27.突撃
ある日の朝。
もう七月も半ばだが相変わらず校内の気温は二十二度。頻繁にアヤネに怖い話を聞かされるので毛布を被って眠っていたのだが。
目を覚ますと椅子にアヤネが見えた。
声を掛けるよりも先に背中がめくれていないかを確認し、本を読んでいるアヤネに声をかける。
「おはよ。どうした」
「巫砢々(ふらら)の事聞いた時に氣の神石も貰ったんだけど、どこにやったかなと思って」
「あぁ、神石の箱に入れといたけど」
「ならいいや。開けたら怒られそうだったから」
「まぁ何十人が倒れるだろうから」
体を起こして、後ろからブランケットを羽織った。
白ティーなので汗で透ける気がする。
たいしてかいている気はしないが。
「ねーねー」
「何」
「海行こうよ」
突然の発案に目を瞬き、首を傾げた。
暑いので別にいいが、急にどうした。
「いいけど。どうした」
「零が濡れてる姿が見たい」
「被害者俺?」
「どうなんのかなーと」
「行ってもいいけど泳がないから」
「なんで」
「泳ぐよりも水着が嫌だから」
「じゃあ行く意味ないじゃん」
黎冥のせいか。
つまらなさそうに睨んでくるアヤネには悪いが、黎冥は他人に肌を晒す気はない。
稔想になら最悪見られてもいいが、その他には無理。絶対嫌。
ていうかアヤネも泳ぐ気はないだろう。
いつかに水着やドレスといった体のラインが出るものは嫌いだと言っていた。
「稔想でも連れて行ってこい」
「えやだ絶対襲われるじゃん」
「まぁだろうな」
「誘われても行かん」
可哀想に、嫌われて避けられて。
関係ないのでどうでもいいが。
黎冥の弟として恥は晒さないでほしい。
馬鹿にされるのは阿呆な本人より真面目な兄だ。
「泳がないならいいや」
そう言って立ち上がったアヤネは部屋を出て行こうとした。
黎冥はハッと思い出して、アヤネを呼び止めるとベッドに呼んだ。
アヤネが座ってから黎冥は水分補給と、薬箱から軟膏を取り出す。
最近はずっと泣いているのか、目元の皮膚が薄くなって出血していることも少々。
今日も血が滲んでいるので軟膏を塗っておく。
「気分はどう」
「んー、普通」
「体調は?」
「特に。目が痛いぐらい」
「なら良かった」
頬とこめかみ付近、眉近くにも塗っておく。
それと、もう一種類を瞼の粘膜近くに少し。
「何の薬?」
「目に入っても問題ないよう成分変えた」
「最近実験してたのはこれか」
「多少効能は落ちるけど膿むよりマシだろ」
「うん」
ストレスで口角炎にもなっているのか、口角も赤くなっている。
目尻の粘膜と、普通の軟膏を口角炎のところにも塗っておく。
口を開けさせ、唇の乾燥も酷いなーと思いながら薬を塗っている。と。
扉が蹴り開けられ、アヤネと黎冥は揃って扉を見る。
「鼓アヤネ、客人だ」
「私に会いに来る人はいないので断って下さい」
「今ここに来てんだよ」
「おい俺の部屋入ってくんな」
ご立腹の馬鑼校長はアヤネを掴んで引っ張っていき、黎冥は扉を閉めると自分も職服に着替えてすぐに降りた。
まだ二、三分しか経っていないはず。
階段の手すりを飛び越えて着地し、ギョッとする周囲の生徒を無視して職員室に向かった。
職員室には死んでも見たくなかった後ろ姿が二人。
たぶんその向かいにアヤネがいて、アヤネとの間に匡火。
生咲と慧がアヤネの周りに集まっている。
「静蘭、蜂馬、何の用だ」
「……貴方に用はありませんよ」
「嘘つけ。俺目的でアヤネ呼び出してんだろ。こんな朝っぱらからご苦労なことで。退学処分に不満があるなら直接言えよ」
「では遠慮なく。俺が退学になり次期校長候補から外れた場合、貴方が候補になるというのは理解していますか? 社長になる気も校長になる気もない貴方は不利になる一方ですよ?」
「は、だから? 俺がそんなこと考えてないとでも思ってたわけ? 馬鹿にすんなよ」
そんなこと、全て把握済みだ。
校長や社長に上がった時の対策も、それ等に上がらない方法も、身代わりになる人物も全て検討がついている。
準備は順調だし何一つ困ったことはない。
静蘭が思っている先まで全て考慮済み。
「では……貴方が社長や校長にならなかった場合、立場が弱くなってこれが取られることも予想済みだ、と?」
「黒の一位を保ち続ければ問題ない」
「偽装が二年三年もバレないとお思いで?」
「偽装じゃないから一生バレないしバレることもない」
そもそもズルも卑怯も何もしていないのでバレるものがない。
本当に疑われたら神守十二を全員集めて目の前で祈ってやろう。
そうすればアヤネへの懐疑の目も黎冥への避難の目もなくなる。
二人が言い合っていると、どうやら頬を叩かれたらしいアヤネが立ち上がった。
瞬間、蜂馬がアヤネの腹部を蹴る。
生咲と慧が庇う前に怒りを露にした蜂馬が倒れたアヤネを何度も蹴り踏みつけ始めた。
匡火では抑え切れていない。
「お前のせいで退学になった! なんで卑怯者より教師の信頼されてた俺が退学になるんだよ!? お前のせいで俺は……!」
