21.約束
稔想がアヤネを押し倒してから数日。
アヤネはあからさまに稔想を避け、ついでに黎冥も避けられ、加えて慧も警戒され、今は生咲と一緒にいることが多い。
アヤネは気が弱い生咲の意見を潰さぬよう尊重するので、生咲も話しやすいのだろう。
二人の周りだけいつも和やかだ。
あぁやって無意識に優しく依存させては駄目男を作っていくんだろうなと横目で眺めながら、職員室の机に突っ伏して五通目の手紙を眺める。
五通目、昨日二通きて、今日三通来た。
親からではない。
どこぞの会社の令嬢や神守十二の当主から。
そう、お見合いだ。
正直、元カノに付き合って一年でプロポーズされて別れて以来、全くと言っていいほど恋愛欲が湧かなくなった。
何故か知らないが、湧かないのだ。
いや湧いたとしてもお見合いをする気はないが。
ないが、普通に見付けた相手となら抵抗感なく付き合える。
が、最近はそう言ったことが全くない。
相変わらず恋文から告白から不気味な贈り物まで絶えず送られてくるが、前は面と向かって言われる告白なら少しは響いたのに、今は微塵も興味がない。末期か。何の末期だ。
黎冥が呻き、皆から不可解そうな目で見られていると、今日も今日とて髪を束ねた稔想がやって来た。
「兄さん、姉さんが呼んどるよ」
「何の用?」
「知らん。……まーたお見合い?」
「捨てといて」
「はーい」
呻きながら職員室を出て行った黎冥を見送り、手紙の名前の部分を黒く塗り潰してから破き始めた。
丁寧な黎冥らしく、机の下にゴミ箱があったので捨てておく。
紙の山になっているところを見る限り、相当な打診があったのだろう。
それを全て無視しているというところか。
家の方に話が回るのも時間の問題だ。
いくら長男と言えど、当主の言葉には逆らえない。
長男様ならどうにか逃げるかもしれないが、それも一時の雨宿り。
すぐに別方向から雨が吹き付けるだろう。
黎冥圜鑒は黒で教師だが、黎冥長男は次期当主で当主の右腕だ。
長男としての立場を持ち続ける以上、当主の命令には逆らえない。
「稔想は黎冥に従順だね」
やって来た慧は、黎冥の机に座りながらコーヒーを飲む。
「アヤネちゃんとは反対だ」
「従わんかったら何されるか分かりませんからね。前の見ました? 指折られかけたんですよ」
「本気じゃないだろう?」
「十二の時に足首にヒビ入れられて。柱の角に向かって足首蹴られたんです」
「……弟大好きのくせに」
「使い勝手がいいから使ってその分労われてるんですよ。なんも出来ん役立たずやったら見向きもされてませんわ」
「どうだろうね」
稔想はケラケラと笑いながら職員室を出て行く。
生咲とともに職員室を出ていくアヤネを横目に、また仕事を始めた。
紑蝶に見合い話を知られ、振り回された日を数分越えた夜。
寮に帰ると、何故か鍵が開いていた。
眉を寄せ、中を覗くとベッドに横たわるアヤネが見えた。
避けるくせに寄ってくんなよ。
「アヤネ」
声を掛けてから静かに中に入る。
寝ているのか、全く動かない。
鍵を閉めて壁に向く顔に触れれば、まつ毛は濡れ、濡れた頬は赤く擦り切れていた。
やはり精神的に弱っているのか。
本人が自覚しないせいで休むことも、逃げることもしない。
普通でも気負いやすい性格なのに、弱っている精神に大きな環境の変化と本人が気にする大衆の目。
本人と黎冥が思っている以上の、それよりも遥かに上を行くストレスか。
アヤネの頬を拭い、ベッドの傍に座ると本を読み始めた。
嫌な、本当に嫌な夢を見た。
夢なので有り得ない状況だったが、有り得るかもしれない状況だった。
妙に生々しくて、思考も声も言葉も、全てが現実的。
泣くのも分かる。
痛いまぶたを開けて、心配そうに覗き込む黎冥を見上げる。
「うなされてたけど」
「……嫌な夢視ただけ……」
「大丈夫か」
「……最悪」
アヤネを起き上がらせ、水と濡れタオルを渡す。
黎冥が薬の準備をしていると、アヤネは水を飲まずにタオルに顔を埋め、反対向きに寝転がった。
