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19 婚姻の契約

 それを聞いたシメオンは、つらそうな顔でアメリの頬を撫でた。


「私はそうやって何度君を傷つけたんだろう」


 アメリはその言葉にはっとして顔を上げた。


「そんなことありません!」


 シメオンは悲しそうに微笑む。


「君は優しすぎる」


 そう答え、アメリの手を包み込むように優しく握ると話を続けた。


「私の出会いとは、テランスのことだ」


 アメリはそこで疑問に思う。


「シメオン様は、お父様と知り合いではなかったのですか?」


 エステルの旧友である。知らないはずがない。だがシメオンから予想もしない返事が帰ってきた。


「私がテランスと会ったのは、君のことで話をしたときが初めてだ」


 そう言うと苦笑した。シメオンのその意味ありげな苦笑に、アメリは気になって質問する。


「シメオン様? どうしたのです?」


「実はテランスはステラとのことがあってから、この地に二度と踏み入らないと心に決めていたようだ」


「そう、だったのですね……」


「そんなこともあって母もテランスのことを、私にどう話せばいいかわからなかったのだろう」


 そこで、シメオンは大きく息をつくと言った。


「テランスの気持ちはわかる。私も君を失っていたらどうしていたかわからない」


「そんな、まさか。シメオン様に限ってそれはありえません」


 シメオンはその返事に悲しそうに微笑む。


「なぜそう思う? 君は自分を過小評価しすぎだ。私にとっても、テランスにとっても君という唯一無二は存在しない。私の世界に君は必要不可欠だ」


 それを聞いたアメリは、恥ずかしさのあまり黙り込む。するとシメオンはそんなアメリを愛おしそうに見つめ、手の甲にキスし話を続けた。


「とにかく、君がテランスの娘だとわかり『地位』という障害が取り除かれて本当に嬉しかった。君の憂いが一つ消えるのだから。まぁ、君の出自など関係なく私は君と婚姻すると決めていたけれど」


 シメオンのその返事に、アメリの心臓が大きく脈打ち、どう答えていいか戸惑いながら口を開いた。


「はい、あの、わ、わかりました。えっと、それでは、屋敷で聞いたシメオン様の婚約の噂話は一体どこからでたのでしょうか?」


 シメオンは眉毛を寄せて、嫌そうに答える。


「ブランデ侯爵令嬢が、婚約者だと周囲に触れ回っていたようだ。私には君しかいないと屋敷の者はみんな知っているはずだから、さぞ困惑しただろうね」


 みんなに、そんなふうに見られていただなんて!


 アメリは顔から火を吹きそうなほど恥ずかしくなり、俯いた。それを見てシメオンは嬉しそうに話を続ける。


「私の可愛いアメリ。君の体調が回復したら、いや、直ぐにでも婚姻の契約をしよう。そうすればやっと君が私のものだと公言できる。君の気持ちを知った今、一秒でも待っていられない」


 アメリは思わず両手で耳を塞いだ。


「もうやめてください。とても恥ずかしいんです!」


 シメオンはアメリの手を両耳から外すと、耳元で甘く囁く。


「恥ずかしいことなんかない。アメリ、それで君の気持ちは?」


 アメリはシメオンをそっと見上げると、絞り出すような声で言った。


「はい……。私も同じ気持ちです」


「そうか、よかった。では早速そのように手配させよう」


 そう言うと、シメオンはフィリップを呼ぼうとした。アメリはそれを慌てて止めた。


「待ってください。本当に今すぐに実行するおつもりなのですか?!」


 シメオンはさも当然といった顔をした。


「君は私が冗談でこんなことを言うとでも?」


 アメリはこのシメオンの行動力に圧倒されながら答える。


「い、いえ。そんなことは思ってませんけれど。あまりにも急な話でしたので」


「急な話? そんなことはない。以前から私は君に気持ちを伝えていたはずだ」


「は、はい。そうなのですが……」


 そう言われ、今までシメオンと過ごしてきた日々が思い起こされた。アメリは今までシメオンの言うことは、すべてシメオンのいたずらや、家族として言われているのと思っていた。だが、それらすべてが本気だったのだ。


 そう考えると頭がクラクラし始め、同時に顔が赤くなっていくのを感じるとともに、気が遠のいていった。


 気がつくとアメリはベッドに寝かされており、シメオンが心配そうに顔を覗き込んでいた。どうやら気を失っていたようだと気づいて、慌てて起き上がろうとすると、シメオンがそれを止めた。


