32.神守会議 前編
「おはよ」
朝、黎冥のベッドで泣き寝したアヤネは腫れた目を開けて、椅子に座って見下ろす黎冥を見上げた。
昨日の記憶がないのは何故だろうか。
「……ベッドごめん」
「資料作りに寝てないし大丈夫」
「お疲れ」
なんだろうか。
アヤネが素直だと調子が狂うというか、いつもの気楽な調子が出ない。
一晩中持っていたペンを置き、アヤネの前に座ると脈や体調を確認した。
精神的に参っている場合、体の異変に気付かないことがあるので周囲が気を配らなければならない。
「気分は?」
「……ちょっとスッキリしてる」
「体は大丈夫そうだけど。自分的には? 気分も不調も」
「なんか……モヤッとはしてるけど。そんな泣くほどでは」
「……つまり泣きそうってこと?」
二人で首を傾げ、互いの意識のズレをすり合わせる。
つまり、そのモヤっとした不快感で生理的な涙が込み上げてきそうだがそれほどではない、と。
それ、何かの拍子にプツッといくやつではなかろうか。
それこそしつこい引き抜きやいじめ、罵倒等。
「今日は休めとも言えないしな……」
「大丈夫でしょ」
「うーん……」
本当は一日中引き篭もらせて起きたいが、なんせ緊急招集。しかもここで。
向こうでならもしかしたら他の祈りと被って、と嘘を突き通せる可能性もあるが、ここにいる限り永遠に把握されるので無理だ。
たとえ寮に篭っていたとしても、寮が力を抑えようとする力でバレる。
「……精神安定剤はあるけど」
「いらない」
「なんかあったら絶対言えよ」
アヤネが小さく頷いたのを確認し、蒸しタオルを作って目に乗せた。
等間隔で蒸しタオルと冷えたタオルを替え、目元の血流を促す。
これで目の腫れも引くはずだ。
「……だいぶんマシになった」
タオルを取って起き上がり、先程よりも光の入りやすくなった目で黎冥を見上げた。
普段素の笑みで黎冥を見ることがないからだろう。
黎冥は口元に手を当て、心底不思議そうに首を傾げた。
「分かってはいるけどお前って美人よなぁ」
「いきなり何」
「その顔してれば平々凡々な男も寄ってくる」
「寄っていきたい」
「えそっち派?」
もう男に付け入られたくない。
本当に付き合う人は自分で見極めたい。
「腐っても紹介とかしてくんなよ」
「俺の友達紹介してあげようと思ったのに」
「いらん。絶対どっかの金持ちだろ」
「せいかーい。芸能人でブランド持ってる」
「死んでも会わん」
アヤネに着替えた後に資料を作っておけと伝えると、黎冥は一人で朝食を取りに行く。
黎冥はアヤネが起きる前に着替えておいたので既に職服だ。
知り合いの姿が見えない食堂で、一人で食べている。と。
生徒の声で足音がかき消されて聞こえなかったが、いきなり机が強く叩かれて皆がこちらを注目した。
色々な意味でアヤネがいなくてよかった。
いやいないからこそか。
「なんの用だよ羽鄽」
やつれた顔に青白い顔と皮がめくれた唇、明らかに噛まれた痕のある爪、乾燥とめくれで無惨にも荒れた指先。
愛しい人がいなくなるだけでこんなにも変わるものか。
言わなくても分かるが、これも結構な依存体質だ。
依存相手がいなくなってからが尋常ではない。
依存相手がいた時も尋常ではなかったが。
朝食を食べ終わった後にコーヒーを飲みながら羽鄽を見上げると、羽鄽は正しく血眼で黎冥を見下ろした。
「あ……あや……あやね……嫌われた……き、ら……!」
「あぁ、鬱陶しいって言われたらしいな」
黎冥が平然と言ってのけると、羽鄽は黎冥の肩を掴んで強く押した。
慌てて立ち上がり、手を払う。
「何?」
「あや……ね……!」
これはまずいやつだ。
黎冥を未遂した時と同じ雰囲気を醸し出している。
本当にアヤネがいなくてよかった。
これが同級生とは、我ながら不運だ。
生徒が逃げて行ったので、とりあえず二次災害は起こらなさそうだが。
「攤、慧呼んでこい」
「……は……は、い……」
これ、今すぐにでも刺し殺そうとしてくる雰囲気なのだがどうしよう。
壁に背を付けて顔を引きつらせたまま、徐々に近付いてくる羽鄽をどう対処しようかと悩んでいると。
今一番来るべきではない奴が来た。
「零ーっと……お取り込み中ですか」
「助けて」
「これ直しといて」
そう言って離れた一角の机に紙を置くと、アヤネは最早女優を越えていそうなほど自然な笑みで羽鄽に話しかけて行った。後で瞑想させよう。
アヤネの猫かぶりは元一流俳優と言われていた黎冥から見ても相当なものだ。
こんな一瞬で切り替えられるだろうか。
溜め込みやすく、我慢と期待の狭間で生きてきたアヤネならではだろうか。
にこにこと笑いながら入口まで連れて行き、入口に着くと同時に手を振って別れた。
もう弟子が怖いのですが。
紙を持ってアヤネの元まで降り、二人で食堂を出る。
「何言ったん?」
「寝て元気になってから遊びに行こうねーって」
「あいつここから出られませんけど」
