第2話 大海賊・ロウバーの未練
アヴォンは大きな溜息を吐いた。今の状況が馬鹿馬鹿しく思えて仕方がない。
仲間達から離れた場所で作業する少年の周りに、海賊の幽霊が口笛を吐きながら浮遊している。しかも、その幽霊はあの“海の覇王”と呼ばれ、市民や海軍、海賊にすら恐れられたキャプテン・ロウバーだと言うのだ。
ふざけてる。なんでそんな海のお偉いさんが、俺の周りをウロウロしている?そもそも自分の能力は気億だけが視えて、それ以外の霊の類は一切視ることがないはず。それなのに、この海賊だけは自我を持っていて喋りかけてくる。ふざけんな。
と、アヴォンは心の中で悪態をつきながら作業の手を進める。
「アヴォン、サッサと終わらせてくれ。せっかく話し相手が見つかったてのに、まだ待たなくちゃいけないのか?」
「なんで俺の名前を知っているんですか?」
「さっき、体つきのいい少年がそう呼んでいたからな」
「スフトの奴……幽霊って、視えないだけでこの世に留まっているんですか?」
「成仏しないとあの世に行けない。早く成仏したいんだがな」
「どうしてですか?」
「成仏すれば、神と同等の知識を得られると言われている。そうなれば、世界の真実が分かると思ってな」
「……世界の真実?」
「お、知りたいか?少し長くなるが───」
「あ、長いのならいいです。帰ってから聞きます」
ロウバーは口を閉ざし、つまらなさそうに少年を見下ろす。その視線を感じ、アヴォンは気まずそうにしながら作業を進めた。
その日の雑用を終えて、帰路を歩く少年の後を、幽霊が呑気に鼻歌を歌ってついていく。なんとも異様な光景だ。
「それで、あんたは本当にあのキャプテン・ロウバーなんですか?」
「あぁそうさ。俺の指名手配くらい見たことがあるだろう?」
「ありますけど、思っていたのと違って」
彼の指名手配の肖像画は、不敵な笑みを浮かべているものばかりだった。海賊という恐怖の印象で、誇張されて描かれていたのだろう。
幼い頃から、よく彼の船団の指名手配を見てきたので、彼らが恐ろしい人物だと思ってきたが、今目の前にいる幽霊は陽気に鼻歌を歌い、恐ろしさはかけらもなかった。なんだか肩透かしをくらったようだ。
「こんなので失望したか?」
「期待も何もないんで、失望なんかしませんよ」
「おいおい、大海賊が目の前にいるんだぞ?ワクワクしないのか?」
その質問に、アヴォンは答えなかった。それを見て、ロウバーはこの少年はつまらない奴と再認識した。
海賊の話では話題が広まらないので、話題を変えることにする。
「ま、そんなことはどうでもいい。聞きたいことがあるんだ。アヴォンが視えるのは、気憶だけか?」
「はい。でも例外が今、目の前にいますけど」
ロウバーはアヴォンにジト目で見られていることを気にせず、何かを考え込んでいる。
「んー。なら、なんで俺が視えているんだろうな?」
「こっちが聞きたいんですけど」
幽霊すら視える理由が分からないのなら、自分達では答えを見つけられないだろう。アヴォンは助っ人に頼ることにした。
「えっと、港に霊の類に詳しいお婆さんがいるんです。ちょっと、話を聞きに行きませんか?」
「おぉ、そんな婆さんがいるのか!こういうのは専門家に聞くのが最善だ。その婆さんに聞いてみよう」
答えを導き出す手段が見つかったというのに、提案した当の本人は浮かない顔をしている。それを見て、幽霊は怪訝な表情を浮かべた。
「おい、何をそんなに嫌そうな顔をしている?」
「彼女に会えば分かりますよ」
老婆の名はバポール。彼女は盲目だが、幼い頃から霊の類の気配を感じることができた。幼い頃の彼女はそれが人間だと思って接してきたため、周りの者達から忌避され、親からも距離を置かれていた。
そんな幼少期を過ごした彼女は気難しい性格になり、霊と人間の区別がついた今でも、親しい者はいなかった。
アヴォンもいろいろな理由で彼女と関わるのは避けたかったが、今回は頼らなければ物事が進まない。
ドアをゆっくりと開ければ、カーテンは締め切られ明かりは暖炉の火のみで薄暗い部屋が広がっている。彼女にとって部屋が暗くても大した問題ではないが、目が見える人間にとっては一層不気味さが増して感じられる。
バポールはいつものように、暖炉の前のロッキングチェアに小さな体を預けている。何か暖炉の火に向かってブツブツ呟いている老婆に、おそるおそる声をかける。
「バポールのお婆ちゃん、ちょっといいかい?」
「おや、その声は見鬼の子か!坊やから来るなんて珍しいじゃないか。ようやく狭間に行く気になったのかい?それとも、何か気になる気億でも見たのかい?どちらにしても何か進歩したことに変わりはないだろうねぇ。さぁさぁ、私のそばにお座り」
挨拶早々、バポールは捲し立てて、アヴォンを隣のイスに座らせる。
先程、彼女は気難しいと述べたが、なぜかアヴォンに対しては友好的だった。自分と似た能力を持っているからだろうか?どちらにせよ、アヴォンを困らせるのには変わらない。
アヴォンが何から話そうか迷っていると、老婆の眉がピクリと動き、顔を上げて少年の方………正確には少年の背後の方に顔を向ける。
「坊や、何かに憑かれてるよ」
「そのことで相談に来たんです」
アヴォンはロウバーがあの“海の覇王”であることは伏せて、この幽霊の姿を視ることができ、会話ができる旨を彼女に説明する。バポールは難しい顔をして手を揉み合わせる。