「すまない、君は病み上がりだったのに、あまりにもその反応が可愛らしくて、色々やり過ぎたみたいだ。少し休んだほうがいい」


「すみません」


「謝らなくていい。君はもう少し我が儘になることを覚えないといけないな」


 そう言ってシメオンはアメリの額にキスをして言った。


「なにかしてほしいことは?」


 そこでアメリは、不意に保養所で世話になったミリーたちのことを思い出す。彼女たちにも体調が悪かったときにはこんなふうには世話になったからだ。


「シメオン様、一つお願いがあります」


 シメオンは嬉しそうに答える。


「なんだ?」


「はい。オビュラの保養所の方々にお礼をしたいです」


「そうか、わかった。確かにそうだな。十分な礼をしなくては。それに、落ち着いたら君も手紙を書くといい」


 そう答えるとシメオンは無言でアメリをじっと見つめた。


「なんでしょう」


 アメリがそう問うと、シメオンは苦笑して答える。


「初めての君のお願いがそんな内容とはね。君はもっと自分のために生きていいんだ。他にはなにかお願いやおねだりはないのか?」


 アメリは一つだけ我が儘があることに気づき、顔を赤くして消え入るような声で言った。


「で、ではもう二度とシメオン様と離れたくありません……」


 それを聞いたシメオンは、アメリの顔の横に手をつき、愛おしそうに見つめて言った。


「アメリ、君を愛してる。ずっとそばにいると誓うよ」


「はい」


 シメオンはゆっくり顔を近づけると、そっと口づけ、やがてそれは深いものへと変わっていった。


 それからのシメオンは誓い通り、アメリを絶えずそばに置き、離れることがなかった。


 横で見ていたテランスが流石に窘めると、シメオンはこう答えた。


「ここに居ることは、ブランデ侯爵令嬢には知られてはいないと思うが、アメリが危険なことには変わりない。これはアメリを守るために必要なことだ」


「そんなことを言っているが、娘と離れたくないだけなのだろう?」


 テランスはそう答えると苦笑し、アメリを見つめふっと息をつくと言った。


「なんと言ってもアメリはこの美しさだ。私もこんなにも素晴らしい娘が持てるなんて、これ以上に幸運なことはないと思っているぐらいだ」


 シメオンはその言葉に満足そうに頷く。


「確かに、その通りだ。これから社交界デビューしてしまったら、きっと注目の的になる。できれば誰の目にも触れさせたくない」


 アメリはいつもそんな会話する二人に戸惑い、いつまでも慣れることができなかった。


 これでは、恥ずかしさで心臓がもたない。そう思いながら過ごしていた。そうやって、二人に甘やかされながらゆっくり静養し、アメリの体力はみるみる回復していった。


 体力が回復してすぐに、シメオンの希望で婚姻の契約魔法をかけることになった。


「私の父や母には許可を得ている。もちろんテランスにも。本当はこんなに焦ってするものではないが、こうでもしないと私は気が気じゃないんだ」


「シメオン様、そんなに心配せずとも大丈夫です。私はもう身も心もシメオン様のものなので……」


 アメリが恥じらいながらそう答えると、シメオンはアメリを抱き上げその場でくるくると回って言った。


「そうだ、君は私のものだ。私は世界一幸せな夫になるだろう」


 アメリは必死にシメオンに抱きつくと答える。


「大げさです! それ言うなら、私のほうこそ世界で一番幸せな花嫁です」


 アメリがそう答えると、シメオンは立ち止まりアメリをその場に立たせ手を取ると真剣な顔をした。


「アメリ、本当にいいんだね?」


「はい。よろしくお願いします」


 アメリは貴族の婚姻の契約魔法がどんなものか知らなかったので、とても緊張しながらシメオンと見つめ合う。


「わかった。では始めよう。儀式そのものはさして重要ではない、だから簡略化した儀式にする。やり方を教えよう。さぁ、私と手を合わせて」


 アメリはそっとシメオンと手を合わせ、次になにをすべきか問うようにシメオンを見つめた。シメオンは頷くと説明を続ける。


「次に私が言ったことを復唱して。『互いの血と肉を互いの半身とする』」


「はい。『互いの血と肉を互いの半身とする』これでいいのですか?」


 言い終わるか終わらないかというところで、温かな光の粒が二人をつつみ込み、下から上に向かって螺旋を描いて登っていく。


 驚いてシメオンの顔を見ると、シメオンは目を閉じ魔法の詠唱をし始めた。アメリも慌てて目を閉じると、互いの気が合わせた手から互いの体に気が流れ込み、溶け込んでいくのがわかった。


