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26.カフェ

 暇だ。



 現在理科オタクの友人に連れられ科学館に来ている。



 元素記号のランプ、化学構造式の壁紙、資料がびっしり並んだ棚、実物が置かれたガラスケース。





 正直に言う。飽きた。



 だいたいのものは黎冥の実験室か部屋に行けば見られるし、そもそも科学大好きというわけでもない。


 出来るが、出来ると得意、得意と好きは別物だ。




 大小の六角形の部屋が細い廊下で繋がれ、各コーナーごとに別れている。




 そんな部屋を行ったり来たり、ぐるぐる回ったりする友人を眺める内心で、これ帰ってもバレないぞと悪魔が囁く。



 何かと便利な子なのでそんな疎遠になるようなことはしないが本当に暇だ。




 相手が奢ると言うので来たはいいが面白いものやめぼしいものはなかった。







 本当に、並ぶ資料も論文も図書室と実験室で読んだので初見の本が一冊もない。



 この科学館が駄目なのか、あの学校が揃いすぎているのか、全書蔵書者の零がおかしいのか。

 たぶん三番目。








 天井まで続く柱にもたれ、もう案内も見ずに我が家のようにうろちょろする友人を待ちながら欠伸をする。





 なんか入口側が騒がしくなったなーと聞き耳を立てながら止まらない欠伸をしていると、視界の端に人影が写った。




 誰かと思って横目で見上げれば、相手から覗き込んできた。



 無意識のまま反射的に舌打ちをして、顔を逸らす。




「日に日に態度が悪化すんな」

「日に日にストーカーが悪化してる」

「してねぇよ。そっちだろ」

「先に行くストーカーって何? てか私の意思できたわけじゃないんだけど」

「おトモダチ?」

「邪魔」




 妖艶と言うか、明らか意識して大人っぽい笑みを浮かべ覗き込んでくる黎冥を軽蔑の見下ろした。





 気が済んだのか無表情で体勢を戻す。




「黎冥君、嫌われるよ」

「既に嫌ってます」

「だそうです。大丈夫ですよ」



 少し慌てる嫁陣に小さく手を振ってキザな笑みを浮かべ、美人と言うか麗人に変身したアヤネを見下ろした。


 なんだろうか。何故そんな軽蔑というか、白い目で見てくるのだ。





 いつもと違うところと言えば巻いた髪を中心で分けて右を横に流しているぐらい。

 変ではないだろう。よくやる髪型だし一番似合うと言われている髪型だ。


 化粧もしていない。





「……何」

「性格って顔にもろ現れるよね」

「えなに急に……」

「何人唆してきた?」

「零。てか何? やったことないんだけど」

「いや直で言ったら傷付くかなと」

「そんな弱くない」

「弱いよ。顔がいつも以上に気持ち悪いって思っただけ」




 アヤネの頬をつねり、寄ってきた嫁陣と墓千と話す。



 鳴嬪は今日はおやすみ。

 学会と共同研究会の会議があるらしい。




「黎冥君、そろそろ離してあげなよ……」

「俺の傷が癒えるまで離しません」

「やっぱ弱いじゃん。離してよ」

「百も承知で言うなよ。誰も言えとは言ってない」

「文脈的に言った」

「言ってない」




 二人が睨み合っていると、アヤネと一緒にやってきていた男子が声を掛けてきた。



 女性のような顔立ちをした男。

 でも男の娘ではない。




「つ……づ……み……?」

「終わった?」

「な、なん…………黎冥さん……!?」

「はじめまして〜」



 笑って手を振れば声に聞き付けてきた客が皆振り返り、皆が見える方に集ってきた。



 他の部屋からも何人もやってくる。





「鼓……なんで……黎冥さんと…………科学界の巨匠……嫁陣さんに墓千さんまで……!?」

「たまたま声掛けられただけでーす」

「弟の恋人で面識があって……」

「誰が恋人だ!」

「うるさっ……」




 耳を塞ぐ黎冥に舌打ちして、黎冥が嫁陣を見た隙に観衆の中を通って隣の部屋に逃げた。



「サイン会でもやってろー」




 一声かければ皆が弾かれたように動くのだから面白い。



 こんな科学の巣窟に変装なしでくる自分を恨め。


 助けを求めても助けません。









 荒波に揉まれている友人の肩を掴み、先に帰ると聞こえているのか聞こえていないのか知らないがそう告げるとさっさと出口に向かった。










 帰ったら稔想がいるだろうしたぶん慧とその弟子たちも突っ掛かってくるので個室カフェに行こう。



 色々と揃っているところを知っている。










 本屋で新刊を二冊買って、カフェの最上階の空き部屋に入った。




 一畳か、一点五畳ぐらいある部屋。

 中心に机と前後にソファ。


 壁には小窓。

 天井には小さな暖かい明かり。






 ここの最上階がお気に入りだ。


 東西南北で見える景色が違い、本を読む合間の一息に外を眺められるのがいい。



 恐怖症は特にない気がするので高所も閉所も暗所も問題ない。





 もちろんカフェなので飲み物や軽食も食べられるし、部屋を貸すことが目的なので何も頼まなくてもいい。



 最近は一人で静かに過ごす時間がなかったので、少し落ち着いた気がする。












 色々溜まった時はよく羽耶や霈霸(はいら)に聞いてもらってきた。


 聞いて聞かれて、相談し合って、一人の問題も三人で解決する。




