19.事故
アヤネがシュルトを連れて行き、慧が黎冥の机に座ると同時に広間から悲鳴が聞こえてきた。
広間には雯麟とセリョアがいるはずだ。
最近は悲鳴を聞くことが増えた。
皆が慌てて出ていく中、黎冥と慧は慌てず動じず話を続ける。
「黎冥家の嫡男は例外なく二十八までに結婚する。早く決めないとお互い知らないのに結婚まで持っていかれるよ」
「俺当主になる気ないもん……」
「当主の権力は奪ったくせに?」
「すぐ返したし。アヤネ守るのに必要だっただけ」
「そう言えばアヤネちゃんがね」
慧が、アヤネの言っていた時間の無駄の話を、黎冥の婚約から自分の感覚のところまで全て教えると黎冥は驚いたように顔を上げた。
「あいつ死のうとしてたの?」
「らしいよ。知らなかったのかい?」
確かに柵に座って茫然と空を見上げていたが、まさかそんなことをしようとしていたなんて。
親が夜逃げしたのだから絶望するのも当たり前か。
「まぁまともな人は俺なんか選ばないってのは事実だし。もし結婚強制って言うなら結婚して即離婚する」
「子供必須だろ」
「稔想の子供か姉さんの子供でもいいし。あの人は子供に興味ないからすぐ見つけられる」
「酷いな」
母親が興味なくても父親が育てているなら少なくとも父親は大切にしているということだ。
親から子供を取り上げるのはそう簡単なものではない。
「真面目な話は聞きたくない。もし無理だったら顔面好みの女子依存させて産ませてから別れる」
「お前ほんっと最低だな」
突然聞こえてきたアヤネの声に肩を震わせて振り返ると、軽蔑した目のアヤネが職員室の入口に立って腕を組んでいた。
後ろからは稔想も顔を出し、少し嫌そうな顔をする。
「待って誤解」
「こっち来んな」
「兄さん……酷いで……?」
「本当に誤解だって!」
アヤネと黎冥が追いかけっこをしていると、広間に行っていたはずの兎童が戻ってきた。
「黎冥先生! 軟膏下さい!」
「保健室行けよ」
「戸永さんは二週間出張だって言いましたよね!? 一昨日も!」
「えー覚えてなーい」
頭を殴られた黎冥は患部をさすりながら広間に向かった。
稔想に医療箱は任せたので少しすれば来るだろう。
人が集まった広場に行くと、広場にはセリョアが倒れていた。
右腕と顔は斑に火傷し、服も濡れたままだ。
「早く冷やせよ」
「手伝って下さいよ!」
「アヤネ、氷嚢持ってこい。兎童は氷と水」
「一人で!?」
「分担しろアホ」
正直、迷惑しかかけないセリョアはどうなってもいい。が、アヤネが危険にさらされた際に強みになるのには間違いないので一応助けておく。
マントを脱がせて雯麟に足の火傷の確認をさせ、その間に顔の確認をする。
セリョアは先天的に色素が異常なほど薄く、皮膚も太陽に数分間当たるだけで赤くただれてしまう。
生まれつき視力も弱いのだが、斑な火傷なので熱湯でも被ったのだろう。
目に入っていたら、それこそアヤネのように失明する可能性もある。
と言うか目に熱湯は普通に危険。
嫌がるセリョアを雯麟が必死に落ち着けていると、走って戻ってきたアヤネが黎冥と変わった。
「セリョア様、目に痛みは?」
「痛い……です……!」
「零、こういう時こそ稔想! 眼科医!」
「あぁ!」
このアホ。
合掌して呼びに行かせる黎冥を睨み、先に頬や体の火傷を冷やし始めた。
ただ、皮膚が薄すぎてすぐに低温火傷寸前になってしまう。
「これじゃまともに冷やせない」
「タオル冷水に付けて乗せとけ。後で冷水で流す」
だが先に眼科医に見せなければ。
さすがの黎冥も本業には敵わない。