また泣き始めるアヤネの頭を撫で、やっぱり泣き虫だよなぁと見下ろす。
「アヤネ……」
「……痛い……」
「顔見せて」
アヤネの頭を膝に乗せ、頬を指の背で撫でる。
「軟膏塗るか」
小さく頷いたアヤネは体を起こし、黎冥は机に準備した軟膏を取ってアヤネの向かいに座る。
「頬とまぶただけ?」
「目の横も……」
「また隈酷くなってきたな」
「最近、クリーム塗ってないから……」
「睡眠の質が悪いのが原因だろ。普通に眠れてたら悪化はしないし」
アヤネの頬に薬を塗り、目を瞑らせる。
「相変わらずまつ毛長いよなぁ」
「ブスなんだからまつ毛ぐらいないと」
「隈が酷いだけで相当な美人に入るほうだけど」
「見た目醜いんだから同義語」
「見た目がいいって話してんだろうが」
アヤネは黎冥の突っ込みを小さく笑い、黎冥は仕方なく片口角を上げながら目の横にも軟膏を塗った。
「耳とか首は問題なし?」
「特に」
薬を閉め、ふと顔を上げると、僅かに開いた扉から覗く二人と目が合った。
閉めていたはずなのに、何故。
「イチャつかんでや……! 俺のアヤネちゃん……!」
「るい君……弟子に手出したの……!」
「なんで扉開けてんの?」
「あ、鍵借りたよーん」
そう言って、紑蝶は黎冥に鍵を返した。
頭の中に疑問符と感嘆符が浮かび、慌てて自分の引き出しの中を漁る。
「なんで取ってるん!? いつの間に!?」
「え、いや昨日会った時にちょろーっと」
「泥棒! 合鍵渡せ!」
昨日の夜、アヤネが入って鍵が開いていたので気が付かなかった。
このクズ姉貴。
「嫌よ。るいくん開けてくれないじゃない」
「こーゆー事になるから開けへんの! 個人情報保護も私事もない!」
「いやお前が言うかよ」
ノックもせずにアヤネの扉を開けていた黎冥が言えることではない。
アヤネのツッコミに黎冥は顔をしかめ、稔想の顔を押しながら扉を閉めた。
「あぁでもしないと出てこなかったじゃん。今は返事待ってるだろ。てかお前の方が入ってくるだろ」
「あんなことするから出なかったんだよ。今は許せ」
「別にいいけど」
閉めては開けられる鍵を諦め、押し問答の末、相手が体重を掛けた瞬間に手を離した。
当然、前に倒れてくる。
「もう遊ばんといてや兄さん!」
「この部屋にいる限り永遠にいじり倒しますけど」
「……姉さんあとたの……」
「稔想くぅん? 貴方の発案よねぇ?」
「おも……」
四つん這いのまま出て行こうとする稔想の上に乗っかり、圧と体重を掛け続ける。
黎冥はベッドに座り、アヤネとともにいい歳にもなって遊ぶ二人を見下ろす。
こんな人たちの兄弟で恥ずかしい。
「姉さん……わかった……分かったから扉閉めん……?」
「……仕方ないわね」
紑蝶は四つん這いの稔想の上から退くと、稔想が立ち上がる前に背中に座った。
足で扉を閉め、長男に鍵を閉めさせる。
「何の用ですか」
「お茶会の誘いよ。明日は予定ないでしょ?」
「ある」
「あります」
黎冥もアヤネもそう言うと、紑蝶は驚いたように二人を見上げた。
互いも驚いたように顔を見合わせる。
デートではないらしい。
残念。
「……丸一日?」
「いや……半日もあれば」
「まぁずらせるっちゃずらせるけど」
「そうねぇ……じゃあ明日の一時半に焼肉屋近くのカフェで!」
「そこって……」
アヤネが二人といつも集まっていた場所だ。
まだ数ヶ月も経っていないと言うのに、大丈夫か。
黎冥が少しアヤネを見下ろすと、アヤネは意外にもすんなりと頷いた。
「ではそこで」
「二人とも午前に用事があるんなら……お昼はそこで食べよう!」
「いや用事相手と食べる」
「家族を優先しなさいよ!」
「んな事より仕事の方が重要」
一つ言っておく。
明日の用事は黎冥一人だ。
ただ、黎冥が断らないとアヤネにストレスがかかるので嘘を言っておく。
別に珍しい嘘ではないので怪しくはないだろう。
