30.隠し事
早口大会が終わり今日の授業も終わった後。
職員室で教職をしていると、また紑蝶がやってきた。
アヤネは眠いと言って自室に帰った後。
もう遠慮の欠片もなく職員室に飛び込んできて、黎冥が振り返る前に目の前に手紙を見せた。
「何」
「忘れてた……! ごめん忘れてた……! さっきこれ言いに来たの!」
リリス・ルルべリアの蝋封。
今、例の宗教団体に関してはハン家長女とハクサ家長女が潜入中のはずだ。
紑蝶では顔が知られすぎているため、この二人になった。
何事かと思い、手紙を開けて内容を読む。と同時に勢いよく立ち上がった。
教師の皆がこちらに注目するが、そんなことも気にせず冷や汗の吹き出す顔で同じく顔面蒼白の紑蝶を見る。
「いつ届いた?」
「きょ、今日の昼……。係の子が届けてくれて……」
内容としては、ハン家長女が一人で逃げ出してきた。
ハクサ家長女の姿が見えなくなり、見張り付きの外出と同時に南校に逃げ込み難を逃れた。
ハクサ家長女のレチェットは音信不通。
宗教拠点の内容はある程度把握出来たが、レチェットが向こう側にいるため下手に動けない。
七月二十八日、最も手紙が届くのが遅いであろう第八分校に集合。
昼の十二時に最も広い会議室で。
追記
この手紙は神守全員に出します。
何故一番届くのに時間が掛かると分かっているのにこんなすぐの日時を指すのだろうか。
しかも明日。
明日の昼に、ここに神守が来るというのか。
「……アヤネと稔想呼んでこい」
「う、うん……」
手紙を持ったまま校長室へ向かう。
この学校にも校長室と言うものは存在する。
教師寮へ上がるための螺旋階段の、さらに奥へ続く廊下。
昼間で窓もないのに明かりを灯さず、この辺りには寮も生徒が来るような部屋もないので静まり返っている。
風でも通る音があればただの風だと思えるが、あいにくこの校内に環境変化というものはないので何も聞こえない。
この前の屋敷のせいで少々恐怖心が大きくなっているのだ。
背中に冷や汗が伝うのを感じながら、何度も通った道だと言い聞かせる反面そう言えば一人で通るのは初めてだと歩く。
これでいなかったら最悪だなと、帰りも一人かとそんなことを思いながら歩いているといきなり背を叩かれた。
肩を震わせて左を見れば馬鹿にするような目のアヤネが立っている。
「怯えすぎ」
「お前なぁ……!」
「あれ、一人?」
「え? うん……」
「……足音二つ聞こえたと思ったんだけど」
キョロキョロと見回すと黎冥がアヤネの肩を掴んだ。
怖がりめ。
「いつか詐欺られるよ」
「……お前が嘘つかなきゃいい話だろ」
「私だけじゃなくて」
「他人は基本信用してない」
稔想も紑蝶も、それこそ慧や嫁陣さん達も、やってと頼むが最悪出来ていなくても問題ないことしか頼まない。
本当に必要な場合は自分でやる。
授業のプリントも授業で使う実験も頼むのはアヤネぐらいか。
いつかの設計図も、前なら自分一人でやっていた気がする。
自分でも驚くぐらい変わったものだ。
気持ち悪がられそうなので言わないが。
「早く行った方がいいんでしょ」
「お前がいらんこと言うから……!」
「まさかそこまで怖がるとは」
「屋敷のせいで余計に怖い」
「中心校行った時の路地裏は大丈夫だったじゃん」
「真昼間には出てこないだろ」
「屋敷だって真昼間だったじゃん」
「あれは現実的すぎ……!」
こいつが怖がるものの線引きが分からない。
つまりは怪奇現象が起きるかどうかということだろうか。
別に屋敷でも特に変なところはなかっただろう。
ただ、襖が勝手に閉まったり声が耳元で復唱されたり無人の足音が聞こえただけ。
よくある事だ。
覚えているだろうか、アヤネが最後に全て開けた襖。
誰もいないよと確認して四人揃って出た後には既に閉まっていた。
アヤネは先頭、紑蝶と稔想は両腕で黎冥の両腕に掴まっていたため誰も閉めれる状況ではなかった。
怖がりそうなので言うのはやめておこう。
「早く行こう」
「なんか腹立つぅ……」
「性格ひねくれすぎ」
妙に大きい両開きの扉に言われた通りノックをする。