アヤネと黎冥でとりあえず目をすすぐように言っては大泣きして嫌がっていると、匡火に呼ばれた稔想がやって来た。
「何すればええの?」
「目に入った可能性がある」
「そんだけ泣いとったら大丈夫やと思うけどなぁ」
稔想はアヤネと場所を代わり、先に涙を拭ってやると瞼を下げて目を開けさせた。
目を全方向に向けさせて、上まぶたも確認する。
「うーん……特に問題ないと思う。異物もないし火傷も、角膜は機械がないから分からんけど……。……そもそも顔になんかが当たった瞬間にまぶたは閉じるように出来てるから目に異物が入るってよっぽどのことがないとないねん。両目重傷になったアヤネちゃんは奇跡やで」
「そんな奇跡いらんわ」
アヤネがセリョアと雯麟に付き添って風呂場に行っている間、黎冥兄弟は辺りを見回して当事者を見付ける。
こういうものの犯人は基本的に自首しないので、二人の洞察力が試される。
「あ、兄さんあいつちゃうん」
「……ぽいな」
稔想に袖を引かれた黎冥は目を細め、震えた手を握って俯いている女子生徒を睨む。
「兎童、あいつ指導室に連れてこい」
「あ、はい」
黒に危害を加えたものは事故だろうが脅迫されただろうが関係なく罰則対象だ。
原因は知らないがアヤネに被害がなくてよかった。
セリョアに恥ずかしいと言う理由で追い返されたアヤネが職員室に戻ると、皆は戻っているのに黎冥の姿が見えなかった。
「あ、アヤネちゃんおかえり。……疲れた顔だね」
「無理やり連れていかれて無理やり帰らされました」
「セリョア様……らしいよ……」
「黎冥先生ほ指導室にいるからもう帰っていいと思うわよ」
「指導室……」
あれに指導など出来るのだろうか。
副業でも力を入れている黎冥なので出来るには出来るのか。
女子の場合は喜びそうだ。
「この席借りてもいいですか」
「え、えぇ……」
「ありがとうございます」
黎冥のファイルと引き出しを漁り、隣の長机でプリントを作る。
ほぼ全校生徒に使うプリントの作成を依頼され、今は必死に量産中。
定規を合わせ、点で位置を付けていると、また入口付近がざわめき始めた。
聞こえる単語は、中心校の副校長と一立と言う言葉。
素早く紙をまとめ、筆記用具を片付けると職員室から顔を覗かせた。
確かに見た事のある顔がいるが、運良く生徒たちが足止めしてくれている。
「兎童先生、指導室ってどこですか」
「保健室の隣よ。左の角っこ」
「分かりました」
更衣室があるT字路を左に曲がり、右側にある保健室を過ぎて真正面の扉にノックをすると黎冥の返事が返ってきた。
「何」
「副校長サマと一立が来た」
「は?」
「副校長サマと……」
「……セリョア絡みか……!」
黎冥は稔想の首根っこを掴むと生徒を放置して、アヤネにも黒の神服に着替えるよう伝えると二人で黎冥の部屋に戻った。
「兄さん、一立って……」
「セリョアが留年決まった瞬間にこっちに来たから取り戻しに来たんだろ」
セリョアの留年が決まり、それと同時に第八分校に転校してきた。
セリョアの転向と同時にシュルトと雯麟の来日。
シュルトは帰ったのでいいとして、セリョアを中心校に戻し、芋づる式に雯麟と黎冥とアヤネを狙っているのだろう。
相手の目的はセリョアは絶対と出来れば雯麟と黎冥とアヤネも。
こちらとしてはセリョアと雯麟は返して黎冥とアヤネは残る。
一立はセリョアの幼馴染なのでそれで釣るのだろう。
こちらとしても持ち帰ってもらえるなら是が非なので止める気はないし、寧ろ勧める。
セリョアは雯麟はもちろんだが、アヤネも欲しがるだろう。