 年齢も性別も人数もバラバラだったがそれでも楽しい三人だった。




 あの高校生たちの笑い声が脳裏によぎる。


 黎冥と、三人で集まっていたカフェで聞いたあの言葉。




『パパが自殺にしてくれたから』





 もしあの言葉が羽耶の事なら、羽耶はいじめで殺されたということだろうか。


 一人の命が失われたのに、それを我が子可愛さで、自分の自尊心の、外聞のために自殺で処理したというのか。




 彼女の体は皆の体で、彼女を追って二人死んだと言うのに、それをただの自殺として片付けたというのか。









 世間は病気への理解が著しく低い。



 死に至る病気は皆が恐れ戦くから知っている。


 でも、それは病気が直接的原因で死ぬ場合。




 病気のせいでいじめられて死にました。

 病気の理解が得られなくて死にました。

 自分の体が嫌で死にました。




 そんな故人の思いは誰も受け止めず、精神患者は社会不適合者。

 病気で痩せた人は醜い。太った人は醜い。


 四肢を失った人は、見えない人は、聞こえない人は。




 有名人が病気にかかれば心配するくせに、同じ病気の一般人は無視する。



 それは病気の人を哀れんでいるのではなく、異なる点が生まれた有名人を哀れんでいる。だから一般人には見向きもしない。





 精神患者だけではない。


 自律神経も、感覚障害も、神経障害も。



 自分はたまたまかからなかっただけでもしかしたら今この瞬間に事故に遭って視界が閉ざされるかも。

 自律神経の乱れで不眠症になるかも。

 神経が麻痺して足が動かなくなるかも。





 自分が該当者になったら、と考えて動く人はどれだけいるだろうか。





 人が、世界が残酷なのは知っている。



 親が消えて、唯一の希望だった高校もなくなり、信用していた友人達は消え、唯一信用出来た人には打ち明けられない。




 死も恐怖も絶望も、全て経験した。


 次はなんだろうか。




 悲嘆か、罪悪感か、空虚か、喪失感か。


 皆の死に便乗して死ねばよかった。




 生きる意味が分からない。





 こんな今まで聞いたこともないような世界で、最高だの一位だの持ち上げられて、何が凄いのか、それが自分にとってどんな得になるのかが分からない。




 皆と違って、褒めてくれる人も喜んでくれる人もいない。




 上位になって与えられるのは嫉妬と僻みの悪意だけ。



 何故不幸への一歩を羨ましがられるのか。


 分からない。





















 いつの間にか寝ていたらしい。



 涙で濡れた目を擦ると、誰かがその手を掴んで頬の涙を拭った。




「……なんでいんの」

「発信機付けてるって言わなかったっけ?」

「……冗談じゃなかったの……?」

「ん〜?」




 笑ってはぐらかす黎冥を睨み、でも言い返す気力が湧かずに視線を戻した。





 黎冥がアヤネの頬を拭い、頬を机につけていたアヤネは組んだ腕の上に顔を乗せる。




「なんか嫌な夢でも見たか」

「……前のさ、カフェで女子高生が言ってたの覚えてる?」

「隠蔽の? 覚えてる」

「それが気になって。病気の重さを理解してる人は何人いるのかなって考えてた」




 アヤネの涙の止まらない頬を包んで親指で拭い、時々目元を撫でる。




 一人だけ楽しそうだ。




「アヤネが気になるなら警察に聞いてみようか。知り合いが警視総監だから」

「え、いや……いい……」

「濁ったまま消えるよりかは聞いた方がいいと思うけど」

「……羽耶のご両親に聞いてみる」

「うん」




 頬を包む黎冥の手に季節とは真逆の冷えた手を重ね、アヤネより遥かに大きい手をさする。




 少し乾燥気味だが、毛穴のひとつ、怪我の一つない綺麗な肌。


 男特有の少し骨ばった薄い手だが、肌的には女性のようだ。







「泣きやめよ」

「泣いてるつもりないんだけど」

「泣いてる」




 アヤネの目を親指で撫でて、今ようやく止まってきた涙を拭った。




 赤くなった目元と涙で濡れた頬が擦り切れて少し赤い。




「……久しぶりに泣いた気がする」

「いや寝てる時結構泣いてるぞ?」

「傍から見たら知るはずのない情報なんよ」

「そりゃ一緒に寝てますから」

「気分最悪」

「よしよし」

「気持ち悪い」




 アヤネから手を離し、机の上で腕を組む。



 これで一時的にも落ち着いてくれるといいが。






 泣き虫なのもすぐ不機嫌になるのも、精神的苦痛に弱いかららしい。


 心理学の友人に聞いた。



 精神的苦痛に弱いのに本人が我慢強い場合、無意識に発散するため夜泣きや夜の鬱時間、身体的なものでは胃潰瘍や偏頭痛等によって発散される。



 アヤネの場合はそれの夜泣き。




 アヤネ自身、育った環境のせいで弱みを見せないという癖がついているためこうなったのだろう。


 加えて頼っていた友人の死去。



 本人も知らないところで、思っている以上の負荷がかかっているはず。






 これを黎冥が楽に出来るとは思わないが、本人が無意識に発散しているならそれを支えよう。



 変にからかわず、遊ばず、アヤネのストレスにならないように。

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