と、黎冥は返事の前に扉を開けた。
これの返事を待たない行動はアヤネを馬鹿にして舐め腐っているからではなく、素だったらしい。
いや馬鑼も舐め腐られている可能性も十二分に有り得るか。
「返事を待てと教わらなかったか」
「残念ながら教えられたのは芸術関係だけ」
「何の用だ。お前が自ら来るとは珍しい」
壁にも床にもロウソクやランプは見当たらず、いやそもそも暗すぎて見えない。
真の深淵とはまさにこのことだ。
手元にある切れかかったロウソクが一本だけ。
その傍で書類を読んでいる一見子供の九十四歳。
「ルルべリア当主から手紙が来た。明日の十二時に神守が集まる」
「そうか、気を……」
「ここで」
馬鑼は体を固め、目を瞬くと静かに黎冥を見上げた。
ロウソクに火消しを被せ、等間隔で足音を立ててゆっくりと近付いてくる。
黎冥はアヤネの腕を掴み、片足を引いた。
妙な圧と雰囲気、粛然たる部屋に響き渡る一人の足音が気味悪く、脈が飛び跳ね足音が聞こえなくなるほど耳に響く。
だんだんそれが近付いてきて、自分に大丈夫だと言い聞かせてようやく脈が落ち着いてきていた矢先。
いきなり首筋に冷たい手が当てられ、それはもう自分でも驚く程に驚いた。
反射的に後ろに下がり、アヤネの腕を掴む手に力を入れる。
「本当に怖がりだな、お前たち兄弟は!」
ふははと笑う馬鑼を他所に、自分の脈を落ち着けながら静かに後ろに下がった。
たぶんこれは後先考えずに行動しているので、そのまま下がって下がって、馬鑼の笑いが止まったと同時に扉を勢いよく閉めた。
「うわぁ何!? 黎冥!」
驚いた後にすぐに怒声に変わり、しかし黎冥は返事をすることなく歩き出す。
「ねぇ手離してくんない」
「無理」
「怖がりすぎ……」
「怖いじゃん……!」
あまりにも縮こまる黎冥に呆れ、お前何歳だと内心で問い詰める。
「……腕じゃなくて手にして。痛い」
「なんで冷静なん……?」
「怖くないから」
「あの屋敷が当たり前になってんなら当たり前か」
「上方出てますけど」
「どうでもええわ」
手どころか、結局肩を掴まれたまま職員室に戻ると、稔想と紑蝶が二人を見て目を丸くした。
「校長先生は?」
「置いてきた。そもそもあれ神守じゃないしいても意味ないし」
「報告だけしたらええってこと?」
「なんなら報告しなくても勝手に慌てるだけだから問題はない」
アヤネの背をつつき、生咲からファイルを借りさせる。
黎冥が行ってもいいのだかま、その場合たぶん稔想が付いてくるので固まるだろう。
アヤネは生咲からファイルを借りて確認すると、立ち上がった生咲と一緒に部屋の確認をし始めた。
二人で指さしながらここの部屋は何時に何に使ってこっちの部屋は誰がいつ使って、と色々色々聞いて、最も広い会議室を使う予定だった匡火が譲ってくれたのでそこの予定を変更してもらう。
「アヤネちゃんって生咲さんと仲ええよなぁ」
「な〜」
「あ、認めた」
「認めない理由ある?」
「嫉妬心」
「そんな付きまとってない」
「そんなん言っとらん」
二人の会話が丸聞こえの生咲は首をすくめ、アヤネはファイルを返すと黎冥の元へ戻った。
仲のいい話から、あらぬ方向へ進んでいく二人の足を踏み蹴り黎冥はもう一度殴り。
「痛っ! 俺だけ二回!?」
「お腹空いた」
「お前の情緒が分からん!」
足はともかく、肘で殴られた腕をさすりながら職員室を出ていくアヤネについて行く。
もう七時半。
黎冥とともにいつもの二人席に座り、唐揚げを二つ取った。
白米を食べる気はないので唐揚げ二つ。
「で、隠し事は?」
「何が?」
「なんか隠してるだろ」
「言い掛かりだろ」
「絶対隠してる。……あの女神様との対談が長かった日のやつかな」
「唐揚げ久しぶりに食べた」
「作れよ」
「面倒臭い」
ちなみに唐揚げに檸檬はかけない派。
そもそも酸っぱいものが大好きなので、檸檬が付いてきたらそれ単体で食べることが多い。
果肉部分を噛んで皮を引っ張ると綺麗に向けるので結構楽しい。
食べすぎたら胃酸で荒れるので多くは食べれないが。