 それは優しく心地のよいものが体の中を循環し、次第に柔らかな感触に包まれていくような感覚だった。


 そしてそれが落ち着くと、アメリはとても満たされた感じがした。


 ゆっくり目を開くと、シメオンは穏やかな笑みを浮かべて言った。


「アメリ、私は今までに感じたことのない、素晴らしい体験をしている。君はどう?」


 アメリが頷いて返すと、シメオンも頷いて続ける。


「今までは個々に流れていた気が、どんなに離れていても互いの体の中を循環するようになったんだ。私たちは互いが半身となったんだよ」


『お互いが半身となった』その言葉ほどこの状態を言い表す言葉があるだろうかと、胸の奥にあるその温かなものを感じながら、そっと胸に手を当てた。


 次の瞬間、互いの左手の薬指の根元が輝きだし紋様が刻まれた。驚いて見つめていると、シメオンが説明する。


「これは契約をしている間は消えることがない。私と君が結ばれた証なんだ」


 アメリはそれが嬉しくて、いつまでもじっと自分の薬指を見つめた。


 二人の婚姻契約の儀式に立ち会っていたテランスもとても喜んでいた。


「アメリ、おめでとう。ステラはアメリが立派に成長してくれて、今とても誇らしく思っているだろう」


 そう言って、二人を祝福した。


 もちろん、結婚式は後日行うことになっていた。その前にアメリたちには片付けなければならないことがあったからだ。


 アメリはシメオンがついてくれていると思うと、リディに対峙するのも恐くないと思うようになり、覚悟を決めた。


 そうして婚姻の儀を終えると、アメリの体調は以前と変わらないぐらいに回復した。


 これなら馬車での長旅も耐えられるだろうとのことで、二人は屋敷へ戻ることとなった。


 数日かけて屋敷へ戻ったアメリは、少し離れていただけなのにとても懐かしく思った。


 それにもう二度と戻ってはこれないと思っていたので、屋敷の前に立つと自然と涙がこぼれた。


 シメオンはそんなアメリを抱きしめて背中を擦った。


「みんな君の帰りを待ってる。さぁ、入ろう」


 そう言って中に入るように促した。一歩中へ入ると、シメオンの言っていた通りエントランスで使用人たちが勢揃いでアメリを出迎えた。


「シメオン様、アメリ様、おかえりなさいませ」


 アメリが驚いていると、使用人たちは頭を下げ続けて言った。


「婚姻、おめでとうございます!!」


 それに反応してアメリは顔を赤くすると、恥ずかしくてシメオンの後ろに隠れた。シメオンは余裕の表情で答える。


「みんな、ありがとう。アメリはまだ若くて経験も浅い。これから貴族として学ぶことも多いと思う。みんなで支えてやって欲しい」


 そして、同行していたテランスも口を開く。


「至らないこともあると思うが、私からも娘のことをよろしく頼む」


 すると使用人たちはそれぞれが大きく頷き、「もちろんです!!」「お任せください!」と口々に答えた。


 アメリはなんとか気持ちを落ち着かせると、シメオンの背後から姿を現して言った。


「私からも、よろしくお願いします」


「もちろんです!」


 そうして屋敷の者たちに優しく迎え入れられると、アメリたちはエステルのところへ向かった。部屋に入るとエステルは直ぐにアメリに駆け寄り、手を取り上から下まで見た。


「アメリ、心配したのよ? 体調はどう?」


「ご心配お掛けしまして、申し訳ありませんでした」


 そう言って頭を下げようとするアメリをエステルは抱きしめた。


「アメリ、私が貴女にちゃんと説明しなかったせいで、つらい思いをさせてしまってごめんなさい」


 そう言ってから、体を少し離すとアメリの顔を見つめる。


「それに貴女は私の娘になるのだから、そんなにかしこまらなくていいのよ?」


 アメリが目に涙を浮かべると、エステルはそんなアメリをじっと見つめた後でもう一度抱きしめた。


「本当に無事で良かったわ」


「はい」


 アメリはずっと自分のことを心配し、見守ってくれていた人たちがいたことに心から感謝した。こうして久々の再会を喜ぶと、テランスも含めしばらく楽しい時間を過ごした。


 シメオンの父であるアルフォンスは、しばらく戻ってこられないとのことだったが、手紙で二人の婚姻について喜びと祝福の言葉を寄越し、二人の結婚式には戻ってくると約束してくれた。


 シメオンとはこれからのことも話し合った。準備期間は必要だが、シメオンがそんなに長く待つつもりはなく、すべてのことが片付いたらすぐにでも大々的に結婚式を挙げると言明した。

誤字脱字報告ありがとうございます。


※この作品フィクションであり、架空の世界のお話です。実在の人物や団体などとは関係ありません。また、階級などの詳細な点について、実際の歴史とは異なることがありますのでご了承下さい。


私の作品を読んでいただいて、本当にありがとうございます。


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