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29.早口言葉

 黎冥の授業で行う実験を、念の為お試し実験する。




 去年も一昨年もやった授業らしいが、今年はもう一種類増やすということで任されたのだ。




 ホワイトボードに手順と図形が色々書かれている。


 もちろん零から聞いたアヤネが書いた。

 だってあれに書かせたら誰も読めなくなるから。





 今更思ったが、あれの論文はどうなっているのだろうか。


 たまに徹夜で書いているが、文字を綺麗に書くことに苦労しているのか。




 本人は、科学者は字が汚いものと言っていたが嫁陣のあの字を見てみろ。

 硬筆でお手本になりそうなぐらい綺麗だった。










 今回の実験は泥水を飲み水にする方法。


 去年までは蒸留で、今年から濾過も入ることになった。





 ビーカーに入った泥水を沈降剤で泥を沈ませているうちに蒸留する方の泥水をフラスコに移し、蒸留器にセットする。




 蒸留に関しては後は放置なので、濾過に戻る。




 ポリ塩化アルミニウムを使った沈降とカリミョウバンを使った沈降の二種を用意して、それを三分の一だけ小瓶に分けた。

 次の工程に使う活性炭を熱しているうちに小瓶にラベルを貼り、空のバッドに乗せておく。






 ちなみに本来これをやるはずの黎冥は国際研究会に出掛けている。

 夜まで帰ってこないらしい。







 沈降剤でかなり透明になった泥水を、活性炭の入ったフィルターに入れた。



 これはアルミ泥水もミョウバン泥水も同じ。





 また二分の一を小瓶に移し、最後の工程。


 二種の泥水をそれぞれ二つに分け、二種のそれぞれ一つだけを煮沸殺菌、残ったもう一つずつを次亜塩素酸カルシウム──いわゆるカルキ──を入れた。



 煮沸殺菌は非常に簡単で、カルキ殺菌は特有の臭いは残るものの極めて安全な水になる。

 こちらも煮沸すれば臭いは完全になくなるものの長期保存は出来なくなるらしい。






 自然泥水なのでpH値は変わらない。


 それぞれの瓶にラベルとpH値を書き込み、バッドに乗せた。






 ホワイトボードを確認してやり残しがないことを確認すると、放置だった蒸留の様子を見る。



 ちゃんと三角フラスコに溜まっている。よし。





 蒸留方に関しては、完全に安全となるわけではないが人間に深刻な被害を及ぼす有害物質のほぼ全てが取り除かれるので、安全を考慮して飲みはしないが緊急時には飲める。


 と言うか普通に飲める水の生成方法としての一例だ。







 こちらもこちらで小瓶にラベルを貼り、棚の一角に片付けた。



















「アヤネー、あの実験出来た?」




 翌日、アヤネが職員室にて黎冥の机でいつも通りプリントを作っていると今日の用事が終わったらしい黎冥が顔を出した。




 今は授業中なので職員室はアヤネだけ。





「棚に置いてる」

「確認する前に来たから」

「先に行けよ」

「五時間目の授業手伝えよ」

「はいはい」






 最近、アヤネの身の回りはかなり落ち着いている。



 二週間か、三週間近く前だろうか。


 いじめの主犯格だった奪の親の会社が()()()倒産。

 奪は今は実家に帰っている。



 その結果、一時的とは言えいじめがなくなって本人の精神も周りもかなり安定した状態だ。







 黎冥に関しては何故か慧に怒られたが、別にアヤネに迷惑をかけたわけではないので無視した。





「何枚ぐらい書けた?」

「ほとんど。だんだん量増やすのやめてくんない?」

