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9.決別への一歩

 桜散る春も終わり、今は梅雨真っ只中。




 学校から一歩出れば雨に打たれ、でも校内は湿度変化なしの快適湿度。


 アヤネはついに黎冥の呼び出しを無視するようになったので羽鄽(ばぐら)はしょんぼり気味だ。




「最近、アヤネちゃんを見ないね」

「呼び出し無視されるようになった」

「ついに嫌われたか。師を選ぶ権利は弟子にあると教えてあげよう」

「やめろ慧」



 そんなことをしたら確実に縁切り宣言されてしまう。

 アヤネは女避けにはちょうどいい人材なのだ。



 他色を選ぶと嫉妬と切望で命が危うくなる。




「なんかやったかなー……」

「その無自覚こそが問題だよ」

「だってなんもやってないし」

「朝の五時にノックもせず叩き起したら誰だって嫌うさ」

「あれは……なんでやってんだろ」




 珍しく素顔の黎冥は水槽が置かれた職員室の机に向かいながら、仰け反って椅子を揺らす。


 中には水とオタマジャクシが元気に泳ぎ、黎冥の前には硫酸入り瓶とピペットが二本、pH試験紙と記録用ファイルが一冊。



 保護眼鏡を付けた黎冥はピペットで少量の硫酸を水に溶かしていく。




「他にも身支度見られたり更衣室まで付きまとわれたり指輪で脅されたり。黎冥の影響で(うば)にも目を付けられてるし羽鄽……は関係ないか。兎童(とどう)も二人の変な噂を作って言い回ってるし、アヤネちゃんにとっては迷惑だろうね」




