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39.掃除

「兄さぁん! 調子ど〜お〜?」





 気持ち悪くヘラヘラした様子で、食堂で昼食を食べていた黎冥の向かいに座った。



 明らかに何か企んでいる顔だ。






 向かいに座り、頬杖を突いてニヤニヤと笑う。

 気持ち悪い。





「何」

「アヤネちゃんとどう?」

「フラれました」

「……もっかい」

「フラれました」

「兄さんが!? えぇ!?」




 どうやらくっ付くことを期待していたらしい。


 残念ながら生涯有り得なさそうだ。

 黎冥は昨日も一昨日もお見合いで実家に帰り、今朝帰ってきたばかりだ。



 アヤネも黎冥が帰省した三日前から家に帰っている。

 今はまだ帰ってきていない。






「アヤネちゃん兄さんふったんか……」

「今更恋愛感情は湧かないんですって。一番楽な道が閉ざされた」

「……楽な道?」

「見合いも付き合いもいらないじゃん」

「え? それだけで言ったん?」

「それ以外ないだろ」

「そりゃフラれるわ阿呆」




 稔想は腕を組み、椅子を揺らしながら黎冥を呆れた目で睨む。



 もう鈍いどころか自覚神経が欠けているのではなかろうか。

 人の優しい心とともに欠けている。






 紑蝶がいなくてよかった。

 絶対茶化されて即噂になる。






「アヤネちゃんとその後は?」

「え、普通に変わらず」

「そこは二人らしい。変わったところはないん? 距離離れたとか」

「ない」

「微塵も意識されてへんな」

「知っとる」




 黎冥は昼食を食べ終わり、小さく息を吐いた。




 傍から見ていて、最近明らかに溜め息が増えた。

 少しやつれているというか明らかに不調だし、精神的にも参っていそうだ。





「アヤネちゃんは?」

「家に帰ってる。なんか掃除するらしい」

神來社(からいと)のなんか探すんかな……」

「いやどうだろ」

「心配しすぎ?」

「……行ってみるか。しばらくかかるって言ってたし手伝いにでも」

「いくいくー」








 二人は立ち上がると、私服に着替えて校内を出た。




 話は専らフラれ話。気分は最悪。


 我が弟ながら抉った傷に塩を塗ってくるのはなんなのだろうか。







「アヤネちゃんの運命の人って現れんのかな? 俺、兄さんやと思ってたんやけど」

「俺ではねぇだろ」

「じゃあ俺?」

「それは違う」




 稔想が不服そうに口を尖らせていると、黎冥が鼻で笑った。




 アヤネの言う運命の相手はたぶん神話界にはいない。


 元々無関係の子だったのだ。

 無関係の人間が運命の相手で、たぶん卒業と同時に神話界からも抜ける。




 神に愛された神童と言えど、素の力ではないなら本人の望む道を行けるはずだ。


 こちらが無理に引き止める気はない。







「ここやっけ?」

「うん」

「ほんまに大きい屋敷よなぁ。どっからが土地なんやろ」

「この上からだろ」




 ちょうど上り坂の入口から、右側の石垣上。木の奥に見える竹垣を指さすと、稔想は顔を引きつらせた。



 前の道路が出来る前に建てて、この屋敷に沿って道路を作った感じか。





 相当立ち退き金を積まれたんだろうなと想像しながら小坂を登る。






「……なんも考えんと来たけど離れやったらどうしよ」

「おとなしく待っとけ」

「兄さんは?」

「手伝うけど?」




 そんな当たり前ですけどみたいに言われても。


 怖くないのだろうか。



 いや怖いよりも責任感と言うか手伝う気持ちが勝つんだろうな、この人は。こういう人だから。








 門の中に入り、玄関付近のインターホンを押した。




 数秒して、欛虂(へろ)の元妻の紗梨(さり)が応答する。



『はーい』

「こんにちは、黎冥です。アヤネいますか」

『あ、少々お待ち下さい!』




 小さなバタバタという音が聞こえ、短い悲鳴が聞こえると同時に扉が開いた。




 髪を一つにまとめて綺麗なメイクをした紗梨が二人を見上げる。





 稔想がアヤネに連れられ見に行った時より、血色も肉付きも良くなった。

 今は普通の若い女性だ。





「よ、ようこそ。アヤネちゃんですよね。えーと……」



 紗梨は案内しようと中に入った時、足を止めた。



 靴を脱いで上がりかけた二人は首を傾げる。






「ご、ごめんなさい。アヤネちゃん、屋敷の奥にいるんですけど私は行ったら駄目だと言われていて……」

「今子供は?」

「幼稚園です」



 ならいいか。



 地図上の広さからして、どれだけの声量を出せば聞こえるかぐらい把握出来る。







 稔想は耳を塞ぎ、紗梨も言われた通り耳を塞いだ。








 さすが元俳優上がり。


 よく通った、快晴よりも澄んだ声でアヤネを呼んだ。





「アヤネー」






 数十秒して、襖が強く閉まる音と同時に走ってくる足音が聞こえる。


 アヤネが足音を立てて来るなど珍しい。






 紗梨が小さく拍手をして、足音的に走ってるなーと聞いていると、いきなり黎冥と稔想の間に風が吹いた。


 生暖かくて、夏か春に吹くような風。




 二人で勢いよく後ろを振り返る。




 玄関は閉まっているし、明かり窓も開いていない。



 後ろから吹いたのだから他の部屋が開いていても、二人の後ろから吹くことはないだろう。





 冷や汗が滝のように流れ、稔想は黎冥の肩を掴んだ。






「どうかしましたか?」

「今、風が……」

「あれ、黎冥さんその頬っぺた……!」