「なぁ後で甘くないなんか作って」
「なんかって何」
「……お菓子」
「それこそ自分で作れよ。家事全般出来んでしょ」
「お菓子作りは家事には含まれない」
「出来んだろ」
「出来るけど」
自分で作れと言われて作るほど欲に忠実ではない。
「ドーナツでいいなら」
「違うのがいい」
「じゃあ無理」
「じゃあって何?」
「めんどくさっ……」
ドーナツでいいならと言って嫌と言われたのだからじゃあ無理ならおかしくないだろう。
本人も分かっているくせにわざわざ絡んでくるなよ。
こいつの顔を踏み倒したいのを我慢しながら、一人で調理室に向かった。
「で、秘密は?」
ベッドに座って本を読んでいたアヤネは黎冥の言葉に目を瞬き、黎冥を見上げた。
無糖クッキー片手に、明日使う資料を書いていたペンを回す。
「……明日忙しいだろうしもう寝るね」
「明日昼からだしいいじゃん。なぁ?」
逃げようとするアヤネを掴んでベッドに移動し、黎冥の向かいに立ったアヤネの腕を掴んだまま片手で頬を挟んだ。
「そうやって隠し事して一人で背負おうとするから神経質になってんの。思ってる以上にストレス掛かってんの分かってる?」
「そんな……」
「まともに寝てないだろ。やつれて顔色も悪いし目元の影も濃い。動こうとしないのも体がだるいのと気分が上がらないから。間違ってるのがあれば言ってみろ」
ここ数日間アヤネを要観察して、確信にまで至った症状だ。
それ以外にも首に触れた時や寝ている時の脈の狂いや、それこそ夜泣き等。
ストレスと言うか精神的におかしくなり始めている。
「せめて俺には話せ。一番信用してんだろ」
アヤネは嫌そうに口角を下げると、おとなしくベッドに座った。
「……巫砢々のこと」
「神來社? うん」
「……」
俯いて、黎冥の腕を掴んで五月蝿いほどに跳ねる脈を落ち着ける。
だんだん汗が出てきて、奥歯が痺れるような感覚に襲われて、それでも早く言わなければと急かす頭のせいで更に混乱してくる。
明らかに緊張状態のアヤネの、服を掴む手に触れ、片手は頬にも触れた。
「……わた、し……」
「うん」
「……ふ……巫砢々は……父だって……」
黎冥は少し詰まった相槌を打ち、小さく息を吐く。
予想はしていた。
アヤネの出生から本人が覚えている今までの経歴まで、意味のないほどに過去が消されていたのだ。
絶対に何かあるとは思っていた。
思っていたし、それが新宗教を開くための神來社の策だとしたら納得出来る。
神來社は元黒、黎冥を凌駕する力を持つ男だ。
そんな男の子供となれば中心校だけではない。
普通は引っ込むはずの分校でさえ、何も知らない子供を誘拐でも洗脳でもして自分の操り人形にしようとするはず。
神來社は記憶消去前に消えているため、アヤネの経歴から自分に辿り着くのを防ぐ目的もあるのだろう。
どうしたものかと天井を見上げると、アヤネの服を掴む力が強くなった。
見下ろせば恐怖と焦りに染まった顔で黎冥を見上げている。
「わた、し……!」
「そんな顔すんな。誰もアヤネを責めたりしない」
「で、も……」
「アヤネ本人は俺の優秀な弟子だろ。大丈夫」
アヤネの両頬を包んでいつも通り泣き始めるアヤネの頬を拭い、本人が落ち着くまでその手は離さない。
アヤネは黎冥の手の上から自分の手を重ね、聴覚を塞ぐ鼓動も気にせず何かに対する恐怖と謎の安心感で大粒の涙を落とした。
明日の集会で報告してバレてもアヤネが取られないようにするしかないか。
神守と言うか、この神話界は弱みがあればすぐに漬け込む。
複数の契約で庇護しているので問題ないとは思うが、黎冥家も神守の四位。
ルルべリアの弱みは掴んでいるため圧力を掛けられることはないが、一番怖いのは二位の飯遜家だ。
他人に一切の弱みを見せない上に黎冥本人の弱みを握られている。
別に公開されても問題はないが、周囲がドン引きする可能性があるのでなるべく避けたい。別にいいが。
なんにせよ、アヤネ本人は中心校にも神話界にも大きく貢献しているのだ。
やれるものならやってみろ。
絶対に思い通りにはさせない。