「給料上げてるだろ。労働分は払ってる」

「給料下げて量減らせ」

「生徒からは好評らしい」

「おい逸らすな」




 アヤネの肩に肘を置き、アヤネが書き終えたプリントの束を取る。




 初めは枠と少量の文章だけだったが、今は空欄問題やグラフ、図形等、諸々頼んでいる。



 文句を言いながらもこなしてくれるので便利。








「君ら本当に仲良くなったね」




 そんなことが聞こえ、振り返ると慧がアヤネにコーヒーを渡した。


 授業終わりの時間でいつの間にか人数が増えている。




 アヤネはそれを受け取るとチビチビと飲みながら黎冥の腕を払う。




「慧、俺のは?」

「自分で淹れればいいだろう。何もしてないんだから」

「いやいらない。飲んできたし」

「なんで聞いたんだよ……」

「慧が淹れたら面白いと思って」

「顔にかけてあげようか」

「やめろ」




 黎冥は顔をしかめ、慧とアヤネは鼻で笑った。






「アヤネちゃんは名残りで零と呼んでいるのかい?」

「え、いや普通に零点ですから」

「おや、上がってないのか。意外だな」

「初対面が零点だった以上一になることはないです。態度が軟化したのは猫を被ったのと同じなので」

「ひっでー言い様」




 腹の膨れたアヤネは半分以上残ったコーヒーを黎冥に渡し、同時に頬をつままれるのを防いだ。





 黎冥は不満そうに睨みながらもそれを受け取り飲み始める。


 慧はなんとも言えなさそうな表情だ。





「私が一と読んだ時はマイナス一の時です」

「マイナスになったらマイナスって呼ぶだろ」

「一ってダサいじゃん」

「マイナスの方がダサいし意味分からん」

「どっちもどっちだよ」





 慧の至極冷静まともなツッコミに職員室にいる生徒含む全員が頷いた。




 黎冥はコーヒーを飲み干し、アヤネは肩をすくめる。



 アヤネだって意味を分かって会話しているわけではない。


 ただ、言われたらノリで返しているだけ。




 黎冥にとっては呼び名を聞いた相手の印象を決めるので重要かもしれないが、アヤネは一切気にしていないので言ってしまえばどうでもいい。



 遊びに付き合っているだけだ。






「二人の会話に意味がないのはいつもの事でしょ。二人が意味のある会話してるならそっちの方が聞いてみたいわ」





 入口から紑蝶と稔想がやって来て、慧はその場を一歩退いた。



「姉さんそれは言い過ぎ」

「いや言い過ぎちゃうやろ」

「言い過ぎだろ。真面目な話だってするし」

「例えば?」

「仕事とか授業とか研究とか健康とか祈りとか神様関連とか」

「滅多にせんやろ」

「兄への評価低すぎだろ」




 稔想は遠い、見ているのか見ていないのか分からない目で黎冥を見つめ、黎冥が眉を寄せると哀れむような笑みを向けられた。

 なんなんだよこいつ。




「アヤネは最近仲のいい男子が出来たみたいね」

「最近というか前からですよ。先日再会しまして」

「あら運命じゃない?」

「じゃないと思います」




 黎冥の言っていた血筋が関係しているなら運命ではないだろう。



 血筋や弟子を運命と言うなら運命かもしれないが。






 そんなあってもなくても変わらないような話、それこそ無意味。





「我が弟達が狙ってるみたいだけど。アヤネはモテるわね」

「……達って何?」

「え? るいと稔想でしょ? あと羽鄽君と前に来てた静蘭って子もなんかあるみたいだし、えーと詩渚(しいな)?って子の噂も聞いてるわよ。それに新しい子でしょ。で、シュルト様? 七人! キャーモテモテ! るい以上じゃない!?」