 紗梨が自分の頬を触り、黎冥も自分の右頬に触れた。



 風が撫でた方。




 ヤスリで削ったような荒い傷口に、血が垂れるほど流れた。





「兄さん!」

「あ、汚れる」

「そそそそれより手当! えぇ!? ああああやねちゃぁーん!」

「どうしましたー?……んな怪我で来んなよ」

「いや、さっきまでなかったんです……!」

「あぁ、風? よくあるよ。先に手当しようか」





 廊下から滑って出てきたアヤネは壁を使って上手く止まり、黎冥と稔想を上げると客間に移動した。




 紗梨が救急箱を持ってきてくれたので、血を拭いてから薬を塗ったガーゼを貼る。


 さすがに血が溢れる頬に触れる勇気はなかった。





 右頬の目の中心下辺りから口角下辺りまで、幅としてはギリギリ耳に触れないぐらいの結構大きめのガーゼをペタっと。





「あの風なんなん」

「知らない。私もなったことあるよ。私は腕だったけど」

「触ったら皆こうなるん……?」




 恐る恐る頬に触れた稔想がそう聞くとアヤネは緩く首を振って否定した。




「皆じゃない。感じる人もいれば感じない人もいる。でもほんのり暖かかったらだいたい切れるかえぐれてるかな」

「えぐれるって何!?」

「こう……ぐりっと」



 いや手でされても分からん。






 黎冥と稔想は顔を見合わせ、お互い風が触れた方の頬に触った。





「耳が無事でよかった……」

「顔より耳か」

「耳にガーゼは貼れないじゃん」

「あぁ」

「いや貼れるで。形に沿って」

「経験者は黙ってろ」

「経験者にこそ喋らせぇや!」




 稔想は紑蝶の平手打ちが耳に直撃し、耳にガーゼを貼ったことがある。


 音が篭ってほぼ聞こえなかったのと、強い震動で難聴になった。






 アヤネは救急箱を片付けると三人で部屋に片付けに行き、屋敷の奥に向かう。





「何しに来たの? 当たり前のように付いてきてますけど」

「お手伝い」

「離れの可能性は考えなかったんだ?」

「離れでも手伝う気でいた」

「俺は全く考えてなかった」

「気付いた時点で言ってあげりゃいいのに」

「離れに引きずっていく気満々だったし」



 鬼畜長男め。





 アヤネは呆れ、稔想は怖がりながらも黎冥にしがみつき、黎冥は稔想の首を掴む。



 そのまま生まれつき薄く伸ばしている爪で首筋を撫でれば肩を震わせ、その場を飛び退くとアヤネに飛び付いた。





 アヤネはそれを問答無用で振り払う。






「そんな怖がるなら紗梨さんの手伝いでもしてきなよ」

「嫌や怖い」

「紗梨さんが?」

「この屋敷が!」

「帰れ!」

「手伝う!」




 なんなん。







 アヤネは隠すことなく盛大な溜め息を吐くと、そのまま突き当たりを左に曲がった。



 そこに見えるのは、真っ赤に血塗れた床や壁、天井にも飛び散っている。




 外れて折れて散乱した真っ赤な襖や子供が破いたような赤い障子。



 とにかく赤い。

 赤いし、爪痕や木が剥がれた後、ガラスか陶器か何かが刺さっている場所も。







「何……ここ……!?」

「父さんが母さんを殴って半殺しにしたところ。ここの片付けしてたの」

「あの幽霊たち絶対これのせいやろ!」

「いや死んでないし」

「死んでなくても怨念篭れば事故物件だろ……!」




 事故ではない。立派な事件だ。




「分かってんならお祓いしてもらえよ!」

「面倒臭いじゃん。蓮杏(れあ)が迷い込む前に片付けたいんだよね。教育に悪いし」





 アヤネは躊躇うことなく血痕や襖を踏んで奥に進み、一番奥の突き当たりにある、黎冥立ちから見て右側の部屋を指さした。






 人的狂気なら平気な黎冥も、さすがに襖は避けて通り、稔想も早足でアヤネの元に駆け寄った。







 指さされた部屋には、大きなクローゼットと書き物机や椅子。棚や引き出しと言ったアンティーク風な家具が揃えられており、天井の電球もアンティーク風なランプシェードに覆われている。




 ここも多少血濡れているだが、なんだろうか。

 散乱した廊下や暴れた他の部屋と違い、ここはクローゼットが開けっ放しになっているだけで特に荒れた様子はない。







「神來社の自室」




 二人の表情が強ばり、黎冥はアヤネを見下ろした。



 普段のアヤネなら見せない、怯えて怖気付いた気持ちを押し殺したような表情。





 頭を撫でて、肩を抱き寄せれば肩の手に触れた。





「たぶん……ここに神來社関係が揃ってる……はず……」

「……アヤネちゃん大丈夫?」

「うん」




 いつかの夢に見た。



 このクローゼットは喧嘩中にアヤネが閉じ込められていた場所であり、この部屋のど真ん中で母が父に殴られ一度心臓が止まった。







 気が済むまで母を殴った父はアヤネを閉じ込めていたクローゼットを開けて、もはや狂気の一種だ。

 笑わないと殺されると思っていたアヤネは、泣きながら笑って父を見上げ、父は真っ赤な血をアヤネに付けるように微笑んでアヤネの頭を撫でて。



 アヤネが身動きが取れない間に母を手当したのも父で、その後看病したのも父。





 元看護婦を目指していた警察官の娘だ。


 内臓を庇って殴られていたため、片目の視力がほぼ見えなくなるまで落ちただけで済んでいた。







「……先に他のところ片付けよう。ここは比較的綺麗みたいだし」






 黎冥は襖を閉めると、アヤネに言われて無駄に器用な手先で襖を張り替え始めた。

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