男の黎冥は嫌がるので、二人の対立か。
ただの友人のセリョアより師弟契約と命の契約で繋がっている黎冥の方が明らかにアヤネといるに相応しいのでアヤネを渡す気はない。
そもそも序列一位の黎冥も狙っているはずなので全員取られる可能性があるが、そこはもう権力を振りかざしてでも阻止する。
今のアヤネにストレスは天敵だ。
環境の変化はともかく、大衆の目に晒されるのは本人の思っている以上のストレスになりかねない。
これ以上健康に問題が出てしまうと、それこそ視力の低下や睡眠障害、ただでさえ悪戻りしている拒食症の悪化に繋がってしまう。
視力は眼鏡がある。
睡眠障害も、最悪睡眠薬で凌げる。
が、拒食症に関しては、点滴だけでは活動量と力の回復に使う栄養が補えない。
拒食は命に関わる重大な病気だ。
絶対悪化させたくない。
黎冥の自室にて二人で背を向けて着替え、ものの二分足らずで着替えた黎冥は髪を整える。
「稔想〜、後ろ確認して」
「……大丈夫やよ」
「んじゃ先に行ってる。後でアヤネ連れて来て」
「はーい」
首の髪を上げて稔想に確認させた黎冥は、また髪を整えると入口へ戻った。
「副校長」
「黎冥様、コンニチハ」
少しカタコトの女性は、顔を上げると小さく頭を下げた。
そばにいた最年少生徒は他の生徒の元へ戻っていき、一立も顔を厳しいものに変える。
「何しに来たんですか」
「分かっているでしょう」
「セリョア様と雯麟様は事故で大変なので連れて来れませんよ」
「事故……? セリョアと雯麟に何をしたのですか!?」
「俺じゃないですしセリョア様だけです。ただの火傷ですよ。命に関わるものでは……」
黎冥が両手を上げながら弁解しようとすると、その前に一立が怒声を上げた。
「セリョアは肌が弱いと分かって言っているのですか!? 日に当たっただけで皮膚がただれて血が出るんですよ!? 火傷なんてしたら感染症でどうなるか……!」
「ずいぶん気に掛けるんですね」
「黒の一人ですよ!? 四人しかいないうちの……!」
「五人ですけど。俺かアヤネを除外しないでくれますか」
それにセリョアだけの力なら黎冥一人でも補える。
ただ、人数が減ったら移動が面倒臭いよね、と言うだけで。
口が滑ってしまい、内心が全部口に出た。いや、出した。
一立が胸ぐらを掴み、黎冥は涼しい笑みで眉を上げる。
「どこかの弟子と違ってセリョアは自分の力だけで黒にいるんです。贔屓も薬も使わず自分の力だけで立っていると言うのに、何故蹴落とそうとするのですか!?」
「成長途中にたまたま増えただけだろ。生まれ持った力量じゃないし力も少ない、頭も悪い、人を差別して自分の我儘を突き通すただの餓鬼だ」
生まれ持った病気を馬鹿にする気はない。
それは本人も望まなかったことだし、それで迷惑がかかることはない。
しかしセリョアは頭が良くない。
子供の頃から病気を理由に勉強から逃げ、本当に優しく、怒ってくれる友人を遠ざけ、媚びへつらう友人ばかり選んだ。
結果、男に騙され、騙された原因は自分だと言うのに、男という存在自体が汚らわしいと無関係な人間まで罵倒する。
助けようとする黎冥を嫌がり、医者の稔想に抵抗し、挙句アヤネを振り回す。
本当に、物語にでも出てきそうな我儘娘。
「別にあれが黒であろうとなかろうと、存在する意味がないのでどうでもいいんですよね」
やっぱりそうなりますよね。
自分でもやりすぎたとは思ったが、口が止まらなかったんです。
一立は大きくてを振り上げ、黎冥は熱の集まる自分の頬に触れた。




