許して!
また書いてしまった...
1日の仕事が終わり、みんな帰り支度を始める。
同僚達はみんな笑顔、今日はこれから職場の飲み会、会場は高級イタリアンだ。
「又茂さん、やっぱり行かないんですか?」
「お疲れ、明日から休みだからって余り飲み過ぎないでね」
今日は金曜日だから明日を気にしなくても良いけど、私は不参加。
同僚達に悪い気もするが、参加する訳にいかない。
この会社に勤めて5年、私は一度も飲み会や懇親会に参加してない。
出世に響くかもしれないが、それは仕方ないの。
6年前、許されざる過ちを犯してしまった私は...
「ただいま」
「お帰りなさい...お母さん」
一人仕事終え、午後8時に帰宅した私を娘が迎えた。
今日も無事に1日が終わったんだ。
平穏無事な1日が...
「おそくなってごめんなさい、夕飯は?」
早く支度しないと、手には帰りに寄ったスーパーで購入した惣菜がある。
「お父さんと食べたってメールしたじゃん」
「あ...」
「しっかりしてよ」
「そうね」
いけない、メールなんか全く見て無かった。
早く帰る事ばかり考えていたからだ。
「それじゃこれは明日食べてね」
「はーい...」
冷蔵庫に惣菜を入れる。
娘は好きなおかずに嬉しそう、その後ろで旦那は冷めた目で私を見ていた。
「遅くなってごめんなさい」
「...別にどうでもいい」
お風呂の後、リビングで晩酌をする旦那に頭を下げる。
全く興味を示さない旦那、私を見ないままウィスキーの入ったグラスを傾けた。
「あの今日は会社の飲み会があって、私は参加しないで会社に残って...」
私の言葉を旦那は無言で聞いている。
いや聞いているフリだけ、全て聞き流しているのだ。
「それじゃ寝ます」
旦那の前に自分のスマホを置く。
ロックはしていない、ただ本当に残業をしていた証拠として見て欲しかった。
寝室は別々、もう六年前からそうだ。
夫婦生活もその時から途絶えた、私の不倫がバレたあの日からずっと...
「いつになったら...」
一人寝室のベッドに腰掛け呟く。
自らが犯してしまった過ち、人生の汚点。
もう幸せだった日々は帰って来ないのだろうか?
私が不倫をしたのは、ほんの軽い気持ちだった。
相手は当時勤めていた会社の上司で、私より10歳年上の草井満夫課長。
特に結婚生活に不満があった訳では無かった。
旦那は優しかったし、娘も可愛かった。
仕事も責任を任され、全てが順調だった。
でも私は浮気をした...
最初から身体を許すつもりは無かった。
それまでも課長と飲みに行く機会もあったし、互いの家庭を大切にしていたから、一線を越えるつもりは無かったんだ。
「...言い訳にもならないか」
結局は男女の関係となってしまった。
それは二年続き、私は妻として、母親として上手くやっているつもりだったが、何処かに隙が生まれていた。
課長もそうだった。
旦那と上司の奥さんは、私達の関係を疑い、探偵を雇われ全てバレてしまった。
『許して下さい!』
『頼む、魔が差したんだ!!』
呼び出された会社の会議室で私と課長は頭を下げた。
目の前に私の旦那と課長の奥さん。
そして会社の役員達の冷めた目があった。
課長は左遷され、出世コースから外れた。
私も本社から関連会社へ出向を命じられた。
就業時間内の不貞は無かったが、既婚者同士の不倫、お咎め無しとは行かったのだ。
旦那は私の不貞を互いの両親に伝えた。
我が家に両親を呼び、始まった話し合い。
旦那の両親は罵るで無く、ただ悲しそうな目で私を見ていた。
対する私の両親は土下座をして旦那に詫びた。
そして離婚を旦那に薦めた。
『政志君、こんな薄汚い女と暮らしてはダメだ。
君はまだ若い、人生を無駄にしては行けない...』
信じられなかった、娘である私を両親は切ったのだ。
しかし私に発言権は無い、ただ決定には従うつもりだった。
『美愛はどうするつもりだ?』
両親が帰り、二人になったリビング。
それまで黙っていた旦那が呟いた。
『美愛は...』
私達の娘、美愛はまだ当時7歳。
ここには居おらず、私の妹に見て貰っていた。
小学二年になったばかりで、こんな事に巻き込んでしまうなんて...
『美愛には母親が必要だ。
俺も一人では面倒を見れない』
『それって...』
『お前を許す訳じゃない。
ただ今は引き取るのが難しいだけだ。
親権も厳しいだろうし』
『...あなた』
確かにそうだ。
旦那の仕事は出張も多く、義家族も近くには居ない。
親権は私になるだろう、何より娘を手放す気は無かった。
『分かりました...どうかお願いします』
こうして私は家族としてやり直す事になった。
旦那は会社に頼み、週2日だけ会社に行くリモート勤務になった。
少しでも娘の時間を取りたいとの事。
引っ越しもした。
私の不倫は近所にまで知られていたのだ。
気づかなかったが、課長に送って貰っていたのを周りに見られていた。
課長も離婚はしなかった。
だが当然奥さんから慰謝料は請求された。
100万円、それが高いのか分からない。
旦那も同額を課長に請求し、慰謝料は相殺された。
『私が払います』
奥さんの慰謝料は私が払うと旦那に言った。
『要らない、お前の金は大事に取っとけ』
『...どうして?』
無かった事にする訳にいかないのに。
『また次があるかもしれない』
『そんな...』
こうして私の不倫処理は終わった。
それから6年、私は失った信用を取り戻す為、慎ましくやって来たのだ。
旦那から無視されても、蔑まれてもずっと堪えながら...
