37.恋
本っ当に、もう呪いか、いや縁の女神のお導きと言った方が正しいぐらい行く先々で黎冥と出会うのだが。
昼間は弓道場、その前はカフェ、科学館、カフェ。その前は鉢合わせと言っていいのか知らないがベンチ。
なんだろうか、隠し事は駄目ですとか、そういう系ですか。
契約結ぶぐらいから四六時中一緒に色とか、そういうことですか。
現在、アヤネはベッドの上で黎冥の膝に座って髪を編まれている。
黎冥は帰って家からの手紙を読んで以来だんまりで、アヤネが逃げようとすると足と腕で全力で阻止されるのでもうおとなしく本を読んでいる。
膝の上と言うか、膝の間というか、あぐらの上というか、片足あぐらの上というか。
ちなみに手紙はお見合いの話だった。
最近多いらしいので応援しておこう。
これが身を固めるとは微塵も思えないが。
「はぁ……」
「人の耳元で溜め息つかんで」
「……アヤネって時々上方混じるよな」
「そう? 無意識なんだけど」
「だって俺の上方通じるだろ」
「……まぁ? 誰でも通じるでしょ」
「結構語弊が出たりする」
ほっとって、も上方では捨てといて。標準で放置しといて。
直しといて、も上方では片付けて。標準で修理して。
さらも上方では新品。標準で皿。
カッターも上方ではカッターシャツ。標準でカッターナイフ。
黎冥が本校入学後に、兎童や慧、羽鄽達とこれが通じなくて語弊どころか会話が成り立たなくなることが結構あったが、アヤネはすんなり飲み込む。
なのに語弊がないので、今まで当然のように接してきたが思えば不思議な話だ。
「……父さんの影響かなぁ」
「西の人?」
「うーん……そんな聞いたことないけど言葉遣いは母さんより父さんに似てる気がする」
「母親は標準?」
「うん」
「じゃあ混じってんのか」
「気付かなかった」
確かに、今思えば上方と標準が混じった黎冥とも難なく会話していた気がする。
その時は無意識でも思い返してみればそうだ。
最近、黎冥が頻繁に上方に戻っていたので全く疑問に持たず会話してきたが確かに、何故通ずるのか。
またしても謎が増えた。
「俺は標準に合わせて語弊が出るやつ変えてるけど。稔想は完全上方だし……」
「……だから皆稔想が話す時は入ろうとしないのか」
「姉さんと俺で経験してるからな」
二人とも入学当初は純上方語だったので、一番初めに行ったのが自己紹介ではなく言語の擦り合わせ。
ちなみに当時の黎冥はまともに喋らなかったので擦り合わせする必要すらなかった。
擦り合わせが必要な言葉を使わなかったから。
「じゃあ結婚するなら上方の人か」
「いや理解がある人なら誰でもというかどうでも」
「んな適当な」
「めんどくさーい!」
「うるさっ……!」
「いっそ適合率九十以上の相手決めてくんねぇかな」
「専門職の人探せよ」
黎冥がアヤネの肩に頬を付けて、アヤネの耳元で永遠と愚痴っていると、アヤネが黎冥の頭に手を乗せた。
そのまま掴まれ、剥がされる。
「痛い痛い痛い……」
「耳元で愚痴るな」
「だってー!」
「童顔で身長低いくせに駄々こねたらただの子供に擬態した三十路になる」
「やめて……」
アヤネを乗せたまま後ろに倒れて寝転がり、盛大な溜め息を吐いた。
本当に、当主になると決めたはいいが伴侶と子供に関してはどうでもいい。
いっそ全て決めてもらおうか。
「……あ、弁当美味しかった」
「そりゃよかった。真横で見てたわ」
体育館の休憩場で皆で弁当やパンやおにぎりを食べた。
黎冥とアヤネは稔想にはついていけないので角で静かに。
皆は稔想と一緒に盛り上がって。
「あのサラダ美味しかった。また作って」
「野菜嫌いじゃなかったっけ」
「あれあんま青臭さなかったし」
「じゃあ作ってあげよう」
「やった」
黎冥は起き上がると、引き出しから串とゴムとピンを取り出すと本気でアヤネの髪を編み始めた。
アヤネを足と足の間に座らせて、自分は足をベッドに放り出して髪を編む。
器用なので髪を編むのは得意だ。
一番得意なのは四つ編みだが、それだと物足りないので複雑に編む。
髪は複雑なら複雑なほどよい。持論です。
と言ってもあまりにも複雑にすると解く時に面倒臭いと言われそうなので、ゴムは一本、ピンは三本から五本。
土地の祈りの時の髪を上げたのが可愛かったよなぁ。ということで。
上から横髪を左右で編み込みをして、ハーフアップ状態に。
下ろした髪を三つ編みの先部分ごと三つ編みにして、髪を先からくるくると丸めてピンで止めれば完成。
ちょっと編み込みや後頭部の小束を引っ張り出して、自然な感じに見せたら完璧。
「どう?」
「……面倒臭い髪型やったな」
「簡単」
「後れ毛一本ないのが無駄に器用なのを目立たせる」
「いいだろ」
「いいけど」
これでは寝転がれない。
寝転がれないしもたれられないし。
アヤネがおとなしく座って本を読んでいると、黎冥がまた前のめりで乗ってきた。
「潰れる……」
アヤネが声を絞り出すと、黎冥は足を抱えるアヤネの腹部に腕を入れ、そのまま膝に座らせた。
こいつの行動どうなってんの。
「何」
「見合いが物凄く面倒臭い」
「面倒臭いだけ? 嫌じゃないの」
「……嫌」
なんでこんな駄々こねるようになったかな。
