっくりと歩を進めた。


 「剣を抜かずして、王の関心を引いた者。私が知る限り、それは兄上以来だ。……興味深いな。どこまで届くか」


     ***


 一方、迎賓館の屋上では、フィンとセリアが並んで月を見上げていた。


 「明日、王と対面することになったよ」


 フィンが小さく告げると、セリアはぱちりと瞬きをしてから、少し不安そうに口を開いた。


 「……大丈夫? あの演武のこと、まだ気にしてる人もいたよ」


 「うん。でも、俺は“振るわなかった”ことを、間違ってないって思ってる」


 フィンの声は静かだったが、その奥にあるものは、鋼のように揺るがなかった。


 「力を持っていても、それを使わずにいられる勇気。言葉よりも重いのは、たぶんそれだと思うんだ」


 セリアは、そっと彼の手を握った。


 「……じゃあ、わたしは、あなたが迷わないように歌うね。あなたの剣が、誰も傷つけないで済むように」


 「ありがとう、セリア」


 二人の間に、風が吹き抜けた。


 王都の空に浮かぶ月は、まるで彼らの行く先を照らすように、静かに輝いていた。

107話『剣を抜かぬ決闘』、いかがでしたでしょうか。


 この回は、フィンという主人公が「力の使い方」に対してどんな信念を持っているかを示す、大事な節目でした。従来の“力こそ正義”という空気の中で、「振るわない」選択をしたフィン。その行動に最も早く反応したのが、王弟サルヴァンというのも、今後の政治や対立構造に広がりを与える布石となっています。

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