「寝られないのか?」
「あなた?」
寝室の扉が開き、旦那が顔を出す。
こんな事は今まで一度も無かった、この事態に理解が追い付かない。
「良いか?」
「ええ」
旦那は部屋の椅子に腰を下ろす。
静かな目、何を思っているのだろう?
「ありがとう...私みたいな女を」
沈黙に堪えきれず、私の方から口を開いた。
「美愛の為だった」
「そうよね」
それは分かって居る、だけど...
「まあ、今まで色々あっからな。
今日は飲もう」
「あなた...」
旦那は持参していたグラスに酒を注ぐ。
お酒は好きだけど、今日は飲む気が...
「寝酒だよ、乾杯」
「うん...」
優しい目...こんなの断れないよ。
終始無言でグラスを空ける。
(...まさか旦那は私と今夜?)
期待と不安で胸が痛い。
どうしてよりによって今日なの?
なぜこんな事に...
「おやすみ」
「...あ」
数杯の酒を飲み終わると旦那は静かに立ち上がる。
覚悟を決めたのに...
「いいから、もう寝ろ」
「うん...」
優しくシーツを掛けてくれる。
緊張から解放された私は猛烈な眠気に抗えず、眠りに落ちた。
「...良かった」
「そうだな、良い夢を」
部屋を出る旦那の言葉を聞きながら...
「...う...」
目が覚めたのは翌日の昼だった。
昨日は色々有りすぎて、疲れがピークだったらしい。
寝すぎてしまった。
遅くなったが、早く食事を作ろうとキッチンへと向かった。
「うん?」
キッチンに入った私は部屋の様子に唖然とする。
「無い?」
部屋にあった筈の食器や、一部の家具が無くなっている?
「ちょっと!」
慌てて旦那の部屋に走る。
これはどういう事?
「...嘘、なんで?」
旦那の部屋には何も置かれて無い、もぬけの殻。
「...美愛」
まさか旦那が家出を?
とにかく美愛に知らそうと私は娘の部屋に向かった。
「これは一体?」
娘の部屋まで何も無い。
空っぽの部屋には昨日私が買った惣菜が床にぶちまけられていた。
「なんで...」
リビングのソファーにへたりこむ。
テーブルには昨日置いた私のスマホが...
『...お繋ぎできません』
「嘘...」
旦那だけじゃない、娘の携帯までも着信拒否のアナウンスが!
「まさか...いやそんな...」
一つの可能性に背中から冷や汗が噴き出す。
「なに...これ?」
テーブルの下棚に置かれた一冊のファイル。
震える手で、それを開いた。
「なぜ...?」
その中にある写真、昨日私と満夫がホテル街を並び歩く様子...
「...バレてたの?」
激しい目眩、頭が真っ白になる。
どうしてバレたの?
細心の注意を払っていたし、滅多な事がなければ会わない様にしていたのに!
「これは...」
ファイルの中に写真と封筒が二通。
一通には旦那の文字で私の名前が書かれていた。
[史佳へ]
[この手紙を読んでいるという事は全部が知られたのを分かったという事だ。
お前は浮気を全く反省しない女だという事は分かっていた。
なにしろ最後まで間男を庇っていたし、保身しか考えてなかったからな。
昨日もだ、仕事は5時上がりだったのに、なぜ帰宅が8時なんだ?
会社から自宅まで30分なのに。
残業は嘘、会社に確認済みだ、いくらスマホを偽装しても言い訳は出来ないぞ]
[今度こそ覚悟しろ]
「ああ!!」
完全にバレていたなんて...
「違うの!!」
満夫とは接近禁止だった、だから会いに行った訳じゃない。
一年前に偶然だったんだ!!
たまたま会って、お互いの愚痴を言い合う内に...数回...
「...これは?」
もう一通の封筒は何も書かれて無い。
震える手で封筒を開ける。
中には一枚の便箋が入っていた。
「み...美愛」
綺麗に整えられた娘の字。
[あなたは最低ですね。
最近あなたの帰りが遅いので、私が調べました。
まさか浮気をしていたなんて、怒りを抑えるのが大変でした。
あなたの薄汚い血が入ってるだけで死にたくなります。
もう縁を切ります、さよなら]
「そんな!!」
娘にも知られていたの?
まさか前回の浮気も?
「...誰?」
スマホが着信を知らせる。
見知らぬ番号、誰なの?
「...もしもし」
『久しぶりね』
「...奥さま」
それは満夫の奥さんからだった。
『全く懲りないわね、今度は容赦しないから』
「え?」
まさか知ってるの?
『こっちは全部吐いたわ、勿論離婚よ。
そちらも同じつもりらしいから、覚悟しなさい』
「ちょっと待って下さい!」
離婚ですって?
そんな私はそんなつもりじゃ!!
『...本当にバカ...
私も信じようとしたのに...
あなた達は救いようの無い人間ね』
「お...奥さん」
呻く声に言葉が続かない。
『全部失いなさい、旦那さんも娘さんも、実家の家族もね。
あなた達はそれだけの事をしたのよ』
「イヤアァ!許して!!」
プツリと切れる電子音。
髪を引きちぎり、床にうずくまる。
電子音は私の人生が破滅したのを知らせていた。