「五人だろ。俺と静蘭を外せ」

「稔想と羽鄽と詩渚と新しい子とシュルトも外して」




 黎冥はアヤネを狙っている気はないし、もし静蘭が狙っているとしたら無理矢理でも稔想とくっ付ける。



 シュルトは論外、羽鄽は完全に嫌われているし、詩渚に関しては一番初めに手を出そうとして罰則後に中退したのでいない。






「……るい君って案外過保護なのね」

「今更か」

「初めっからですよ」

「会った瞬間逆鱗になったんやろ」






 兎童が言っていた。



 面倒臭がって言ったのに会うや否や即師弟宣言。


 二日目には寮に行っていたらしい。



 その一週間以内に詩渚を中退させ、その翌日には授業を手伝わせていた。







 あの目の前で弟がいじめられていても我関せずの黎冥が会って経った二日。いや、一緒に過ごしたのが二十四時間未満の弟子を気に掛けるだろうか。





「……脈アリね!」

「全部繋げんなよ」

「俺兄さんに勝てへん」

「勝つ気ないから大丈夫」

「なんも大丈夫じゃねぇよ。勝手に思い出話広げんな」

「大泣きだったもんな」

「零の素顔見た時は誰こいつって思ったもん」

「……グサッとくる」




 黎冥が胸に手を置いて俯くとアヤネが黎冥の足を蹴り飛ばした。



 そうやって変な反応をするからお前の姉が面白おかしく反応するのだ。



 見ろこの小学生が初恋を話した友人に向けるような嘲笑の目を。





 黎冥が被害に遭うと必ずアヤネまで巻き添えにされるのだから気を付けろ。






「あそうや姉さん!」

「何?」

「舌が長い人ってキス上手いん?」

「本人の技量次第でしょ。短い人でも上手い人は上手いわよ。舌が口から出る人ならあとは技量次第」




 なんの躊躇いもなく平然と答えて舌を出す紑蝶と、生徒のいる職員室で悪気もなくそんなことを聞く稔想に制裁を加え、居た堪れなさそうに突っ立つ慧を帰した。





「痛た……。……でも滑舌がいいって言うわね」

「まだ続くんか」

「兄さんは滑舌ええ方?」

「知らん」

「いい方でしょ。普通の人は摘出手術は連発して言えない」

「連発して言うことないわよ」




 そういうと、稔想は胸の前で大きく合掌した。



 紑蝶も真似して合掌し、稔想を覗き込む。




「じゃあ早口言葉やろう!」

「一人でやってこい」

「兄さんが主役やで」

「一生脇役でいいわ」

「職員室では迷惑です」

「じゃあ理科室行こ。ほらほら」




 アヤネの言葉を聞くや否や黎冥とアヤネの腕を掴み、面倒臭がる二人を引きずって理科質に降りた。







 相変わらず無機質で、なんと言うか狂気みを感じる教室だ。




「早口言葉って何がある?」

「有名なところで言ったら生麦生米生卵でしょ。あとは赤巻紙とか」

「言える?」

「生麦生米生卵。赤巻紙青巻紙黄巻紙。隣の客は良く柿食う客だ。お綾や八百屋にお謝り」

「ペラペラね」

「スラスラの間違いだろ」




 第一関門は難なく突破。


 次は第二関門。次は少し難しく。




「お綾や親にお謝り。お綾や湯屋に()くと八百屋にお言い。坊主が屏風に上手に坊主の絵を書いた。骨粗鬆症訴訟勝訴」




 ここまで来ると知らない単語が出てくるのでアヤネが書いた文字を読む。




 これの知識は無限に広がっているため、早口言葉と言えば早口言葉が無限に出てくる。





「アヤネちゃん言える?」

「無理」

「言ってみてや」

「……伝染病予防病院予防病室伝染予防法。言えたわ」

「骨粗鬆症は?」

「骨粗鬆症そうそ……勝訴」

「誤魔化すな」

「無理だろ」




 黎冥に紙を渡し、黎冥はそれを読む。



「……美術室技術室手術室、美術準備室技術準備室手術準備室、美術助手技術助手手術助手。魔術師巫術師を派出所で手術中、徐々に情緒不安定。術に集中するじゅじゅすゅ、手術中に集中術を巫術で叙述」

「怪しかったぞ」

「魔術師巫術師を派出所で手術中、徐々に情緒不安定。術に集中する呪術、しゅじゅちゅ中に集中術を巫術でじょじゅすゅ。無理!」



 最後は盛大に噛み散らかした。



 黎冥が紙を置いて大きく仰け反ると、稔想がもう一枚差し出してきた。





「頑張れ天才」









The sixth sick sheik's sixth sheep's sick

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