「蜂馬五月蝿い。蹴るなら黙って蹴れ」
「馬鑼、目瞑れ」
「はい」
馬鑼も気が立っている。
稔想がいないのが惜しいが、黎冥も護身術と対戦術は身に付けている。
おとなしく目を瞑って手で塞いだ馬鑼を確認すると、瞬きよりも早く足を振り上げて余所見をしている静蘭の肩に落とした。
そっちがその気ならこっちだって合わせてあげよう。
普段は相手を舐め腐って遊び半分だが、今の黎冥はすこぶる機嫌が悪い。
気分上々不機嫌なので笑った顔が余計にトラウマになるだろう。
これで二度と関わらないなら、精神が狂うまで蹴ってもいい。
教師陣が絶句する間に、膝を突いた静蘭の横腹を蹴り、身構えた蜂馬の顔面を横から蹴った。
静蘭は死なれると立場的に困るが、蜂馬はただの赤なので遠慮はしない。
黎冥不機嫌の原因も多くはこっちのせい。
「れ……れい……めい……」
「あれー兄さん何やってるん?」
「え、イタズラ」
「イタズラの範囲じゃありませんよ! 何やってるんですか!?」
「何? 別に死んだわけじゃないしいいじゃん。折ってないし」
「……あれアヤネちゃんどうしたん!?」
「蹴られた。稔想、それ片付けといて」
「う、ん……」
横たわっているアヤネを抱き上げ、稔想に後片付けを任せるとアヤネを保健室に連れて行った。
どうやら意識は保っていたらしい。
黎冥の服にしがみつくので、背中が立つように体勢を変えて黎冥の首に腕を回させる。
「寝ときゃ良かったのに」
「防がないと折れるから……」
「じゃあ骨に異常はなさそう?」
「た、ぶん……」
「なら良かった」
今のアヤネの骨が折れると、拒食で栄養が足りていないのでなかなか治らないだろう。
時間が掛かりすぎて変形が危惧されるため骨を整える手術の可能性だって見えてくる。
人一倍骨が脆いのに人三倍治るのが遅い。
肋や骨盤を守ったなら内臓に影響が出ていないといいが。
アヤネを保健室に届けて手当を頼み、自分は自室に戻って母親の嵟歩宛に手紙を書いた。
静蘭がやって来たこと、暴走したこと、共犯が危害を加えたこと、いい加減鎖で繋げということ。
外にあるポストの速達便に入れ、職員室に戻る。
「あ、兄さん……」
「起きてんじゃん。死ななくてよかったね」
編縄で縛られている静蘭はまだ気絶しており、同じく縛られているが起きた蜂馬の前にしゃがむ。
別に死んでもいいよなと顔面を蹴ったが、左目の焦点が被害に遭っただけらしい。
倒れられたらアヤネに被さりそうだったので斜め下に蹴り落としたのだが、それのせいだろうか。
真横に蹴ってから反対に倒せばよかった。
「兄さん、アヤネちゃんは……」
「骨は折れないように守ったって。内臓は分からん」
「あとで頭も診てあげてや。結構強う打たれとったから」
「戸永が診てくれるとは思うけど」
「人体解剖した人やないやろ」
「俺も頭は解剖してねぇよ。やったんは首の神経と喉だけ」
「神経やっとんのなら分かるやろ」
黎冥は怯えているのか威嚇しているのか、後ずさりながら睨んでくる蜂馬と目線を合わせ、にこりと笑った。
「兄さん、大事にしたらアヤネちゃんに嫌われんで」
「気付かれない方法でやるんで」
「本人おんのに?」
肩を震わせ、右周りで勢いよく後ろを振り返り、本人がいないことを確認してから稔想を睨んだ。
長机に座った稔想は視線だけこちらに向ける。
「左見た?」
左側を振り返り、結局誰もいないと稔想を見上げ、優雅に前髪を整える稔想を睨む。
「普段は分かってる気配が分かってない証拠やで」
「普段から分かってるみたいに言うなよ」
「扉の外に皆がいんの分かってるやろ」
「自分の足音に耳澄ませとけ」
アヤネは足音の鳴らない歩き方をするのでよく驚かしてくる。
聞こえるのも察知するのも全て足音や小さな笑い声、服のすれる音。
立ち上がり、腕を上に伸ばした。
稔想は目を瞬いて黎冥に視線を移す。
清々しそうな、楽しそうな、機嫌のいい顔。
「ど……どしたん……?」
「えー、いや何にも?」
「何する気や」
「まぁ家族に被害にあってもらうぐらいかな。いつも通り」
「迷惑かけんといたりや。兄さんだけはかけたらあかんで」
「分かってる。無関係の所を潰すだけだから」
この中で唯一黎冥の全面を知っている稔想は仕方なさそうに溜め息を吐き、まだ一面一部しか知らない皆は顔面蒼白のまま逃げて行った。
黎冥は最後に蜂馬の顔を蹴ると保健室に戻る。
「失礼します。アヤネどうなりましたか」
「触診で骨と内臓には問題ありませんでしたよ。筋肉が少し引つるかもしれませんが問題ないと思います」
「分かりました」
アヤネは奥にいるらしいので、奥のパーテーションで仕切られているソファの並んだスペースを覗いた。
アヤネはソファに寝転がって足を抱え、本を読んでいる。
「アヤネ、大丈夫なら部屋戻るぞ」
「腹筋が痛い」
「抱っこしてあげようか」
「断る」
アヤネはおもむろに立ち上がると、本を片付けて黎冥とともに保健室を出た。