黎冥の頭を撫でて、でも視線は本から離さない。
科学毒素の本で、今ちょうどボツリヌス菌について書かれているのだ。
ギャグを混じえて面白く書かれているので読むのを止めたくない。
「アヤネさーん」
「メンヘラ彼氏みたいな呼び方すんなよ」
「彼氏じゃないじゃん」
「メンヘラ含めて否定すてくれんかね」
「アヤネは俺がメンヘラじゃないと?」
「んーんヤンデレじゃないかなぁ!?」
「そんな狂愛じみてるか」
「それはもうとっても素晴らしいほどに」
そんなにか。
ちょっとは自覚していたがまさかそこまで言われるとは。
黎冥が愚図るというかアヤネで遊ぶ間にボツリヌス菌部分を読み終わり、ようやく本を閉じた。
「面白かった」
「何の本?」
「毒素図鑑。ボツリヌス菌のところ読んでた」
「あぁあれ。野良マウスの死骸からたまに出てくる」
「……野良マウス使ってんの?」
「そーゆーのが売ってんの」
野良に限りなく近い環境で育てたマウスを生きたまま出荷させて、ワクチンや薬品反応に使う。
黎冥はそれを使って対ボツリヌスワクチンを開発中。
例の国際研究とはまた別の大学研究会で。
「ボツリヌス菌よりサルモネラの方が好き」
「菌に好きって何」
「……後処理の楽さ?」
「科学者ならではの観点。夕食行こ」
「うん」
結局髪は一度解かれ、新たにお団子の周りに三つ編みが一周したような髪型になった。
誰がパーティー以外でこんな面倒臭い髪型をやるか。
「この界隈ってさ。会った途端にプロポーズとかストーカーとかヤンデレメンヘラ製造機とか多いよね」
「お前の周りだけだろ」
「え零の周りもじゃないの? 他の人は?」
「俺はない。……二回だけあるけど会った途端にプロポーズもヤンデレメンヘラ製造機もない。あるのはストーカーとストーカーで会った瞬間プロポーズだけ」
「私だけ……?」
なんだろう。なんでこんな多くの人にいらぬ愛を向けられるのだろう。
今まで愛を感じず育ってきたからか。
今までの分を短期間で返されている感じか。これから普通並みに向けられるのだろうか。
もういらないから早くこの溺愛地獄から抜け出したいのだが。
いつもの左端が空いていなかったので今日は右端へ。
今日の夕食は鯖の甘酢あんかけだった。
アヤネの好物料理の一つ。
自分が作っていた頃は揚げ物がほとんど食べられなかったのでほとんど食べた記憶はないが。
「いただきまーす」
「あー八月だ……」
「いきなりどうした」
「半年経つのが早い」
「老化か」
「ねぇやめて?」
「言うて若いでしょ」
「今年末にはやつれて倒れてるかも」
二十六。
二十八まであと二年。
見合いと言っても相手の準備も交際期間もあるため、二十六か、最低でも二十七になる年以内には相手を見つけろと言われている。
無理なら神守のうちから嫁に取れ、と。
別に二十八じゃなくてもいいだろう。
せめて三十。欲を言えば三十五。
でもそんなことを言っていたら確実に怠けて研究にのめり込む気がする。
弟子と研究と仕事にのめり込むのに、それを理解してかつ黎冥の好みを満たす女性などどこにいる。
と言うかもう顔はどうでもいい。
本人が見劣りすると思うかもしれないが別にいい。
黎冥には関係ない。
性格も、まぁ最低限優しささえあれば。
頭も会話出来たらそれでいい。
身長と歳に関しては譲れないが、身長は最低同じ身長。
希望は十センチか二十センチ下。
歳は同い歳以下。
なんかだんだん自暴自棄になってきた気がする。
てかもう誰でもいい。
レチェットとアヤネ以外の女ならどうせ全員一緒だ。
まぁセリョアは嫌だが。
せめて全く面識のない人がいいなーと思いながらも、初対面から二年で結婚は早いよなぁと思いながらも、もう誰でもいいやと思いながらも。
つまらなさそうというか不満そうと言うか、明らか負の顔で夕食を食べる黎冥を待っている間に本を読む。
ずっと黙っているがどうせ婚約か結婚相手のことだろう。
いくら師匠とはいえ恋愛に関与する気もされる気もないので黙っておく。
正直、女子の刺すような視線から早く逃れたいがこれがまともに食べないので本に逃げるしかない。
早く食えよ。
「にいさーん、来たでー」
「あ、アヤネちゃん。今日は髪上げてるのね」
「零が暇だからと」
「黎冥先生はっと……ずいぶんお悩みで」
「どうしたん」
「家から見合いの手紙が届いたらしいです」
「俺黎冥家に生まれるべき人種じゃないよな……」
「ついに真理を突いたか」
従うべき運命から逃げ
自分の欲を抑えられず
欲に忠実な挙句周囲を巻き込み
他人の欲には一切手を貸さず
商魂どころか人間関係すら最悪な
そんな圜鑒は黎冥家に最も相応しくない性格だ。
そんな性格が黎冥の血筋から生まれたのだから世の中何があるか分からない。
「はぁ……」
「アヤネちゃん、いい子いないの? 歳下美人ならアヤネちゃんの同級生に当てはまるでしょ」
「師匠と同級生の仲人になる気はありませんよ。何より私が気まずい」
「アーヤーネー」
「黙れ五月蝿い」
「二人くっ付けばいいのに」
「ご冗談を」
兎童の割と本気の素をアヤネは即座に一蹴し、稔想は安心の溜め息を、黎冥は悩みの溜め息を吐いた。