「ね〜。私出る気ないし」
「詐欺師め」
「命の恩人の間違いだろ」
「助かりました」
部屋に戻ると第一にアヤネの体調を確認し、例の生理的涙のモヤッと感や不快感も変化がないか聞いておく。
「大丈夫、なんにもない」
「わざわざ来なくても待っときゃ帰ってくるだろ」
「ここがよく分からんかった」
「何?」
黎冥が机に置いた紙を取って二人で横に並び、一枚の紙を左右で覗き込む。
やる気が入る前に眠たいのを我慢して書いたのでなんせ頭が回っていなかったのだろう。書いた記憶がないことが書かれていたり書いた記憶があるのに書かれていなかったり。
一つずつ訂正を教え、二人で計三十六枚の資料を作り上げた。
神守十二の全員には配られるが弟子には配られないというなんとも不親切さ。
ちなみに弟子に用意しないのは黎冥だけ。
結局配るのはルルべリアなので同族のようなものだ。
自分の寮にて黒神服に着替えたアヤネが本を読んでいると、部屋にノックが鳴った。
「アヤネ、そろそろ」
「はい」
十時半。
十二時開始にしては早いと思うかもしれないが、結構当たり前だったりするらしい。
一回あったのは、開始が十六時で朝の八時から話し合っていたというもの。
それはもう八時からで良くないかと思ってしまった。
「そういや零の弟妹って普通の学校だよね」
「たぶん今年の夏か来年から転校してくる」
「なんで中途半端なの?」
「今えーと……四年? 三年? 四年か。俺が教師してるから今より幼いと区別が付かないから」
「あぁ兄か教師かの?」
「そう」
本当は兄にも教師にもなりたくないが、血筋上職務上致し方なし。
転校してくるとしたら九月から十月の間。
来なければ次の本学期が始まる時。
「そういやセリョア様と雯麟様ってまだいんの?」
「ずっと引き篭ってる。書類だけ向こうに送ったから在籍は中心校なのにここにいる状態」
「謎」
「さっさと帰ってくんねぇかな」
アヤネは先に会議室に向かい、資料をルルべリアが座る上座に置いてホワイトボードに、黎冥に言われていた通りの内容と不足している内容を付け足しておく。
黎冥の言う説明は、文としては成り立っているが無知に教えるには少々というかかなり不足が多いのでそこを見つけて解説しなければならない。
本人いわく「これを聞いて疑問を持たない奴は聞く資格はない」らしい。とんだ暴論だ。
資料とホワイトボードの内容に食い違いがないかを確認の後に諸々を書き足していると神守を連れて黎冥がやってきた。
「まだ書いてんの」
「お前の説明が雑すぎんだよ」
「だから聞く資格ないんだって」
「それを説明するための会議だろ」
ペンを置いて黎冥に資料を渡す。
「細かく書いたなぁ」
「神守の分しか用意しないから」
「時間なかったし」
神守が全員着席後、アヤネ含む弟子六人は師匠の後ろに立つ。
リリスの弟子が一人留学から帰ってきたのと、レチェットの弟子はかなりやつれた顔だ。
「神守十二家緊急会議を開始する。議題は手紙で記した通り、ハクサ・レチェットの消息が途絶えた。スヒェナ、詳しく話せ」
「はい」
スヒェナが内容を説明するうちに紑蝶がホワイトボードに送られてきた手紙を貼る。
三週間前、スヒェナとレチェットは二人で南校入口に最も近いとされる寺に潜入。
内部は一人一部屋、知り合い又は家族の場合は一人よりも広い部屋で二から三人。
中では毎日五時に祈りを捧げる以外特に変わったことはなく、手紙や贈り物も特に検閲はなかった。
こちらから送り出すにしても他者が触った痕跡がないのは紑蝶が確認済み、外から送られてきたものも未開封のまま渡された。
寺自体にポストがあり、その他変わった設備はなし。
強いて言うなら裏に倉庫があったが、誰でも入れるし中には掃除用具や防寒具が入っているだけ。
全国各地に設置されている寺に一人ずつ管理者というものがいるらしいが教祖は本寺にいる。
月に一日だけ訪問に来るそうだが、その時も持て成したり教義を聞いたりするだけで特に変わったことはしないらしい。
予定期間は一ヶ月間で、本来ならその教祖にも会えるはずだったのだが、問題はここから。
時々レチェットの記憶が飛ぶようになった。
飛ぶだけではない。
記憶を改竄され、出掛けた時間も部屋にいたと言う。スヒェナと話した内容も全く変わっていた。
スヒェナも自覚はないだけでもしかしたら何か抜き取られている可能性がある。
そのため、事前に伝えず翌日にレチェットを連れて買い物と称して連れ出して南校に逃げ込もうとしたのだが。
その日の晩から翌日の朝にかけての時間でレチェットは姿を消し、その日の昼にスヒェナだけが、何故か見張り付きで出掛けて南校に逃げ込みルルべリアに手紙を出した。
期間三週間。
スヒェナからの手紙は六通。
レチェットからの手紙は二通。潜入開始の連日以来連絡が取れておらず、スヒェナが促して二人に危険が及ぶよりはスヒェナがレチェットの分も報告する方に舵を切った。