 慧の追い打ちに黎冥は大きな溜め息を声に出しながら吐き、職員室に見に来ていた女子達が顔を見合せた。




 今日は休日で教師はほとんどいない。



「あー……フェレット解剖したい……」

「勝手にすればいい」

「ふいー」

「五月蝿いな」


 オタマジャクシが溶け始めた時のpHを測り、数匹を普通の水の入った小さな紙コップに、数匹はそのまま放置した。





「そんなに凹むなら最初から丁寧に扱え」

「助手がいなくなったー」

「数ヶ月前まではいなかっただろう」

「歩く神話辞書が……!」

「君、神話嫌いじゃなかったっけ」

「嫌いだからこそ便利な辞書は必須だろ」

「そういうところだよ」



 と言うかアヤネもよくこんな雑い扱いをする黎冥に耐えている。



 寮から出てきてはいるので慧に師弟解消を聞くなり黎冥のなんやらを聞くなりしそうだが、最近は慧ともほとんど話していない。




「……あ、姫様が出てきたよ」

「なんで姫?」

「君が王子じゃないのか」

「柄じゃねーし。研究者と助手にしろ」

「そんな仕事上の関係みたいに言わなくても」

「アヤネに言わせたら書類上の弟子だからな」



 黎冥はピペットをバットの上に乗せると硫酸の蓋を閉め、着々と片付けを進める。



「そもそも嫌なら嫌と」

「何度も言ってたのを聞いたけど」

「まぁ言われても断るけど」

「君は少々というか、かなり非人道的で人間に大切な道徳心が欠けているからね。繊細なアヤネちゃんを踏みにじるのに躊躇しないんだよ」

「ひっでー」




 慧に水槽を持たせ、自分は小物と紙コップを持って実験室に降りる。




「道徳心があったら生きたオタマジャクシを実験になんて使わないしマウスになんだっけ、なんやら酸を飲ませることもしないよ」

「リン酸な。内臓がどうなるのかと……」

「お前一回精神科受診してこい」



 口を尖らせ、ぶつぶつと文句を言いながらオタマジャクシを切り刻む。






 これは不機嫌になると精神年齢が下がる傾向がある。


 駄々をこねるとかそんなものではなく、小学生がやるような、でも小学生にしては知識のあるいたずらを無限に仕掛けてくるのだ。


 昔、兎童にそれを仕掛けて罪を羽鄽に擦り付けて高笑いしているところを慧が蹴り落としたことがある。



 懐かしい。






「……なんにせよ黎冥が連れてきた子だ。土下座でも何でもしてストレスから解放してあげろ」

「そんな知識ありませーん」

「その理科の知識が詰まった頭を床に擦り付けて謝るんだよ。今までごめんなさいって」

「痛い痛い!」




 慧に頭を掴まれ、二人が言い合いをしていると実験室の扉が開いた。




 いつも通り似合わない制服の着こなしをする輝莉(かがり)と何故か傷だらけのアヤネがやってきた。



「黎冥先生〜! 来たよ〜!」

「慧先生、ドライバーを貸してくれませんか」

「いいよ。どんな太さがいいかな」



 慧はいつも付けているベルトに掛かったポーチからドライバーの十二本セットを取り出した。



 目に見えないほど細いものから親指ほどの太さのプラスとマイナスがそれぞれ六本ずつ。



 一番合いそうなものを選び、お礼を言ってから踵を返そうとすると慧に引き留められた。





「アヤネちゃん」

「なんですか」

「師弟解消は弟子が望めばいつでも出来るからね。私はいつでも受け付けるよ」

「……分かりました。ありがとうございます」




 アヤネは特に目立った様子を見せることなく去って行き、慧は首を絞めてくる黎冥に拳骨を落とした。



「アヤネちゃんが痩せて隈が濃くなってるのは気付いてるだろう。ストレスがなくなるなら私はそれでいいと思うけどね」

「慧がそうでも……!」

「黎冥、弟子の意味を履き違えるなよ。弟子は自分の跡を継ぐ子で後継者だ。同行礼拝も始まっていないのに合わないようじゃこれからお互いがストレスになるだけだよ」




 慧の厳しい言葉に黎冥は黙り込み、慧はアヤネがドライバーを何に使うか気になったのでアヤネの後を追った。

 ついでに色々と聞き出して二人の仲でも取り持ってやろう。





 あの理科にしか欲を出さない黎冥が初めてモノ()を望んだのだ。


 幼馴染として、同僚として出来る限りのことはやってあげよう。




 もちろんお代は貰うが。


 ちゃんと仕事と代価は吊り合わせないと。モノの天秤は常に平等にがモットーです。









「アヤネちゃん」

「……慧先生」



 図書館に入ったアヤネに声をかければ、驚いたように振り返った。



「図書館にドライバーなんて似合わないね」

「大時計を開けるのに必要だったんです」

「あぁ、そろそろ交換の時期か」




 図書館には学校一大きな振り子時計がある。

 それの針替だ。




 あの振り子時計は人間が買って持ち込んだものではなく、元からこの箱庭にあったもので電池や時間ズレと言ったものがない。

 代わりに、五大神が一人、時の女神の力が宿り続ける限り止まることは無いので指針自体がすり減ってしまうのだ。



 過去にお告げで直せというものがあり、それ以来定期的に替えている。






 あの振り子時計は初代時の女神が眷属神の秤の女神と言の神と協力して人間に時間を知らせるために作った時計だ。


 人間が死の女神と生の神に同じ時間に祈りを捧げられるよう作ったもの。






藥止(やくど)さん、借りてきました」

「私も来たよ」

「やぁ慧。黎冥君と一緒かと思っとったが…… 」

「さっきまではね。今頃発狂してるだろうよ」




 二人は不思議そうに首を傾げたが、慧は小さく笑うと時計の傍にしゃがみ込んだ。





「わざわざアヤネちゃんを使わなくても私を呼んでくれたら良かったのに」

「孫娘の時間を取るわけにはいかんよ」

「……孫……?」





 アヤネの小さな疑問に慧は小さく合掌した。



「あぁ、言ってなかったね。私は藥止(やくど)(ふい)だよ」

「あ、そうなんですか? へぇ」

「あんまり驚かないね」

「いや男二人が君で慧先生だけ呼び捨てだったので」

「鋭い」




 アヤネは時計の八箇所のネジを回すと盤に蓋をしているガラスの蓋を取った。


 重たいので割れないように静かに床に置き、藥止が紙袋から出した替えの長針、短針、秒針を間違いのない順番ではめていく。






 最後に小さな青い宝石をはめて針が移動しないよう留めるとまた蓋を閉めた。




「よし、これで大丈夫なはず」

「慧、上にかけてくれるかい」

「もちろん」




 慧は黎冥よりも高く、身長は百七十か、七十五ぐらいある。

 黎冥が百六十後半ぐらいらしいので男女で見ればかなりの差だ。



 オマケに黎冥はいつも下を向いているし慧はハイヒールなのでその差は大きい。



 慧と羽鄽が同じぐらいだった気がする。





「長身ってかっこいいですよね」

「……身長が時計か」

「身長です」

「あぁ、確かに女子は長身に憧れるね」




 脚立から降りた慧は藥止に変わり脚立を片付ける。



「長身の男が好きだけど自分も長身になりたいんだろう」

「高身長の男が好きなのは個人によると思いますけど。確かに彼氏を見上げたいって言う人は多いですよね」




 彼氏は細マッチョで顔良し頭良しの長身がいい。

 でも自分も細身でウエストのくびれたモデル体型がいい。




 自分が百七十近くになったらそれより高い男子を見付けるのは大変だしましてや性格まで合わそうとすればかなり候補が減る。




「まぁ長身男性が好きな女子は背が小さくて清楚系を装う尻軽が多いですけど」

「言うねぇ」

「実際そうじゃないですか」




 まぁ確かにそうなのだが。







 アヤネの毒舌に小さく笑いながら倉庫から出る。



「アヤネちゃんのタイプはどんな男だい」

「浮気しない人」

「信頼で誠実な人か。それはタイプ以前に人間性に難アリだね」

「容姿で言うと……太っても痩せてもない顔も平均的な人がいいです。全体的に平凡で優しい人。周りに人気なのは嫌です」

「ほぉ?」




 だいたいの子が聞かれたらイケメンだとか金持ちだとか言うが、聞かれて素直に平凡と言うのは珍しいかもしれない。





 慧が興味深そうな声を出すとアヤネはたぶん誰かを想像して言ったであろう事を話す。




「ほら、周りに女子がいると黄色い悲鳴とか嫉妬とか浮気とか面倒臭いじゃないですか。歯が浮くようなセリフばっか言って俺カッコイイみたいな自己肯定感の塊も嫌です。金持ちで浮気しないし優しいけど行くところが毎回高いとかプレゼントがブランド物とかも嫌です。こっちからあげるのに躊躇うので。後は……」

「君過去になんかあったのか……?」

「……人並みに生きてきましたよ」




 後は女子と寝ても浮気じゃないと言い張る奴も嫌。

 付き合うだけ付き合って後放置も嫌。

 勝手に彼女の事を教えて回るのも嫌。

 粘着質も嫌。




 本当に、平凡でいいのだ。

 平々凡々なんの代わり映えもしない、普通の女子ならつまらないと言いそうな恋をしたい。





「はぁ〜」

「何があったかは触れないでおこう」

「お願いします。……なんで……やっぱいいです」






 人が羨むことを他人に相談すると自慢だと思われるので黙っておこう。

 ここで平穏に暮らすなら慧とは仲良くいたい。





 首を傾げる慧から顔を逸らすと気付かれないほど小さな溜め息を零した。

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