「……じゃあケーキだけでいいわよ。稔想、奢りなさい」
「え、は、はい」
「お前無職だろ」
「んな酷いこと言わんといてぇや! 必死に職探してんねん! てか何個か祈りこなして頑張っとるわ!」
「あっそ。おつかれさん」
「冷たい……!」
黎冥は頬杖を突きながら労い、稔想は本気で項垂れる。
やはり慧に伝えたことは間違いではなかったか。
「それじゃあるいが奢りなさいよ」
「別にいいけど」
「それじゃ明日の一時半にるい君の奢りでね!」
「カフェ集合な。……てか何の話すんの? 今でいいじゃん」
「えー、るい君のお見合いの話でしょ、稔想のお見合いでしょ、アヤネに紹介でしょ、ついでにこの前の会議で決まったことも」
「最後のを本題にしてくんね?」
どうやら紑蝶の中では婚約優先で、それを伝える時に出来たら会議内容も伝えてね、という感じだったらしい。
この家族緩すぎる。
もうちょっと名家、神守に名を連ねる家として自覚を持ってほしい。
そうでなくとも、重役という意識を根付けてくれないだろうか。
今まで家族間の情報不足でどれだけ苦労したか。
「なぁ姉さん、兄さんはともかくなんで俺とアヤネちゃんまで?」
「るいは子供どころか結婚欲もないし、私の子供もほとんどいなくなってるからあんただけが頼りなのよ」
「待って、いなくなってるって何? 四人いたやろ?」
「なんかねぇ」
二人は死に、一人は消息不明、一人は中心校が匿っている。
一度は捨てた子だし、自分の保身のために子供はいらないのでほとんど調べていないが、現状そんな感じ。
「それも含めて明日話すわよ」
「まぁ稔想が希望ってのもあながち間違ってないしな」
「下二人は?」
「黎冥家の当主を赤以下から生まれた子に家督を継がせると思う? あんたの子供をるいが育てて当主にすんのよ。……まぁるいが当主になるのを前提としての話だけど」
圜鑒が当主にならなかった場合、当主は稔想になる。
どっちにしろ稔想の子供が当主になるのはほぼ確定。
そんな五人産んで五人女の子でした、なら下二人に話が行くかもしれないが、その場合は圜鑒の子を無理やり成すのであの双子はいてもいなくてもいいような存在だ。
ただ、親の癒しのためだけにいる子。
「別に稔想を誰とくっ付けてもいいけどアヤネはやめろ」
「何、狙ってんの?」
「今はそんなこと言ってる場合じゃない」
今は誰が信用出来て誰が出来ないのか、敵に回るのか、一番境界線がボヤけているのだ。
新しい人と関わって余計な心配をしたくない。
というのが建前。
実際は他人と付き合えるほどの精神状態ではないので誰がなんと言おうと新しく関わりをもたせるわけにはいかない。
もし新しい彼氏が依存して悪質ストーカーにでもなったら、それこそストレスで胃に穴があく。
「……てかあんたとアヤネがくっついたら早い話なのよ」
「そこ行く?」
「究極的に合わない二人を合わせようとしないで下さい。私の好みとは真逆です」
「俺こんな暴力女嫌……」
アヤネに頭をべしべしと叩かれる圜鑒は頭を抱えながら少し離れた場所に逃げ、アヤネは腕を組む。
「新しく出会った人と恋したいんです」
「アヤネは長続きしない子ね」
「アヤネの場合は好みが周りにいないからだろ。あと好みでも付き合ってるうちに変わる」
「人ってそんな簡単には変わらないわよ?」
紑蝶に、アヤネと圜鑒が付き合う前と後での変わりようを説明する。
さすが、数々の男と関わって落としてきただけある。
男の怖さを知っている者として気遣わしそうにアヤネを見た。
「アヤネ……るい君の急所はわき腹よ。蹴るのも殴るのもくすぐるのも。首でもいいけど」
「これなら手を出す前に口で抑えられるので」
「ちなみに稔想は耳ね」
そう言って、いたずらっぽく稔想の耳裏を爪で撫でた。
背中に悪寒が走り、肩に耳を埋める。
「や〜んかーわーいーいー!」
「弟で遊ばんとって……!」
「アヤネにやられたら喜ぶだろ」
「そんな性癖持ってへん!」
「どーだか」