「それは、厄介だ、厄介だね。厄介なことに巻き込まれたね」
「何か、悪いことですか?」
「さぁね、それはよく分からない。でも、異なる霊を視る見鬼の瞳を持つ者たちが、共通して視ることができる霊がいると聞いたことがある。それは未練がある霊。その霊がそっちから話しかける、なんてことは聞いたことがない。だから、坊やが視ている霊は、他と比べられないほどの強い未練があるのかもしれないね」
チラリと幽霊の方を盗み見る。彼は、複雑な顔をしていて、何を考えているのかは分からないが、様子からして未練はあるようだ。
「俺は、どうすればいいですか?」
「その霊の、未練を晴らす手伝いをしてやることだね。未練がある霊はこの世を彷徨い続け、悪い影響を与える。この霊に強い未練があるというのなら、………どうしようもない大きな災いを、引き起こすかもしれないよ」
思わず、アヴォンはロウバーの方を振り返った。彼は老婆のことをジッと見下ろしている。先程までの陽気な雰囲気はどこかに消えてしまっていた。しばらく彼の様子を伺っていたが、アヴォンは老婆に向き直る。
「もし、未練を晴らすことができなければ?」
「もっと霊の類に詳しい者に、祓ってもらうことだろうね。もしかしたらここにはいないかもしれないけれど、その時は、狭間に行くことだね。そもそも、私は早く坊やにそこに行ってもらいたいんだけど」
またよく分からない話を始めた。エスカレートする前に、アヴォンは一言告げて老婆の家を出た。その後を、フワフワと揺れながらロウバーがついていく。
「未練に心当たりは?」
「あぁ、あるさ」
そう答える彼は、どこか遠くを見つめている。
「生前に手に入れた財宝を失ったことですか?」
皮肉混じりに聞けば、彼は小さく鼻で笑って皮肉を返す。
「財宝なんか、死んだ後ではなんの役にも立たない。たくさん持ってるだけ無駄さ」
「じゃあ、あんたの未練はなんですか?」
「羅針盤だ」
「へ?」
アヴォンの口から間抜けな声が出た。無理もない。数々の財宝を差し置いて、羅針盤とはおかしな話だ。
「羅針盤って、あの方位を示す?」
「それ以外に何がある?」
「いや、だって………」
ロウバーが鼻から息を洩らす。息を洩らすといっても、死んでいるので仕草だけの疑似的なものだが。
「俺が海賊になったのは、あの羅針盤がきっかけだ。だから、どの財宝よりも大切な宝なんだよ」
「それで、どこに羅針盤が?」
「分からん」
「分からん!?」
おいおい、勘弁してくれ。ただでさえ面倒なことになっているのに、これ以上面倒になってどうする。
そんなアヴォンの心境を悟ったのか、ロウバーは大雑把な場所は分かるが、詳しい場所は分からないと付け加える。
「死んだ場所の周辺だとは思うがな」
「………どこで死んだんですか?」
ロウバーは少し躊躇いを見せた後、言葉を紡いで場所の名を言った。
「スモーキング・ケイブ。一度は聞いたことがあるだろう?」
アヴォンは自身の顔が引き攣るのを感じた。
スモーキング・ケイブ───オトロ島にある、洞窟だ。洞窟の中は、一寸先すら見えないほどの濃い霧が充満していて、一度入った者は誰も帰ってこなかったと言われている。どうやら、“海の覇王”さえその洞窟から帰ることができなかったようだ。
そんな場所で小さな羅針盤を見つけ出すのは無理な話。バポールの言うように、霊の類に詳しい者に頼んで、ロウバーを祓ってもらうのが最善の手段だろう。彼には申し訳ないが、羅針盤のために不特定な時間を費やすつもりはない。
アヴォンが断ろうと口を開きかけたその時、
「あの婆さんが言う、“狭間”ってのはなんだ?」
と、ロウバーが話題を変えてきた。答えないわけにもいかないので、アヴォンは渋々口を開いた。
「分かりません。多分、年寄りの妄言だと思います」
あのように捲し立てるばかりで、バポールは一番重要な狭間とは何かという説明を一度もアヴォンにしなかった。そのため、霊の類ばかりに意識が向いて幻でも見てしまったのであろうと、少年は解釈していた。
だが、ロウバーはその狭間のことが気になるようだ。生前の記憶を遡りながら思考していると、一つの記憶が浮上してきた。そういえば、自分が追い求めていたものを、狭間と呼んでいた者がいた。
その記憶にたどり着くと同時に一つの可能性に気付き、少年のことを見下ろす。見下ろされたアヴォンは怪訝な表情をして青い目を見つめ返す。
「アヴォン、さっき世界の真実って俺が言っただろ?」
「はい。それが何か?」
「俺はその世界の真実について知りたくて海に出て海賊になった。その真実に辿り着くには、“扉”と呼ばれるものを見つけ出さなければならなかった」
「それと狭間に、なんの関係が?」
「“扉”について情報を集めていると、それを狭間と呼ぶ者がいたんだ」
アヴォンは話の意図が見えてきて、口をつぐんだ。
バポールは狭間に行けと言った。そして、その狭間とは“扉”と呼ばれる世界の真実への手がかり。老婆の言葉を言い換えると、世界の真実に繋がる“扉”に行けということだ。
つまり───
「お前はおそらく、世界の真実を知るべき者なんだよ!」
少年のように笑うロウバー。それもそのはず。新しい冒険への道を見つけたのだから。だが、その冒険者となるべき少年は、億劫な表情を浮かべていた。
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